中東断章

中東問題よこにらみ

アラブの春 - 次なる不安

2012年11月14日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 シリアの戦闘は、北のアレッポからいよいよ南の首都ダマスカスに及んできたようである。見たくはないが、古きよきダマスカスが灰燼に帰すところを見せられることになるのかも知れない。暗澹たる気持ちにならざるをえない。冗談ではない、ダマスカス市民はどうなるのだと詰問されても、答えようがない。無責任な放言であることは承知の上である。

 言うところの「アラブの春」という騒乱、戦闘とそれに伴う政変が、2011年初め、チュニジアで始まって以来、エジプト、リビア、イェメン、シリアと広がり、その間アルジェリアやヨルダン、バーレンなどにも余波が及んでいる。今はシリアが主戦場である。で、この戦闘と政変はシリアで打ち止めになるのだろうか。いや、騒乱がこれで終止符を打つと思うのは幻想である。これで終わりとする理由がないからだ。逆に、終わりと見ることができない理由は山ほどある。

 ひとつは、メディアによる報道姿勢であるが、テレビによるものでもネットを通じてのものにしても、どの国の例でも、「アラブの春」という標語が象徴するように、反体制勢力を支援し鼓舞する雰囲気のものが圧倒的に多いことである。反対に、その地でそれなりの理由があって権力の座についている支配者を悪者に仕立てあげている。ニュースで食べている人たちは、戦争は最大のニュースなりとして、澄ました顔をして暗に煽っているいる向きがあるのかもしれない。そうでなくても、反体制勢力の宣伝は別として、メディアの記者のもの言いが「虐げられた人たち」への同情に傾くのはやむを得ないところである。これによって、変革を求め、石油の富はどこへ消えた叫ぶアラブ・イスラム国の青年は刺激され奮い立つ。

 さらに、いささか下世話になるが、「アラブの春」で儲ける人がいる現実がある。大儲けをするために策謀の限りを尽くしている一群の人たちがいる。言うまでもなく、武器のメーカーであり、武器商人である。ここでやめられたら困るのである。おそらく次の戦場を求めて出来る限りの布石を敷いているに違いないのである。敵と味方が同一の武器商人が供給する武器で撃ち合っている図は、これはもう笑いごとあるが、おそらく現実に近いのではないだろうか。アラブ・イスラム国のおかれた立場を象徴しているかのようである。

 では、次はどこか。それは神のみぞ知るである。だが、われわれ日本人にとって最も困るのはアラブ産油国への波及であるであろう。困るどころの騒ぎでないことは言うまでもない。産油施設に砲弾が撃ち込まれ炎上するさまを想像するだに身の毛のよだつ思いがするのである。

 アラビア半島の産油国の中で、これまでアラブの春に関連したニュースの表に立つことは少なかったが、クウェートの動きが気になる。クウェートが揺れているのである。アラブ流民主主義の優等生で、比較的落ち着いた状況が続いていたのであるが、ここに来てにわかに泡立っている。国内でのはっきりした(過激派)イスラム勢力の伸長が見られる中で、政府というか王族というか、体制側が極めて露骨な抑え込みを図っており、その抗争の頂点が12月のはじめに来るのではないかと見られているのである。報道されることが少なく、われわれが杖とも頼む東京外大の「日本語で読む中東メディア」でもクウェート情勢については全くと言っていいほどとり上げてもらえないので、ごく簡単に振り返ってみたい。

 クウェートでは、本年2月に国民議会選挙があり、ムスリム同胞団やサラフィ主義者らイスラム系中心の野党勢力が大勝利をとげた。議会の定員50議席のうち従来の20議席から一挙に34議席を獲得し多数派となったのである。案の定、6月、その議会で財務相らが不正疑惑を追及されて辞職し、サバハ首長は議会の1か月閉会を命令した。続いて憲法裁判所がさきの議会選挙を無効と判断し、旧議会を復活させるという離れ業を演じて見せた。それを受けてジャビル内閣が総辞職した。7月に入り、首長は、ジャビルに対して再組閣を命令した。そして10月に入ると首長が議会を解散し、続いて12月1日に行う予定の国会議員選挙の制度変更を命令したのである。この選挙制度の変更とは、従来の有権者が4人の候補者に投票できる制度から、1人にしか投票できないように改めたのである。すでに締め切られた立候補登録では、50議席に対して400人近い立候補者があったと伝えられている。

 この変更はイスラム系の野党勢力に不利になると受けとられている。言うまでもなく、2月の選挙の悪夢の再現を防ぐのが体制側の目的である。目下は、12月1日の新たな議会選挙を前に、首長が野党に不利となる選挙制度変更を決めたことに対し、野党勢力は選挙ボイコットを表明し、制度変更の撤回を求めてデモを続けている状況である。追いかけて首長は20人を越える集会の禁止令を発令した。在位6年目で83歳になる首長はなりふりかまうところがない。

 このような状況にあるところから、アラブの春という激動の中で、12月1日に向けてクウェート情勢が注目されるのである。クウェートは、サウジアラビアやカタール、UAE、オーマンなどの産油国と運命共同体的なところがあり、事実、これらは政治的軍事的同盟関係にある。そのため混乱が昂じてクウェートの体制が揺らぐようなことになる前にサウジアラビアがテコ入れを行うだろうとの期待があり、事実これまでバーレンやクウェートへの派兵も伝えられている。しかしそのサウジアラビア自体がクウェートとほとんど同じ状況にあるのである。しかも、アラブ連盟を見ても分かるように、イスラム国間の同盟というか、話し合い、約束事が当てにならないことは今さら言うまでもない。てんでんばらばらなのだ。

 そこへもしイラン-イスラエル紛争が同時に具現化することになると、ホルムズ海峡の封鎖は言うまでもなく、ペルシャ湾が文字通り火の海となる恐れなしとしない。ことの次第としてこうした事態も考えられるということである。思い出していただきたいが、2年足らず前にチュニジアの片田舎で起こった一人の青年の命をかけた体制への抗議行動から、今はシリアの国軍が国民の頭上に連日爆弾を投じるところまで来ているのである。ここでは因果関係を問うても無駄なのである。オスマン帝国の崩壊以来西洋世界との軋轢の中で、イスラム世界にたまりにたまったさまざまな歪みが連鎖的に一挙に噴き出していると見るほかない。

 話題はそれるが、イラン-イスラエル抗争はと言えば、本来イランがイスラエルと事を構える理由はないのである。歴史的にもペルシャ人はユダヤ人を受け入れて長く平和に暮らしてきた。それが、1970年代にはじまるレバノン内戦を契機として、ホメイニ師の登場によって宗教的にも政治的にも異様に高揚したイランがレバノンを足場にパレスチナ人とユダヤ人との間の抗争に介入してきたに過ぎないのである。それは、イランがイスラム世界における己の存在を誇示せんがためのイスラム世界に対する自己顕示行動であると考えざるを得ないのである。イランが核兵器の開発に固執するのも、イスラエルを標的とするのはあくまでも表向きの口実であって、真の目的はイスラム世界における覇権を握ることであると考えられる。それ以外に理由がない。あくまでイスラム世界内部の問題と見られるのである。しかるにイラン-イスラエル抗争は抜き差しならないところまで来てしまった。

 アラブ世界に戻って、さらなる問題は、アラブ・イスラム世界を覆う現下の騒乱が、収束からやがて新たな秩序へと向かうのであればそれも生みの苦しみとして外部世界にも受け入れられるのであるが、先行きが全く見えないことなのである。その先に控えているものはさらなる抗争であり混乱である。アラブ・イスラム世界には抗争を収束するプロセスが存在しないのである。繰り返すが、この世界では多数決が意味をもたないのである。なぜなら、ごく簡単に言えば、個人個人が独自に神と結びついているからである。多数意見がどうであれ、自分は自分の信ずる道を行くほかないのである。

 こうした中東情勢に直面して、われわれ日本人が考えなければならないのは「石油・ガス」のことである。もし中東からの石油・ガスが止まったらこの国はアウトである。こんな急場になって考えても仕方がないのであるが、われわれ日本人は急場にならないとものごとを真剣にかつ身近に考えられないという大きな弱点をもっている。2010年9月に発生した尖閣諸島での中国漁船衝突事件直後に中国は希土類元素鉱石(レアアース)の対日輸出を制限してきた。希土類を中国に頼りすぎることの危険性はこれまで何度も言われてきたのであるが、日本人はそれを真剣に取り上げて対策を講じることはなかった。同時に尖閣諸島に思いを致してひそかに対策を講じることはなかった。今日の事態は、どちらもあれよあれよの間のできごとである。

 日本という国は中東の石油・ガスの上に浮いてある現実を忘れてはならない。シェールオイルだ、シェールガスだ、メタンハイドレートだ、太陽光だ、風力発電だ、脱原発だ・・と寝言を言ってはならないであろう。これらのことは、10年後20年後のことを考えて、今、国をあげて体制を整え資金を投じて推進しなければならないことであっても、今、大声をあげて騒いだりデモをすることでは決してない。資源やエネルギー面では日本と似たような立場にあるイギリスが、いや日本よりよほど有利な立場にあるイギリスが、何と日本(日立製作所)から資金と技術を導入して原子力発電の増強を図ろうとしていることに対して粛然たる思いに駆られる。そこには毅然とした国民と国家の意志が感じられる。これがしたたかな国家戦略というものであろう。


 われわれ日本人は原子力の開発や利用に関してなにひとつ貢献をしていない。広島に原子爆弾を見舞われて「新型爆弾らしい」と大人たちが騒いでいるのを記憶している人はまだ少なくないはずだ。二つ目を長崎に落とされて観念した。やがて欧米から発電用原子炉を持ち込まれ、夢のエネルギー源を手に入れたと大喜びしていたのを、今度は自分のこととしてよく見覚えている。その原子力発電所のひとつが地震で壊れたからと言って放り出そうとしているのである。われわれ日本人は万有引力を見つけたのでもなければ内燃機関を発明したのでもない。すべてを欧米から取りいれてひたすら「カイゼン」に励んできただけである。この事実を踏まえて、中東問題と原発事故という危機に陥った資源エネルギー問題に対して、われわれは今こそ原子力発電の「カイゼン」に向かって国をあげて最大限の努力をすべきであると考える。





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