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中東断章

中東問題よこにらみ

サウジアラビアとイランの国交断絶

2016年01月05日 | 日本の覚悟
 サウジアラビアとイランが国交を断絶した。これは、ペルシャ湾が戦場になる(なった)ことを意味する。このことは、わが国への石油供給が途絶する恐れが大きくなったことを意味する。それは、ひとつは、石油施設がダメージを受けることによるもの、いまひとつはホルムズ海峡が通行不能となって石油を運び出せなくなること、によるものである。また戦火をくぐって石油を運び出しに行く人もいないであろう。これは、あした起きても不思議ではない。

 以上を踏まえて、われわれ日本人としては、考えたくないことであるが、ここは悲観も楽観もなく、ただ単純に理屈を追って考えることにつとめ、その帰結の教えるところに従って行動することが必要である。おそらく大方による結論をもっとも簡単な形でのべれば、次のようであろう。

 日本は国として早急に行動を起こさなければならない。日本は、欧米諸国とは存立の基盤を異にするのである。ペルシャ湾の石油のもつ意味が、わが国にとってと欧米諸国にとってとは、まったく別物である。そのことをCNNは報道してくれない。日本が国として直ちにやるべきことは次のようである。

 それは『石油と石油ガス(LPG)によらない電力の確保』に尽きる。そのためには、

1)既設の原発(原子力発電所)の可及的すみやかな整備と再稼働。

2)水力発電所の整備。いつでも全面稼働ができる態勢をつくる。

3)石炭火力の整備。いつでも全面稼働ができる態勢をつくる。

4)石油に代わる液化天然ガス(LNG)や石炭などのエネルギー源の確保。


 個人としてやれることは何もない。手をこまねいて事態の推移を見まもるほかないが、こころみに次のようなパズルを解いてみてはどうだろうか。
「最後に残った一本のミネラルウォーターのペットボトルを前に、これを家族全員でどのように分けて飲めばよいか」



来るべき石油危機への対策・おわりに

2015年06月26日 | 日本の覚悟

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◆(来るべき石油危機への対策)

 産油国で砂漠を走るパイプラインの一本一本を攻撃されても、特別に重要なパイプは別として、ほとんど被害はない。しかしパイプラインが集中する集油所や貯油施設、船積設備などが破壊され炎上すると被害ははかり難い。ペルシャ湾岸産油国への攻撃、石油施設への攻撃はすでにイスラム国の作戦の中に入っていると考えて間違いない。石油との取り組みは彼らにとって最重要問題であるからである。

 石油危機に際して、わが国として、国民としてなすべきことの第一は、そしてそれはほとんど対策の全てであるが、「電力」の確保である。石油・ガスの用途は、電力用燃料、業務用家庭用燃料、自動車・船舶・航空機用燃料、化学工業用原料などで、重要さはどれも変わりないが、電気を止めることだけはできない。

 その前に、もちろん、水と食料の確保の問題があるが、まず「水」は電力さえあれば平常通り確保され、都市生活の継続も可能である。「食料」は、備蓄も輸入も可能で、再生可能資源であり、対策にやや時間的余裕がある。しかるに、もし電力が途切れれば、すべて、アウトとなる。


(1) 原子力発電の振興

 産油国に戦争の被害が及ぶといろいろ怖いことが考えられるが、対策は、実は、簡単明瞭である。それは、フランスのように、原子力発電によることである。フランスは、現に全発電量の76%を原発によっている。残りの10%を水力、5%を風力のような再生可能エネルギー、4%を石炭により、そして輸入に頼る石油・ガス依存分は5%に過ぎない。電力に関する限り、フランスは中東危機など屁でもない。日本もフランスにならえばよいのである。

 原子力こそわが国が将来的に生きていくための最大、かつ最重要の電力源であり、これ以外にない。わが国には、現在、原子力発電所の原子炉48基、合計出力4400万KWの発電能力をもっているという。この発電能力を生かし、さらに増設、新設を強力に押し進めることがこの国の生きのびることができる唯一の道である。さいわい、燃料となるウラン鉱は中東紛争とは直接関係がない。これも大きな利点と言える。

 ところが、周知のように、目下原子力発電所は、全部、発電を停止している。これは異常事態である。どう異常かと言えば、福島第一発電所において、地震とその後の大津波のために制御用の電源まで落ち、そのためいくつかの原子炉でいわゆる暴走事故が起きたことを理由として国内のすべての原子力発電所の運転を停止しているからである。一体、福島の事故とその他の原子炉の操業停止とは如何なる関係があるのか。何の関係もない。われわれ日本人は、もう少し理屈にもとづいてものごとを考える必要があるであろう。

 この点については当初よりそれなりの議論があったが、理屈もなくただ「怖い、怖い」という幼児的な叫び声が通り、合理派の主張は葬り去られてきた。そのために莫大な額の原発の維持費とこれまでで10兆円に及ぶ余分なLNG代金を支払い、あまつさえ自らのエネルギー危機を中東依存の拡大という形で一層深刻なものとしているのである。こうした状況を作り出しているわれわれ日本人の知力の低さに、自らのことであるが故に、やりきれなさを覚えるのである。

 予想される石油危機に対しては原子力発電が唯一の解決である。政府は、電力会社に代わって、早急に原子力発電設備の製作をメーカー三社に発注すべきである。既存の原子力発電所に増設する形をとればよい。いま世界最高の原子力技術が日本に集積されている。
 しかし、原子力にこだわっていては今のこの国では一歩も先に進まないので、次善、三善の策を考えるほかない。


(2) 資源国との提携と投資

 平行して為すべきは、ペルシャ湾の外のできるだけ多くの資源国との提携と投資である。中でもオーストラリアとカナダが重要であろう。両国には、今以上にさまざまな資源と食料を依存しなければならなくなる。化石燃料としては、オーストラリアの天然ガスとカナダのオイルサンドや石炭が重要である。どの国もわざわざ日本にまわす余分の石油はない。そうした状況下で、特にカナダのオイルサンドから抽出される石油が重要になると考えられる。そのためにはカナダ側と協力して現地に必要な設備を建設しなければならない。

 そのほか東南アジア諸国、インドネシア、また中南米の国々とも、従来より格段に大規模な資源と食料供給の可能性を引き出すべく、具体的な協議を開始する必要があることは言うまでもない。


(3) 石炭輸入と国内炭の再開発

 わが国は、石油と石油ガスについては新潟県になどにおけるごく僅かな賦存は知られているが、実質ゼロである。戦前、日本軍の南方への進出の大きな動機が石油の確保にあったことはよく知られている。一方、石炭については埋蔵量は少なくないと見られている。戦後、石炭から石油へのエネルギー源の大転換が起こるまでは、日本のエネルギー源は、水力と100%国産の石炭に依っていた。それが経済原則によっていつか石炭はまったく姿を消し、輸入石油一本になって行った。ここで、どうしても、石炭回帰を図らなければならなくなった。石炭は、この国が豊富にもつおそらく唯一の炭化水素資源である。

 やるべきことはふたつある。わが国は石炭専焼の発電技術を確立しているので、発電用の一次燃料はすべて石炭でまかなうほどに考える必要がある。

1) 国内炭田の再開発と新炭田の探鉱、採掘の準備である。もし間に合えば、ガス化、或いは液化して採掘する。
2) 海外炭の開発と確保。さまざまな理由で、提携先はやはりオーストラリアとカナダである。


(4) 地熱発電、自然力利用発電の拡大

 政府の資料によれば、現在わが国には、全国で17か所の地熱発電所があり、合計53万キロワットの発電量である。だが、潜在的には2400万キロワットの発電余力があるという。地震に悩まされるばかりでなく、地力を利用しない手はないであろう。

 地熱発電に向けて自然条件が整い既存施設のある九州と東北地方と北海道は、いっそ必要とする電力のすべてを地熱発電でまかなうようにすることが出来ないか。計画中のものだけでも早急に実現をはかるべきであろう。並行して、地熱だけで足りない分を補うと同時に危険分散のために、この地に集中して大規模な風力発電と太陽光発電などの自然力利用の発電を実現する。そうすればこの三地域は、地球が続く限り電力の心配はなくなる。この程度の初期投資は今の日本では苦もなく、しかも燃料代は永久にタダである。現下の状況とこの国の百年の計を考え合わせると、十分に検討の価値があると考える。


(5) 水力発電の拡大

 筆者の子どもの頃は日本の電力は「水主火従」と学校で教えられた。この通り、50~60年の昔に戻ることが要請されている。

1) 既設の水力発電所の整備、拡充と新設。
2) 建設に時間のかかる巨大ダム方式の推進と並行して、河川(急流)に水車を投入する方式の中小発電所を全国に展開する。


(6) 海底に賦存する炭化水素資源、いわゆるメタンハイドレートの可及的速やかな採取の実行

 経済産業省の指針によれば、2018年までにメタンハイドレートの商業的産出準備や経済性、環境影響等を総合的に評価し、技術の基礎固めを目指すとある。これを前倒しにし、加速して、可及的速やかに実用に持ちこむこととする。


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◆おわりに

 化石燃料はいつか使い尽くされる。石油と石油ガスは50年、天然ガスは60年などと言われている。だが、50年や60年でこの国が滅亡するわけにいかないはではないか。50年や60年先と言えば、今の子供たちがまだ活躍している時期である。すぐにやって来る。今の国の状態のままポイと次世代に渡すことは無責任であろう。現世代の責任は重い。ここは日本国民の叡智を集めて、半世紀先に必ずやってくる炭化水素資源の枯渇をしっかり視野に入れながら、当面する石油危機を乗り越える努力をするべきである。

 これはもちろん政府の仕事である。だが政府が動き出すまで待つことは出来ない。時間がない。

 そこで、ここは当面する石油・ガスの途絶危機を商機ととらえて、企業レベルで対応に乗り出してはどうか。例えば、カナダのオイルサンドへの投資などは、予想される「ミサイル一発」によってたちまちミラクル・ビジネスに変貌するであろう。工場や本社機構の欧米移転も重要な課題となる。しかし今はこのような負の対応、逃げの対応はやめて、大企業であればあるほど国難に向かって前向きに取り組んでほしいものである。1973年に起こった石油危機(オイルショック)とそれに伴う混乱状態を思い起こせば、ほとんど全ての企業にとってビジネス・チャンスが見出されるはずである。

 だがもっとも重要なのは、国民一人々々が日々の生活と中東情勢との関係をしっかり把握し、その動きを見つめ、急場に臨んでも冷静に行動することである。予期せざる事態にも、覚悟をもってさえいれば慌てることはない。覚悟をすればパニックに落ち入ることはないはずである。個人として差しあたってできることは消費の節約くらいしかないが、これはいつの時代でも奨励される徳目のひとつであり、これで十分であろう。

 われわれ日本人は、近代西洋世界の大膨脹を冷静に受け止め、これを逆手にとって世界進出をはかる梃子とすることに成功した。また第二次世界大戦での敗戦に際しては、これまた冷静に進駐軍を受け入れ、これがもたらす新知識をとり込み、大躍進への足がかりとすることができた。いまエネルギー危機を前にして、われわれ国民に求められるのは、繰り返しになるが、世界情勢の認識と冷静な対応である。これによって三度国難を飛躍のバネに変えることができるであろう。



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中東問題の変容-深化と拡大(2)

2015年06月26日 | 日本の覚悟

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●6)「イスラム国(ISIS)」

 イスラム国の登場に際しては、数多い武装組織のひとつとして、特に注意する人もなかったであろう。それが、作戦のひとつであるらしい残虐さ、残虐な映像によってたちまち多くの人の耳目を集めるようになった。

 イスラム国は捕虜の首を切り、その映像をネット上に流す。日本人も二人が犠牲となり大変痛ましい。切断した頭部の映像などをネット上に流すことは、特に外国人の場合は、これはイスラム国がタメにする戦術である。ところが、斬首の刑自体は、宗教的に認められた、というより然るべき罪に対して宗教が命じる刑罰なのである。そのほか手や足を切り落とす刑罰が知られている。イスラム国は、イスラム国のありようを昨今の映像で見るような処罰によって世界にデモをしているが、特別のことをしているのではない。しかるべき宗教上の手続きを経て(外部から見れば勝手きわまりない理屈で)処刑を行っているのである。
 筆者は、70年代の後半、サウジアラビアのリヤドに駐在していたが、金曜日の午後の町の広場での公開の処刑は珍しいものではなかった。それは、おそらく7世紀以来のことで、今日でも変わりないはずである。厳格に宗教に従うとはそういうことなのである。イスラム国は、当然のこととして、宗教の命じるところに厳しく従っているということであろう。

 もうひとつ、イスラム国についてわれわれ外国人にとって分かりにくいのが過去の文明の遺物や遺跡の破壊である。われわれにとって残念であり、人類の越し方を知りたいという気持からは無念というほかない。ただし、これも宗教上の理由があってのことであって、昨日や今日に始まったことではないのである。アフガニスタンのタリバンは、2001年3月、バーミヤンの磨崖仏をダイナマイトで爆破した。高校生の頃世界史の教科書に載った首のないギリシャ、ローマの石像の写真を見て奇異に思ったものであるが、実際にヨーロッパの美術館や博物館を訪ねると、確かに石像群には見事に首がなく、むしろそれが当たり前のような気分になってくる。たまに首があるとかえって「おや!」と思ってしまうのである。言うまでもなく、これはその昔欧州に侵入したイスラム教徒の仕事である。もう一度イスラム軍が欧州に侵攻してくると、頭部の残っている像は、ことごとく刎ねられてしまうであろう。


 イスラム国は、目下、極悪非道のテロ組織として非難の的となっている。人質を奪っては身代金を巻き上げ、捕虜を公開処刑することなどは序の口で、虐待や拷問、女性の性奴隷化、大量虐殺等々信じがたい残虐行為の数々が行われているらしい。このことがアメリカ軍やアラブ国軍(有志連合)によるイスラム国爆撃の口実にもなっている。アメリカ軍は、バグダディ指導者の首に1千万ドルの懸賞金をかけて追及しているほか、イラクに3千人の軍隊を駐留させ、地上軍として直接戦闘には加わらないが、イラク兵を訓練し武器を供与しているという。イスラム国にとってはバグダディの安全の確保が組織の維持と勢力の拡張のための最大のリスクであろう。

 一方でイスラム国は、イスラムの原理原則を踏まえ、原理主義を地で行く行動を示している。よく統制のとれた組織で、世界中の若い純粋な感性に訴えるところをもつ従来にない組織でもある。その証拠に世界中から多くの若者が集まってきている。一万人とも一万五千人とも言うが、実数は分からない。その組織や資金源等についても多くの分析があるが、もちろん推測の域を出ない。

 イスラム国が今後米欧の大国やアラブ産油国から叩き潰されるのか、アメーバのようにじわじわと広がっていくのか、急激に拡大するのか、先のことは読みようがない。読むことはできないが、これは極めて重大な問題であり、いろいろな場合を考えておかなければならないであろう。

 われわれ日本人は、石油供給の確保という観点から、次のような場合を考える必要がある。

1)イスラム国が欧米の大国やアラブ産油国によって壊滅させられた方がいいのか、それとも反対に、
2)イスラム国がシリアとイラクを統合した形の「大イスラム国」を作ってくれた方がいいのか、さらに
3)シリアとイラクのみならず、アラビア半島を合わせた「巨大イスラム国」ができるのがいいのか。

 その前提として、いずれの場合でも、ペルシャ湾岸の石油施設が無傷で残ってくれなければ意味がない。石油施設を破壊されては、どれになっても日本にとっては同じことである。

 上記の三題についても、さらなる疑問や問題が次々と湧き起る。どれも解答不能、解決不能である。そうではあるが、われわれ日本人としてはしつこく問い続け、対応に乗り出さなければならないところまで追い込まれている。戦闘はいまも続いている。

 あまりにイスラム国にこだわり過ぎたであろう。われわれはもっと広く見なければならない。たとえ今のイスラム国が消滅しても、第二、第三のイスラム国が現われてくるであろうことを考えないわけには行かない。或いは予想できない別の形の混乱が出現することもあり得る。


●7)湾岸産油国

 さて、ペルシャ湾は石油の宝庫である。湾の南北の沿岸(陸上)にも湾の海底にも巨大な油田やガス田が存在する。どこを掘っても石油やガスが噴出すると言われた。世界最大のガワール油田はサウジアラビア領内にある。湾の北側はイラン、南側はほとんどをサウジアラビアが占め、沿岸部に湾の奥からイラクとクウェートがあり、次いでサウジアラビアを経て、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンと続く。湾岸産油国と呼ばれる国々である。これらは湾岸協力会議(GCC)という組織をつくっているが、アラブ世界の他の組織と同じく有名無実である。

 さきに見たように、わが国はこの湾岸産油国に原油の83%、LNGの30%の供給を依存している。もしこの地域が巨大な自然災害に見舞われたり、人的な紛争に巻き込まれたりして石油関連施設が倒壊したり炎上することにより、石油やガスの供給が止まれば、わが国が壊滅的なダメージを受けることは繰り返すまでもないであろう。ホルムズ海峡が地震で埋まると一瞬で降参である。少し想像力を働かせれば容易に理解できることである。ところが、おそらくペルシャ湾が距離的に遠く、歴史的にあまりになじみがないためであろう、一般にはこの危険はほとんど現実感をもって受けとられていない。

 端的に言えば、今この時も、ペルシャ湾から遠くないシリアやイラク国内でイスラム国軍とイラク政府軍が各地で血みどろの戦闘を繰り広げ、拠点都市の取り合いを演じているのである。1990年の湾岸戦争では、クウェートは自分の領土だとして、イラクのフセイン大統領の軍はあっさり国境を越えて侵入し数日でクウェートを占領した。その先はアブダビ、ドバイまで続く一瀉千里の石油銀座である。車の窓からは、砂漠の上を蛇のようにパイプラインが走り、陸にも海にも至るところ排ガスを燃やす煙突から赤い炎や黒煙が立ち上り、洋上には大小のタンカーが浮かんでいるのが見える。ここで生まれる石油とガスによってわが国の活動が支えられている。

 われわれは、テレビやネットに流れる多くの戦闘映像を重ねあわせ、明日の湾岸の有様を想像し、それに連動するわが日本の命運に思いを致すことがどうしても必要である。


(サウジアラビアは既に交戦国)

 北のイラクは南のサウジアラビアと千キロメートルの国境線で接している。サウジ軍は米軍とともにイラクのイスラム国軍への空爆に参加している。イスラム国と交戦しているのである。その敵であるイスラム国軍にサウジアラビアからは2500人とも4000人ともいう若者が国境を越えて義勇兵として参戦しているという。驚くべきねじれである。
 サウジ軍はまた南のイェメンでイランの支援を受けていると見られるシーア派反政府軍(ホーシー軍)と交戦し、名目的に湾岸諸国などと十か国連合を形成して激しい空爆を行い、イェメンからのスカッドミサイル攻撃に対してパトリオットミサイルで反撃するほどにエスカレートさせている。

 サウジアラビアは、既に二正面作戦を強いられているのである。サウジアラビアは、なぜこのように北に南に攻撃に出動するのか。しかもアメリカの尻馬に乗って。当たり前のことながら、じっとしていては自分がやられてしまうからである。やられない前の先制攻撃なのである。北のイスラム国からも、南のホーシー軍からも地続きなのである。国のお宝である石油地帯は指呼の間である。そしてそこはスンニ派の王族政府に対立するシーア派イスラム教徒国民の集住地なのである。王族たちがじっと座っていることができるわけがないではないか。

 サウジアラビアのねじれと言えば、対エジプト外交も行き当たりばったりである。長年親米のムバラク政権と通じていたが、これが倒されてイスラム主義のムルシ大統領となると、ムスリム同胞団は怖いが、同じイスラム重視のよしみで支援を約束した。ところが一年後にクーデタで倒されて世俗派のシシ将軍が大統領につくとあっさり乗り換えて、米国が距離を置く中で、シシにせっせと貢いでいる。サウジアラビアに限らないが、アラブ国に共通する念の入ったご都合主義である。ともあれ、サウジアラビアの王族は自分たちの安全をエジプトにかけているようなところがある。アメリカとエジプトの両頼みである。

 サウジアラビアは、こうして国外の敵のほか、国内的にもさまざまな反政府分子を抱えているのである。

(シーア派住民の存在)

 サウジアラビアをはじめとする湾岸産油国のうち、オマーンはやや性格が異なるが、他の五か国の住民に関しては際立った共通性がある。それは、ペルシャ湾の南側に連なるこれらの国にはペルシャ湾の北側、ペルシャ(イラン)本土から来たイラン人が多数住んでいることである。いや、この言い方は正確ではなく、ペルシャ湾の北側はもとより、南側にも大昔からイラン人が多く住み、言わばペルシャ人の土地であった。ペルシャ湾で魚をとり、海に潜って天然真珠を採取し、ダウ船に乗って沿岸交易を行っていたのはペルシャ人であった。

 これらのシーア派イスラム教徒であるイラン人が、そのまま湾岸のスンニ派アラブ産油国の国民となっている。1930年代になって英米の石油メジャーがこの地で石油探査を開始し、発見が重なるにつれていくつものアラブ種族が湾岸に勢力を伸ばしてきた。60-70年代になって独立の機運が訪れたとき、シーア派イラン人は、対岸のイランが混乱期で支援が得られないまま、それぞれのアラブ首長国の国民に組み込まれていったと考えられる。彼らの話すアラビア語は特徴的で、アラブ人にははすぐにそれと分かる由である。

 彼等は、ペルシャ湾岸に集中して居住し、バーレーンでは人口の半分以上、サウジアラビアで10~20%を占めると言われるが、シーア派特有の宗教祭礼(アシューラなど)の実行も許されず、石油の恩恵を受けることも乏しく、二級国民の扱いを受けて来たとされる。そのため、宗教的、経済的、政治的な不満のエネルギーが充満し、昔から、いつ爆発してもおかしくないと見られてきた。事実小規模の争乱は繰り返し起こっており、昔からサウジ官憲とは厳しい緊張状態にある。最近でもシーア派地域のモスクで何件かの自爆事件があったと伝えられている。だれがどのような意図でやるのか、外からは非常に分かりにくいが、噴火間近の火山にもたとえられる状況と見られる。かてて加えて、シーア派住民の居住地である東海岸は、世界最大の石油会社サウジアラムコの本社もある油田地帯であり、マネジメントはスンニ派アラブ人であるが、数知れない石油施設の現場の従業員はほとんど全てシーア派国民である。石油施設はすべてシーア派国民によって握られている。

 サウジアラビア以外の湾岸諸国の状況は、いずれもサウジアラビアと大差なく、湾岸を通じて不満を抱えたシーア派国民の動向が注目の的である。サウジアラビアのみならず、湾岸産油国の命運はシーア派国民の手中にあると言っても過言ではない。

 湾岸産油国におけるシーア派国民が、スンニ派政府に叛旗を翻すのではないかとの心配は昔から語られてきた。時限爆弾だと見られてきた。だがこれまで一度も国を揺るがすような争乱に至らなかったのも事実である。このことをどう考えるかは難しい。これまでは鉄の箍をはめて押さえられてきたとか、シーア派国民もそれなりの待遇を受けてきた等々の説明がある。だが、少数派の悲哀を味わってきたことは間違いなく、今やイスラム国の登場もあり、産油国における両者の対立が新しい段階に入っていると考えられる。


(米軍の駐留)

 オサマ・ビンラディンにまつわる初期の報道で何度も伝えられたことであるが、彼は、イスラムの聖地を守るサウジアラビアが国を守るために異教徒のアメリカ軍を駐留させていることに強く抗議していたという。

 イスラム国の戦いにサウジアラビアから何千人もの若者が志願兵として参戦している。これは、現在のサウジアラビアの体制や政治を不満とし、イスラム国のカリフの呼びかけにおそらく魂を揺り動かされる思いで矢も楯もたまらず駆けつけた人たちであろうと推測される。それがカリフの命ずるところであれば。そして、この何千人の後にはまだ何万人もの志願兵予備軍がいるということである。

 若者たちが不満とするところは、オサマ・ビンラディンのそれと違うところはないであろう。サウジアラビアという国は、言うまでもなくイスラムをよりどころとし、イスラムの盟主をもって任じている。そのサウジアラビアが、米軍に基地を提供し、米軍の駐留を受け入れ、米軍とともにイスラム国に対する爆撃に向かっている。おそるべきねじれである。これは受け入れられないとする人は少なくないはずである。


(スンニ派とシーア派)

 言うところのイスラム教スンニ派とシーア派の成立、相違、歴史、協調、対立等々の理解は非常に難しい。これは、預言者の後継者をめぐる信者としての立場の違いと理解しておく。それがどう違うのか、その違いによってイスラム教徒であることにどのように影響するのか、などは今は問わない。問うてもわれわれにすっきり分かるような形での説明はなさそうであるし、現下の争乱の理解には役立ちそうにない。スンニ派かシーア派かという信者としての立場の違いは、間違いでなければ、スンニ派の親に生まれればスンニ派であり、シーア派の親に生まれればシーア派となる由である。それ以上に、今われわれの問題である石油問題には関係がない。

 両派が誕生した初期の抗争時代を経て、落ちついてからの長い々々時代を通じて、個人レベルでは、両派の人々は向こう三軒両隣で仲良く暮し、両派間の通婚も普通であったという。集落や村落単位でも、スンニ派とシーア派を問わず収穫物の交易など、当たり前に行われていたはずである。サウジアラビアとイランの体面をかけての覇権争いなど、歴史上、あるわけもなかった。サウジアラビアは影も形もなかった。

 ところが今は、時代や状況が変わって、地球も狭くなり、両派は抗争の時代に入ったと、外部からは単純に理解したい。中東のアラブ国で、何かの折に話題を振ってシーア派について見方を聞くと、あれはイスラムではないと切り捨てるように言うものと、シーア派もイスラムの兄弟だと言うものとがいた。おそらく、イランにいても似たようなことを言っているのであろう。だが時代は変わって、少なくともわが国の石油をめぐる状況を考える際は、スンニ派とシーア派は厳しい抗争状態にあることを前提とすべきである。

 当然のことながら、実際の抗争は両派が近接して居住している地域でしか起こらない。レバノン、シリア、イラクやペルシャ湾南岸の産油国などである。宗教だけを理由とする宗派抗争もなくはないであろうが、それは教義論争でせいぜい殴り合いくらいで終わる。ところが多くの場合、政治が絡んでいて複雑かつ深刻な様相を示す。

 その典型的な事件とされるのが、1982年、シリアのハマで起きた大虐殺事件である。よく知られているように、大部分のシリア国民はスンニ派であるが、シリアの政府と軍部を握るのは少数派で、アラウィ派と呼ばれるシーア派のひとつの分派である。スンニ派は歴史的に関係のあるエジプトのムスリム同胞団と結んでアラウィ派体制を倒すことを企てた。これに対して先代のアサド大統領は、スンニ派の本拠地とされた歴史の町ハマに重火器で武装した軍隊を差し向け、殲滅することを命じた。結果、町は完全に破壊され実に四万人の町民、即ち国民が虐殺されたのである。他はすべて町を逃れた。その息子、バシャル・アサド大統領が今またスンニ派国民と対峙している。


(石油と水)

 ペルシャ湾岸の産油国はどこも雨の降らない炎熱の砂漠地帯にあり、水はない。そのため飲料水をはじめとする用水の調達は、街路樹にかける水まで、これを海水を淡水化することに依っている。海水淡水化の方法には大きく分けて二つあり、ひとつは海水を熱して蒸発させ、その蒸気を冷やすもの、もうひとつはイオン交換法と呼ばれ、海水に強い圧力をかけて特殊な膜を通過させ海水に含まれる塩分を除去する方法である。どちらも日本が得意とする技術で、湾岸の多くの設備はほとんど日本企業が建設した。こうした造水プラントが海岸線上に並んでいる。

 ところで造水プラントは、熱源の有効利用の観点からも、製油設備に隣接して海岸に一体的に作られているものが多い。そのためもあり、地元にとっては、石油施設の稼働の停止は、とりもなおさず造水設備の稼働の停止となるという大きなリスクとなっている。「石油が止まる」→(「電力が得られない」)→「飲料水が止まる」という恐怖の悪循環が待っているのである。

 逆に、この造水設備や送水パイプが大規模に破壊されるだけで、それに頼る土地での人間の生存は不可能となり、石油の生産どころの話ではなくなる。石油プラントと造水プラントとどちらがやられても石油は止まる。ペルシャ湾岸の産油国は、今はどこもかしこもウルトラモダンな超高層ビルが櫛比し、目くるめくような超近代都市となっているという。これらの都市の膨大な水の需要をまかなっているのがこうした造水プラントである。内陸部へは海岸からパイプで送っている。これをどう見るかは見る人次第である。

 この点、日本の場合はどうかと言えば、水資源は十分に賦存するので、電力さえ確保できれば従来通り水の配給は可能である。従って、第一にして最低限の目標は、全国的に水道事業を維持するに足る電力の確保ということになる。水がなくなれば都市生活は一二日で崩壊する。


●8)北アフリカ諸国

 最後に、マグレブ諸国と言われる北アフリカのアラブ国について触れないわけには行かない。「アラブの春」の発祥地であり、2015年3月、日本人3名の犠牲者を出したバルド国立博物館襲撃事件が発生したチュニジア、さらに2013年1月、日本人10名の犠牲者を出したイナメナス天然ガス施設襲撃事件が発生したアルジェリア、ほかにモロッコとリビアがある。このうちリビアは、政治的にはマグレブ連合に入れるが、それ以外の地理的、歴史的、人種的観点からは東隣りのエジプトに近い。

 モロッコ、アルジェリア、チュニジアは、いずれもフランスを旧宗主国とし、西洋世界を代表するものとしてフランスに対する愛憎半ばする複雑な感情に揺られながら今日に至っている。国王や政府や支配階級は、いずれも穏健な親西欧タイプであるが、親フランスからの余得が得られないどころか抑圧される一般民衆は、イスラムに依る傾向が強く、昔も今も両者は大きく乖離しているように見える。例えばアルジェリアである。壮絶な対仏独立戦争ののち、62年に独立したが、その後90年代を通じてフランス寄りの政府・国軍とイスラム国家の建設を目指す「イスラム救国戦線(FIS)」や「武装イスラム集団(GIA)」との間で一村が一夜で殲滅されるような凄惨きわまりない戦闘を繰り広げてきた。世にいう「アルジェリア内戦」である。

 アルジェリアは、目下は10年にわたるブーテフリカ大統領の強力な統治によって反政府勢力の動きは押さえられているが、イナメナス事件のように外国勢力を含めた突発事件を防ぐことができず(本件の首謀者がごく最近リビアで米軍によって殺害されたとの報道がある)、病身で高齢(79才?)の大統領の退陣後の国内情勢はまったく不透明である。平穏な状態が続くことは期待できそうにない。モロッコ、チュニジアとともに、多数のアフガン志願兵を出し、ムジャーヒディーンとなって帰国した若者がイスラム活動を深化させ、今また多数の若者をイスラム国に送り出している。「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」のホームグランドでもある。マグレブ三国は、中東アラブ国としっかり連動している。

 リビアは、1969年のクーデターより2011年に崩壊するまで、実に42年間にわたってカダフィ大佐の恣意的な独裁体制のもとにあった。この事実も驚くべきものなら、ほとんど一夜にしてこの体制を倒す力を民衆に与えた「アラブの春」も驚くべきものである。アラブの春は西隣の小国チュニジアからやって来た。不思議な話である。カダフィ大佐なきあとは、連日報道されているように、混沌の一語に尽きる。政府がトリポリとトブルクに二つ存在するような状態で、さまざまな勢力が全国で戦闘を続けているようである。これにはリビア国軍が所有していた武器が大量に流出したことが大きな原因であるという。

 わが国に関連する石油危機の観点からは、これら北アフリカ国は直接的な関係はない。しかし上に見るように、シリア、イラクとサウジアラビアをはじめとする産油国におけるイスラム主義者たちの動きとマグレブ諸国のそれとは、なぜか、相呼応している。北アフリカのマグレブ国がフランスの、中東のアラブ諸国がイギリスの圧政と搾取に苦しんできたという共通の経験が両者を結びつけるのかも知れない。

 余談に属するが、マグレブ国は、リビア、エジプトも含めて、基本的に観光国である。これらの国は、ギリシャ遺跡や特にローマ遺跡の上に浮かんでいる感があり、地中海岸の美観、温暖な気候と相まって世界の観光地である。現代のマグレブ国人は、先住の異民族、異教徒の遺産によって食べている部分が大きい。遺跡を守ることが即生活を守ることになっている。その遺跡を中東では同じイスラム教徒が破壊している。イスラム世界も複雑である。


●9)エジプト(ムバラク⇒ムルシ⇒シシ)

 アラブの春の民衆蜂起によって、30年にわたって独裁を続けたムバラク大統領が、2011年1月、あっけなく退位に追い込まれた。それから今日までの4年間は、ただ目まぐるしくも、言葉は悪いが、まさに茶番劇のひと幕である。大筋だけ書き出してみると下のようになるが、これの行と行の間は、「シシ」なる人物の謀略とそれに乗せられた同胞団の無念のうめき声と民衆の累々たる死屍によって埋め尽くされている。それにしてもアラブ国の選挙のいい加減さ、裁判のでたらめさ、一般に「約束ごと-制度」の無意味さには驚かされる。相も変わらぬ強権独裁の始まりかも知れない。

2011年01月 エジプト民衆の蜂起(アラブの春)
   02月 ムバラク大統領辞任
2012年05月 ムハンマド・ムルシ、大統領選挙で当選(6月、大統領に就任)
   06月 ムバラク元大統領に無期懲役判決
2013年07月 ムルシ大統領、軍部クーデターで失脚
2014年05月 アブドルファッターフ・シシ、大統領選挙で当選(6月、大統領に就任)
   11月 ムバラク元大統領に無罪判決
2015年04月 ムルシ前大統領とムスリム同胞団指導者ら12人に禁錮刑判決
   05月 ムルシ前大統領とムスリム同胞団指導者ら100人以上に死刑判決

 イスラム原理派と世俗派という観点から見た場合、エジプト国民の状況は一体どういうことになっているのであろうか。軍部を背景とするムバラクは腐敗独裁者として宗教とは無関係に倒された。その後をムスリム同胞団の支持を得て原理派のムルシが襲った。ちょうど一年後に軍人で世俗派のシシがそれをひっくり返し、同胞団を非合法化するまでに弾圧している。双方で大勢の人が死んだ。この一連の動きは国民の宗教的動向を反映しているのであろうか。そうであれば一旦は落ち着くであろうし、そうでなければ争乱は続く。基幹産業たる観光業が壊滅状態で、国民の不満はつのる。

 われわれの問題たるイスラム国の行方、石油危機に関連して、このエジプトがどのような役割を演じてくれるのか。シシ体制が続く限りはムバラク路線の継承であろう。結局、これまで通りサウジアラビアともちつもたれつの関係を維持しながら、毒にも薬にもならない形であり続けると考えられる。


●10)ミサイル一発

 現在の石油をめぐる状況の中で、今もっとも心配されるのが石油地帯にいつ打ち込まれても不思議ではない一発のミサイルである。ロケット弾でも同じことだ。このミサイルは、石油施設に当たろうが当たるまいが関係がない。どこからか飛んできて砂漠で炸裂すれば十分である。これがメディアで一斉に報道されると、世界中が震え上がり、狼狽して、石油をめぐる状況が非常な混乱におちいるであろうことは疑いをいれない。一体、旅客機を奪ってニューヨークの高層ビルに突っ込むことをだれが予想したであろうか。石油を止めて世界を麻痺させることを考えるようなバカはいないと、だれが言えるだろうか。

 1973年の第一次石油危機の際でもロケット弾が撃ち込まれたわけではなかった。それは、アラブ産油国による原油価格の引き上げと、アメリカとその同盟国に対する原油の販売拒否という声明だけであった。今回、もし油田地帯に一発のミサイルが撃ち込まれれば、たとえそれが何の被害をもたらさなくとも、世界政治と世界経済はそれに過剰反応して、自国の防衛に走り、原油をはじめ石油製品や石油ガス、天然ガスなどのエネルギー取引システムが収拾のつかない混乱に陥ることが恐れられるのである。

 不幸にも、もしそれが何かの石油施設に命中して爆発や火災を引き起こし、その映像が世界中に流れたとすれば、世界の混乱には拍車がかかる。ただの示威や威嚇のためであったとしても、さらにその後二発、三発と発射が続いたとすれば、特定された発射地点に向けて産油国や米軍の反撃が始まるであろう。大国を巻き込んでの開戦である。

 石油施設を破壊するには発射基地を必要とするような弾道ミサイルは必要としない。車載の発射装置から発射されるロケット弾や小型弾道ミサイルで十分であろう。イスラム国やテロ組織は、今はまだそのような数百キロメートルを飛ぶミサイルをもっていないかも知れないが、いつ国軍から流出しないとも限らない。リビア、エジプト、シリア、イラクなどではすでに国体は破綻している。


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中東問題の変容-深化と拡大(1)

2015年06月26日 | 日本の覚悟

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◆(中東問題の変容-深化と拡大)

 複雑な様相を見せる中東紛争は、これををきれいに切り分けて見ることができれば好都合なのであるが、そうは行かないところがこの問題の複雑さである。アラブ・イスラム世界という宗教的、文化的に高度に発達したひとつの巨大な人間世界が、外部世界との葛藤に疲れ、のたうちまわっている図と見れば、ある程度、納得することができる。ここではいくつかの特徴的な面をとり上げて、思うところを述べる。


●1)(イスラム世界 vs. 西洋世界)

 現在進行中の中東各地に広がるさまざまな争乱(クーデタ、自爆、乱射、テロ行為、破壊活動、戦乱、戦闘、戦争等々)の本質は、これまで何度か書いてきたように、科学技術力、経済力、軍事力、政治力などあらゆる面において世界をリードする西洋キリスト教世界に対して、日本を先頭とするアジア諸国が懸命の追い縋りを見せているのに比べ、イスラム世界は宗教上の縛りのために、西洋世界やアジア諸国と同じ土俵に立って戦うことが出来ないことによる苛立ちの表明である。最近の急激に増大する中国の経済的な進出が中東アラブ・イスラム世界を刺激していることも考えられる。目の前に中国人がどっと現れ、中国製品を売りつけ、石油を買いあさって行けば、いかなアラブ人といえども自分たちの立場について考え込まざるを得ないであろう。

 イスラム教徒である限り、そしてそのことが至上の価値であるがゆえに、イスラム世界が西洋世界と並び立つようになることは原理的に実現不可能なのである。既にして厳然として存在する技術的、経済的、軍事的格差を埋めることを可能とする見込みはなく、今後ともその差は開く一方である。現状は、このことによるフラストレーションの発現である。典型的には9.11事件に見ることができる。摩天楼を西洋文明の象徴と見て、やり場のない怒りや不満をこれにぶつけたのである。

 違いのはっきりする教育について見てみよう。端的には、イスラム世界では子供に対する初等、中等教育が成り立たない。子供に、歴史や社会はもとより、算数や理科についても学力をつけることができないのである。コーランの記述と整合性をもたないことを教えるわけには行かないからである。西洋的な学力がなければ高等教育に進むことができない。生物の進化論や人類の誕生、宇宙のビッグバンを教えることができないのである。素粒子や原子や分子の存在とさまざまな物理化学現象を宗教との関係の中でどのように教えるかの基本的な姿勢が固まっていない。先進医学の恩恵は受けたいが、それと取り組むべき態度ははっきりしていない。世界の大勢の中で男女同権や一夫多妻制、産児制限や人工中絶、同性婚を説明するすべがないのである。(アラブ国は国際学力調査〔PISA〕にも参加していない。)

 また工場の生産現場を見ても、一日に二度、三度と礼拝のために生産ラインを外れなければならず、一年にひと月は断食のためにこの期間昼間の操業を中止せざるをえないのである。すべての事業所、役所でも同様である。これでは西洋やアジアの競争者との競争にはならないではないか。(たまたま今はイスラム世界はイスラム歴1436年の断食月のさ中にある。)

 イスラム世界にも、西洋世界と同じ土俵に上らなければイスラム世界は生きていくことができないとして、イスラムの教えを多少ゆるめることはやむを得ないとする立場がある。ゆるめないまでも、西洋の制度をとり入れようとする立場がある。世俗派、現実主義である。国家レベルでも、集団レベルでも、個人レベルでも、強弱さまざまの色合いをもつ世俗主義がある。現実には、どこかで妥協しなければ日々を過ごすことはできない。しかし、これはイスラムを否定するものだとして、常に原理主義の側からの攻撃にさらされる。神の前での告発である。これには世俗派に勝ち目はない。だが世俗派でなければ西洋世界に伍して生きていけない・・・。堂々巡りである。実は、イスラム社会にあってはこれこそが最も深刻な争いであり、また個人的な葛藤の種であると考えられる。

 ここでイスラム教や特に預言者についての風刺画の問題に触れておきたい。これは過去にデンマークで問題となったことがあるが、2015年1月、ついにパリにおけるシャルリ・エブド事件となってフランス人画家など12人の犠牲者を出すに至った。この問題については既に言い尽くされているので詳細には立ち入らないが、イスラム教徒にとってはこれはやはり柔らかい脇腹であり、ここを突かれると痛い。イスラム教徒としては、知らん顔をしているわけには行かず、程度はさまざまながら抗議せざるを得ないのである。その点を、ヨーロッパ人からは、表現の自由の観点や、よその国に来て宗教に特別の配慮を要求することの不当さといった観点から、また反発を招く。

 私が恐れるのは、ヨーロッパであるからこの程度で済んでいるが、と言っても多数の犠牲者を出してしまったが、日本人の中にお調子者がいて、もしいたずらにでもこのようなことをしたとなると、とり返しのつかない結果を招きかねないということである。イスラムを知らず、理屈を尽くして渡り合うことができなければ、怒れるイスラム教徒によって石油の元栓を締められることになるであろう。それほどの問題である。


(中東紛争に終わりはない)

 もし上記が間違っていないとすると、現在進行中の紛争に終わりはないことになる。この状況は、イスラム教が変わるまで、或いは逆に西洋キリスト教社会がイスラムに歩み寄るほどに変質するまで、変わりがないことになる。たとえ現在の暴力機構、反体制勢力などが最後の一兵まで掃討されたとしても、またどこかに新しい勢力が生まれるだけである。イスラエルとパレスチナとの戦争が終わるわけでもなければ、スンニ派とシーア派の抗争が終わるわけでもない。少なくとも、数十年、数百年という単位の時間で争乱の終焉を迎えることは考えられない。イスラム自身がその歴史上で初めて遭遇するまったく新しい、未経験の状況に直面しているからである。

 このことは、言うところの中東紛争が変質を遂げながら深化と拡大を続けているところにも見ることが出来る。現在中東各地で行われている紛争は、さまざまな要素をもつ異質の事件を包含した巨大な複合現象と言うことができる。中東問題とは、当初(1945年直後)はただイスラエルとパレスチナ人や周辺アラブ国との間の戦争であった。それに勝利することができない中で、アラブ側にヨルダン内戦やそれに続くレバノン内戦が生じ、徐々に宗教的要素や民族問題などが加わって、遂に「イスラム国」の出現を見るまでに変質し拡大していった。その過程でアラブの石油に支えられる日本を始めとする外部世界の出現がある。途方もない額の石油代金が中東に流れ込むようになった。

 ここに見るようなさまざまな紛争や争乱を底支えするものとして、中東全域に拡散したパレスチナ難民の存在があるのかどうか。ないとは言えないであろうが、有意の数の二代目、三代目のパレスチナ難民戦士が、言わば働き口を求める形で、各地の戦闘集団の中に加わっているであろうことは十分考えられる。世の中が落ち着いてしまえば生活の道がなくなるのである。この点でも中東紛争には拡大あるのみで終わりがないことの説明のひとつになるであろう。ただし証拠も報道もないので、このことは憶測に過ぎない。

 最後に、中東紛争がすんなりと沈静化しないと見る理由のひとつに、人口的に膨れ上がる若いアラブ社会と老齢化する欧州社会という現実がある。かてて加えて、戦後欧州が受け入れた膨大な数のイスラム系移民の問題がある。これではまるで暴れまわる子供をじっと見ているほかない老人たちという図柄である。そうして、当然のことながら、やがて老人は退場して、子供たちの世界となる。そうでなくても、周知のように、EUの結束の緩みがささやかれたり、アメリカの介入意欲の低下が指摘されている。

 イスラム社会の人口増加には凄まじいものがある。これは産油国という特殊な例であろうが、例えば1960年代から70年代のサウジアラビアは、人口7-800万人というのが大方の了解であった。そのほか、多数の外国人労働者がいた。それが、2010年代半ばの今、サウジアラビア人口は2000万人となり、人口構成の中心は20代後半の若者であるという。このほかに900万人の出稼ぎ労働者がいる。しかもこの急激な人口膨張は現在も続いている。他の産油国、アラブ国も同様であろう。

 中東紛争に終わりがないということは、戦いが進んですべてを破壊し尽くす、焼き尽くすということである。石油施設も、時間の問題で、遅かれ早かれ灰燼に帰すことを意味する。


(中東はどこに向かっているのか)

 では現在の状況はどこに向かっているのか。ただだらだら戦闘を続けているだけなのか。彼らによれば、おそらく真のイスラム国家の建設と言うであろう。しかしそれは言葉だけで、カリフの統治する国という核心だけあって、具体的な国家像もそこへ至る道順も具体的に描かれているわけではない。いや、その国家像もひとりひとり全部異なっているであろう。およそ、統一的な像を描いてそれに向かって足並みをそろえて進むということができない人たちである。いまは漠然たる真のイスラム国家に到達するまでの第一歩として破壊が行われている段階である。

 しかし、意図しないにもかかわらずどこかに向かっているとすれば、その先は溶解状態しかない。国家体制が倒れて無政府状態になることで、現在のリビアやイラクやシリアの状態である。再出発のための溶解である。1945年以来、西洋世界から押しつけられた国境、政治制度、法律制度、経済・金融制度、教育制度等々、ここ70年余の間に彼らの周囲に築き上げられたイスラムに馴染まない諸制度が溶けつつあるのである。それらを一旦白紙に戻し、コーランの教えに則りかつ外部世界に立ち向かえる体勢を作り上げようとしている。

 中東イスラム社会が溶解した後、実際はどうなるのか。そればかりは想像することもできない。理屈の上では、イスラム教徒がイスラム教徒として心安らかに生活するためには、地球上をすべてイスラム化するほかない。だが、これを究極の目標とするとしても、イスラム教徒としては、別に現実的な解を求める必要がある。それがどのようなものであるかは、今のところイスラム教徒にも分かっていないであろう。彼らの苦闘は続く。


●2)核心問題:イスラエル vs. パレスチナ・アラブ国

 ユダヤ教徒とイスラム教徒は、言語的にも民族的にも宗教的にも、本来、ひとつのものである。もしそれが言い過ぎであれば、同類である。一本の元枝から分かれた二本の支枝である。両者は、イスラム教成立当初の混乱期を除いて、歴史的に共存してきたと言われる。ところが、1945年前後にかけて、パレスチナの地に居住していたイスラム教徒の住民は、彼らの与り知らぬ西洋由来の理由により、主としてヨーロッパからなだれ込んできたユダヤ人によって住地を追い立てられた。西洋の科学技術と戦術と武器を身につけたユダヤ人は、それまでユダヤ人を疎外し迫害してきた西洋諸国の支援を受け、そこに居座って国を作った。西洋諸国は、ユダヤ人に対して罪滅ぼしをしたつもりかも知れないが、パレスチナ人に対して新たな罪を負った。パレスチナ人はそれを追及することを知らず、西洋人は知らぬ顔をしている。追い出されたパレスチナ人、パレスチナ難民にとってこれ以上の不条理はない。しかもユダヤ人は同胞と言っても過言ではない近しい隣人である。パレスチナ人の消えることのない苦痛と怨念とともに、この問題が消えることはない。

 これがいわゆる中東問題の核心であり唯一の問題である。いや、かつてはそうであった。私が中東や中東問題に関心をもち始めた1960年代中頃には、中東問題とはイスラエル問題であり、それ以外に知らなかった。ところが三次、四次にわたるいわゆる中東戦争を通じて、アラブ軍、アラブ国の弱さが露呈した。団結力、戦闘意欲、戦略と戦術、装備、統制等々、どの面から見てもイスラエルの敵ではなかった。

 私も目撃することになった1970年のヨルダン内戦は、今日の混沌に落ち入るアラブ・イスラム社会が見せた最初の破綻であった。これは真に同胞にして共に結束してイスラエルと戦わなければならないアラブ人どうしの同士討ちであった。後にパレスチナ自治政府の長官となるヤセル・アラファト率いるPLO(パレスチナ解放機構)は、当時アンマンに本拠をおいていたが、イスラエル打倒の大義名分のもとにヨルダン国内、アンマン市街を銃を片手にわが物顔に走り回り、主要道路で勝手に関所を設けたり、果てはヨルダン内外で旅客機の乗っ取りを行うなど、よそ目にも無法の限りを尽くし、当然のことながら国際的にも非難の的となった。一方、時のフセイン・ヨルダン国王は、イスラエルと敵対するどころかイスラエル問題とは一線を画したい態度がありありで、その国軍も国王に忠誠を誓う砂漠のベドウィンが主力であり、パレスチナ難民が主体のPLOとは激しく反目した。当然、フセイン国王とアラファトは話し合うこともなかった。かくして、仇敵のイスラエルを棚に上げ、両者は憎悪の塊となってヨルダン全土を戦場として死闘を演ずることになったのである。

 この事件を契機として中東問題は新しい段階に入った。PLOはレバノンに本拠を移してレバノンを混乱に巻き込み、さまざまな新しい戦闘組織が生まれ、そのひとつにイランが肩入れし、シーア派対スンニ派の抗争が生じ、等々と新時代に入っていった。

 イスラエル問題は、今は大きな中東問題の中のひとつの問題という位置づけである。だが、今も周辺アラブ国に逃れた数百万人のパレスチナ難民とその二世、三世、またそれ以降の人たちが祖国(故地)への帰還を求めて苦しんでいるが、帰還が実現する見込みはない。彼ら自身にも、周囲のアラブ国にも、この既成事実を跳ね返す力はない。それどころか反撃の中心になるべきエジプトはさっさとイスラエルと和解してしまい、ヨルダンがそれに続いた。ヨルダン川西岸地区、ガザ地区の惨状は目を覆うばかりである。国際社会は現状維持を支持している。対イスラエル戦争を遂行するために生まれたアラブ諸国の組織が「アラブ連盟」であるはずであるが、これが機能した例を筆者は知らない。

 わが国の石油リスクとの関連からは言えば、今後はイスラエル対パレスチナ(アラブ国)の関係より、むしろイスラエル対イラン、イスラエル対トルコの関係の行方の方が重要である。イスラエルは周辺国の核開発の動きに鋭く反応し、かつてシリアとイラクの核関連施設を空爆により破壊している。特に、イスラエルを強く敵視する大国イランの核開発の動きによっては、イスラエルは容赦なく先制攻撃をかけることは疑いなく、イランはそれに対して機雷によるホルムズ海峡の封鎖を示唆している。ホルムズ海峡の封鎖はイラン自身にとっても打撃であるが、大国イランは石油を輸出しなくとも食べていくことはできる。窮鼠猫を噛むこともある。そうなればペルシャ湾の上をミサイルや爆撃機が飛び交い、湾岸産油国を巻き込んだ総力戦となることは必至である。

 イスラエルはイスラム国をどう見ているか。最終的には仇敵であるが、その過程では味方でもあり得る。


●3)ソ連のアフガン侵攻の根深さ

 中東から遠く離れた中央アジアのイスラム国、アフガニスタンに、1979年、現地共産党政権の支援とアラビア海への通路を確保したいソ連軍が侵攻した。これに対してアフガニスタンを共産主義から守れとの合言葉のもとに、中東のアラブ国はもとより北アフリカ諸国からも多数の若者が義勇兵となって支援に駈けつけた。彼らは「ムジャーヒディーン」(ジハード戦士)と呼ばれたが、これは百数十年の昔同じ土地に侵攻してきたイギリス軍を阻止するために戦った若者たちにつけられた古い名前で、それを復活させたものという。アフガニスタンで土地のタリバンとともに、或いはタリバンとして揉まれた現代の尖鋭なムジャーヒディーンは、10年にわたる戦闘での勝利を手にイスラムの価値を再認識して故国に戻り、各地に散ってイスラム昂揚の原動力となっていった。後に9.11の首謀者とされたオサマ・ビンラディンもその一人である。ムジャーヒディーンの活動にはサウジアラビアをはじめとする産油国から多額の資金援助があったことが知られている。

 中東全体が宗教に回帰する、宗教意識を新たにする上でアフガン帰りのムジャーヒディーンの働きは大きかった。その後オサマ・ビンラディンが指導者としてアルカイダを率いたことをもってしても、このアフガニスタンでの戦闘経験は、イスラム精神を鍛える道場のような一面をもっていたようである。アルカイダなかりせばイスラム国もまた存在しなかった。

 次に来るアメリカのイラク攻撃とともに、米露の侵攻が現在の争乱の中東情勢の形成にとって決定的な契機となり、その谷間に揺れるイスラム世界の姿が透けて見える。


●4)湾岸戦争、アメリカ軍の侵攻 - イラクの崩壊

 イラクは、もとはヨルダンと同じく王国であった。たしかに国王がいた。それが軍によるクーデタで倒され、血なまぐさい政争の時代を経て、サダム・フセインの登場に至る。

 1979年、政敵を粛清して大統領の座についたサダム・フセインは、すぐにイラン攻撃を開始し(イラン・イラク戦争)、1990年、国力を消耗して資金を求めてクウェートへ侵攻し(湾岸戦争)、2003年、大量破壊兵器の隠匿の疑いにより国連決議のもとに米英の軍事介入を招き、米英軍の攻撃によって政権は崩壊、逮捕され、2006年、特別法廷において大量殺人による人道上の罪で有罪となり処刑された。

 この間、この独裁者による強権政治のもとで、イラクという国の政治、即ち教育、保健衛生、農業振興、産業振興、道路や橋やトンネルの建設等々はいったいどのようになっていたのであろうか。住宅が建設され、学校や病院が作られ、先生や医師は養成されたのであろうか。どのような企業活動があったのか。おそらく石油を売って戦費をかせぐだけの政治であったであろう。

 サダム・フセインを倒した米国は、シーア派のヌリ・マリキを首相に立ててイラクの再建を託した。だが、マリキ首相は宗派抗争に明け暮れ、そこにイスラム国が入り込み勢力を広げつつあることは日夜テレビやネットが報ずるところである。最近首相の座ははスンニ派の手に移った。イラク最大のベイジ製油所もイスラム国軍とイラク国軍の争奪戦で炎上したと伝えられている。数千人の米軍が駐留してイラク軍を支援していると言うが、イスラム国に占領された北部地域を取り戻すどころか、バグダード西方のラマディまで取られてしまった。これがイラクの現状である。

 この間四・五百万の国民はどのような状況におかれて来たか。その前に、この国の南半分はカルバラやナジャフというシーア派の聖地をかかえるシーア派アラブ人の土地であり、北西部はシリアに続くスンニ派、北東部はクルド人の土地という構成で、70年前、だれかが勝手に国境線を引いてイラクという名前をつけ、気がついたら「イラク国民」になっていたというのが実情である。この状況下でイラク国民は、おそらく、何も分からないまま為政者に言われるままに振り回されて来ただけであろう。

 そこに登場したイスラム国が、カリフが現われたことを宣言し、カリフに従うように命令している。イラク国民はこれにどのように反応するのか。理屈の帰結は、イラクの分裂である。イスラム国の攻撃のもとに、イラクは三つに分裂するほかない。スンニ派はイスラム国に合流することになる。だが、石油資源の分取り合戦が伴うので、これまたスンニ派、シーア派、クルド人と三つ巴の果てしのない戦いが続くことになる。


●5)アラブの春

 2011年、チュニジアに端を発した独裁体制打倒運動、いわゆる「アラブの春」は、大きな成果を生んだ。「成果」が不当であれば「変化」と言い換えてもよい。アラブの春の民衆蜂起によって次の独裁制が倒された。

チュニジア:ベンアリ大統領を国外追放(在位24年)
リビア  :カダフィ大佐を殺害(在位42年)
エジプト :ムバラク大統領を追放(在位30年)
シリア  :アサド大統領の打倒ならず泥沼化(在位40年-父子合算)

 驚くべき変化である。2011年初のアラブの春以前に、だれがこの変化を予想しただろうか。西洋文明との落差に苛立ち、強権政治のもとで押しつぶされてきた民衆の不満が一挙に噴出し、次々に独裁者を倒していった図である。どれもが破壊活動である。建設の前段階としての破壊であると思いたいが、建設に向かっての動きは見えない。独裁者を追放したまではいいが、百遍繰り返すが、次が見えない。それを明示している唯一の組織がイスラム国である。

 この70年の中東の歴史が証明したところであるが、アラブ人はひとつとして西洋型の近代的な民主主義国家を建設することができなかった。彼らの宗教と相容れないからである。民主主義の根幹である多数決を受け入れることができないのでは、話にならない。日本人は、明治初期に西洋から学んだ議会制民主主義を言わば形式的な約束ごととして表面的に守って来ているところがあるが、アラブ人はそのような芸当もできなかった。その足もとを抜け目のない独裁者に衝かれ、至るところ独裁者だらけになった。だが独裁制もアラブ・イスラム民衆の受け入れるところとはならなかった。当然である。民衆は神の命ずるところに従って生きている。しかも独裁制は、大方、腐敗し堕落するとしたものである。アラブの春によって独裁制はほとんど一掃された。

 では次に来るものは、いや来るべきものは何か。それはイスラム教に則った政治、政体でしかあり得ない。神権政治と言うのか何と言うのか知らないが、彼らの宗教が命ずる形式でなければならない。それ以外にない。

 それがここ一二年の間に現われた「イスラム国」かどうかは分からない。だが、1971年生まれのイラク人アブバクル・バグダディがカリフ(預言者の後継者)であると自称して率いるこの組織が次のアラブ・イスラム世界の政治を決める有力な候補者であることは疑いない。


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はじめに・中東問題と石油供給問題

2015年06月26日 | 日本の覚悟

◆はじめに

 われわれの周囲にはさまざまなリスクがある。リスクに取り囲まれていると言ってよい。大地震やそれに伴う津波、火山の噴火、また台風のような自然災害が大きなリスクとしてわれわれの前に立ちはだかっている。そのほか、人が歩き自転車で走る同じ道路を車が疾走して危険きわまりなく、商取引においても特にネット上ではだまされないための注意が必要である。企業社会にもリスクはつきものである。このようにわれわれの生命財産は常に危険にさらされている。

 そうした中で、日本という国全体にとって、われわれ日本人全部にとって最大の危険は何であろうか。それは、はなはだ唐突であるが、全量を海外からの供給に頼っている石油やガスなどの化石燃料(炭化水素資源)の供給の途絶なのだ。それ以外のリスクは、いくら大きくともいずれも部分的、限定的であるのに対し、石油やガスの途絶は、日本という国の全体を巻き込んで日常生活を破壊する。経済活動をはじめすべての活動を停止させ、すべての日本人に対して生存の道を脅かす。この国を動かすエネルギー源であり、工業の原材料である石油、石油ガス、石油製品、天然ガス、石炭などの供給が、完全に途絶することはないとしても、四割、五割の削減を受けるだけで、この国にとってほとんど壊滅的な打撃となるであろう。

 最近日本の将来的な「エネルギー・ミックス」なるものが議論されている。エネルギー構成のあるべき姿を探るものである。だが、それは各種のエネルギーが長期的かつ安定的に供給されることを前提としてはじめて議論になることであって、エネルギーそのものがなければミックスも何もあったものではない。空論である。今わが国のエネルギーの柱になる化石燃料の供給が危機に瀕している。

 わが国は、わが国が必要とする石油・ガスの八割以上を中東からの輸入に頼っている。とてつもない数字である。しかもこの全量がペルシャ湾の奥に密集する油田やガス田、とりもなおさずそれらを所有する七つか八つの産油国からの輸入に頼っている。そこから日本までの1万2千キロを20日間かけて年間延べ800隻の大型タンカーで運んでいる。この油田地帯が、いま、戦火にさらされているのである。さらに、湾の出入り口にあたる狭いホルムズ海峡に機雷が敷設される危険もある。だがこれは少し時間をかければ掃海して除去することができる。自衛隊の出番である。真の問題は、その奥の油田地帯が戦場となって、原油の汲み上げから集油、さらにタンカーへの積み込みに至る設備が破壊され炎上することなのである。これの修復には、現地情勢の立ち直りのあとさらに5年、10年の時間がかかる。湾岸産油国からの石油・ガスの供給の途絶は、数千万年前の恐竜の絶滅に関連して語られる巨大隕石の衝突ほどの壊滅的な衝撃をわが国に与えるであろう。

 この事態に直面すると、わが国が保有するという二百日程度の原油備蓄は、ほとんど何の意味ももたない。たとえそれが五百日分になったとしても意味はない。五百日後にこの国が潰れてはかなわないではないか。ただし備蓄自体は非常に重要である。石油とともに食料の備蓄は絶対に欠かすことはできない。しかも備蓄は多ければ多いほどよい。食料はもちろん、石油も1バレルでも多い方がよい。ただこれをもって予想される石油やガスの供給途絶の危機に対処できると考えるのであれば、それは間違いだという意味である。
 だが、現実に石油輸入の途絶や減少に直面して、備蓄を国民の間に不満なくうまく放出することは、おそらく溜めることより難しいはずである。分捕り合戦の末にあっという間に消尽することだけは避けなければならない。とは言え、満遍なくというのも誤りである。そこには合理的な戦略が求められる。この点については、今から原則を定め国民の間に周知を図っておくことが重要と考える。

 われわれ日本人は、これまで石油・ガスの供給にまつわる危険性について、対策をとることなく、漫然とやり過ごしてきた。このことの責任を他人に押しつけてはならないであろう。漫然と流されることがわれわれ日本国民一人一人の習性であり、弱点であると認識することが再出発のために必要である。そうでなければ対策が立たないではないか。国民一人一人が自分自身の不用意を認め、自分と自分の家族の身の上のこととして考えなければならない。困ったらアメリカが助けてくれるだろうなどとは思わないことである。どの国も自国が生き残ることに必死という状況になる。

 わが国で石油・ガスの途絶の危険がほとんど話題にならないのには、ひとつ決定的な理由がある。それは、欧米の主要なメディアがとり上げないことによるであろう。日本人の通弊として、欧米でとり上げられないことには注意を払わない。ところが欧米のメディアがこれを報道しないのには厳とした理由がある。それは、後に触れるように、欧米はペルシャ湾からの石油・ガスが途絶してもほとんどこたえないのである。少なくとも急場困ることはない。おまけに地中海の対岸、アルジェリアやリビアには石油もガスもたっぷりある。ヨーロッパもアメリカも、仮にペルシャ湾から石油・ガスが来なくなっても少なくとも電力には影響しない。そのためニュースとしての価値が低いのである。

 さらに欧米の記者が、日本の信じ難いエネルギー事情のもろさ、危うさを知らないのである。漠然とは感じていても、数字で抑えることはできていない。もしそれを具体的に知れば、まずは信じられないと言い、次にがたがたと震え出し、その足で日本を脱出するに違いない。中東を知る記者であればあるほどそうである。そうして、日本という国が縛り上げられて、ISISに短剣を突きつけられている漫画を描くのではないだろうか。

 これはあながち言い過ぎとも思えないが、一旦ペルシャ湾からの石油途絶の話題がABCやBBCやCNN、或いはワシントンポストなどの有力メディアで報道されれば、それが「ミサイル一発」となって世界中が狼狽し、わが国では石油危機(オイルショック)の再現どころではない沸騰状態となるであろう。そうはならないために、予想される事態に冷静に対処したいというのが本文の趣旨である。


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◆中東問題と石油供給問題(考え方)

(中東紛争の本質)

 中東イスラム社会は、これまで何度か触れてきたが、ここ70年の間、西洋世界の重圧のもとで逃げ場のない閉塞状態に置かれてきた。そして、今もそうであり、このままでは将来的にその八方ふさがりの状態から抜け出すことができる見込みはない。これを何とか突破しようとするやむにやまれぬ思いが、現在の中東の状況となって表れていると考える。これは、個人の場合に引き戻してみると分かりやすい。例えば、自分の現状や将来についてさまざまな思いに駆られる一人の青年が、望むところが容れられそうにない状況に悲観し、ふさぎ込んだり、逆に手当たり次第の破壊に走るような図である。こういう方向に流れるのは、おそらく優秀な青年である場合が多いはずである。イスラム世界ではこれが大規模に起こっていると考えられる。

 上記が中東紛争の表の面とすれば、その裏には決して伝えられることのない闇の世界の動きがあるはずである。武器と資金の流れである。欧米の工場で作られた武器や弾薬がどこかで地下の武器商人の手に渡り、各地を経めぐって中東に流れ込み、またそれを購入する資金がどこかで調達され、さまざまなルートで武装組織の手に渡っているであろう。戦闘部隊が前進すれば、その後には兵站線(補給路)の構築が欠かせない。多くの人と大量の物資が動く。それによって西洋世界のある部分は大いに潤っている。言いにくいが、資金の大部分は石油代金である。それ以外にない。ひょっとすると、今や中東地域ではこれら全体がひとつの大きな産業として成立しているのかも知れない。


(石油との関連における中東問題の基本的な性格)

1)現下のアラブ・イスラム世界の争乱は、宗教上の意味がますます大きくなり、深化し、地域的に拡散、拡大しつつある。

2)予見できる範囲でこの争乱が収束する見込みはない。つまり、この争乱に終わりはない。

3)湾岸産油国がこの争乱の圏外にあると考えることはできない。(すでに争乱に巻き込まれている。)

4)遅かれ早かれ石油施設にも戦火が及ぶ。(すでにイラク最大のベイジ製油所が炎上した模様である。)

5)欧米や国連などの国際社会も介入には及び腰で、徹底的な軍事、政治上の介入はあり得ない。

 この見方に無理はないであろう。そうとすれば我が国への石油・ガスの供給は、遅かれ早かれ途絶、或いは減少するものと覚悟しなければならない。われわれ日本人としては、これ以上はない大きな国難に直面していることを覚悟の上で、しかるべく対策を立てる必要があるであろう。


(わが国のエネルギーの中東依存)

 『海外からの化石燃料への依存の増大は、資源供給国の偏りという問題も深刻化させています。現在、原油の83%、LNGの30%を中東地域に依存しており(2013年)、中東地域が不安定化すると、日本のエネルギー供給構造は直接かつ甚大な影響を受ける可能性があります』

 これは資源エネルギー庁による「エネルギー白書2014」の中の一節である。この短い文章の趣旨は、これまで何十年もの間繰り返されてきた。数多くの議論があった。そして、何ひとつ変わらないまま今日まで来てしまった。それがわれわれ日本人の生きざまである。今日までは僥倖によってことなきを得てきたが、明日は分からない。いや、きょうのあしたが分からなくなってきた。

 中東産油国からの原油と液化天然ガス(LNG)の輸入状況を国別に少し詳しく見ておこう。原油には液化石油ガス(LPG)が含まれる。

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≪原油≫
サウジアラビア・・30.7%
UAE・・・・・・22.7%
カタール・・・・・13.0%
クウェート・・・・ 7.2%
イラン・・・・・・ 4.6%
オマーン・・・・・ 2.1%
イラク・・・・・・ 1.6%
中立地帯・・・・・ 1.6%
(◆中東合計・・・83.5%)
ロシア・・・・・・ 7.2%
東南アジア・・・・ 5.4%
アフリカ・・・・・ 2.0%
中南米・・・・・・ 1.1%
オーストラリア・・ 0.6%
(◆その他合計・・16.3%)
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≪液化天然ガス(LNG)≫
カタール・・・・・19.0%
UAE・・・・・・ 6.0%
オマーン・・・・・ 5.0%
(◆中東合計・・・30.0%)
オーストラリア・・21.7%
マレーシア・・・・18.4%
ロシア・・・・・・10.0%
インドネシア・・・ 7.8%
ブルネイ・・・・・ 5.6%
ナイジェリア・・・ 4.6%
赤道ギニア・・・・ 2.1%
(◆その他合計・・70.0%)
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 石油・ガスの輸入に関連して、日本のおかれた状況を論じるに当たり、細かい数字はこれだけで十分であろう。ここでは日本のエネルギー状況について、ごく大雑把に要点だけを押さえておくこととしたい。

1)中東のペルシャ湾には世界の原油確認埋蔵量の50%があり、世界全体の生産量の30%を生産している。

2)日本の輸入国を国別でみると、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAEとも:アブダビ、ドバイ、シャルジャなど7首長国で構成)、カタール、クウェートの4か国で全輸入量の70%を占める。

3)液化天然ガス(LNG)の用途は、電力用70%、都市ガス用30%である。

4)日本の全発電用燃料の50%は石油、次に天然ガスと石炭が23%づつ分け合い、残り4%が水力などとなっている。

5)輸入された原油は、原油のまま発電用燃料となる(原油生炊き)ほか、製油所で精製され、石油ガス(プロパン、ブタン)、ナフサ、ガソリン、ジェット燃料、灯油、軽油、重油などの石油製品となる。それぞれが発電用燃料、業務用・家庭用を含む一般燃料、自動車・船舶・航空機の輸送用燃料、プラスチックなどの化学製品の原料として使われる。


(欧米の電力発電事情)

 欧州全体では、電力の石油依存率は僅か3%に過ぎない。天然ガスは23%であるが、これもほとんどはアフリカ由来である。石炭は地元に豊富にある。さらに欧州では国境を越えて送電線網が張りめぐらされており、平常時においても電力の融通(輸出入)が行われているという。中でも注目すべきはフランスで、全発電量の76%を原子力によっており、次いで水力が10%、風力等の再生可能エネルギーが5%、石油に至っては僅か1%ということである。
 一方、アメリカのエネルギー自給率は70%で、原発は100基で20%の供給力があり、近年ではシェールガスという新しい炭化水素資源が加わって、当面の心配はない。

 以上は電力用燃料としての石油・ガスについてであって、自動車・船舶・航空機の燃料、また化学工業向けの原料としての石油・ガスについては別に見る必要がある。


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