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中東断章

中東問題よこにらみ

イスラムと医学・医療

2005年02月01日 | イスラムと科学

 近年、医学、医療の分野で数多くの目を見張るような進歩が見られる。それらは、単に医学の領域にとどまらず、生命倫理にかかわる問題を含むことが多く、われわれひとりひとりが考えなければならないのはもちろんだが、国家や国際機関がひとつひとつのケースについて対応を迫られる事態になってきている。クローン動物やその延長線上のクローン人間の研究などがその典型である。

 そのことはイスラム世界でも同様で、ひとつひとつの問題について、イスラム世界として対応を決めなければならないことは言うまでもない。イスラムの教義やアラブの伝統にそぐわないものが少なくないと思われるからである。この世界では、いわゆる学識経験者が決めるのはなく、宗教家が決めるところが変わっているが、ともあれ指針を出さないわけにはいかない。なぜなら、ムスリムひとりひとりでは何ごとも決めることができないからである。

 しかるに、こうした問題はいずれもあまりに複雑で、あまりに専門的であるので、イスラムのウラマーが内容を理解するのがたいへんな苦労であるはずである。いや、ひたすらコーランの暗誦にはげんできた理科的な素養のまったくない高齢のイスラム法の専門家に理解を求めることが無理なのだ。しかも、仮に理解が得られたところで、コーランやハディースに言及がなければ、その場合がほとんどであるが、結論を導くことが極端に難しい。ということは、イスラム世界として権威ある決定を得ること自体が不可能ということになる。個々のムスリムはどうすればいいのだろうか。

 ここには、最近話題になることの多い医学、医療上の問題の中から、イスラム世界の対応が注目されるものの一部をこころみに並べてみた。単なる科学技術上の問題であれば、原子爆弾を作られては困るが、イスラム世界の対応が外部世界に影響することはほとんど考えられない。しかし、医学、医療上の問題となると、直接われわれに影響が及んでくるので、無関心でいることはできないのである。どのような回答がイスラム世界から来るか、期して待っている。


1)輸血・移植
輸血
 輸血の歴史は長いので、いろいろな議論があったようであるが、現在は輸血を受けることは認められている。ただ非ムスリムの血液を受けることについては議論が分かれるらしい。献血も奨励されている。非ムスリムに対する献血もムスリムの寛大さを示す意味で認められている。ありがたいことだ。

臓器移植
 以下の各場合について、ムスリム、非ムスリム間のやりもらいに伴う4通りのケースがある。やはり非ムスリムから臓器を貰うことができるかは議論が分かれるようである。また、近親者・第三者の別、有料・無料の別、等でイスラムの対応は分かれると思われる。

1.生体移植
2.脳死移植
3.死体移植
4.動物の臓器を移植
  極端な場合だが、豚の心臓弁の移植は認められるか。
5.人工臓器移植

2)家族計画
避妊
 イスラムでは、結婚は子どもを生むことが、多分、本来目的とされていると了解するが、そうであれば夫婦が避妊をする理由やその方法について議論があるように思われる。

堕胎(妊娠中絶)
 まず堕胎する理由が問われるであろうし、当然のことながら、殺人は許されないので、成長する胎児をいつから人間とみなすかにかかってくるのではなかろうか。

不妊手術
 イスラムでは男女いずれに対しても認めないというが、その理由は何か。

生殖補助医療
 子どものできない夫婦に対して、第三者の参加を得て、子どもをもたせようとする医療で、おおよそ次のように5類別されている。それぞれの場合について、イスラムの見地からの対応はどうか。

1.第三者の女性に出産してもらう。
1-1夫の精子と妻の卵子で、第三者が出産(借り腹=ホストマザー)
  (遺伝上:夫は父、妻は母、法律上:夫は父、妻は第三者)

2.第三者の女性から卵子の提供を受ける。
 2-1夫の精子で妻が出産
  (遺伝上:夫は父、妻は第三者、法律上:夫は父、妻は母)
 2-2夫の精子で第三者が出産(代理母=サロゲートマザー)
  (遺伝上:夫は父、妻は第三者、法律上:夫は父、妻は第三者)

3.第三者の男性から精子の提供を受ける。
 3-1妻の卵子で妻が出産
  (遺伝上:夫は第三者、妻は母、法律上:夫は父、妻は母)
 3-2妻の卵子で第三者が出産(代理母=サロゲートマザー)
  (遺伝上:夫は第三者、妻は母、法律上:夫は父、妻は第三者)

着床前診断(受精卵診断)

3)再生医療
 臓器には固有の幹細胞がある。この幹細胞からその臓器に必要なすべての細胞が作られる。ところが、受精卵が数回分裂したところで得られる胚性幹細胞(ES細胞)からはすべての臓器の細胞が作られる。従ってこれを使うことにより非常に有利となる。
 朝日新聞(2004/7/4)の記事「衝突恐れず文化の創造を」の中で、筆者の理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの西川伸一氏は、ひとつの生命体において「全体の生命と部分の生命」ということを考えなければならなくなったとして、「単細胞生物なら全体と部分はひとつで分離できない。しかし多細胞生命体では全体の生命と部分の生命を分離して取り扱うことが可能となった。こうなると文化の伝統との衝突が避けられない」と述べておられる。これはわれわれ日本人への問いかけであるが、同時にイスラムの見解を知りたいものである。

4)遺伝子治療
 体外から遺伝子を組み込んだウィルスや細菌を患者の体内に入れ、病気のもとになっている遺伝子の働きを抑えたり補ったりして病気を直す方法。

5)死・死体
 イスラムの見地からは非常にデリケートなところと思われる。それぞれについてイスラムの対応を聞きたい。

延命治療
安楽死
自殺
死体解剖(教育、学術的な)
検視解剖(変死の際等の死体解剖)
 
6)性転換手術
 神の被造物に変更を加えることになると思われるが、イスラムはどう対応するのか。

7)(美容)整形手術
 単なる美容目的と、病気や事故による、或いは生れつきの身体的異常を矯正するためと、ふたつのケースがある。イスラムはどう絡んでくるのか。

8)クローン動物・クローン人間
クローン動物
 1997年、イギリスで世界初のクローン動物(ヒツジ)が作り出され「ドリー」と名づけて発表された。これは「体細胞クローン」という方法でつくられ、雄のヒツジは関係がないことが特徴であった。クローン動物の作り方にはもうひとつ「受精卵クローン」という方法があり、これは通常の交配によってできた受精卵を使ってつくられる。ドリー以後、両方の方法でたくさんのクローン動物がつくられるようになり、アメリカではすでにクローン家畜が産業的に生産されるところまできて、食品医薬品局(FDA)が食肉として食べた場合の安全性の検討に入っているという。
 これに対してイスラムはどのような対応をとるのか。

クローン人間
 クローン技術を応用して、人そのものを作成する研究を進めるかどうか、その進め方について、政治を先頭とする深刻な議論が起こっている。すでにアングラではあちらこちらで実行に移され、誕生が間近との噂も聞かれるようになった。3年前に次のような趣旨の報道があった。

 不妊治療で有名なイタリア人医師セベリノ・アンティノリ氏が、02年4月、アブダビとドバイでの講演や会見で明らかにしたもので、さるアラブ国でクローン人間づくりの実験を行なっており、アラブ人の大金持ちのVIPの核を用いた人クローン胚が女性の胎内に入れられ、女性は現在妊娠8週を迎えている。また別に、ロシアとイスラム教国でクローン技術により3人の女性が妊娠しており、いずれも妊娠6-9週間と報告した。この医師は、イタリアではこの研究はできないが、イスラム文化はオープンで、科学の進歩を助長するものであるという。

 これに対して、同じ記事で、サウジアラビアの不妊治療協会会長が、かなり以前に宗教当局がこの研究を禁じており、これに携わったものは厳罰に処せられる、と語ったとしている。

 わが国では、「クローン技術規制法」により人クローン個体を生み出すことを禁止ししている。しかし人クローン胚作りは、03年7月、生殖医療研究目的に限り容認した。フランスとドイツは人クローン個体作りを「人類に対する罪」として禁止することはもちろん、クローン胚作製も禁止している。一方、英国は研究目的にはクローン胚作りを認めており、日本は英国にならっている。アメリカは、人クローン胚の研究および人クローン個体を禁止する法案が下院を通過している。

 イスラムはこれに対してどう答えるつもりだろうか。仮に神の領分を侵すものとして禁止するにしても、ただ「禁止」と叫ぶだけでなく、イスラムと近代科学のあり方を踏まえた説明が必要である。
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コーランと近代科学(4)

2005年01月31日 | イスラムと科学

 何かこの世でありそうにない話が続くが、現実にこの通りなのだという証拠を示す必要があるであろう。それは案外手近にある。

 2001年7月、早稲田大学イスラム科学研究所などの主催で、「イスラムとIT-イスラム的技術の多様性と可能性-」と題する国際シンポジウムが開かれた。そのとき、パネラーのひとりとして、カイロ大学理学部学部長アハマド・フワード・バシャ博士が「コーランと情報科学-サイエンス&テクノロジーinイスラム-」と題する講演を行なった。その講演記録が、有難いことに、早稲田大学のサイトで日本語で読むことができる。


 長いものではないが、以下簡単に要約しておく。


1)コーランにおける科学的情報

 コーランは7世紀のアラーの最後の預言者であるモハメッドを通して全人類に啓示された聖なる言葉である。

 コーランの目的は、人間に対して、神とどのような適切な関係を持つべきであるか、そして自分を取り巻くコミュニティ、宇宙、世界といったものとの適切な関係の意識を呼び起こすことである。

 このコーランによって、初めて科学技術および思考の適切な方法に関して光が当てられた。コーランにおける科学的な啓示に注目したい。地球、天、太陽、月、星、山、風、水、直物、動物、人間に関する記述が何百もある。

 現代になって、宇宙の原理に関する理解が深まってきたが、ここでもう一度コーランをひもといてみると、これらの宇宙と人間、および人間を取り巻くものに関する記述がコーランの中でもっとも奇跡に満ちた記述であることが再確認できる。


2)科学的記述例の考察

 コーランにある「天は戻す力をもっている」という文言をもとに、コーランの科学的記述を例証する。

 天が返してくれるということは、昔は蒸発した水を天が雨として返してくれるとのみ理解されていた。ここで、「戻す」には「ラジ」という一般的な言葉が使われており、雨とは限定していない。〔「ラジ」はやや不適切で、「ラジウ」とか「ラジャア」とすべきところ。〕これが驚くべき点で、単に天は雨だけを返してくれるなら、なぜアラーは雨を返すと記述しなかったのか。ところが、人類は、今になって、その真意を知ることになった。

 つまり、天はわれわれに雨を返してくれるだけでなく、たとえばオゾン層は有害な紫外線を吸収し、地表から発せられる熱波、あるいは赤外線を戻す。テレビや電気通信で使われる電波は、地球をとりまく電離層によって反射される。またバンアレン帯によって宇宙からやってくる様々な粒子がはじき飛ばされる。地球に向かって返すだけでなく、宇宙の外に向かって跳ね返す意味ももっていた。これらはすべてコーランに書かれている天のもつ「返す」能力なのだ。

 「ですから、アラーはその永遠なる知識と究極の叡智をもって、ラジという奇跡的な単語をあえて使ったのです。雨という限定的な表現にはしなかったわけであります。」

 もう一つの例として、コーランには英語のフラクチャーに相当する地表の割れ目という語が使われている。
 昔は、地表の割れ目といっても、植物が芽を出すとき地面を割って出てくる程度のことしか理解できなかった。ところが、人類は、今では地表の割れ目といえば、植物が発芽するときだけでなく、多数の断層のように、ほかに地表が割れるという現象が数多くあることを理解している。

 また、コーランでは、「海は火の上に坐っている」といった比喩的な表現がなされている。最近の科学の進歩によって、海底には火山があり、その割れ目から1000度近いマグマが出ていることがあることが分かっている。

 このような事実を読み書きもできなかった預言者モハメッドがどのようにして知り得たのか。預言者は、アラーによって知らされたのでなければ、知らなかったはずだ。

 その当時においては知られなかった事実が啓示の中で提示されている。そして、何世紀もたった後になって、その意味するところが理解される。アラーは、いずれ人間の科学者がその真実を発見する時代がくることを理解していた。そうして、それが発見されたとき、預言者モハメッドが予言の封印をもっている最後の預言者であることが即座に理解される。

 以下、中世のアラビア科学の栄光へのノスタルジアが語られて、終わる。

(以上要約終わり)


 いま、カイロ大学理学部で、エジプトやアラブ諸国の大学の講義で、実際にこのようなことが話されているのかどうかは知らない。しかし、現に、イスラムと近代科学の整合性を求める立場のこういう有力な先生がいるということは分かった。このような考えがどれほどの勢力をもっているかも知らない。しかし、これがイスラムにとっては理の当然であり、正統派であることは間違いない。

 宗教と科学は別だという反論は、イスラムでは意味をなさないことはこれまで繰り返し述べてきた。特に、イスラム原理主義が台頭している今日、イスラムと科学を分ける便宜主義、実用主義者は肩身のせまい思いをしているに違いない。現実には、イスラム世界から脱出し、イスラムについて沈黙を守りつつ科学研究に携わる以外に生きる道はないであろう。

 ちなみに、カイロ大学のホームページでは、このアハマド・フアード・バシャ博士はもうこの大学にはおられないようである。講演録の末尾の講師紹介によれば、博士の経歴は以下のようである。
『1942年エジプト生まれ。カイロ大学科学部学部長。理学士号、理学修士号(カイロ大学)、理学博士号(モスクワ大学)。専門は固体物理学。これまでに50以上の物理、科学に関する学術論文を国内外で発表。また、イスラム思想研究についての第一人者でもあり、イスラムの見地から見た科学文化、科学原理についての研究著書も数多く発表している。主な著書に「イスラム~科学と世界観」、「イスラム的遺産における近代科学の基礎」など。』
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コーランと近代科学(3)

2005年01月29日 | イスラムと科学

 イスラムは苦闘している。西側世界の世界的な進出以降、イスラムは自らと西側がもたらした近代科学との整合性を求めて涙ぐましい努力を重ねてきた。ところが、近代科学は、今もやすみなく前進を続け、今後も次々と新しい発見を積み重ねることになる。ということは、これからもイスラムは近代科学の新発見の後追いを続け、永遠にそれらとコーランとの整合性の説明のみを仕事とすることになるのであろうか。

 なぜそんなことをするのか。もしイスラムが西側世界を無視することができれば、その科学技術をも無視することができる。しかし、もし無視できなければ、イスラムは自らを守るために、西側世界の達成の精華たる科学技術について、イスラムは間違っていないと主張せざるを得ないのである。さもなければ、イスラムは内部から自然崩壊するか、外部からの攻撃で崩壊させられるかのいずれかしかない。

 イスラムは何かにつけて自らの「護教」につとめるが、この傾向は対科学の面で典型的に現われる。

 ついでに言えば、科学技術のみならず、民主主義とも、男女同権とも、自由とも、議会とも、選挙とも、金融制度とも、美術音楽とも、日常生活とも、ありとあらゆるイスラム世界と齟齬をきたす西側世界の考えや制度に対して、イスラムは戦わなければならないのである。これらについては別に述べる。

 話題をコーランにもどして、イスラムは近代科学の発見とコーランの記述とを引き比べ、次のようなことを言う。

1)コーランは近代科学の発見を先取りしている。
 コーランには、もちろん、現代の科学のことばで書かれているわけではないが、さまざまな言い方で、直接的、間接的、比喩的、示唆的、等々さまざまな表現形式で、近代科学の発見の多くが記述されているという。近代科学の発見は、これは7世紀当時の人間、すなわち預言者ムハンマドが知るはずもないことであり、このことはとりもなおさずコーランが神のことばであることの証明であるとする。
 このことは、また、コーランにはまだ近代科学が発見していないことが含まれていることを示しているともいう。

2)コーランの記述と近代科学の発見との間に矛盾はない。
 コーランが「科学的」であることを主張しようとする。


 実際に、イスラム教徒の言うところのコーランの驚異のごく一部を見てみよう。近代科学の発見事項とそれを予言する、あるいはそれと関連するとするコーランの章節(章番号:節番号)を順不同で並べる。発見事項と章節との関係は、それを主張する学者によっていろいろ長い説明がなされるのが常であるが、われわれ双方の素人にはまず理解できないので、省略する。想像力を働かせるほかない。
 (なおコーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)によっているが、これだけ多くの引用には問題があるかも知れず、指摘があれば対処する。)


<ビッグバン>
21:30 信仰なき者どもにはわからないのか、天と地は縫い合わされたものであるが、われらがこれを切り離し、また水をもってあらゆる生き物を創造したということが。それでも信じないのか。

<宇宙の膨張>
51:47 われらは天を威力で造った。われらは広大に広げる者である。

<銀河創造以前のガス状態>
41:11 ついで、まだ煙であった天に昇りたもうた。天と地に向かって、「好むと好まざるとにかかわらず、双方とも来るがよい」と言いたもうた。天と地は言った、「喜んで参上いたします」

<星間物質>
20:6 天にあるもの、地にあるもの、そのあいだにあるもの、また地下にあるもの、すべてはこのお方のものである。
25:59 天と地とそのあいだにあるものを六日で造り、玉座に就きたもうたお方、慈悲ぶかいお方である。よく知る者に問え。
32:4 神こそは、天と地と、そのあいだにあるものいっさいを六日間で創造したまい、玉座に就きたもうたお方である。神を除いて、おまえたちにはいかなる庇護者も仲裁者もありえない。それでもなおおまえたち、心しないのか。
50:38 われらは、天地および天地のあいだにあるものいっさいを六日間で創造した。しかし、疲労するようなことはなかったのだ。

<宇宙開発>
55:33 おお、ジンと人間どもよ、おまえたち、天地の境界を飛びだせるなら出てみよ。どんな権威もなくして、おまえたちに飛び出せるものか。

<太陽(発光)と月(反射)>
10:5 神は太陽を輝きとし、月を光とし、おまえたちが歳月の計算を知るようにその運行を定めたもうたお方である。神がそれを造りたもうたのは真理によるにほかならない。理解する人々には、このようにみしるしを詳しく説明したもう。

25:61 天に星座を設け、またそこに光源と輝く月とを置きたもうたお方に祝福あれ。

71:15-16 おまえたちは、神が七つの天を重ねて天を創造したもうた様子を知らないのか。天に月を置いて光明となし、太陽を置いてともし火となしたまい、

78:12-13 おまえたちの頭上にしっかりと七つの天を造り、燦然としたともし火を置き、

<太陽と月の軌道>
36:40 太陽は月に近寄ってはならないし、夜は昼に先行してはならない。

<地動説>
36:40 太陽は月に近寄ってはならないし、夜は昼に先行してはならない。

<山脈の下の地塊>
78:6-7 われらは、大地を敷物のように広げ、山々を杭のようにたてたではないか。

<資源の浪費、公害>
30:41 人々が自分の手で稼いだもののために、陸にも海にも荒廃が現われたが、これは、神が彼らにその所業の一部を味わわせ、正しい道にたちもどらせようとのお計らいによるものだ。

<水の大循環>
13:17 神は天から雨を降らしたまい、谷々は広さに応じて流れ、流水は吹きあがる泡を運んでゆく。また、装飾品や器具を作る目的で火にかけて溶かされる金属にも同じような泡が出る。このように神は真実と虚偽とをたとえたもう。やがて泡は屑のように消え去る。しかし、人々に役だつものだけは地上に残る。このように神は譬えを用いたもう。

23:18 また、われらは天から雨をほどほどに降らし、これを地中にとどめおいた。われらはそれを干あがらせることさえできるのである。

24:43 神が雲を駆りたて、これを集め、これを塊にしたもうのが汝には分からないのか。そのあいだから雨が降りだすのが見えるだろう。神は天から雹をはらんだ山なす雲を落下させ、欲したもう者にはそれで打ち、欲したもう者にはそれを避けしめたもう。稲妻の閃きはほとんど目を奪わんばかりである。

30:48 神は、雲を吹きあげる風を送るお方である。み心のまま天に雲を広げ、散らしたもう。すると汝は、その割れ目から雨が降るのを見るだろう。見よ、神はそのみ心にかなう僕に雨を降らしたもう。そして、見よ、彼らの歓喜するさまを。

39:21 汝は知らなかったとでも言うのか。神が天から雨を降らし、これを大地のもろもろの泉に入れ、それで色とりどりの各種の草木を生やしたもうたものを。やがて草木は枯れ、それが黄ばむのを汝は見るだろう。神は、ついでにこれをこなごなにしたもう。まことに、その中には、思慮ある者への教訓がある。

<水中生物の起源>
21:30 信仰なき者どもにはわからないのか、天と地は縫い合わされたものであるが、われらがこれを切り離し、また水をもってあらゆる生き物を創造したということが。それでも信じないのか。

24:45 神はあらゆる動物を水から造りたもうた。その中には腹ばいで歩むものあり、また中には二本の足で歩むものもあり、また四本の足で歩むものもある。神は欲したもうものをなんでも造りたもう。まことに神はあらゆることがおできになるのである。

<鉄の創造>
57:25 われらは、使徒たちを、明白なしるしをもたせて遣わしてきた。また、それといっしょに、啓典と、人々が公平に振舞うための秤とを下した。人々のためにもろもろの利益があり、強大な力のある鉄を授けてやった。これは、神と使徒を助けるのはいったいだれであるのか、ひそかに知ろうとされてのこと。まことに神は力強いお方、至大なお方である。

<公害と天然資源の浪費>
30:41 人々が自分の手で稼いだもののために、陸にも海にも荒廃が現われたが、これは、神が彼らにその所業の一部を味わわせ、正しい道にたちもどらせようとのお計らいによるものだ。

7:31 アダムの子らよ、いかなる礼拝の場でも身なりを端正にせよ。食べよ。そして飲め。しかし、度を越してはならない。神は度を越す者を愛したまわない。

<進化論>
21:30 信仰なき者どもにはわからないのか、天と地は縫い合わされたものであるが、われらがこれを切り離し、また水をもってあらゆる生き物を創造したということが。それでも信じないのか。

27:88 汝は山々を見て、堅固なものよと思うだろう。しかし、それは雲が行き去るように消えるもの。万事をまっとうしたもう神のみわざである。まことに神は、おまえたちのなすところ、ことごとく熟知したもうお方である。

<胎児の成長>
人間を凝血からつくったということが22:5を始め各所で触れられている。凝血とは胎児のごく初期の段階をさすらしく、その成長段階を述べているところが科学的に正しいとしてしばしばとり上げられる。

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コーランと近代科学(2)

2005年01月26日 | イスラムと科学

 宇宙および人間の誕生と現在の姿について、イスラムの描く固定的な像と近代科学の教える進化し続ける姿とは相いいれない。決定的な相違である。

 近代科学の側からは、イスラムが何を言おうが知ったことではなく、無視あるのみである。ところが、イスラム世界にとってはこのことはとたんの苦しみなのだ。イスラムの側からは無視することは許されず、何としてもこのギャップを乗り越えなければならない。さもなければ、イスラムが生まれた7世紀の姿のままとり残されてしまう。

 地球上すべてがイスラム世界であれば、こんな異説は出るべくもないのに、共存している相手のひとつの西洋世界からとんでもない新しい考えが生まれたために、こんな苦労を強いられることになった。アラブ・イスラム世界が700年間のんびり寝ていたのに、叩き起こされてみればこの有様だ。しかも西側の近代科学のベースを提供したのはイスラム世界ではないか・・・。恨み節のひとつも出てこようというものである。実際、これまでのところ、このギャップの乗り越え問題に対して、イスラム世界から聞こえてくるのは恨み節、あるいは嘆き節ばかりである。曙光すら見えない。

 (ついでながら、アラブ・イスラム人は、ことあるごとに「過去の栄光」を語る。中世のアラビア科学、イスラム科学の成果を数え上げ、西洋の近代科学のもとになった発明と発見はほとんどすべてイスラム世界でなしとげられたといい、アラブ・イスラムの天才たちの偉業を讃える。それは事実であろう。ところが、歴史家バーナード・ルイスによれば、そうした忘れられていた過去のアラビア科学の華々しい成果を発掘し紹介したのも西洋オリエント学だということになる。アラブ・イスラム人自身は何も知らなかった。)

 何度も繰り返すことになるが、イスラム教徒にとっては、コーランの説明と食い違う結果を導くような研究は許されない。それはイスラムにとって、自ら墓穴を掘ることになるからである。しかし、この世界に住むものとして無関心でいることはできない。また、人間としての探究心からあえてそれに取り組もうとするイスラム教徒の若者、あるいはなりゆきで取り組まざるを得なくなった科学者も出てくるだろう。どうするか。

 その決定は、個々の科学者、学生の考えにまかされている。個人々々が心の中でイスラムとの折り合いをつけることになる。宗教心の薄いものはおかまいなく進化論の研究に突き進むであろうし、逆に宗教心にこりかたまったものは回避するはずだ。その中間に、この問題に取り込まれた人の数だけ心の葛藤があることになる。

 イスラム社会では、あらゆる問題について宗教が関与しており、伝統的に問題の解決には宗教家が介入することになっている。宗教的な学問をつんだウラマーと呼ばれる人たちである。当然、科学技術上の問題に対しても、判定を求められる。「進化論を研究してよろしいか」「あの猿から人になったというやつか」「そうです」「だめだ」。簡単な場合はまだ分かるとして、現在続出している生命倫理にかかわる医療上の複雑な問題のようなものにも、およそ科学技術とは無関係なウラマーが口を出す仕組みになっている。

 さきに見たアラブ科学技術基金(ASTF)の例でも、審査委員会に宗教家を入れる必要があるはずだ。応募のあった研究提案について、イスラムの見地から適合か不適合かを判定する必要がある。もしイスラムの見地から許されざる研究があれば排除しなければならないからだ。少なくともウラマーの意見をただす手続きを設けているはずである。

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コーランと近代科学

2005年01月23日 | イスラムと科学

 アラブ・イスラム世界における科学技術に関する大きな問題は、イスラムと切り離された科学技術はあり得ないということである。科学技術は、イスラムとは無関係に存在し得ないのである。さらに言えば、アラブ・イスラム世界における科学技術に関する活動は、科学技術活動のみならずそのほかのさまざまな人間活動を含めて、「イスラムの枠」内に限られるということだ。

 ところが、言うまでもなく、科学技術活動というものは、それまでの人間の知見の枠を突き破って未知の世界に挑む活動である。何らかの枠にとらわれているところに科学技術活動はあり得ず、枠を乗り越えるところにこそあるのである。人類の歴史におけるすべての発見と発明は、従来の枠を乗り越えたからこそ実現したのである。

 ということは、枠のあるところに科学技術はない。つまり、イスラムと科学技術は両立しないことになる。

 ではそのイスラムの枠とは何か。コーランである。科学技術活動もコーランの枠の中でしか行なうことができない。何をしてもいいわけではないのである。もちろん、どの世界でも野放図にどんな科学技術活動をしてもいいわけではなく、西側世界でもたとえば大量破壊兵器や生命倫理にかかわる部分の研究には社会的に一定の枠がはめられている。それに相当するものとして、イスラム世界では、科学技術活動にコーランの枠がはめられているのである。

 ということは、イスラムと科学技術はまったく両立しないのではなく、アラブ・イスラム世界では宗教的にやっていい研究とやってはいけない研究があるということになる。

 では、どれがよくて、どれがいけないのか。それをだれが決めるのか。実は、このあたりから話が非常に難しくなる。惑星の見かけの運動や二次方程式の解法を研究している段には問題なかった。いわゆるアラビア科学が栄えた9-13世紀あたりでは、人間が何をやろうとコーランの枠を踏み出す心配はなかったのではないか。少なくとも問題にはならなかった。だが、人類の科学技術活動が拡大し深化した今日では、問題続出で、簡単にこの研究はいい、これはいけないと分類することが難しくなってしまった。

 何がいけないのかと言えば、コーランの記述と食い違うことがいけないのである。では、なぜいけないのか。それは、神(アラー)は無謬であり、コーランは無謬の神のことばそのままであるからである。「コーランのこの部分は間違っている」といったたぐいのことは、口が裂けても言えないのだ。たちまち背教者の烙印を押されるだろう。たとえ部分的にしろ、神のことばが間違っていたとなれば、その無謬性の前提が崩れ、すべての体系が崩壊してしまうことになる。理屈としては非常によく分かる。

 では、イスラム教徒は、たとえばどんなことがコーランの記述と食い違いを起こすことになって、研究できないのか。ひとつの典型的な例は、宇宙の誕生と進化にかかわるところ、また宇宙の中の生物の発生と進化にかかわるところである。宇宙科学と進化学ということになるだろうか。なぜなら、コーランには宇宙と人類の誕生については旧約聖書の物語に似た話がきれぎれに描かれており、現在の宇宙科学や進化学はそれとは食い違いを起こしているからである。

 その食い違いを簡単に言えば、次のようである。コーランによれば、神は万物の創造主であり、神が宇宙(天と地)を6日でつくったという。ところが、現在の宇宙科学では、宇宙は140億年前に物質も時間も何もないところからビッグバンによって生まれ、さまざまな宇宙進化をとげていまのような姿になったという。また、人間については、コーランによれば、神は土から最初の人間アダムをつくり、次いでその対になる人間(イブ)をつくり、その子孫が人類となったという。ところが、現在の進化学では、人間は、原始の生命体からさまざまな進化をとげて今日の姿になったとされている。直近では猿から人に進化したという。埋めようのない食い違いである。

 こころみに、実際にコーランはどう言っているのか聞いてみよう。まず、天地創造のくだりである。コーランの訳は「コーランⅠ・Ⅱ」(中央公論新社2002)による。

7:54 まことに、おまえたちの主は神であり、天と地を六日で造りたもうたお方、玉座に登り、夜をして昼をおおわしめ、昼をしてあわただしく夜を追わしめ、また日も月も星もご命令のままに駆使したもうお方である。まことに創造と命令とは神のものではないか。万有の主なる神に祝福あれ。

 これとほとんど同趣旨の節がほかに数節ある(10:3,11:7,25:59,32:4,50:38,57:4など)。

 次に、人間の創造は次のようになる。
23:12 われらは土の精髄から人間を造った。
23:13 ついで、それを一滴として堅固な宿所に置き、
23:14 その一滴から凝血を造り、そして凝血から肉塊を造り、肉塊から骨を造った。それから骨に肉を着せ、こうして彼を一個の他の生き物として造りだした。もっともすぐれた創造者なる神が崇められんことを。

 これとほとんど同趣旨の節がほかにもある(22:5,96:2など)。

 これらコーランの説くところと近代科学の教えるところのギャップをどのように埋めればよいのだろうか。
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アラブ人と頭脳流出

2005年01月20日 | イスラムと科学
 日本がもはや戦後ではなくなったころ、頭脳流出ということばがよく聞かれた。それは、多分、日本から流出した頭脳を呼び返して国の再建に役立てなければならないといった文脈で言われたのであろう。どのような施策がとられ、どのような成果をもたらしたかは知らない。
 それに関連して、昭和30年代から40年代にかけて、米国の大学で数学を教えている日本人の先生をひとつの大学に集めると、トップ級の数学の単科大学ができるなどと言われた。それも遠い昔のこととなって、日本人数学者の活躍もあまり聞かれなくなった。ただの国になったということであろう。

 ところで、アラブ国ではこの頭脳流出問題が特にここ数年やかましく論議されている。どこの国から何人流出して、被害額はいくら、という大赤字の収支決算書をつくり、これがアラブ国がうまく行かない原因であるとする。したがってもっと科学技術教育や研究に投資し、アラブの優れた頭脳の流出を止め、すでに流出したものを呼び返すべきだという筋書きである。

 アラブ連盟は、これまでにアラブ諸国から45万人の知識人、科学者が流出し、その被害額は2千億ドルになり、最大の受益国は西側諸国であると大まじめで報告している。エジプトの大臣は、「もしエジプトから流出している1万人の医学者や生物学者が帰国すれば、新しい技術革命を起こすに十分なのに」と嘆いている。これは威張っているつもりかもしれないが。

 このような文書には、必ず、「アラブ・イスラム諸国の科学上の過去の栄光」の一節がつくのがご愛嬌である。「アルコール」も「アルジェブラ」も「アルゴリズム」もアラビア起源であることを思い出させてくれる。血液の循環も西洋人より早くイスラム人が見つけていたことも教えられた。

 こうしたつまらない計算やノスタルジアはともかく、アラブ人の相当程度の、あるいは相当以上の科学者が、相当数、主としてアメリカで活躍していることは事実である。それに比べて、彼らの故国の問題にならない低い科学技術水準やそれにもとづく産業界の低迷ぶりをどのように説明すればいいのだろうか。救いはあるのだろうか。
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アラブ科学技術基金(ASTF)

2005年01月18日 | イスラムと科学

 アラブ世界で科学技術の水準を引き上げるための新しい動きが見られる。底辺から教育の水準を押し上げる努力とは逆に、アラブ世界における先進的な研究開発活動に資金を提供して、全体を引き上げようというものである。また海外で活躍するアラブ人学者の帰国を誘うための費用も提供する。頭脳流出に歯止めをかけ、逆流を促そうということである。

 アラブ首長国連邦(UAE)のシャルジャにおいて、2000年に設立された「アラブ科学技術基金(ASTF)」がそれである。類似の先行機関と異なる大きな特徴として、これは政府機関ではなく、あくまでもNGO/NPOであることを本旨としている。専制的な統治者や政府の強い国ばかりで、「民間」という観念の薄いアラブ国にあって、このような組織がうまく機能して実効をあげることができるかどうか興味深い。

 基金の発足会議には、アラブ諸国はもちろん、世界30か国から300人の在外のアラブ人学者が参加したという。おそらくこれが内外の主だったアラブ人科学者が一堂に会した歴史上はじめての機会ではなかっただろうか。アラブ世界の科学技術の不振を憂えていたこれらの学者たちがシャルジャ首長の基金設立構想を歓迎し、協力を約束したことは言うまでもない。ところがこのときうまく行くかに見えた米国を中心とする在外アラブ人学者の連携組織(在外アラブ科学者技術者ネットワーク=ASTA)も、その後お決まりの足の引っ張り合いで休眠状態にあるらしい。

 基金にはシャルジャの首長スルタン・ビン・モハメド・アルカシミ閣下が個人として100万ドルを提供し、500万ドルを投じてシャルジャにセンター施設を建設した。基金を1~1.5億ドルまで増やす予定で、広く拠金を募っている段階とのことである。アラブ首長国連邦(UAE)も資金を含め全面的な支援を約束している。今年、05年から助成金の支給を開始する予定という。基金は、アラブ国内の大学か研究所に在籍する研究者から助成金交付の応募を求め、審査のうえ毎年最低総額1000万ドルを提供する(「クロニクル」誌(04/3/5)の記事「アラブ世界の科学砂漠」に関連記事)。

 基金は、これまでにイギリス、フランス、アメリカで会議を開き、アラブ世界の科学技術分野での不振の理由と打開の方策を話し合ってきた。また米英仏露アラブの外部研究機関と20以上のジョイント・プロジェクトについて話し合いを行なっているという。ASTFのリンク集には日本の「科学技術振興機構(JST)」があがっているので、何らかの連絡があるのであろう。

 シャルジャのような小国に全アラブを対象とする組織がおかれるのは珍しい。シャルジャというのはアラブ首長国連邦(UAE)を構成する7つの首長国(エミレート)のひとつで、ドバイの東隣りにあたる。UAEは、産油国であるアブダビ、ドバイの二大首長国を中心に、シャルジャ、アジュマン、ウンム・アル・カイワイン、ラアス・アル・ハイマ、フジャイラからなる。国防、外交、教育などは連邦政府が担当し、それぞれの首長国に首長(エミール)がいて、その一族が領土内の自治権を行使することになっているが、財政的にアブダビ、ドバイ頼みであり、実質的に両国の支配下にある。

 基金の名誉総裁はシャルジャ首長スルタン・ビン・モハメド・アルカシミ博士、総裁はシャルジャ大学のアブドゥッラ・アルナッジャール博士という。組織としては、総裁の下に役員会と顧問会がつく。両会には、下に示すような在外のそうそうたる学者が参加している。

 ところで、総裁のアブドゥッラ・アルナッジャール博士なる人物がよく分からない。ASTFサイトによれば、同氏はシャルジャ大学学長とあが、シャルジャ大学のサイトでは助教授(あるいは準教授)である。氏は、1982年UAE大学物理学数学学士、92年英国ダーハム大学応用物理学太陽電池修士となり、現在はシャルジャ大学学芸学部・基礎科学科・物理学部門助教授となっている。シャルジャ首長の一族でもなさそうであり、シャルジャ出身の理科方面の出世頭かホープであるのかもしれない。

 このまだ40歳台の若い総裁が、ASTFのサイトで実に率直なもの言いをしていることに驚かされる。”アラブ人はグループでは仕事にならない”とは外国人がよく口にする悪口であるが、そのままあっさり言ってのけ、さらにアラブ人は互いの成果を盗むとも言う。率直な話し合いが苦手で、仰々しい社交辞令ばかりが飛び交うアラブ世界にあって、このような人が生き残れるのかどうか、よそごとながら気にかかる。

 「これらアラブ人科学者のオフィスや研究所を訪問して実感したのは、アラブ人科学者の栄光とわれわれの社会で常にチームワークにつきまとうところのフラストレーションとの交錯である。われわれアラブ人は、個人としては成功できるのに、グループとして仕事をするときは常に失敗する、ということがあたかも決まりごとになっているかのようである。それはほんとうにコーディネーションが十分でないためだろうか。あるいは、われわれは互いの成果を盗みあうことを恐れているのだろうか。それとも、われわれがアラブ環境で仕事をするとき、われわれの間に信頼と信用が欠落しているという一般的な感情だろうか。」

 ASTFは助成金を交付する主たる対象分野を限定している。
1- 太陽エネルギー
2- 海水脱塩
3- バイオテクノロジー
4- 環境
5- 情報技術
6- 資源センター
7- その他

 ちなみに、ASTFと外部機関との共同プロジェクトとして提案されたものの例として次のものがあげられている。

「アラブ地域に対する地球規模気候変動の衝撃の研究」
  ファフリ・アルバッザーズ博士(ハーバード大学生物学教授)
「原子トランジスター・プロジェクト」
  ムニール・ネイフェ博士 (イリノイ大学物理学教授)
「ITと21世紀前半のアラブ世界」
  イブラヒム・アルファデル博士(IBMワトソン研究所研究員)
「アラブ・ゲノム」
  リマ・ダウーク博士(ハーバード大学医学部研究員)
「アラブ太陽電池自転車レース」
  アリ・サエグ博士(英国世界再生エネルギー・ネットワーク総裁)
「アラブ科学技術ポータル」
  アリ・アルアサム博士(英国ナレッジ・ビュー専務役員)

 これらをASTFに提案した上記アラブ人科学者以外に、下記のような科学者が何らかの形でASTFに協力の姿勢を見せているという。それぞれ斯界を代表するような抜群の科学者であるという。

アハメド・ズウェイル博士
 カリフォルニア工科大学教授、1990年度ノーベル化学賞受賞者

マイケル・デベイキー博士
 ベイラー医科大学学長、心臓ポンプ発明者

エリアス・ゼルフーニ博士
 国立健康研究所(NIH)ディレクター

チャールズ・エラチ博士
 NASAジェット推進研究所所長

ファルーク・エルバズ博士
 ボストン大学リモート・センシング・センター・ディレクター

エリアス・フーリー博士
 ハーバード大学化学教授、1990年ノーベル賞受賞者

ムスタファ・シャヒーン博士
 カリフォルニア工科大学宇宙科学教授、NASAジェット推進研究所主任研究員

サレフ・アルワキール博士
 ベイラー学院医学教授、NASメンバー

カイス・アルワカティ博士
 コロンビア大学医学部教授、腎臓学科長

ムジド・アルカシミ博士
 MIT原子力工学科長

ジョージ・アタウィ博士
 マウント・シナイ医学校教授、血液学科長

アミン・アルナウト博士
 ハーバード大学医学教授、ボストン・マスジェネラ病院腎臓学科長


 「アラブ科学技術基金」が果たして真に機能して成果をあげることができるかどうか、期して待つべきものがある。しかし、アラブ世界の科学技術研究の推進と支援のためには、代表的な「科学の進歩のためのクウェート基金(KFAS)」のほか、アラブ連盟や各国レベルでいくつもの機関がある。屋上屋を架すことにならないための方策はできているのだろうか。
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科学・数学教育の振興

2005年01月13日 | イスラムと科学

 アハマド・ズウェイル博士の指摘をまつまでもなく、さまざまな場面におけるアラブ諸国の不振の根本原因は教育、とりわけ科学・数学教育にありとして、これまで長年にわたり膨大な議論が行なわれ、対策がとられて来た。会議や研究の報告書は山をなす。しかし、これまでのところ目だった効果があらわれているとは言えない。

 アラブ諸国の科学(理科)・数学教育は、特に、これらの国々の経済活動の極端な不振と関連づけて語られてきた。科学・数学教育の不備が経済活動の不振の直接的な原因と見られてきたからである。

 アラブ22か国における科学・数学教育の不振の特徴は、それらの間にできる国もあればできない国もあるというでこぼこ状態ではなく、団子のようにかたまって最低位にあることである。イェメンのような最貧国に属する国は何となく分かるような気がするが、その隣国のサウジアラビアのような最富裕国も、シリアやエジプトのような長い歴史と学の伝統を誇る人口の多い国も、海ひとつ隔ててヨーロッパと向き合う北アフリカの国々も、おしなべて科学・数学教育の不振にあえいでいる。

 その対策として、だれもがまず考えるのは、教師の再教育であろう。学童、学生の出来が悪いのは教師の質が悪いからというわけだ。確かに、それが大きいと思われる。ではだれがその再教育に当たるのか。大学の教員がやれるだろうか。アラブ圏の200の大学のうち、いわゆる理科系の分野で欧米の大学に伍していけるものはひとつもないと言われている。しかも大学教員の数も少ない。アラブ諸国の科学・数学教育の遅れに対しては、個々の国単位で対策を講じることはほとんど不可能である。国家百年の計ではないが、数十年の長期的視野のもとに対策を講じる余裕のある国もない。

 これに対しては、古くから国際機関や欧米の政府、大学が支援している。国際機関としてはユネスコが最大の支援機関で、そのほか欧米の大学で特別のプログラムを組み、特定の国や地域の支援を行なっているところがあるようである。ユネスコの活動のひとつに、レバノンのベイルート・アメリカ大学におかれている「科学数学教育センター(SMEC)」への支援がある。SMECは、地域の科学・数学教師の再教育を主眼とした地道で持続的な活動をしている。

 オイルブームの頃、続々と建設される産油国の学校に多数のエジプト人教師が送り込まれた。産油国にとっては選択の余地はなかったであろうが、功罪なかばしたのではないだろうか。

 アラブ諸国における科学・数学教育の重要性は、近年の若年人口の著しい増加の面からも指摘される。いちいち数字を挙げないが、アラブ国の人口構成グラフを見ると、25歳あたりから下が膨れ上がっている。これまでの教育水準向上の努力もこの人口増のために希釈されている恐れがあり、今後いっそうの努力が求められている。しかもこれらの若年人口が、基本的な教育も受けないまま、域内では吸収されずに外の世界へ流出しているとすれば、ひとりアラブの問題として見過ごすことは出来ない。
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アラブ・イスラム諸国とノーベル賞

2005年01月08日 | イスラムと科学
 アラブ・イスラム諸国の数学教育の成果を見てきたついでに、彼らがノーベル賞をどれくらい受賞しているかを見てみよう。

 数学教育の延長線上にあるような科学賞(物理学、化学、医学生理学賞)で見ると、存命者ではただひとりである。エジプト人で、99年度化学賞を受賞したアハマド・ズウェイル博士がその人で、「フェムト秒分光学」をうち立て、82年以来カリフォルニア工科大学物理化学教授の職にある。

 やはりと言うのは言い過ぎかもしれないが、人口2億7-8千万人を数えるアラブ諸国、あるいは12-3億人を抱えるイスラム諸国にとって、これはあまりに少ないと言うほかない。これは、パレスチナでことを構えている相手のユダヤ人が桁違いに多くの受賞者を出していることを思うとき、不思議の感にとらわれざるを得ない。文字通り「同文同種」の両民族であるだけに、納得がいかない。


 ちなみに、アラブ・イスラム国からの近年の受賞者は次のようである。

物理学賞
1979 アブダス・サラム(パキスタン人、1926-96)

化学賞
1999 アハマド・ズウェイル(エジプト人、1946-)
----------------------------
文学賞
1988 ナギブ・マハフーズ(エジプト人、1911-)

平和賞
1978 アンワル・サダト(エジプト大統領、1918-1981)
1994 ヤセル・アラファト(PLO議長、1929-2004)
2003 シリン・エバディ(イラン人女性弁護士、1947-)

 このほか、レバノン人キリスト教徒で米国への移住者の家系から2人の受賞者がでている。


 このアラブ・イスラム界の珠玉のようなアハマド・ズウェイル博士とはどのような人かといえば、人物、経歴とも非常にすっきりした分かりのよい人のようである。長くカリフォルニア工科大学で教鞭とっているので、日本人にも知る人が多いであろう。

 アレクサンドリア近くのナイル川支流に沿ったダマンフールの町で公務員・ビジネスマンのもとに生まれた。氏は、ロゼッタ石で知られるロゼッタをはじめ、近くの町々で過ごした少年時代を何度も懐かしく回想している。有名な女性歌手ウンム・カルスームの歌がことのほか好きだったという。中等学校を終えて、そのまま地元のアレクサンドリア大学に進学するが、このあたりがアラブ人が「アラブ・オリジナル」と自慢するところである。

 大学では、1年次で数学、物理、化学、地質学をとり、2年次からは化学に力を入れ、すべての科目で90%以上の好成績をとって、月14ポンドの奨学金をもらうようになった。学卒の給料が当時17ポンドだったという。

 修士号をとると、先生の勧めで月300ドルの奨学金を得て米国のペンシルバニア大学に留学する。74年ペンシルバニア大学から博士号を得たのち、研究員としてカリフォルニア大学バークレー校へ移る。

 76年、30歳でカリフォルニア工科大学の助教授になり、82年教授に就任、そのまま今日に至っている。その間、99年のノーベル賞をはじめ、数々の賞を受賞している。医者であるデマ夫人との間に2男2女がある。

 こうして外から見る限り、絵に描いたような穏やかな研究者の生活を送っているように見える。特にイスラムについて語ったものは目につかない。


 ズウェイル博士は、アラブ・イスラム世界の科学技術の不振の理由について尋ねられると、イスラム教の影響は否定して、アラブ世界の低迷する経済状態と教育の不備と失業の増大による若者のフラストレーションが宗教的な極端派を生んで、知識を求める態度を阻んでいるとしている。

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アラブ・イスラム諸国と数学教育(2)

2005年01月05日 | イスラムと科学
 国別の数学教育の到達度をはかる調査とは別に、世界規模で行なわれる「国際数学オリンピック」がもうひとつの数学教育の成果をはかる目安となるであろう。

 国際数学オリンピックは、1959年、東欧7か国が集まってルーマニアで開いたのが始まりで、以来毎年7月、もちまわりで開かれているという。参加資格はただひとつ、20才以下というだけで、1国あたり最大6人の選手が参加できる。

 昨年の45回大会は、本物のオリンピックに先駆けて、ギリシャのアテネで行なわれ、これまでで最大の85か国が参加した。本年はメキシコで開催の予定である。

 成績はと言えば、ここ十数年中国がダントツで、88年の初参加以来、6位を1回、2位を3回とった以外は、ずっと1位を占めている。中国に続く上位国の常連は、アメリカ、ロシア、ブルガリア、ベトナム、ルーマニアなどとなっている。98年にイランが1位になっているのが注目される(この年は中国が不参加)。

 日本は、90年の第31回大会から参加しているが、一番よくて8位である。8位から20位の間を行ったり来たりしている。


 中東イスラム諸国の参加はかなり早い。77年にアルジェリアがはじめて参加し、82年にクウェートが加わり、次いでモロッコ、チュニジアと北アフリカ諸国が続いた。90年以降の参加状況と成績順位は以下のようである。


開催年
90=91=92=93=94=95=96=97=98=99=00=01=02=03=04年
参加国数
54-55-55-72----73-75-82-76-80-81-82-83-82-85か国
モロッコ
36-31-40-40----24-65-60-52-57-55-52-63-55-41位
アルジェリア
54-53----72----------82位
チュニジア
45-39-33-------------------74----59-72----75位
クウェート
47-------68----73-75-76-76-78-78-81-83-80-84位
バハレン
40-55----68位
サウジアラビア
------------------------------------------85位
イラン
14-08-14-06----08-09-03-01-08-10-18-11-17-09位
トルコ
33-24-34-24----25-19-25-17-16-18-11-14-08-32位


 この表から以下のようなことが読みとることができよう。

1)アラブ国ではないが、イランの成績がすばらしい。日本を上まわるであろう。しかしこの好成績が、さきに見た「国際教育到達度評価」に反映されていないのはどういう理由によるのか。

2)同じくアラブ国ではないが、トルコも上位グループに入る好成績である。

3)アラブ国はどこも惨憺たる成績だが、特にクウェートが目につく。この国には特異な信念をもった指導者がいて、最下位を繰り返しながらも、いつか浮上をねらって、うまず参加を続けているように見受けられる。モロッコも同様である。

4)アラブ連盟加盟22カ国のうち、数学オリンピック参加がわずか6か国にとどまっている。しかもサウジアラビアは去年初参加で(85か国中最下位で)あった。エジプト、イラク、シリア、レバノン、ヨルダンなど有力国の参加がないのはなぜか。この試験は人口の多さがかなりものを言うと考えられ、特に7000万の人口を有するエジプトには向いていると思われるがどうか。

 このアラブ諸国の学童の数学の成績不振をどのように考えればいいのだろうか。
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