資金と開発体制
まず費用のことから考えてみよう。 いまイラクにおける戦争が縮小から終了に向かおうとしているが、これまでこの戦争にアメリカは7千億ドル(70兆円)とも言われる戦費を投じ、4200人の戦死者を出しているとされる。 負傷者はそれの何倍にもなるであろう。 これからアメリカは、友邦、同盟国に対して、名目は何であれ、費用の一部負担を求めてくるであろう。 1991年の湾岸戦争の場合を思い出して見たいが、この時わが国はアメリカからの要求で、いやほとんどむしり取られるような形で、あたふたと90億ドルを拠出した。 ほかにもいろいろあって、合計では135億ドル(1兆3千5百億円)を支払ったとも言われている。 これがどのように使われたかは問わないことにしよう。 問題は、こうして大金を拠出したにもかかわらず、どこからもだれからも評価も感謝もされなかったということである。 「いや、言葉によって感謝されなくても、今日日本がアメリカと良好な関係にあり、無事に中東から石油を買い続けていられることによって報われている」との考え方もあるであろう。 そうかも知れない。 しかし、今回はもっと積極的に、要求される前にわが国の方から、イラクの戦後復興と人類の文化活動への貢献のために、上記の金額を参考に、最低100億ドル(1兆円)の基金を拠出することを決め、イラク復興のためイラクに観光産業を打ち立てる支援を行うと、先手を打って世界に宣言してはどうか。 これは、国内的には、国の安全保障と国際的な地位の向上を目指すための費用であると説明される。
これは、もちろん、イラク政府による全面的な賛同と支援と協力を前提としている。 事前に、我が国としてのこの事業の全体の構想、いわゆるマスタープランを明確にしておくことは言うまでもない。 次いで、G8(米・英・独・仏・伊・加・露)のほかスペイン、北欧諸国、中国、及びアラブ諸国などの主要国に対して、参加と協力と応分の基金の拠出を呼びかける。特にアラブ産油国からの参加と資金提供に期待したい。 また、イランも遺跡の上に浮かぶ観光資源国であり、イランの参加を、後に述べるシャッタルアラブ川の機雷除去の問題と絡んで、ぜひ実現させたい。 要は、日本が100億ドルの資金負担を申し出た上で、参加各国による『メソポタミア遺跡発掘オリンピック』をやろうということである。 参加各国がそれぞれ発掘地を決め、よーいどんで掘り始める。 イラク復興を念頭に、各国は、アッシリア学の飛躍的発展をもとに人類の歴史を明らかにし、わが国は、文化国家としての体面を示すことが目的である。 G8国などは、1か所とは言わず、2か所、3か所と担当してもよいであろう。 一定期間で目標を達成すると、すべてをイラク政府に引き渡し、外国勢は引きあげる。
国際連合(ユネスコ)をはじめとする既成の国際機関とは、原則、無関係とする。 国際公務員が入ってくる二重構造は避けなければならない。 非効率を招く上に、日本人は対処できないのではないか。
わが国の文部科学大臣を議長とし、参加国の担当大臣をメンバーとする上位の意思決定会議をつくり、その下に常設の実務推進機構を儲けて、東京とバグダードに拠点事務所をもつ。 修復や発掘を含むすべての事業は、実行委員会で決められた方法と手順に従って行われる。 インターネットを活用し、各所の作業は全世界に実況中継され、出土品はその場で登録されていくなど、公開と効率を徹底的に追求する。 発掘国は、相互に、発掘要員をどこの発掘サイトにも送り込むことができる。 日本の実働部隊としては、若い大学生や高校生をどんどん送り込めばよい。 そこでもまれた人たちの中から、将来、政治やビジネスや学問の世界で活躍する人たちが出てくるであろう。
イラクには、現在観光省が置かれているが、活動についてはつまびらかにしない。 戦争前は、観光・遺物省があり、そこの遺物・遺産局にイラク人の考古学者が所属して遺跡や文化財を管轄していたという。 そうした学者たちもおそらく離散しているであろうから、再結集を求める必要がある。 事業に従事する多数のイラク人作業員は、バグダードで集中的に採用され訓練され、その上で各地の発掘現場に送り出される。 各所に必要な電気、水道、通信設備等のインフラ、管理事務所、作業員用宿舎等の建築資材、車両、掘削機等の機材、また食料の調達や輸送等々も東京とバグダードのコントロールの下に最も合理的に行われる。 家族を伴う作業員のために、医療、教育施設も必要となろう。
事業の内容
全体の事業は、大きく中心的な事業と付帯的なもの、さらに予備的な事業に分かれる。
1)中心的事業
1.すでに発掘済みの遺跡の修復と整備
2.遺跡の新規発掘
3・現地での出土品の研究・展示施設の建設、公園としての整備
4・国立博物館の整備、拡張、新設
それぞれの内容を概観すると次のようになるであろう。
1.メソポタミア遺跡発掘の歴史
メソポタミアの発掘は、1843年、北イラクのモスール駐在フランス領事ボッタによるドゥル・シャルキン(コルサバード)の発掘によって始まった。 続いてイギリス人レイヤードによる同じく北イラクのニネヴェとニムルドの発掘が大当たりとなり、以後ドイツ、アメリカが続いて本格化していく。
ちなみに日本からは、東京大学が1956年から、国士舘大学が69年から数次にわたり調査隊を送っている。
イラクでは、80年のイラン・イラク戦争、90年のイラクのクウェート侵攻(第一次イラク戦争)が相次ぎ、とても遺跡の発掘や維持、観光業どころではなくなった。 70年代始め頃にはまだ欧米からの観光客も見られたが、以来40年近く、遺跡は荒れるにまかされ、大規模な盗掘にも見舞われ、最近の戦闘では遺跡に被害も出ているとの報道もあった。 フセイン大統領がバビロン遺跡に建造物を継ぎ足すなど大がかりな手を加えて、名前を残すことに利用する愚行も行われた。
こうした既発掘の荒廃した遺跡の修復と整備がまず第一になされなければならないことである。 これだけでもすぐに世界中から観光客を呼ぶに十分な質と量を誇っている。 例えば、北のニネヴェ、ニムルド、ハトラ、中部のバビロン、南のシュメール人のウル、ウルクなど、教科書で習ったものばかりである。 今後次々と世界遺産にも登録されていくであろう。 これらも全て掘り尽くされているわけではないので、さらなる発掘が必要である。
2.メソポタミアの都市遺跡
イラクの地図を見ると気づくことであるが、イラクには「テル何々」という地名が多くある。この「テル」は「丘」である。 頂部が差し渡し数百メートル程度と見られる丸い土の盛り上がりである。 幹線道路を走っただけでも、あちこちで土漠の中にこうしたこんもりと盛り上がった小山、すなわちテルを見かけるのである。 土地の人はその下には遺跡が眠っているという。 そこを掘ることになる。 もちろんテルは人工物ばかりとは限らないだろう。 こうしたテルがイラク全土にいくつあるか分からないが、戦争前のイラク政府の遺跡台帳には、事実かどうか、12万5千個のテルが登録されてあったという。 メソポタミア全土の中央部にあたるイラクのほか、西のシリア、北のトルコ、東のイランにも少なからずあるところから、全体ではこれの何倍にもなるはずである。
ともあれ、これまでに発掘されたものは、まさに九牛の一毛に過ぎない。 そこから何が出てくるか想像もつかない。 今回は、このうちイラクにあるものを、おそらくこの道の専門家が優先順位をつけているであろうその順に従って掘って行こうというわけである。
遺跡は辺鄙な土漠の中にポツンとあるものが多いので、幹線道路からの取り付け道路の建設が不可避である。
3.遺跡・出土品の整備と公園化
日本の遺跡発掘、保存事業は世界の模範と思われるが、各国の代表を招いて各地の施設を見学させればよい。 発掘サイトごとに研究と展示を兼ねた博物館を作ることを中心に、歴史公園として整備する。 現地の実情を考えれば、宿泊施設も必要かも知れない。
4.イラク国立博物館(バグダード、モスール)
戦争中閉鎖されていたバグダードの国立博物館が、09年2月、部分的に再開されたと伝えられたが、引き続き整備拡張が欠かせないであろう。 最新設備をもった博物館の新設も考慮する必要があろう。
2)付帯的事業
遺跡の修復と発掘に続いて、実際に観光客を受け入れるためのさまざまな施設が必要となる。 中心地となるバグダードのほかに、バスラを臨海型マリーン観光スポットに、モスールを内陸型歴史観光スポットに仕立てる方向となるのではないだろうか。 次のような建設事業が予想される。
●各地の空港の建設と整備
●チグリス・ユーフラテス・シャッタルアラブ川遊覧船
エジプトのナイル川遊覧船に対抗するモスール・バグダード・バスラ間チグリス川遊覧船は運航できないか。 ユーフラテス川はどうか。バスラから南方の壮大なシャッタルアラブ川も将来の重要な観光資源、水資源である。
●バスラ港の整備と建設
80年からのイラン・イラク戦争による沈船や敷設機雷によって、シャッタルアラブ川は通行不能となり、バスラ港は機能不全に陥った。これらの復旧と整備にはイランとの共同作業が不可避である。
●各レベルのホテル、レストラン建設
●鉄道
バスラから北上してバグダードに向い、モスールを経由して、トルコ南部をかすめ、シリアのアレッポにいたる鉄道がある。これを整備して、輸送と観光の幹線とすることになろう。
●道路建設と高速バス網の整備、等々
付帯的事業の位置づけは難しい。 こちらは、アラブ石油資本、世界的なホテル資本など、いわゆる民間活力にまかせるべきかも知れない。 おそらくエジプト的混沌の再現になると思われるが、逆にそれが魅力でもあるので、成り行きにまかせざるを得ない部分が多くなるであろう。また、そうなれば大成功である。
3)予備的事業
さて、もしこれを実行するとすれば、地ならし的意味で、早くからイラク人及び広くアラブ人に対して、日本の意図を伝えるしっかりしたアラビア語と英語による充実したホーム・ページをもつことが重要と考えられる。 これはしかるべき政府機関の要請と支援を受けたNPOが主催することが望ましい。 実際に事業が始まれば、それが公式ホーム・ページへと移行することになる。
このサイトで最も強く訴えるべきことは、イラクの政府・国民に対して、日本の第二次大戦における戦争被害の大きさとそこからの復興過程を知って、それを参考にしてほしいということである。 東京大空襲や原爆被害の写真を多用して、現在のイラクの光景と二重写しにし、日本人はこの悲惨さと屈辱をバネとして、憎いアメリカをただ憎むのではなく、それを踏み台として、日夜努力して廃墟から脱出し、戦後復興を遂げたといったストーリーを写真や動画とともに分かりやすく展開する。
第二次大戦では、特攻隊の若い兵士が戦闘機に乗ったままアメリカの戦艦に突っ込んだり、魚雷艇で体当たりまでして戦った。 そうして負けた。 戦後、連合国軍による東京裁判でわが国の多くの軍の指導者が処刑された。 日本には石油・ガスのような頼りになる資源はなかった。 敗戦とともに中国大陸や南方の植民地からの数百万人に及ぶ引揚者が帰国してきた。 食うものがない。 日本国民全部が飢餓線上をさまよい、餓死者も少なからず出た。
こうした日本の経験をイラクの現状と重ね合わせ、日本人にできたことをイラク人ができないはずはないと激励する。 秋葉原やアメ横やソニーやホンダを題材にして今からストーリーを書いてもよし、この趣旨を敷衍した多くの既刊の著作や論文の中から適当なものを選んでもよし、とにかくイラク人が興味をもって読むことができるものをしっかりしたアラビア語に翻訳する。 充実したアラビア語サイトを作る。 これはイラクのみならず、全アラブ世界で読まれるであろう。 レベルの高いアラビア語翻訳チームの編成が欠かせない。 (どうしたわけか、アラブ・イスラム世界とインターネットの相性は非常によく、インターネットはイスラム世界に広く深く浸透している。 これをうまく活用したい。)
これに続いて、イラクの観光産業の未来図をCGをフルに使って派手に描いて見せることになるであろう。
このようなプロジェクトを提唱し、とりまとめ、引っ張っていくことのできる強力なリーダーが登場することを期待したい。 志のある若い国会議員が、同僚議員を説得してグループを結成し、国民と政府を動かしてほしいものである。
了