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中東断章

中東問題よこにらみ

イスラムとインターネット (1)

2005年09月11日 | イスラムとIT

 新しくはインターネットであるが、イスラム世界はこれまで、書籍、新聞、ラジオ、映画、地上テレビ、衛星テレビなどの西側世界からもちこまれるさまざまな情報メディアにふりまわされてきた。それらをすんなり受けいれたことがない。受けいれることができないのである。その理由は簡単で、言うまでもなく、「イスラムの価値」を損なうような情報、および国の独裁体制を脅かすような情報を流通させるわけにはいかないということだ。これは、とりもなおさず、イスラムも独裁体制も規制のない情報流通には非常にもろいということを示している。これらには今もって宗教界や政府による厳重な規制と検閲が行われている。(このことがアラブ・イスラム世界を今日の惨状に陥れている主な原因であると思われるが、これは別問題である。)

 映画がアラブ世界に入ってきた20世紀初頭は、幸いなことにサウジアラビアはまだ国の体をなしておらず、イスラム原理主義者もいなかったので、映画とイスラムの関係について表立って面倒な議論が行われたとは考えにくい。原理主義的な「ムスリム同胞団」がエジプトに生まれるのも30年代に入ってからである。宗主国のイギリスやフランスがもち込む娯楽映画のお下がりをありがたく見せてもらっていたのであろう。時に「イスラムの価値」に反する場面は、切り取るなりしていたであろう。その後、厳格主義のイスラムを国是とするサウジアラビアが、石油の富を背景に、厳しいことを言い始めるが、さすがにサウジアラビアにはいまだに映画館はない。サウジアラビアでテレビの導入をめぐって行われたかんかんがくがくの議論は、部外者の目には不毛以外の何ものでもなかった。いまではそれなりの用心をして、ちゃっかりとりいれている。

 イスラムでは、最初は原則論がまかり通るが、時間がたつにつれてご都合主義がはびこり、何でもなし崩しにとりこんで行く。アラブ世界は、理工学や産業はほとんどゼロであるから、ここからここから新しいものが生まれたこともないし、今後も考えられない。いつまでも外部世界にふりまわされ続けることであろう。

 さてインターネットである。アラブ諸国では、これまたどこでもはれ物にさわるような扱いである。宗教家や政治家は、西側世界はイスラムや独裁国にとって究極のやっかいなものを生み出してくれたものだと嘆いたに違いない。例によって、原則禁止のがんじがらめの規制を行っている。ところがである、実に思いがけない形でインターネットがイスラムにフィットしたのである。イスラムの本質的な性格である「百家争鳴」性とあいまって、極端な言い方をすれば、ムスリムひとりひとりがサイトを開き、自分こそ「真のムスリム」であると主張を始めたのである。それも、アラブ国では厳重な規制と監視があって言いたいことが言えるわけもなく、アメリカやヨーロッパにサーバーをおいて活動を始めたのである。しかも、このインターネットの特性に気づくのも早かった。

 ちなみに、「岩波イスラーム辞典」は2002年に刊行されているが、その「インターネット」の項目は、ネット上の情報がイスラムの伝統的価値に抵触したり、各国政府にとって都合の悪いものだったりすることがあるため、当局により何らかの規制を受けているということを指摘するだけの、まことに皮相な解説にとどまっているのは残念である。

1)爆発するイスラム

2005年09月08日 | イスラムとIT

 イスラムは爆発している。まさにビッグバン状態にある。こう言えば、世界のイスラム教徒人口の急激な増加のことか、それともイスラム教徒の西側諸国への大量流出のことと思われるかもしれない。いずれも事実であって、いつか触れなければならないことであるが、ここでとり上げるのは、インターネット上のイスラム関連サイトの数のことである。世界中でイスラムを主題とするサイトが猛烈な勢いで増えつつある。その多くは、自分こそ「真のムスリム」であると信ずる人たちが自分たちの主張を展開する英語サイトである。ごく僅かながら、イスラム・バッシングに類する、イスラム・テロ糾弾サイトもある。それらのサイトを維持するサーバーが置かれている中心はアメリカで、ついでヨーロッパ、さらに日本を含む世界各国にわたる。それに平行して、各地のムジャーヒディーン(ジハード戦士)によるインターネット利用、特に宣伝活動が活発に行われるようになった。

 こうした現象は、さかのぼって1997年あたりから顕著に見られるようになり、その頃から欧米の観察者の関心を引いてきたようである。その頃からすでに、なぜ「イスラムとインターネット」なのかという考察が現われている。パレスチナ問題にからめてアラブ人、イスラム教徒の立場を主張する政治半分、宗教半分のサイトも少なくなかったという。そうして、イスラム関連サイトは、容易に予想されるように、2001年の「9/11」を契機に急激に増加した。それに続くアフガニスタン戦争、イラク戦争等々と事件のたびに増殖していった。

 では実際にどれくらいの数のイスラム関連サイトがあるのか。他の宗教、キリスト教やヒンズー教、仏教などと比べてどれくらい多いのか、どれくらいのスピードで増殖しているのか。しかし、それらを具体的に数字で示すことは不可能である。数字で把握する手段がないからだ。唯一考えられるのは、さまざまな鍵となる検索語を用意し、いくつかの有力な検索エンジンでネット世界を浚ってみることである。しかし実際にこれをやっても、その結果はさまざまで、特に意味があるようには思われない。強いて言えば、イスラム・サイトは、キリスト教関係の2倍以上あり、ヒンズー教や仏教とは桁違いに多い。

 とにかくイスラム関連サイトの数は多いのである。それらの内容や形態が錯綜しているところから、イギリスのゲーリー・バント教授は、2000年の時点で、その状況を「イスラム・インターネット・スーク」と呼んでいる。
「オンラインで利用可能なイスラム・サイトがあふれかえっている様子は、さまざまな『商品』を(ここではイスラムやムスリムに関する知識や概念の形をとっているが)交換したり売ったり買ったりする雑踏する市場に似ている。伝統的な中東の市場(スーク)と違って、この特異な市場にはきちんとした注文というものがない。利用可能な情報の品質や出所を特定することは困難である。商品にはたいてい製造ラベルがないからだ。インターネット上の裏通りやわき道の迷路を通り抜ける信頼できるガイドなしには、ネット・サーファーは、過剰な情報の海にすぐに溺れてしまう(http://www.flwi.ugent.be/cie/bunt2.htm)」

 「インターネット・スーク」は秀逸だったが、その後もイスラム・サイトは「ファトワの自販機」になり下がったと嘆くイスラム教徒が現われたり、「ウェブ・ムフティ(ファトワを出す人)」「自販機ウラマー(宗教学者)」といった新語の登場が続いた。ここで「ファトワ」というのは、ムスリムとして生きていく上のさまざまな問題に対するイスラム教としての公式の裁定のことをいう。いま、ネット上で、ムフティも、ウラマーも、一般のイスラム教徒も、自分こそ真のイスラム教徒であると声を限りに叫んでいる。

 ちなみに、バント教授には「デジタル時代のイスラム教」(Islam in the Digital Age, E-Jihad, Online Fatwas and Cyber Islamic Environments - Pluto Press 2003)という著作がある。「e-ジハード」、「オンライン・ファトワ」という新しい概念をもち出し、「9/11」に対するイスラム関連サイトの反応や、ネット上での宗教上の問題についての質疑応答などについて論じている。今後の議論の叩き台となるべき基礎的な文献のひとつであり、ぜひどなたかに訳していただきたいものである。