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中東断章

中東問題よこにらみ

六信五行

2005年05月24日 | イスラムと日々の生活
 イスラムには、ムスリムとして信ずべきもの、守るべきこととして一口に「六信五行」という命令がある。六つの信心、五つの行動とでも言おうか。日本語として口調がいいので定着しているが、もとのアラビア語ではこうはまとめて言わないのではないだろうか。このことはコーランに書かれているわけではなく、イスラムが広がっていく過程で自然発生的に固まってきたものらしい。

 ムスリムは六信として次の六つのものやことの存在を信ずるように言われている。1)アラー 、2)天使、3)啓典、4)使徒、5)来世、6)予定、がそれである。このうち最後の予定というのがわかりににくいが、この世に起こるありとあらゆることはすべて神が予定したことということのようである。ムスリムにとっては当然過ぎるほど当然なので、というよりこれらを信ずるからこそムスリムであるわけで、しかも目に見えることではないので、六信が話題になることは少ない。これはムスリムの定義のようなものである。

 これに対して、五行の方はイスラムに特徴的な行動であり、実行しているかどうかよくわかり、目立つので、話題になりやすい。1)信仰告白、2)礼拝、3)喜捨、4)断食、5)巡礼、がそれである。

 最初の「信仰告白」は、「ラー・イラーハ・イッラッラー(アラーの他に神なし)」と「ムハンマド・ラスールッラー(ムハンマドはアラーの使徒である)」という短い二つのアラビア語の章句を唱えることである。生まれながらの信徒はもちろんことあるごとに唱えるし、イスラムへの改宗者もこれを唱えることによってムスリムとなる。二番目の「礼拝」がムスリムのもっとも強烈な義務である。早朝から深夜にわたる1日5回の礼拝と金曜日の昼のモスクでの集団礼拝が基本で、そのほか祭礼にともなう礼拝がある。「喜捨」は収入の2.5%を支払う。いつどこにどんな形で払うのかは国や地域によってさまざまであろう。「断食」は、有名なラマダン月の1ヶ月にわたる昼間断食である。1年のうち1ヵ月がほとんど仕事にならなくなる。最後の「メッカ巡礼」は、他の四行と異なり、それをする余裕のある信徒だけでいいことになっている。

 ムスリムにとっては、あの世において楽園に入り、永遠の幸福な生活を送ることが(この世における)人生の目的である。そのためには、敬虔な信仰者であることが唯一の条件である。そのためには六信五行に励むことである。この世でいかに善行を積んでも、イスラム信仰がなければ楽園には入れない。六信五行以外の活動は、つまり生活の資を稼ぐ職業生活は、信仰生活を支えるための、つまり六信五行を行なうための二義的な活動でしかない。スポーツやレジャー、趣味のような余暇活動は無意味なのだ。学問や芸術も意味はない。

 新しい思想は必要としない。新しい発明や発見も余計なことだ。犯罪は厳罰をもって処罰される。競争のない、眠ったような社会と言えば言いすぎであろうか。生活のあらゆる面において、外部の激しい競争社会からの侵襲を受け、百家争鳴に陥ってなすところがない。よく言えばまことにおっとりした成熟社会であるが、悪く言えば、統制のない神頼みの無気力な社会である。イスラムの当然の帰結である。

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「この世(現世)」と「あの世(来世)」

2005年05月19日 | イスラムと日々の生活

 万物の創造者たるアラーは、「天地および天地のあいだにあるものいっさいを六日間で創造した(50:38)」。このことはコーランの中で繰り返し述べられている。天地の創造は、それがどのような経緯であれ、もう大昔にすんだことなのでここでは問わない。われわれの関心は、そうして作られたこの世の終わりに向っている。この世に終わりが来るのかどうか、来るとすればいつごろか、次の世はどうなっているのか、といった問題はだれにとっても非常に悩ましい。

 イスラムでは、この世はあるときをもって終末を迎え、その後に永遠に続くあの世があると説く。この世(現世)は、永遠に続く幸福なあの世(来世)を迎えるための準備段階といったおもむきである。この教条がイスラム信仰の根幹をなすと同時に、外部の人間にとってはイスラム理解の要でもある。昨今話題の多いイスラム教徒の思考と行動を理解するうえで、彼らの終末観を知っておくことは決定的に重要である。

 イスラムでは、人間が死ぬと遺体は土中に埋葬される。死者は、そこからすぐにあの世に行くのではない。死者は、世界の「終末のとき」までそこで深い眠りにつくとされる。そのためイスラムでは火葬はありえない。そのときが来ると、墓の下に眠る全ての死者は生前の体をともなって蘇らせられる。死者の復活である。続いて、生前の信仰や行動をもとに神の裁きを受けて、天国行きと地獄行きに振り分けられる。最後の審判である。天国に入ることができれば幸福な生活が永遠に約束されるが、地獄に落とされれば業火の責め苦に永遠にさいなまれる。

 イスラム教徒は、この世に終末が来ることを受け入れた上で、来世の業火を心底から恐れ、ひたすら楽園にはいることを希求している。これには例外がない。そのために信仰、すなわち六信五行に励むのである。それが楽園に入ることができる唯一の条件である。もちろんイスラムによって排される不義をなすことは論外である。ということは、逆に、イスラム的に義とされること、正しいとされることは、何であれ喜んでやることになる。やれば楽園に入ることが約束されるからである。

 この世の終末のときは、コーランでは「その時」「その日」と表現されている。では、そのときはいつ来るのか。こればかりはアラー以外だれにも分からない。

 「その日」の予兆から始まって、その日の到来、死者の復活、神による裁き(審判)、天国と地獄の様子などに触れたコーランの章節の一部を下に列挙してみた。下手に文章化するより、想像力を働かせながらコーランの章句をたどる方が迫力があるのではないかと考えた。

 これを日本のアニメ技術を用いて劇画風に描いて見せてもらいたいところであるが、例によって難しいイスラム世界の一致した支持が得られるものができるとは考えられない。しかもひとつ間違えると危険な事態にもなりかねない。

 (コーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)による。多量の引用をお許しください。)

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<終末のとき>
(33:63)人々は汝に、「その時はいつか」と尋ねるだろう。言え、「その時の知識は神のみもとにだけある。おまえにそれがどうしてわかろう。その時は、すぐそこまできているのだ」

(54:1)その時は近づいた。月は裂けた。

(77:7-10)おまえたちに約束されていることは、まさに起ころうとしている。
星が消える時、
天が裂ける時、
山が飛び散る時、

(82:1-5)天が裂ける時、
幾多の星が飛び散る時、
海洋があふれでる時、
幾多の墓が掘り返される時、
魂は、すでになしたこと、あとに残したことを知る。

(84:1-5)天が割れて、
主のみことばを聞いて服する時、
大地が平らに伸べられ、
地中のものがいっさい投げだされて空(から)になり、
まことの姿で主のみことばを聞いて服する時、


<審判>
(18:99-100)その日、われらは人々を波浪のようにたがいに激突せしめる。やがてらっぱが吹かれ、われらは彼らをことごとく呼び集める。
その日こそ、われらは不信の者どもの前にゲヘナを展示してやる。

(50:41-42)召喚役が近い場所から呼びかける日には、よく耳をかたむけよ。
その日、真実の呼び声を彼らは聞くぞ。それこそ出かける日である。

(50:44)その日、大地は彼らのまわりで突如として裂け、彼らは急いで出かける。それが招集というもの。われらには、いとたやすいわざである。

(54:6-8)よって、汝は彼らからそむき去るがよい。召喚者が嫌悪すべきところへと呼びだす日、
彼らは目を伏せ、墓場から飛び散るいなごのように出てきて、
召喚者のほうへと急いで行くだろう。背信者どもは言う、「これは難儀な日だ」

(18:49)そこで記録が出されると、罪を犯したものどもがそこに記されていることにおののくさまが見えるであろう。そして言う、「ああ、禍なるかな。いったいこの記録はなんたることか。小さいことも大きいことも、一つ残さず数えたててあるとは」。彼らは自分の行なったことを目のあたりに見いだすであろう。主はだれ一人として不当にあつかいたもうことはない。

(34:26)言え、「主は、われわれをお集めになり、真理でお裁きになる。ほんとうによく裁くお方、よく知るお方である。

(36:12)われらは死者をよみがえらせ、彼らがすでに行なったこと、およびあとに残したことを記録にとどめる。われらは、万事を明白な帳簿に数え上げている。

(36:32)どれもこれも、みなわれのもとへ連れてこられる。

(40:20)神は真理にもとづいてお裁きになるが、神をさしおいて彼らが崇拝するものは、なにも裁くことなどできはしない。まことに神はあまねく聴きたもうお方、よく通暁したもうお方である。

(85:10-11)男女の信者を迫害しながら悔悟しないような輩には、ゲヘナの責め苦が加えられる。烈火の懲罰が加えられる。
信じて諸善をなす者には、下を河川の流れる楽園が授けられる。これこそ偉大な成功というものだ。

(99:6-8)その日、人々は三々五々と現われ、自分の行状を示される。
塵一粒ほどでも善を行なった者は、それを見る。
塵一粒ほどでも悪を行なった者は、それを見る。


<天国・楽園>
(37:42-49)果実や名誉が授けられる。
至福の楽園で、
寝台に相たいして坐り、
泉から汲んだ美酒の杯が彼らのあいだをめぐる。
それは、飲む者に甘く、真白である。
それには頭痛もなく、酩酊するようなこともない。
彼らのそばには、大きな瞳を伏し目がちにした乙女たちが控えている。
彼女たちは、砂に隠されている玉子のようにうるわしい。

(47:15-17)敬虔な者に約束されている楽園の中には、腐ることのない水の流れる河川、味の変わることのない乳の流れる河川、飲む者に甘い美酒の流れる河川、清らかな密の流れる河川などがあり、あらゆる種類の果物と主のお赦しが彼らに与えられる。このような者たちと、業火の中に永遠に住み、腸も裂ける熱湯を飲まされている手合いと、同じでありえようか。
彼らの中には、一度は汝の言うことに耳をかたむけたが、結局汝から去った者もいる。彼らは、知識を授けられた者たちに、「彼は、今、なんと言ったのか」などと言う。このような手合いこそ、神がその心に封印を押したもうた者である。おのれの欲情に従ったものである。
お導きを受ける者は、神からいっそうお導きを与えられ、敬虔の心を授けられる。

(52:17-20)これにひきかえ、敬虔な者たちは、楽園と至福の中にはいって、
主が与えたもうものを享有し、主は、彼らを業火の懲らしめからお守りになる。
「おまえたちの所業のおかげで、安心して食べるがよい、飲むがよい」
彼らは、列をなす寝台を背にし、われらは、目の大きな色白の乙女たちを彼らの妻にしてやる。

(56:15-26)錦織の寝台の上に、
むかいあって寄りかかる。
永遠の少年たちが、そのまわりを、
酒杯と、水差しと、泉から汲んだ満杯の杯などを献上して回る。
頭痛を訴えることも、泥酔することもない。
彼らは好みどおりの果物を選び、
鳥肉も望みどおりのものを得る。
目の大きな色白の乙女もいる。
彼女たちは、まるで秘められた真珠のよう。
これが、彼らの所業にたいする褒賞というもの。
楽園の中で、彼らは、くだらぬ話や罪なことばを聞くこともなく、
ただ、「平安あれ」「平安あれ」と言うのを聞くだけ。

(56:35-37)われらは、この乙女たちを創っておいた。
けがれない処女に造りあげておいた。
同じ年ごろのかわいい乙女にしておいた。

(76:13-18)彼らはそこで、寝台にからだを伸ばし、灼熱の太陽やひどい寒気も知らずにすむのだ。
楽園の木陰が彼らの上に迫り、果実は摘みとれるように垂れている。
彼らのあいだを、銀の水差しと水晶の酒杯が回される。
銀で作りあげた水晶の杯で、彼らは計って飲む。
またそこで、彼らは生姜の混ざった酒杯で飲ませてもらう。
つまり、そこでサルサビールと呼ばれている泉水のことだ。

(76:19-20)彼らの周囲を永遠の若者が行きかう。もし汝がこれらを見れば、ちりばめた真珠かと思うだろう。
汝が見るとき、そこに至福と広い神の国があるのがわかるだろう。

(85:11)信じて諸善をなす者には、下を河川の流れる楽園が授けられる。これこそ偉大な成功というものだ。


<地獄・業火>
(4:56)われらのしるしを信じない者は、いまに火に投げこんでやる。皮膚が焼けただれるたびに、われらは何度でも皮膚をとりかえて、彼らに懲罰を味わわせてやろう。まことに神は威力あり、聡明であらせられる。

(20:74)まことに、罪人として主のみもとに来る者にはゲヘナがあり、そこで死ぬこともなく、生きることもない。

(40:71-72)彼らの首に枷がはめられ、鎖に繋がれてひきづられ、
熱湯の中に突きこまれ、やがて業火で焼かれるとき、

(44:43-46)アッ・ザックームの木は、
罪ぶかい者どもの食べ物。
胃袋の中で煮えたぎる溶銅のようであり、
煮えたぎる熱湯のようなもの。

(56:52-56)おまえたちは、ザックームの木の実を食べ、
胃袋はいっぱいにふくれ、
そのうえ、煮えたぎる熱湯を飲むのだ。
渇き病にとりつかれたらくだのように飲むのだ」
これが、審判の日に彼らが受けるもてなしである。

(88:3-7)働き疲れ、
燃え上がる業火で焼かれ、
熱湯の泉水を飲まされ、
与えられる食べ物は、刺のある草ばかり。
それは、ふとらすことも空腹を癒すこともできない代物。

(104:6-9)焚きつけられた神の火、
心臓の上にまで這い登り、
彼らの頭上に蓋をして、
はてしなくつづく柱の列となる。

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 アラブ社会の終末論に関しては、少壮気鋭のアラブ・イスラム学者池内恵氏による「現代アラブの社会思想-終末論とイスラーム主義」(講談社2002)に触れないわけにはいかない。互いに深く関係する「アラブの苦境」と「高まる終末意識」の二部からなる本書は、著者独自の問題意識を一次資料にもとづいて追求し、掌を指すようにことのありようを教えてくれる。読みやすい本ではないが、後世恐るべしを地で行く好著である。

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アラーの神とコーラン

2005年05月17日 | イスラムと日々の生活

 アラブ・イスラム世界の人々の日常生活は「アラー」という言葉であふれかえっている。出会いの挨拶から別れのことばまで、あまりによく使われるので、空気のようになってしまっている。アラーという言葉が果たして固有名詞なのか普通名詞なのかもよく分からない。

 アラビア語にはイラーフ(神)という普通名詞がある。アラーという語は、通常、このイラーフに定冠詞のアルがついた形(アル・イラーフ)が変化したものと説明される。イラーフには複数形(アーリハ=神々)があるが、アラーにはない。その限りではアラーはイスラム固有の神のようであるが、意味するところはただの「神」にすぎない。アラビア人が「ブッダは神か」と尋ねるときもアラーと言い、レバノンのアラブ人キリスト教徒は自らの神のことをアラーと言っている。しかもアラーは、イスラム以降に作られた語ではなく、アラブ世界ではずっと古くから使われていたという。

 このアラーの神はまことに偉大である。どれほど偉大であるかはコーランを読まないことには分からない。コーランの全114章6236節の中に何度アラーが登場するか知らないが(いまはネットで検索すればすぐ分かるが)、またアラーに代わる「主(ラッブ)」とかさまざまな美称を含めると、これでもかこれでもかと繰り返しアラーの偉大さが述べられている。肝心なことは、アラーは、アラーのほかに神はない唯一神であり、文字通り万物の創造者であり、この世の終末に際しては死者をもよみがえらせ、この世に現われた全ての人類を裁いてひとりひとり天国に入れるか地獄に落とすかを決める審判であるということだ。ことばの真の意味において全知全能者である。

 イスラム教徒はこうしたアラーの神をどのようなものとして脳裏に描くのであろうか。アラーは、存在だけあって、姿も形もない。天空を覆う巨大なテントのようなものを思い浮かべるのか、それとも空気や水のようなイメージか。いや、そもそもそういったイメージを思い浮かべること自体が許されないのである。これ以上はない大きな力としてアラーを把握しているのかも知れない。しかし、信仰に励み、終末の日の審判によって幸いにも天国に入ることができれば、そこでアラーの姿を見ることができるとされている。

 このアラーのことばがコーランである。アラーはアラビア語を話した。コーランは、一言一句すべてアラーのことばであるとされている。アラーの使徒ムハンマド(マホメット)が、20年以上にわたってばらばらと受けた啓示、すなわちアラーのことばを預かり、それをそのまま周囲の人間に伝えたとされている。このコーランは、紀元632年の預言者ムハンマドの死からおよそ20年後に編纂が完了したという。コーランによれば、人類の祖アダムが同時に最初の預言者で、それ以降数多くの預言者が現われたが、ムハンマドが最後の預言者とされている。ということは、ムハンマド亡き後は、人類は二度と神のことばを聞くことはない。

 イスラム教徒になる、あるいはイスラム教徒であるということは、コーランによって主張されるアラーの存在とアラーのことばであるコーランを信じることである。コーランがあってアラーがあるのか、逆にアラーがあってコーランがあるのか、堂々めぐりというほかない。しかし、アラーと直接コンタクトできない今となっては、新しく生まれてきたものにとっては、始めにコーランありきである。そこで、「コーラン」という書物とその著者であるアラーを一体として信ずるということだ。それは同時に、コーランによって命じられていることがらを忠実に実践することを意味する。

 ところが、イスラムの外側から眺めると、これほど重要なコーランについてさまざまな現実的な疑問が湧いてくる。最初の啓示からコーランの完成まで、預言者の死をはさんで、40数年が経過している。実際に神のアラビア語が預言者の耳に聞こえてきたのかといった啓示のあり方、神と預言者の間を仲介したという天使の姿、内容、文体、用語、預言者は文盲だったのかどうか、記憶力、記録方法、記録の保存方法、編集者、編集過程、完成原本等々であるが、それらはこれまでに多くの西洋のオリエンタリストによって指摘し尽されている。「アラビア語を知らないイスラム教徒」という深刻な問題もある。

 イスラム教徒は、もちろん、こうした疑問を疑問とせず、コーランは徹頭徹尾アラーの言葉であり、絶対の真理であるとしている。

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 ちょうどこの駄文をだらだらと綴っているときに、5月9日付ニューズウィーク誌によるグアンタナモ湾海軍基地におけるコーラン冒涜事件の報道があり、続いてアフガニスタンやパキスタンなどでそれに対する抗議行動があり、十数名の死者と多数の負傷者が出たという。

 この記事自体は拍子抜けするほど小さなもので、雑報欄「ペリスコープ」の中のひとつ、GUANTANAMO A Scandal Spreads という記事の一部で、さわりの部分は以下の通りである。
... Among the previously unreported cases, sources tell NEWSWEEK: interrogators, in an attempt to rattle suspects, placed Qur'ans on toilets and, in at least one case, flushed a holy book down the toilet. ...

 尋問官が容疑者を動揺させようとして、複数のコーランをトイレの上に置いたが、少なくとも一回はうちの一冊を流してしまった、というものである。

 何教の信者であれその聖典を粗末に扱うことはありえない。とりわけイスラム教徒がコーランを大切に考えるということはかねて見聞きしていたが、改めてイスラム教徒のコーランに対する強い思い入れに驚かされる。ただ、ここで不思議なのは、イスラムの本家、アラブ国が至って冷静で、抗議声明を出す程度で、ガザを除いてほとんど騒ぎが見られなかったことである。静かな国ほど反米感情が内攻しているとすれば問題だが。
 この事件は、われわれ日本人には、2001年5月富山県小杉町で起こったウルドゥ語訳コーランの破棄事件でパキスタン人が騒いだことを思い起こさせる(これについては後に別にとり上げる)。
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巡礼

2005年04月13日 | イスラムと日々の生活

 今年のというか、次回のと言うか、回暦1426年の12番目の月、巡礼月の始まりはちょうど西暦2006年1月1日に当っている。イスラム教徒は、一生に一度、この月にメッカ巡礼をすることが義務づけられている。巡礼月でなくとも、いつメッカ巡礼に訪れてもいいのであるが、それはいわば自由巡礼であって、義務としての巡礼月の巡礼とは区別されている。それはちょうど1日5回の決められた時間の礼拝は義務であり、それ以外の自由な礼拝と区別されていることと同じである。

 この義務を裏づけるコーランの文言は以下の通りである。


(3:96)人々のために設けられた最初の聖殿はバッカにあり、それは、祝福され、いっさいの生き物の導きとして設けられたものである。【注:バッカはメッカの異名】

(3:97)その中には、アブラハムが足をとどめたところをはじめ明白なみしるしがある。そこにはいればだれでも、絶対安全が保証される。この聖殿への巡礼は、そこに旅する余裕のあるかぎり、人々にとって神への義務である。たとえ背信の態度をとる者があっても、もともと神は万物がなくても足りたもうお方である。


 イスラム教の成立以来途切れることなく続き、近年では毎年国内外から200万人を超える信徒が参集するメッカ巡礼のよって立つところが、上記の通りきわめて簡単なコーランの一節であることに大きな驚きを覚える。はかり知れない巨大なエネルギーを生むアラーの神の一言一句の重みに改めて緊張を覚えるのである。

 義務であるからには、巡礼者の装束から、巡礼月の「何日」に「どこで」「何をする」かなどが細目までピシッときまっている。預言者が、632年、死の直前に行なった「別離の巡礼」にならったという。非常に複雑なので、メッカではムタウウィフと呼ばれるベテランの巡礼案内人がいて指導してくれるらしい。らしいと言うのは、異教徒はメッカへ入れてもらえないので見たことがない。なぜかメッカへの入り口にはムスリム以外立ち入り厳禁と書いてある。

 石油以前は、メッカ巡礼者の落とす金がサウジアラビアにとってほとんど唯一の収入であった。しかし、船と車と徒歩の旅では、年間を通じても、巡礼者の数はおそらく10万人とか20万人とか知れたものであったであろう。多くの信者は死地を求めてメッカに向かった。巡礼の旅がいかに苦労に満ちたものであったかは想像に難くない。それが劇的に変わったのは1973年、すなわちオイルショックの年、以降のことにすぎない。

 現在は、おそらく、完全なエスカレーター方式になっているであろう。チャーター機でジェダ空港に到着するといったん空港近くの近代的テント村に入り、そこからバスでメッカのテント村にシャトル輸送される。規定の巡礼をすませると、逆の経路でさっさと送り返される。まるで羊の群れで、一歩も柵の外に出ることを許されない。こうでもしなければ、限られた期間に200万人を処遇することは不可能であろうし、限界も近いに違いない。多くの白い巡礼装束の人たちが思い思いにジェダの町を歩く姿を見ることは二度となくなった。

 サウジアラビアは、石油収入をふんだんに投入して巡礼施設を整備していったが、これらの建設事業にもっとも力を振るったのがかのオサマ・ビンラディンの父親モハンマドが創業したビンラディン・グループである。道路つくりから、送配水網、宿泊施設など巨大な街づくりそのものであったであろう。米欧や日本から大量の機材を買いつけた。

 日本とメッカ巡礼の関係と言えば、何と言っても、わが国がイスラム国から集まる巡礼者向けにお土産品を供給してきたことである。いま数字で示すことができないのが残念だが、戦後日本の経済復興を支えた雑貨輸出のかなりの部分が巡礼者が故国に持ちかえるお土産用に向けられた。後進国間で行なわれるメッカ巡礼行事の中で、斬新な日本製品は圧倒的な人気を博し、回教圏への日本製品の浸透はメッカ経由が大きかった。繊維製品をはじめ、玩具、ラジオ、時計、断熱ポット等々、恐らく現在も取り扱い品目を高度化させながら続いているであろう。
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断食

2005年04月13日 | イスラムと日々の生活

 イスラム教徒にとっては、毎日の義務として5回の礼拝がある。毎月の義務と目されるものはないようだ。次いで、毎年の義務としてこに述べる1ヶ月に及ぶ断食がある。さらに一生に一度の義務としてメッカ巡礼がある。ただしこれは、遠いメッカまで行って厳しい巡礼を行なうことができる財力と体力がある者だけでよいことになっている。

 断食は「ラマダン」として知られるが、これはイスラム暦の9番目の月の名称である。今年は、イスラム暦ではほぼ1426年(西暦2005年2月10日~06年1月30日に相当)で、ラマダン月1日は西暦の10月5日にあたる。この月一杯、日の出から日の入りまで、昼間は飲まず食わずの断食を行なうことになっている。

 ラマダンの断食は、コーランには原則だけ述べられて、詳細には触れられていない。詳細は、例によって、預言者の言行録であるハディースをもとに、時間をかけて歴史的に形成された。(コーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)による。)


(2:183)信ずる者よ、おまえたちより以前の人々に定められていたように、おまえたちにも断食が定められている。きっとおまえたちは神を畏れてくれることであろう。

(2:184)それは、限られた日数のあいだ守らねばならない。おまえたちのうちの病気の者、また旅行中の者は、別の日に同じ日数だけ行なうべきである。また、断食できたのにしなかったものには、貧者に食を与えることが償いとなる。しかし、すすんで善を行なう者があれば、それは自分のためにさらによいことである。もしおまえたちにわかっているなら、断食することがおまえたちのためにさらによい。

(2:185)人々のための導きとして、導きの明らかなみしるしとして、かつまたフルカーンとしてコーランが下されたのは、ラマダーンの月である。この月に在宅する者は、断食しなければならない。病気の者または旅行中の者は、別の数日間に行なうべきである。神はおまえたちに、安易なことを求めたもう。難儀なことを求めたもうのではない。おまえたちが、定められた日数を努めあげ、自分たちを導きたもうた神を讃美しさえすればよい。いずれ、おまえたちは感謝することになろう。

(2:187)断食の夜に妻とまじわることは許されている。彼女たちはおまえたちの着物、おまえたちは彼女たちの着物である。神はおまえたちが自分の心を欺いているのを知りたまい、思いなおしておまえたちを赦したもうたのである。それゆえ今は、彼女たちとまじわり、神がおまえたちのために定めたもうたものを求め、飲み食いしてもよい。やがて夜明けになって白糸と黒糸が見わけられるようになれば、また夜まで断食を守り通せ。礼拝堂に参籠しているあいだは、彼女たちとまじわってはならない。これは神の掟であるから、彼女に近づいてはならない。このように、神は人々にみしるしを明らかにしたもう。おそらく彼らは神を畏れることだろう。


 上記(2:187)に見られるように、昼間は飲食だけでなく性交も禁止されている。夜間はかまわないというより、特に飲食の方はとらなければ命がもたない。細かいことを言い出せばきりがなく、唾を呑みこんでもいけないのはもちろん、注射や薬剤の摂取、吐瀉や瀉血、自慰行為など、さらに断食除外者として妊婦や子ども、旅行者、兵士、病人、老人などについても複雑な議論がある。

 イスラム国では日々の礼拝はさぼってほとんどやらないものでも、不思議に苦しい断食は行なうようである。理由のひとつは、社会全体が断食モードにはいり、自分ひとりそっぽを向いて飲んだり食ったりすることが難しいという事情もあるであろう。周囲に引きずられて、やらざるを得ない状況に追い込まれた図である。しかし、トイレに入ったときにこっそり水を飲むとか、タバコを吸うなど、やろうと思えば断食破りをすることはいとも簡単だが、それもあまりないようだ。

 真の理由は、やはり、イスラムにおける断食の宗教的な重要性にあると思われる。礼拝より重要といった比較の問題ではなく、人間にとってもっとも基本的な飲食を絶つという行為についてさまざまな意味づけがなされており、子どもの頃から耳にたこができるほど言い聞かされてきて、それが信徒に対して迫力をもって迫るのであろう。例えば、断食は忍耐の半分であり、忍耐は信仰の半分であるということが言われており、計算上断食はイスラム信仰の4分の1を占める重要な行事となる。神への思念を高めるために断食は有効な手段と考えられている。

 もっとも、男は昼間ごろごろしているだけでまだいいが、つらいのは母親である。断食をしない小さな子どものために食事を作らなければならず、さらに夜間の家族の食いだめのための準備がある。夕方、日が沈みドンが鳴るのをまっていっせいに食べ始めるわけだが、これに遅れるわけにいかない。女にとって真の苦行の期間である。

 ラマダン月に入ると、企業や官庁での就業時間が変わり、たいてい朝から昼休みなしで午後2時ごろには終了する。断食後の食事(文字通りのブレークファースト)をとった後、8時ごろから再びオフィスを開くところもある。月の始めは強がりを言っていても、さすがに終わりの方になると疲れてきて、社会全体がだらけてくる。特に中東の真夏の断食はきつい。今年のラマダン開始は10月5日ごろだが、年に11日ずつ早くなるので、5-6年後には真夏にさしかかり、それが5-6年続く。これが永久に繰り返される。
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礼拝(1)

2005年04月05日 | イスラムと日々の生活
 イスラムと聞いてだれもがまず思い浮かべるのは、大勢の人が何列にも別れて横一列に一文字に並び、立ったり坐ったり、また平伏して額を床につけて祈るあの独特な礼拝風景であろう。抗することができない絶対者アラーに対して、ただみことばのままに従いますという服従の意思表示であるが、見事に統制がとれていて、感動的である。普段は家や職場でひとりで、あるいは仲間内で祈っていても、多くの信徒は、金曜日の昼には集団礼拝が行なわれるモスクへ出かけて、こうして大勢の信徒とともに礼拝する。モスクがなければ、広場でも道路でも砂漠でも、どこでもかまわない。

 イスラム教の礼拝は、しかし、われわれ日本人が神社や寺で行なう子どもの病気平癒や試験の合格、宝くじの当せんなどの祈願や、また満願成就のお礼参りなどとは根本的に異なるのである。イスラムの礼拝は、われわれのそれのような恣意的で身勝手な祈願ではなく、信徒としての厳格な義務なのだ。そのため礼拝の遂行にはこと細かな手続きが定められている。イスラムの礼拝は、ひたすら思念を唯一神アラーに集中し、決められた手続きをこなしていく作業なのである。

 そのため、たとえばテロリストが出撃の前には、人情として、アラーの特別の加護を求めたくなるであろうが、当然、それは信徒の「義務」としての礼拝とは別枠で考えられるべきものということになる。義務である礼拝の回数が一日5回であることはよく知られている。そうした義務以外の自由礼拝についても、さまざまな規則や勧奨事項があるに違いない。

 ただ、公開の場で礼拝をしているのはむくつけき男ばかりで、女の姿は見えない。イスラムが男の宗教であることの象徴のようである。女は家の中で礼拝することが勧められている。モスクではたいてい後ろのほうで一部を柵で区切ったり、目隠しを設けたりして女性用の場所を用意している。代々木の東京モスクでは、女性の場所は後方二階席になっており、入り口近くの階段から上るようになっている。

 コーランでは、礼拝の務めを守れということは何十回も繰り返し述べられているが、詳しいことは書かれていない。今日行なわれている複雑な手順を踏む礼拝の形式は、やはり時間をかけて徐々に形成され、いつか書きとめられて儀式として定着したものと考えられる。

 一日の礼拝は、朝まだ暗い(1)「夜明け(スブフ、ファジュル)」に始まり、(2)「正午(ズフル)」、(3)「午後(アスル)」、(4)「日没(マグリブ)」時と進んで、最後の(5)「夜半(イシャー)」の礼拝で終わる。

 まず礼拝時間の問題である。それぞれに詳しい規定があるが、大きな時間的な幅がある。たとえば、最初の夜明けの礼拝は、朝の光がかすかに認められてから日の出前までとされているが、これは太陽一個分の上昇時間にあたる。しかし、その前の前日最後の礼拝は、日没から夜明け前の一回目の礼拝までのあいだに行なえばよいという風に真夜中のいつやってもいいようになっている。正午以降翌朝の夜明けまではずっと礼拝指定時間となっている。つまり、かろうじて日の出から正午までが義務としての礼拝指定時間からはずれていることになる。その幅をどのように処理しているのか分からないが、礼拝時間というものが決まっている。インターネット時代になって、季節変動も加えて、世界中の各地の礼拝時間がテーブルになって一覧できるようになった。イスラム国であれば、新聞でもラジオでもテレビでも教えてくれるし、それに何より礼拝時間になると数知れないモスクの塔(光塔)からいっせいに自動化されたラウドスピーカーがわめきだす。アザーンである。

 イスラム世界を特徴づけるアザーンは、礼拝をしに(モスクに)来なさいという呼びかけであり、文言はアラビア語で、もちろんぴしっと決まっている。スピーカーのない時代は、大声の持ち主が塔の上に登って呼びかけていたとされ、その人をムアッジンと呼んでなかば職業化されていたらしい。今でも、スーク(市場)の中などで自発的なムアッジンに出会うことがある。右手を耳に当て、ボリュームたっぷりの鍛え抜かれた声で朗誦する。それに応えて何人の信徒がモスクへ行くかは別問題である。

 アラブ国を舞台にした通俗小説では、たいていこれが小道具に使われている。たとえば、土地の女をものにした西洋人のスパイが歓楽の一夜を過ごし、寝入ったと思ったところでいきなりラウドスピーカーの轟音に叩き起こされる。最初のアザーンである。歯ぎしりしながら時間を見ようと枕頭のランプをつけると、隣では女が昨夜のしどけない格好のままぴくりともせず眠り込んでいる。この続きは省略するが、アザーンは慣れない外国人の呪詛のタネであるとともに、現地人は慣れっこになってまったくこたえないらしいことが分かる。

 アザーンに応えてモスクへ行くと、まず洗い場で洗い清めをしなければならない。これにも厳しい手順があり、決まりの文言を唱えてから、蛇口から水を流しながら、両手首、口、鼻、顔、両腕、髪、耳、両足首をこうした順序で決められた方法で洗う。この洗浄過程は、長年やっているうちに慣れてしまうのであろう、実に手際よくあっという間に済ませてしまう。口の洗浄はいいとして、鼻も穴の中まで洗うのであるが、右手で水をすくって吸い込み、手鼻をかむようにしてふっと吹き出す所作を3回やる。ちょっと異邦人にできることではない。
 イスラムでは洗浄ということをやかましく言い、ものの本によれば、トイレの後や房事の後にはそれぞれ決まりの清めをしなければならないことになっている。屁をひとつひってもただではすまない。

 さてこれで礼拝の用意はできた。

 礼拝の方向はメッカと決まっている。モスクで礼拝する限りはもちろん方角に迷うことはないが、外に出ると磁石か天測に頼るほかない。飛行機の中の狭い通路であらぬ方向に向かって礼拝するものがいるが、これはご愛嬌である。イスラム国のホテルの部屋の床絨毯には礼拝の方向を示す大きな矢印が描かれているものがある。このサービスも古いことではない。礼拝には一人用の小さな長方形の絨毯を使うことが多い。

 決まりのアラビア語の文言を唱えながら、立ったり坐ったり、平伏したりの礼拝は、これは子どものときに親なりウラマーなり、宗教の先達から教えられなければなかなか覚えられない。専門の解説書やウェブサイトには絵や写真入りで詳しい説明がある。英語サイトでは西洋人的果てしなき追求癖で、イスラム法学派による違いまで詳述しているサイトもあり、これはお手上げである。
 モスクでの礼拝では、導師がひとり集団の前に一歩出て手本を示すことになっている。しかし、新米のムスリムがそれを見よう見まねでやって有効な礼拝と言えるのかどうか、また例によって難しい議論があるであろう。
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犬嫌い

2005年04月01日 | イスラムと日々の生活

 イスラム世界では、犬もまた排斥の対象となっている。

 どこの世界にも動物好き、特に犬好きという人々がいるであろう。犬を伴侶として暮らしている人たちも少なくないに違いない。賢い犬は「人間の友」といった標語を聞くことがあるが、全人類から12億人のイスラム教徒は除外される。

 子どもたちは、子犬といっしょになって犬ころのように遊ぶことはなく、ペットとして飼育することはありえず、警察犬としての利用や、盲導犬のような介助犬の存在も考えられない。ペットショップの可愛らしい犬を見ても「汚らわしい」としか反応しないように育てられている。

 イスラムでは、犬は不浄の動物とされており、もちろん犬の肉を食べてはならないし、もし犬に舐められたりしたら、大洗浄をしなければならない。これは、豚の場合と同様、犬が狂犬病をもっているからとか、何か生物学的に不潔であるということとは無関係で、単に宗教的にそう決められているに過ぎない。ただし、犬の特質を買って、狩猟と羊番のためには犬を使っても構わないとされている。

 ではネコはどうか。ネコは、一転して、清浄で、イスラム的に何の問題もない。しかし、実際に家でネコを飼っている人は少ないのではないだろうか。犬に舐められることの不浄視の延長線上で、恐らくネコに舐められることも避けるのかも知れない。

 こうした犬に対する複雑な対応は、コーランの中ではなく、主としてハディースによって規定されている。コーランにおける犬への言及は三節にとどまり、次のものでもよいことの譬えにはされていない。(コーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)による。)

(7:176)もしわれわれが欲したならば、それをもって彼を高めてやったことであろうに。しかし彼は、地に執着して、自分の欲望に従ってしまった。彼をたとえてみれば犬のようで、咎めると舌をたらし、捨てておいても舌をたらす。われらのしるしを嘘だと言った者どもも、たとえればこのようなものである。それゆえ、このような話を聞かせてやれ。もしかすると、彼らも反省するであろう。

 これがハディースになると、さまざまなことが言われているようである。たとえば、犬は不浄であるから、犬に舐められたら何回手を洗えとか、黒い犬は殺せとか、犬がいる家には天使が入ってこないとか、集団礼拝のとき犬が前方を横切るとその礼拝が無効になるなどという。これでは、一匹の犬が天使の行動を妨げたり、何百人もの礼拝をそれがなかったものとするという悪魔にも匹敵する大きな力をもっていることになる。これでは、もう単なる不浄視ではなく、仇敵視である。

 イスラム教徒は、よく犬は鼻が濡れているからいやだというが、これは後講釈で意味をなさない。犬の排斥は、数多いイスラムの約束ごとの中のひとつである。
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ハラール食品

2005年03月26日 | イスラムと日々の生活

 コーランによって豚と酒が禁止された。これを受けて、イスラム教徒としてはこれらを排除しなければならないが、今日のようにやれ豚由来の原材料や添加物が微量でも含まれていないかとか、残留アルコール分がどれほどだとか難しいことを言い出したのはごく最近のことであるはずだ。7世紀以来今日までの千数百年は大まかなものであったであろう。しかし、異民族や異教徒の征服にあけくれた長い歴史を通じて、しかるべき注意が払われてきたことは間違いない。

 コーランは、食べ物について、たとえば次のように命じている。(コーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)による。)

(5:88)許されたよきものとして神から賜ったものを食べよ。そして、おまえたちが信じている神を畏れよ。

(6:121)神の御名が唱えられなかったものを食べてはならない。これは罪悪である。サタンどもは自分たちの一味に吹きこんで、おまえたちと論争させるであろう。もし彼らの言うことに従うならば、おまえたちは多神教徒である。

 コーランには、豚と酒以外に、「死体、血、豚肉、神以外の名によって犠牲にされたもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、突き殺されたもの、野獣に食い殺されたもの(5:3)」なども禁止されており、これらも排除しなければならない。動物の殺し方が問題にされているが、では、獣肉を食べるためには、家畜や野生の動物をどのようにすればいいのか。

 いつごろどのようにして決まったのか分からないが、イスラムにおける動物のの方法はほぼ次のようになっている。すなわち、イスラム教徒が(仏教徒のような異教徒では絶対にダメで)、羊であれば両足の間にはさみ、頭をメッカの方向に向けて手早く地上に倒し、「ビスミッラー、アッラーフアクバル」という文言を唱えながら、鋭利な刃物で喉の血管と気管を一気に切る。ほとんど即死状態であるが、しばらくは手足をばたつかせている。血は全部なくなるまで流れ出るままに流す。牛やらくだのような大型動物はどうするのか知らないが、多分、何人かで寄って倒すのであろう。こうしてされた動物の肉しか、イスラム教徒は食べてはならないことになっている。

 もし、日本にいるイスラム教徒が、ふつうの日本人が南無阿弥陀仏と言ってした肉を食べたりすると、たとえ南無阿弥陀仏とは言っていなくとも、近代産業で機械的にされた獣肉を食べると、これはもう間違いなく審判の日に業火に焼かれることになる。イスラム教徒にとっては、これ以上の恐怖はない。

 このようにコーランの禁をかわし、イスラムの作法にのっとって処理された食品を「ハラール」食品と呼び、特にイスラム教国でない国に生活するイスラム教徒の関心の的となっている。日本にも多くのハラール食品店があるが、取り引きの店が遠方にある場合はいちいち宅配便で取り寄せているよしである。しかし、実際には、パキスタン人がイラン人の店から買うことも、トルコ人がパキスタン人の店から買うこともなく、同国人どうしで、パキスタン人はパキスタン人が経営するハラール食品店から買っているという。同国人でも、もう一段下のレベルで、同じ民族から買うということになっているのではないだろうか。アフガニスタン出身のハザラ人はハザラ人の店から買うというように。

 興味深いのは、近代産業社会の「品質保証」の概念がハラール食品と結びついて、「ハラール認証」システムなるものがが生まれていることである。国の機関がやっているのか、宗教団体か、食品業界団体かはともかく、国別にいくつもの制度が並存して、それぞれがばらばらにハラール認証シールを出しているようだ。理屈としては、世界中の全イスラム国を糾合し、サウジアラビアのジェダに本部を置くイスラム諸国会議機構(OIC)が汎イスラム的な「認証シール」を出し、それさえついておれば世界的にハラール食品として通用するようにするのが筋である。しかし、これはまったく実現の可能性はない。イスラム世界はひとつではないからである。

 イスラム世界を脅かすのは豚や酒ばかりではない。今は複雑な組成の化学品である食品添加物が多数使われている。さらに、近代科学にもとづいたクローン家畜や遺伝子組み換え作物などが市場に現われ始めた。工場生産の野菜が出荷されている。魚はハラールであるとされているが、養殖魚はどうか。工場野菜にしろ養殖魚にしろ、その肥料や飼料にはさまざまなものが使われているであろう。

 コーランがこれらをすべて予想していればともかく、そのひとつひとつにイスラムとしての対応が迫られている。クローン技術や遺伝子操作などは、自然界に存在しないものを作りだす点で、神の創造行為を真似る、あるいは侵食するものではないかといった根本問題から、現実の食品安全対策まで、イスラム世界独自の対策が必要のはずである。イスラムには、こうした一般的な食品安全対策を含めた新しい「ハラール食品」を認証する姿勢がほしいところである。

 ハラール食品と聞いてすぐに浮かぶ疑問は、イスラム国では、上記のような方法による限り、電気ショックやガス、薬物、衝撃等による近代的な産業はどうしても成立しそうにないが、実際はどうなっているのか、ということである。生きているニワトリ一羽一羽の喉をイスラム教徒が神の名を唱えながら切っていなければならない。羊も牛も同様である。これは絶対に譲れない一線であるはずだ。

 イスラム教徒は、巡礼月の犠牲祭には、家の門口で主として羊をこの伝で犠牲にする。これをやった家の前には大きな血だまりができており、イスラム国であれば、「メッカ巡礼から帰ってきた人の家かな」などとひとつの風物として興味深く拝見することになる。しかし、欧州へ流入したイスラム教徒によって、これをベルリンやコペンハーゲンの住宅街でやられた日にはたまったものではないであろう。事実、これは「残酷」かつ「不衛生」であるとして、本来の市民の顰蹙をかっており、社会問題になっているという。それぞれの国の法をはじめとするいくつかの法律にも抵触するらしい。

 わが国でも、パキスタン人やイラン人が多いところでは、これをやっているかも知れない。欧州人と違って、日本人は外人に遠慮するので、「汚い、気味悪い」と思っていても直接苦情を言うことはまずない。それをいいことに、相手は宗教をかさにきて、ますます無遠慮に振舞うことになる。これに対しては、ホストの日本人としては、はっきり抗議すべきは抗議し、お互いが気持ちよく暮らせるようにするべきである。
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酒の禁

2005年03月20日 | イスラムと日々の生活

 イスラムの食の世界では、豚と同じく、酒が禁止されていることもよく知られている。どちらもコーランで取り上げられており、イスラムとしてはないがしろにできない根本的な問題である。ところが、コーランの酒に対する姿勢は、豚に対するそれとは大きく異なる。

 コーランは、豚肉を食べることを問答無用で明快に禁じているのに対し、酒の方は「(酒を)避けよ」という穏やかな表現で、禁酒ないし節酒を勧奨している。しかし、コーランが酒を「サタン(悪魔)のわざ」と断じているところから、酒を飲むことはもちろん、製造や販売も禁じているとするのが一般のようである。

 イスラム教徒の酒に対する現実の対応はさまざまで、サウジアラビアのような厳禁の国から、アルジェリア、モロッコなど北アフリカのワインの大生産、輸出国まで、ピンからキリまで分かれる。キリスト教徒が国民の半数近くを占める点で例外的であるが、レバノンには何でもある。ただ、イスラム教徒の心の底には、酒はハラーム(禁止)との宗教意識が厳としてあるため、いくら自由に飲めるところでも、日本的な野放図なドンチャン騒ぎは、これはない。

 イスラム教徒による酒についての議論には、非ムスリムの第三者からみて、特にあげつらうべきところはない。酒を禁止するイスラムの厳しさに頭を抱えるのみである。ただ、今は禁酒をもって鳴るサウジアラビアですら、1973年以前は、東海岸で酒を飲むことができた。それが、原理主義的風潮の伸長にあわせて、宗教的ならぬ政治的理由によって、次に行ったときは「スペシャル・ティー」と称してポットに入れて出すようになり、その次にはポットも出てこなくなった。酒は伏流水となって地下水脈を流れるようになった。この方向が逆転して、いつかまたレストランでポットが出てくるようになり、次いでビンが現われ、地上に酒の流れる川が出現する日の来ることが待たれる。


 コーランには酒についての記述は多いが、通常、次の4節によって飲酒が禁じられているとされる。コーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)による。

(2:219)酒と賭矢について、人は汝に尋ねるだろう。答えてやれ、「それらは人々にとって大きな罪悪であるが、利益にもなる。だが、罪悪の方が利益よりも大きい」。また、彼らが費やすものについて尋ねるだろう。「余計の分を」と答えよ。このように神は、おまえたちにみしるしを明らにしたもう。おまえたちが反省するよう望んでおられるからである。

(4:43)信ずる人々よ、おまえたちが酔っているときは、自分の言っていることがわかるようになるまで、礼拝に近づいてはならない。身がけがれているときは、旅路を行く者を除いて、身を洗い浄めるまではいけない。もしおまえたちが病気であるとか旅に出ているとき、あるいはだれでも厠から出てきたとき、また女とまじわったときには、水を見つけることができなかったなら、清い砂を使って顔と手をこすれ。まことに神は寛容にして、よく赦したもうお方である。

(5.90)信ずる人々よ、酒、賭矢、偶像、矢占いは、どれもいとうべきものであり、サタンのわざである。それゆえ、これを避けよ。そうすれば、おまえたちはおそらく栄えるであろう。

(5.91)サタンは、酒や賭矢などで、おまえたちのあいだに敵意と憎しみを投じ、おまえたちが神を念じ礼拝を守るのをさまたげようとしているのである。それゆえ、おまえたちはやめられるか。


 コーランにおける酒の記述で驚かされるのは、酒への賛美である。これでもかこれでもかと楽園における酒のうまさが強調される。楽園というのは、イスラム教の敬虔な信者のみが、死後、入ることを約束されている永遠の極楽で、さまざまな甘美に満ちており、中でも甘い美酒の流れる川がある。たとえば、次のようである。

(37:45-49) 泉から汲んだ美酒の杯が彼らのあいだをめぐる。
それは、飲む者に甘く、真白である。
それには頭痛もなく、酩酊するようなこともない。
彼らのそばには、大きな瞳を伏し目がちにした乙女たちが控えている。
彼女たちは、砂に隠されている玉子のようにうるわしい。


 コーランは、酒は「サタンのわざ」と断じる一方で、甘い酒のあふれる楽園を描いてみせるわけで、酒に対するアンビバレンスぶりはここに極まっている。イスラム教徒は、酒のうまさをこんこんと教えられた上で、現世で酒を飲んでは来世で業火に炙られるとおどかされ、あの世の楽しみに、この世ではお預けを食っている図である。

 イスラム教はまことに厳しくも、激しい宗教である。
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豚の禁

2005年03月03日 | イスラムと日々の生活

 イスラムが豚を食べることを禁じていることはよく知られている。しかし、アラブ・イスラム圏で生活していても、ついうっかりして、豚肉が手に入らなくて慌てることがある。入手ルートを見つけても非常に高価である。それでも、豚肉なしの中華料理も慣れてしまえば悪くない。

 日本人なら我慢せざるを得ないとして、豚の親戚のような豚とは切っても切れない関係にある西洋人はどのようにしているのであろうか。おそらく腕力と術策を弄して、豚も酒も持ち込んでいるに違いない。アラブの国土を軍靴で蹂躙してきた西洋人が、はいそうですかと黙って豚も酒もあきらめるとは考えにくい。

 豚肉を食べることの禁止は、コーランに明瞭に述べられており、だれが読んでも同じで、あれかこれかの議論の余地はない。豚肉を食べることの禁止を命じているのは以下の4節である。コーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)による。

(2.173)神はただおまえたちに、死骸と血と豚肉、および神以外の者の名によって屠られたものを禁じたもう。といっても、食い意地のためでもなく、禁にそむく心からでもなく、むりやりに食べさせられた者には罪はない。神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。

(5:3)死体、血、豚肉、神以外の名によって犠牲にされたもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、突き殺されたもの、野獣に食い殺されたもの、ただし、おまえたちが屠ったものは別であるが、そして偶像の前で屠られたもの、これらはおまえたちに禁じられている。また、おまえたちが賭矢で分配することも禁じられている。これは罪ぶかい行いだ。今や背信の態度をとる者どもも、おまえたちの宗教にはあきらめている。それゆえ、彼らを恐れてはならない。わしをこそ恐れよ。今日わしは、おまえたちのために宗教を完成し、おまえたちの上にわしの恩恵をまっとうし、イスラムをおまえたちのための宗教として是認した。だれでも、罪を犯すつもりはなくて、飢餓のためにやむをえなかった場合には、まことに神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。

(6.145)言ってやれ、「私に啓示されたものの中には、死骸、流された血、あるいは豚肉、これは穢れであるが、あるいは神以外の名で屠られたけがらわしいもの、これらを除いては食べても禁制となるものはなにもない」。なお、欲せずして、または違反するつもりではなくて、やむをえず食べた者には、まことに汝の主は寛容にして慈悲ぶかいお方である。

(16.115)神はただおまえたちに死骸と血と豚肉、それに神以外のものの名によって屠られたものを禁じたもう。しかし、食欲のためでもなく、掟にそむこうとしてでもなく、むり強いされた者には、神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。


 この豚食の禁止が、旧約聖書に由来することはイスラム教徒も認めている。なお、文中「いのしし」は豚と同じという。

(レビ記11.7-8) いのししはひづめが分かれ、完全に割れているが、全く反すうしないから、汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。これらは汚れたものである。

(申命記14.8) いのしし。これはひづめが分かれているが、反すうしないから汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。

 つまり、ユダヤ教徒とイスラム教徒は豚肉を食べない。

 豚を食べないことについて、ユダヤ教徒は、おそらく「神(ヤハウェ)が命ずるから」との一言ですんでいると思われる。それに対して、イスラム教徒は、「イスラムはなぜ豚を食べることを禁止するのか」をめぐって、長大かつ科学的な議論を展開する。

 ところが、その説明たるや、滑稽きわまりないもので、彼らが「科学的」に説明しようとすればするほど、かえって的外れのナンセンスなものになっていく。

 まず、豚は本来怠けもので、もっとも不潔な動物のひとつで、人糞や自分が排泄した糞を食べるといった豚への攻撃から始まり、豚はさまざまな寄生虫や病原菌をもっており、病気を引き起こすと指摘する。このあたりはまるで寄生虫学と細菌学の教科書をひっくり返したかのような詳細な寄生虫や病原菌のリストが出てくる。これらによって引き起こされるという病気の名前が何十とずらずらと出てくる。読む方はちんぷんかんぷんで、中途半端な語学辞典ではとても間に合わない。
 また、こうした伝染性の病気のほかに、豚を食べると脂肪のとりすぎになる、コレステロールがたまる、などと続く。
 さらに、豚食が人間の精神に悪影響を与え、道徳の荒廃を招き、生活がふしだらになり、若い男女の交際が乱れて、ティーンエージャーのシングル・マザーが激増する・・・

 イスラムが、コーランの偉大さを強調するあまり、近代科学の成果をコーランが先取りしていたことを説明しようとする、あるいはコーランの文言を近代科学で説明しようと懸命になっていることはさきにかいま見たが、豚をめぐる議論もその流れのなかにある。
 さらに、イスラム教に特有の外部からの攻撃からイスラムを護るという姿勢から、「どうしておいしい豚を食べないの?」というあざけりを含んだ問いかけを意識して、自ら被害妄想に陥り、科学的防衛に出ているのである。

 この豚論議は、イスラム教徒の生物学者ではなく(イスラム教徒の生物学者には書きようがないので)、宗教関係者が書くからこうなるのであろうが、問題はこれを読まされたり聞かされたりするアラブ・イスラム世界の子どもたちへの科学教育上の影響である。
 宗教心の強い、割り切った子どもは、「神が命じていることなので、それに従うだけだ。説明は要らない」ということになるのだろうか。大多数の子どもたちは、「なるほど豚とは怖いものだ。よく分かった」と納得するのであろうが、これでは科学への芽を摘んでいる。
 もっとも心配されるのは、「しかし西洋人もアジア人も盛んに豚を食べているが、言われるような病気になっていない。それはなぜか」と自問する子どもたちである。言うところの科学的説明のいんちき性を見抜いていながら、身動きがとれないのである。質問をすると先生は立ち往生する。

 上記のような豚論議では、その科学的説明が間違っているということにはなっても、コーランの記述の信頼性といった危険水域には至らないので、イスラムの方でもう少し穏当な説明があってもいいはずである。

 たとえば、「神(アラー)は豚肉を食べることを禁じられた。それにはいくつかの科学的根拠もあるが、さらに神のみが知っていて、まだ人知の及ばないわけがあるのかも知れない。豚を食べなくても困ることは何もない。つまらない議論はやめよう。」ということでどうだろうか。

 この議論には続きがあって、キリスト教徒は旧約聖書の豚食の禁を無視しているとか、西洋人は、豚は大量に入手でき栄養価が高いとしてよく食べるのに、ではなぜ容易にたくさん手に入る犬を食べないのかとか、もう八つ当たりである。朝鮮民族は豚も食べるし犬も食べることを知れば、彼らは仰天するであろう。イスラム教徒は、豚を遠ざけるあまり、豚毛のブラシを使っていいかとか、豚革のジャンパーを着ていいかどうかで、悩んでいる。

 イスラム世界は、こうした果てしない不毛の「科学」論争を収斂させるすっきりした落としどころを開発する努力をしてはどうだろうか。

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