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中東断章

中東問題よこにらみ

イラク復興計画 (2/2)

2009年05月07日 | イラク復興計画 - 日本知の出番

資金と開発体制

 まず費用のことから考えてみよう。 いまイラクにおける戦争が縮小から終了に向かおうとしているが、これまでこの戦争にアメリカは7千億ドル(70兆円)とも言われる戦費を投じ、4200人の戦死者を出しているとされる。 負傷者はそれの何倍にもなるであろう。 これからアメリカは、友邦、同盟国に対して、名目は何であれ、費用の一部負担を求めてくるであろう。 1991年の湾岸戦争の場合を思い出して見たいが、この時わが国はアメリカからの要求で、いやほとんどむしり取られるような形で、あたふたと90億ドルを拠出した。 ほかにもいろいろあって、合計では135億ドル(1兆3千5百億円)を支払ったとも言われている。 これがどのように使われたかは問わないことにしよう。 問題は、こうして大金を拠出したにもかかわらず、どこからもだれからも評価も感謝もされなかったということである。 「いや、言葉によって感謝されなくても、今日日本がアメリカと良好な関係にあり、無事に中東から石油を買い続けていられることによって報われている」との考え方もあるであろう。 そうかも知れない。 しかし、今回はもっと積極的に、要求される前にわが国の方から、イラクの戦後復興と人類の文化活動への貢献のために、上記の金額を参考に、最低100億ドル(1兆円)の基金を拠出することを決め、イラク復興のためイラクに観光産業を打ち立てる支援を行うと、先手を打って世界に宣言してはどうか。 これは、国内的には、国の安全保障と国際的な地位の向上を目指すための費用であると説明される。

 これは、もちろん、イラク政府による全面的な賛同と支援と協力を前提としている。 事前に、我が国としてのこの事業の全体の構想、いわゆるマスタープランを明確にしておくことは言うまでもない。 次いで、G8(米・英・独・仏・伊・加・露)のほかスペイン、北欧諸国、中国、及びアラブ諸国などの主要国に対して、参加と協力と応分の基金の拠出を呼びかける。特にアラブ産油国からの参加と資金提供に期待したい。 また、イランも遺跡の上に浮かぶ観光資源国であり、イランの参加を、後に述べるシャッタルアラブ川の機雷除去の問題と絡んで、ぜひ実現させたい。 要は、日本が100億ドルの資金負担を申し出た上で、参加各国による『メソポタミア遺跡発掘オリンピック』をやろうということである。 参加各国がそれぞれ発掘地を決め、よーいどんで掘り始める。 イラク復興を念頭に、各国は、アッシリア学の飛躍的発展をもとに人類の歴史を明らかにし、わが国は、文化国家としての体面を示すことが目的である。 G8国などは、1か所とは言わず、2か所、3か所と担当してもよいであろう。 一定期間で目標を達成すると、すべてをイラク政府に引き渡し、外国勢は引きあげる。

 国際連合(ユネスコ)をはじめとする既成の国際機関とは、原則、無関係とする。 国際公務員が入ってくる二重構造は避けなければならない。 非効率を招く上に、日本人は対処できないのではないか。

 わが国の文部科学大臣を議長とし、参加国の担当大臣をメンバーとする上位の意思決定会議をつくり、その下に常設の実務推進機構を儲けて、東京とバグダードに拠点事務所をもつ。 修復や発掘を含むすべての事業は、実行委員会で決められた方法と手順に従って行われる。 インターネットを活用し、各所の作業は全世界に実況中継され、出土品はその場で登録されていくなど、公開と効率を徹底的に追求する。 発掘国は、相互に、発掘要員をどこの発掘サイトにも送り込むことができる。 日本の実働部隊としては、若い大学生や高校生をどんどん送り込めばよい。 そこでもまれた人たちの中から、将来、政治やビジネスや学問の世界で活躍する人たちが出てくるであろう。

 イラクには、現在観光省が置かれているが、活動についてはつまびらかにしない。 戦争前は、観光・遺物省があり、そこの遺物・遺産局にイラク人の考古学者が所属して遺跡や文化財を管轄していたという。 そうした学者たちもおそらく離散しているであろうから、再結集を求める必要がある。 事業に従事する多数のイラク人作業員は、バグダードで集中的に採用され訓練され、その上で各地の発掘現場に送り出される。 各所に必要な電気、水道、通信設備等のインフラ、管理事務所、作業員用宿舎等の建築資材、車両、掘削機等の機材、また食料の調達や輸送等々も東京とバグダードのコントロールの下に最も合理的に行われる。 家族を伴う作業員のために、医療、教育施設も必要となろう。


事業の内容

 全体の事業は、大きく中心的な事業と付帯的なもの、さらに予備的な事業に分かれる。

1)中心的事業

1.すでに発掘済みの遺跡の修復と整備
2.遺跡の新規発掘
3・現地での出土品の研究・展示施設の建設、公園としての整備
4・国立博物館の整備、拡張、新設

 それぞれの内容を概観すると次のようになるであろう。

1.メソポタミア遺跡発掘の歴史
 メソポタミアの発掘は、1843年、北イラクのモスール駐在フランス領事ボッタによるドゥル・シャルキン(コルサバード)の発掘によって始まった。 続いてイギリス人レイヤードによる同じく北イラクのニネヴェとニムルドの発掘が大当たりとなり、以後ドイツ、アメリカが続いて本格化していく。
 ちなみに日本からは、東京大学が1956年から、国士舘大学が69年から数次にわたり調査隊を送っている。
 イラクでは、80年のイラン・イラク戦争、90年のイラクのクウェート侵攻(第一次イラク戦争)が相次ぎ、とても遺跡の発掘や維持、観光業どころではなくなった。 70年代始め頃にはまだ欧米からの観光客も見られたが、以来40年近く、遺跡は荒れるにまかされ、大規模な盗掘にも見舞われ、最近の戦闘では遺跡に被害も出ているとの報道もあった。 フセイン大統領がバビロン遺跡に建造物を継ぎ足すなど大がかりな手を加えて、名前を残すことに利用する愚行も行われた。
 こうした既発掘の荒廃した遺跡の修復と整備がまず第一になされなければならないことである。 これだけでもすぐに世界中から観光客を呼ぶに十分な質と量を誇っている。 例えば、北のニネヴェ、ニムルド、ハトラ、中部のバビロン、南のシュメール人のウル、ウルクなど、教科書で習ったものばかりである。 今後次々と世界遺産にも登録されていくであろう。 これらも全て掘り尽くされているわけではないので、さらなる発掘が必要である。

2.メソポタミアの都市遺跡
 イラクの地図を見ると気づくことであるが、イラクには「テル何々」という地名が多くある。この「テル」は「丘」である。 頂部が差し渡し数百メートル程度と見られる丸い土の盛り上がりである。 幹線道路を走っただけでも、あちこちで土漠の中にこうしたこんもりと盛り上がった小山、すなわちテルを見かけるのである。 土地の人はその下には遺跡が眠っているという。 そこを掘ることになる。 もちろんテルは人工物ばかりとは限らないだろう。 こうしたテルがイラク全土にいくつあるか分からないが、戦争前のイラク政府の遺跡台帳には、事実かどうか、12万5千個のテルが登録されてあったという。 メソポタミア全土の中央部にあたるイラクのほか、西のシリア、北のトルコ、東のイランにも少なからずあるところから、全体ではこれの何倍にもなるはずである。
 ともあれ、これまでに発掘されたものは、まさに九牛の一毛に過ぎない。 そこから何が出てくるか想像もつかない。 今回は、このうちイラクにあるものを、おそらくこの道の専門家が優先順位をつけているであろうその順に従って掘って行こうというわけである。
 遺跡は辺鄙な土漠の中にポツンとあるものが多いので、幹線道路からの取り付け道路の建設が不可避である。

3.遺跡・出土品の整備と公園化
 日本の遺跡発掘、保存事業は世界の模範と思われるが、各国の代表を招いて各地の施設を見学させればよい。 発掘サイトごとに研究と展示を兼ねた博物館を作ることを中心に、歴史公園として整備する。 現地の実情を考えれば、宿泊施設も必要かも知れない。

4.イラク国立博物館(バグダード、モスール)
 戦争中閉鎖されていたバグダードの国立博物館が、09年2月、部分的に再開されたと伝えられたが、引き続き整備拡張が欠かせないであろう。 最新設備をもった博物館の新設も考慮する必要があろう。
 

2)付帯的事業

 遺跡の修復と発掘に続いて、実際に観光客を受け入れるためのさまざまな施設が必要となる。 中心地となるバグダードのほかに、バスラを臨海型マリーン観光スポットに、モスールを内陸型歴史観光スポットに仕立てる方向となるのではないだろうか。 次のような建設事業が予想される。

●各地の空港の建設と整備
●チグリス・ユーフラテス・シャッタルアラブ川遊覧船
 エジプトのナイル川遊覧船に対抗するモスール・バグダード・バスラ間チグリス川遊覧船は運航できないか。 ユーフラテス川はどうか。バスラから南方の壮大なシャッタルアラブ川も将来の重要な観光資源、水資源である。
●バスラ港の整備と建設
 80年からのイラン・イラク戦争による沈船や敷設機雷によって、シャッタルアラブ川は通行不能となり、バスラ港は機能不全に陥った。これらの復旧と整備にはイランとの共同作業が不可避である。
●各レベルのホテル、レストラン建設
●鉄道
 バスラから北上してバグダードに向い、モスールを経由して、トルコ南部をかすめ、シリアのアレッポにいたる鉄道がある。これを整備して、輸送と観光の幹線とすることになろう。
●道路建設と高速バス網の整備、等々

 付帯的事業の位置づけは難しい。 こちらは、アラブ石油資本、世界的なホテル資本など、いわゆる民間活力にまかせるべきかも知れない。 おそらくエジプト的混沌の再現になると思われるが、逆にそれが魅力でもあるので、成り行きにまかせざるを得ない部分が多くなるであろう。また、そうなれば大成功である。


3)予備的事業 

 さて、もしこれを実行するとすれば、地ならし的意味で、早くからイラク人及び広くアラブ人に対して、日本の意図を伝えるしっかりしたアラビア語と英語による充実したホーム・ページをもつことが重要と考えられる。 これはしかるべき政府機関の要請と支援を受けたNPOが主催することが望ましい。 実際に事業が始まれば、それが公式ホーム・ページへと移行することになる。

 このサイトで最も強く訴えるべきことは、イラクの政府・国民に対して、日本の第二次大戦における戦争被害の大きさとそこからの復興過程を知って、それを参考にしてほしいということである。 東京大空襲や原爆被害の写真を多用して、現在のイラクの光景と二重写しにし、日本人はこの悲惨さと屈辱をバネとして、憎いアメリカをただ憎むのではなく、それを踏み台として、日夜努力して廃墟から脱出し、戦後復興を遂げたといったストーリーを写真や動画とともに分かりやすく展開する。

 第二次大戦では、特攻隊の若い兵士が戦闘機に乗ったままアメリカの戦艦に突っ込んだり、魚雷艇で体当たりまでして戦った。 そうして負けた。 戦後、連合国軍による東京裁判でわが国の多くの軍の指導者が処刑された。 日本には石油・ガスのような頼りになる資源はなかった。 敗戦とともに中国大陸や南方の植民地からの数百万人に及ぶ引揚者が帰国してきた。 食うものがない。 日本国民全部が飢餓線上をさまよい、餓死者も少なからず出た。

 こうした日本の経験をイラクの現状と重ね合わせ、日本人にできたことをイラク人ができないはずはないと激励する。 秋葉原やアメ横やソニーやホンダを題材にして今からストーリーを書いてもよし、この趣旨を敷衍した多くの既刊の著作や論文の中から適当なものを選んでもよし、とにかくイラク人が興味をもって読むことができるものをしっかりしたアラビア語に翻訳する。 充実したアラビア語サイトを作る。 これはイラクのみならず、全アラブ世界で読まれるであろう。 レベルの高いアラビア語翻訳チームの編成が欠かせない。 (どうしたわけか、アラブ・イスラム世界とインターネットの相性は非常によく、インターネットはイスラム世界に広く深く浸透している。 これをうまく活用したい。)

 これに続いて、イラクの観光産業の未来図をCGをフルに使って派手に描いて見せることになるであろう。


このようなプロジェクトを提唱し、とりまとめ、引っ張っていくことのできる強力なリーダーが登場することを期待したい。 志のある若い国会議員が、同僚議員を説得してグループを結成し、国民と政府を動かしてほしいものである。


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イラク復興計画 (1/2)

2009年05月07日 | イラク復興計画 - 日本知の出番

 イラク戦争、あるいはイラクにおける戦争がようやく終息へ向って進み始めた。 2009年1月、アメリカの政権が入れ替わり、1年半ないし2年の期間で撤兵を行うという方針が伝えられている。 果たしてこれが計画通り進むのかどうか、イラクの側がどのような対応を示すのか、不透明なことばかりであるが、とにかく戦争状態の終結への道筋が具体的に議論されるようになってきた。 ここにきて、われわれ日本人もその後のことを考える必要があるであろう。

 イラク戦争終結への動きを受けて、各国の政治家や企業家が動き始めた。 本年3月にはいち早くフランスの大統領とドイツの外相がイラクを訪問し、戦後の「協力」を約束した。 アメリカ-連合国軍の対イラク開戦に強く反対したフランスの大統領の抜け目なさが印象深い。 これに続いて各国各界からのイラク詣でが活発化していることであろう。 日本からもビジネスマンの第一陣のイラク訪問があったという。 イラクは宝の山である。 バスに乗り遅れてはならない。

 日本にとってのイラクの重要さ

 イラクという国は、わが国にとって、死活的に重要である。 言うまでもなく、その豊富な石油・ガス資源である。 日本の生存にとって不可欠の石油・ガスが、自国の自給率は実にほとんど0%なのだ。 これほど危うい話がほかにあろうか。 しかも地球規模で石油・ガスはいつか枯渇する日が来る。 石油生産のピークはすでに過ぎたとの有力な見方もある(マット・シモンズ著「サウジ石油の真実」他)。 中国やインドなど大国の石油・ガス需要が急増する中で、石油・ガスの『商業取引』は遠からず行き詰まる。 いくらお金を積んでもどこからも売ってもらえない日が来る。 産油国による政治的な配給の時代があって、やがて本格的な枯渇の時代に入ると考えられる。 今は出来る限り多く長く石油・ガスの確保をはかりつつ、次の時代に備えなければならないときである。 国家百年の計と言わず、おそらくそこそこ2-30年先の計画を立てなければならない。 わが国は、好むと好まざるとにかかわらず、イラクの復興とイラクが抱える豊富な石油・ガス資源の分与を求めて、国をあげて最大限の努力を傾注すべきである。
 
 イラクの石油・ガスについては、独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)のホームページ「石油・天然ガス資源情報」の中の「イラク石油開発最新動向~第一次入札と今後の動向~2008年11月19日」などに新しい情報を見ることができる。

 わが国にとって、もうひとつのイラクの注目点は、復興特需を含めた輸出市場としてである。 これは、もちろん重要ではあるが、石油・ガスに比べるとほとんど問題にならない。 イラクの戦後復興のための石油・ガス事業については、アメリカが個々にエンジニアリングを行い、日米欧がプラントや機器を供給し、中国や東欧諸国が建設業務を請負うという構図が目に見えているわけで、いま直接イラクに向けてアプローチしてもほとんど意味がない。 ロシアの食い込みも予想されるが、豊かな資源国でもあり、その影響は限定的と思われる。将来の単品の輸出市場としては、企業レベルでの検討課題である。

 さらには、イラク復興支援を通して難しいイスラム国とのおつき合いを深めることである。 わが国が、イラクと腰を据えてその復興に取り組むことによって、馴染みの薄いイスラム国の思考法と行動を学び、その背後に控える多くのイスラム諸国と話し合いのパイプをつくることができれば、わが国の将来にとって益するところ大きいものがあるであろう。

 だが、わが国にとって、イラクはまた別の重要さをもっている。

イラクの可能性

  戦闘の終結とともに現在国内外に避難している数百万人と言われるイラク人避難民が一挙に帰国或いは帰郷してくるであろう状況下で、それらを含めたイラク国民が食べて暮らしていける社会を作ることが焦眉の急である。 現実として、早急に多数の「住む家」と「働く場」を作り出さなければならない。 為政者にとっては、いったいどこから手をつけていいか見当がつかないのが実情であろう。 当面の対策には、国際機関をはじめとするさまざまな方面からのいわゆる人道援助に頼るほかない。

 中長期的には、石油・ガス資源の開発と利用を軸とする巨大産業の建設が控えており、全国民を吸収してもとても足りないほどであることはもちろんである。 しかし、そこへ至るまでには乗り越えなければならない課題があまりにも多く、理想的な形で実現することは考えられない。 いま、イラク国民が、一切の行きがかりを捨てて、イラクの将来的なインフラの構築を含めた石油・ガス産業のあり方をアメリカ人に構想させ、エンジニアリングを任せて、それに沿って段階的に建設して行くとすると、おそらく僅々10年、15年後にはユートピアが出現するであろうことは疑いを容れない。 しかし、いかんせんこれは夢物語である。 (ちなみに日本人に構想させると箱庭を作ってしまうので、これでは話にならない。精緻で芸術品のような箱庭を作るであろうが。) 残念ではあるが、結局、切り刻んだ形で公正ならざる入札を繰り返し、つぎはぎだらけの非効率な産業にしてしまうことになるであろう。

 ちなみに、現在、アラビア半島の産油国で石油やガスの掘削から、輸送、精製、石油化学、輸出などの石油・ガス産業が大した問題もなくスムーズに稼働しているのは、白紙状態の砂漠にアメリカの石油会社が早くから進出して基盤となる施設を合理的に建設し、その後特に1973年以降、何も知らない現地政府が言われるままに金を出し、アメリカのエンジニアリング力と日本と欧州のプラント建設力がうまく噛み合って、恐らく歴史的に見ても理想的なシステムとして機能しているからなのである。アメリカの巨大エンジニアリング企業の最適配置や危険分散などを踏まえた見事な構想力、高いエンジニアリング力には学ぶところが多い。

 (わが国は、1973年までは、バレル当たり1ドル、2ドル台の石油を欧米の石油メジャーから押しつけられるままにどんどん買い入れて戦後復興と高度な産業社会の建設を果たした。 73年以降も主にアラブ産油国からお金さえ出せばほしいだけ買うことができるというまことに恵まれた状況にあった。 だが、その時代は終わろうとしている。そのことは、中国人が、いま、一滴の石油を求めて目の色を変えて世界中を駆け回っているところを見て、われわれ日本人はしっかり理解する必要があるであろう。 インドは、もう、現在の形の石油・ガス供給システムに頼ることは難しいと思われるが、その辺はどう考えているのであろうか。)

 さて、イラクの第二の可能性は、農業である。イラクの北半分は酷暑の(砂漠とは言えない)土漠であるが、南半分はチグリス・ユーフラテス川の水があふれて浸透する低湿地である。(そこからさらに南方、サウジアラビアとの国境にかけては砂漠らしい砂漠となる。) 両河が合流した下流のシャッタルアラブ川沿いには見渡す限りのナツメヤシ林が広がっている。この南部における大規模な灌漑農業の可能性は底なしである。 これもアメリカ人に開発をまかせて、広大な農業地帯、穀倉地帯に変えたいところであるが、これまた夢物語であろう。 イラクは小麦の栽培が始まったとされる土地でもあり、農業は、食料の自給はおろか、輸出産業としても大きな可能性を秘めているのだが。 ともあれ国民に食料を供給する農業開発は、これを早急に着手しなければならないが、イラク政府はどう出るか。

 イラクの第三の可能性は、石油・ガスにまさるとも劣らない巨大な地下資源、眠れるメソポタミア文明の遺跡である。 チグリス・ユーフラテス両河に沿ったメソポタミアの地は、ちょうどわが国の縄文時代に相当する時期に、粘土板に刻む楔形文字を発明し、治水をして灌漑農業を行い、馬や犬などを家畜とし、牧畜を始め、煉瓦のアーチをもつ神殿や宮殿、王墓などの建築物を建て、銅や青銅器を使い、ガラス工芸と貴金属細工を行い、車輪を発明して車輌を作り、ろくろで形作った土器を焼き、多くの都市を形成し、交易を行って円筒印章を捺した粘土板の契約書を作り、おそらくビールを醸造した、まさに「文明の揺りかご」と言われるに値する土地である。 メソポタミア人の作った小都市がイラク全土に多数散らばっている。これを掘り起こさないでおいて21世紀の文明人は名乗れないであろう。 いま仮に世界中のブルドーザーを全部イラクに集めて、全土の地表を1メートルか2メートル剥ぎとるとすると、多くの都市や村落の遺跡が出現すると考えられている。 現実的には、いくつかの可能性の高い地点を発掘し、メソポタミア文明をよみがえらせることによって、人類の進歩の跡づけを行い、エジプトにまさるとも劣らない観光立国を実現することができる。

 結局、イラクという国は、(1)地表の農業用水資源、(2)地下数メートルの観光資源、(3)その下数百メートルの石油・ガス資源という三層の資源に恵まれ、言い過ぎでなければ、ばら色の未来を約束されている。


イラクの復興に向けて日本知を示すとき

 いま、このイラクという大きな発展の可能性を秘めた国が再出発の時を迎えている。 そしてこの国が抱える豊富な石油・ガス資源をわが国はどうしても必要としている。 これなくして日本は生きていくことができない。 ではどうするか。 答えはただひとつ、国をあげてイラクの戦後復興に協力することである。 イラクの石油・ガス資源にしっかりと目を据えながら、この国の再建に全力を尽くすことである。

 イラクのもつ上記の三つの可能性の中で、わが国は、石油・ガスにも農業にも手出しができないとなれば、残るはメソポタミア文明の発掘を通してイラクの観光産業の確立を支援することである。 しかも、これは、日本にとって僥倖ともいえるほどに、願ってもないチャンスなのである。 戦争を放棄し、文化国家を標榜する日本という国が、はじめて世界にその存在を示すことができる千載一遇の機会と考えられる。 今をおいて二度とこのような好機は訪れないかも知れない。 単なる物資の支援ではなく、資金と人材をつぎ込んで、日本人の知恵を示すときである。

 メソポタミア遺跡の整備・発掘事業と、それを受けての観光産業の確立を、イラクの戦後復興事業の重要な柱として、G8を中心とする主要国を巻き込み、わが国が主導して推進してはどうか。 多数のイラク人を雇用して既発掘の遺跡を整備し、新たに発掘するとともに、発掘した遺跡と出土品をベースとして観光産業を育成しようといういうものである。世界中からそれを見に来る観光客のために、博物館をつくり、ホテルを建設し、道路を作り、鉄道を敷き、イラク人の教育訓練を通じて法律や社会基盤を整備する。 これはイラク人のためであると同時に、単に考古学や歴史学の進歩のためという小さな目的ではなく、人類が歩んできた道を知るという人類全体の夢をかなえる事業でもある。

 メソポタミア文明という人類にとってはかり知れない大きな価値をもつ遺産がイラクの大地の下に眠っている。 19世紀半ば以来欧米人が少しづつ掘り進んで、その素晴らしさ、偉大さは十分すぎるほど知られている。 しかしその発掘された出土品は、多くは大英博物館やルーブル美術館、ペルガモン博物館(ドイツ)やアメリカの大学などに収まっている。 バグダードのイラク国立博物館は、イラクに残された数少ない遺品を陳列していたに過ぎなかったが、それでも目を見はる素晴らしさであった。 それが、2003年4月、イラク国民による略奪にあった。そときの光景はまだ多くの人の記憶にあると思われるが、彼らはその商品価値をよく知っていたからである。 ともあれ、欧州列強や米国による発掘競争の時代は終わった。 かといって、このまま遺跡を放置しておいてもイラク政府には発掘に手をつける用意も余裕もなく、無残な破壊と無法な盗掘団の餌食となるだけで、人類の歩みの重要な部分が永久に明らかにされないままになってしまう。

 イラク人に早急に必要な「住む家」と「働く場」を提供しつつ、将来的に稼ぐことのできる永続性のある産業を確立するという難しい要求を満たすひとつの道が、メソポタミア遺跡の発掘とそれにつながる裾野の広い観光産業の育成である。 目標とするところは、イラクを「エジプトをしのぐ観光国とする」ことである。 エジプトは、年間800万人を超える観光客が訪れ、国の外貨収入のトップにあたる55億ドルを稼ぎ、就業人口の12%が従事するという一大観光国である。 日本人は、1%にも届かないが、それでも年間7万人が訪れている。 イラクが10年や15年でそこまで行くのは難しいかもしれないが、30年、50年というスパンで考えると、エジプトを越えないまでも、それに並ぶ観光国になることは疑いをいれない。

 イラクが観光産業に向いていると思われる重要な理由のひとつにその世俗性がある。 サダム・フセイン大統領のもとで、イラクは宗教的にずいぶん寛容であった。 ベリーダンスが見られるナイトクラブもあれば、町のレストランで酒類も提供された。 町を行く若い女性のスカーフも少なければ、女性兵士までいた。 ただ、いずこも同じ、近時のイスラム原理主義の大波に洗われて、また今回の戦争によって宗教色が強まり、宗派的、民族的対立が激化し、今後どのように転ぶか不透明である。 しかし、状況の落ち着きをまって、かつての世俗性が復活し定着することを期待したい。 イラクも生き延びなければならないのである。 また、エジプトが、国内に一方で強力なイスラム主義運動を抱えながら、一方で観光産業を維持しているところが参考になろう。

 わが国はこのプロジェクトを買って出る有力な資格がある。 それはちょうどメソポタミア文明時代に相当する縄文時代と弥生時代の発掘と研究という実績があることである。 全国いたるところで古代遺跡の発掘を行い、現地に博物館を建てて出土品の展示を行い、発掘地を整備して遺跡公園として広く開放している。 静岡県の登呂遺跡に始まり、青森県の三内丸山遺跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡が好例である。 この手法をそのままイラクに持ち込めばよいのだ。 幸か不幸か日本の縄文時代は非常に地味で、文字をもたなかったので書きものがなく、出土品に人目をおどろかせる派手さがなく、一般的な話題として国外に報道されることもないのでパッとしないが、世界に誇るに足る研究実績なのである。 (考古学界が、続々と出土するニセ旧石器に25年間もだまされ続けるという信じ難いお粗末はあったが。)

 問題とされるかも知れないのは、日本におけるメソポタミア学の小ささとメソポタミア文明への一般の関心が高いとは思われないことである。 欧米では「アッシリア学」として、国民一般にも広く深く浸透しており、関心の高さは日本とは比べものにならず、今回の戦争中も遺跡の破壊や盗掘を心配する声が絶えなかった。 だが、わが国のメソポタミア学の現状などどうでもよいのである。 これから多くの若い人たちが出かけて、大きな学問として立ち上げてくれればいいことである。 これからやろうとしていることは、世界の主要国の政府とアッシリア学界を巻き込んだ国家事業なのだ。 国内の一学会の主催する小さな研究事業とは全く性質の異なるものである。

(続く)
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