いま中東で何が起こっているのか。特にアラブ・イスラム世界で起こっていることをどのように理解すればよいか。アラブ諸国では、イラクとシリアは国家崩壊の状況にある。エジプトは先の見通しが立たず、湾岸産油国は自国への波及を恐れてハリネズミのようになって体制の維持に懸命である。「アラブの春」によって激動に見舞われた北アフリカの国々は再建の見通しが立っていない。パレスチナは相変わらず目も当てられない状況にある。イランは、原子力の開発容認と制裁の緩和を求めて、西側としのぎを削っている。これの理解にはどうしても少しく歴史を振り返ってみることが必要である。
(オスマン帝国の統治)
アラビア半島で7世紀半ばに誕生したイスラム教は、西はイベリア半島から東は東南アジアの島々に至るまで疾風の如く駆け抜け、たちまちのうちに広大無辺のイスラム世界を築き上げた。イスラム世界では、各地で数学や天文学、化学などにとどまらず文学や哲学の分野でも後にイスラム文明と称されるようなさまざまな文化が起こった。これがルネッサンスの興隆に決定的な影響を与えたとされる。だが、やがて14,5世紀になるとイスラム世界はそれまでの大活動を一休みするかのように、オスマン帝国による支配のもとでひたすら神を讃える静かな生活に沈潜することになる。
この間中東イスラム世界は、外部世界から軍事的、政治的、文化的干渉を受けることがなく、人々は宗教的に考えを同じくする人々が集まって村や町をつくり、言わば無風状態の中にあったであろう。この至福の時代も、やがて20世紀に入ると欧州列強の侵略を受けることとなり、そのままずるずると今日に至っている。
(近代ヨーロッパ)
一方、隣接するヨーロッパ大陸では、イスラム世界が沈静化するのとは対照的に、近代ヨーロッパの成立に向かって鳴動が始まった。大航海時代の到来とともに、新大陸に到達し、アジア経営が始まり、ルネサンスが起こり、宗教改革が遂行され、産業革命を成し遂げる。欧州内では主権国家体制が固まっていった。多数決にもとづく議会における立法、法にもとづく行政と裁判の制度が確立した。また多くの人から資金を集めて事業を経営する株式会社の制度が発明され、そのリスクに対する保険制度も導入された。かくして欧州人は、世界中から食料や資源や財物を収奪し、二度にわたる世界大戦を引き起こし、今日眼前に見る世界が現出することになる。
平行して展開された科学技術の発展は、人文・社会科学のそれと合わせて、ただただ驚異そのものである。地動説、万有引力、進化論などさまざまな自然界の法則が明らかにされ、人体の不思議の解明から免疫療法、抗生物質が開発され、蒸気機関や内燃機関の発明によって人や物の移動が動力化され、電力が実用化され、電気通信が始まり、原子力の解放から遂には今日のコンピュータやインターネットに及ぶ。いずれも数学や物理学や化学などの学問によって支えられていることは言うまでもない。目くるめくほどの知的活動である。人類が布地を織り始めて何万年になるのか知らないが、その間ずっと縦糸の間に横糸を一本一本手で通していた。それを動力を使って自動的に織り上げるようにした工夫は、神業以外の何ものでもない。
(日本の文明開化・富国強兵)
後のアメリカを含めたこの西洋世界の「外部」からその価値を認めて最初にその世界の学習、模倣、或いは参画を試みたのが、われわれ日本人であったという事実はもう少し議論されてよい。ペルシャ人はもとより、インド人でもなく、シナ人でもなく、何と大陸の東の果ての僻遠の島国に住む日本人であったとは。19世紀末以来、西洋人からは猿の親類扱いを受けながら、営々と西洋世界の到達の成果を吸収していった。文明開化である。文明開化につれて富国強兵が達成された。
インド人もシナ人もこの段階を経ずして、日本人の百年遅れでいま西洋世界と取り組んでいる、取り組まざるを得なくなっている事実に注目したい。ただ木に竹を継ごうとしているところは、その行方に危うさを感じさせる。日本人は自ら進んで西洋世界に飛び込み、西洋人の成果を自身の言葉に翻訳し、原理原則を踏まえて近代化に取り組んできた。そこにインド人やシナ人との違いがある。そして欧州の南の隣人たるイスラム世界の人間がそれに近づこうとしない最後の人々であることはまことに皮肉である。
(イスラム世界と西洋世界、共存とその無理)
さて、イスラム世界の人間は、地中海を挟んでヨーロッパと向きあいながら、西洋世界がなし遂げた、またなし遂げつつある人類史上の驚異である発明発見の数々を、まったく無視し続けてきた。素知らぬ顔をしてきた。対岸のヨーロッパで何が起こっていようと意に介さなかったのである。いや、もっと言えば、意図的に西洋を受け入れることを拒絶してきたのである。今もってそうであるし、この後も未来永劫受け入れることはないであろう。このことが、戦後70年を経過した今日、中東に現出している状況の根本的な理由である。このあたりの事情は、何度か触れたと思うが、バーナード・ルイス著「何が間違っていたのか」(邦訳「イスラム世界はなぜ没落したか」日本評論社)に詳しい。
今日の中東イスラム世界の状況は、伝統的な文化や社会は別として、発達した科学技術や社会制度をベースに軍事的にも産業的にも経済的に断然優位を占める西洋世界に対して、原理的にこれを受け入れることができず、その結果必然的に劣位におかれたイスラム世界が、活路を見いだせないまま絶望のあまり自暴自棄に陥っている図である。イスラム世界は、1945年以来の70年間に、この原理的な断絶の結果を現実の姿として眼前につきつけられたのである。この間イスラム世界に何か変化があっただろうか。イスラム世界から何か新しいものが出て来ただろうか。アラブの盟主エジプトに新しい価値を生む世界的な企業が生まれたか。おとぎ話のような富を握ったアラブ産油国の言うところの王族がそれを何に使ったか。そこから何が生まれたか。イスラム世界から生まれたものはただ絶望であった。
ヨーロッパに出たひとりのイスラム国からの留学生を思い浮かべていただきたいが、彼或いは彼女が優秀であればあるほど、西洋の原理とコーランが教えるイスラムの原理との間の越え難い断絶に深い絶望感を抱くことになるであろう。ロンドンやパリの下宿にあって、身動きがとれないはずである。ビッグバン?進化論?民主主義?男女同権?臓器移植?DNA?同性婚?映画?美術?音楽?オリンピック?インターネット??・・こうした周囲の状況と宗教の規定とを自分の中ですり合わせを行わなければならないからである。イスラム世界には宗教によるさまざまな、また強烈な縛りがあるため、行動に縛りの少ない西洋や日本のような世界とこの地球上での共存が避けられない以上、いつまでたっても両者の格差が埋められないのである。それどころか、西洋世界が物質的に進歩すればするだけ、ますます差が開いていくという構造に気づくだろうだからである。しかもいまさら外部から隔絶された牧歌的なイスラム社会に戻ることができるわけもない。9.11実行犯のリーダーとされるドイツに留学していたエジプト人留学生モハメド・アタの心中は察するに余るものがある。恐るべき短絡性ではあったが。
(多数決)
民主主義の基本である多数決とイスラムとの関係はどうか。日本における多数決の歴史は知らないが、今の日本人なら、小学校での学級委員選びなどを通じて手をあげて多数決によりものごとを決めることを体験し、大人になって各種の選挙をはじめほとんどあらゆる場面で多数決によってものごとを決め、その結果を受け入れていく。多数決がよいか悪いか、多数決に代わるものがあるのかどうかなど考えることもない。ところがイスラム社会では、多数決は神の意志とは無関係であるため、これを受け入れることができないのである。そのためイスラム社会ではあらゆる場面、あらゆるレベルでの合意形成が出来ず、たとえ形式的に合意が形成されてもいつかうやむやになってしまう。合意が合意になっていないのである。これはイスラム社会では「多数決」が無意味であることを意味する。(ちなみに、われわれの隣の大国、中国が多数決に依っていない、即ち法治も民主主義もないことに注意したい。われわれ日本人は、中国に限らずついどこも多数決に従っていると思い込み、ワキが甘くなりがちである。)
くどくなるが重ねて言えば、多数決とは、われわれ日本人にとっては「長いものには巻かれよ」という意味である。目上の者や勢力のあるものの言うことややることには黙って従っておけば無難であるということと同様に受けとられているであろう。保身という点からは間違いない。また、独裁でなければ、これによってのみ組織の統一と統制が維持される。日本人はこれを抵抗なくすんなり受け入れることができた。少数側に入って負けた方は、悔し涙にくれながらも仕方がないとして諦める。諦めないことには、組織が維持できない上に、不利益を受けることになる。長いものに巻かれることなく何事かを企てることは、特別の覚悟の上のことである。多数決に代わる新しい方法が出現するまでは、このまま行くしかない。
ところがイスラム教徒にとっては、長いものとは常に神の声である。まわりの人間が何をうじゃうじゃ言おうとも、自らが従うべきは神の声なのである。少し言い換えると、これが神の意志であると自分が信ずるところである。コーランは預言者を通じて与えられた神の声である。従って、コーランはこう命じている、だから自分はこの道を行くということになる。なぜなら、自分が最後に極楽の天国に入るか恐怖の地獄に落ちるかは、ただ神の審判によるわけで、それをクリアするためには、生涯、神を讃え神の意志のもとに行動しなければならないからである。ただ多数の人の声だからといって、それに自分の運命を預けることはできないではないか。イスラム社会と民主主義は相い容れない。
(憲法と諸法)
多数決が無意味であるということは、選挙が成立せず、その結果代議制度(議会)が成り立たず、その結果法律が成立せずに無法状態となるということである。ところがイスラム社会では、われわれの議会製の法律ではないが、宗教にもとづいた習慣法の体系が出来ているのである。まず憲法は、言うまでもなく、コーランそのものである。それとともにシャリーアと呼ばれる法体系がある。このシャリーアによって、われわれの民法、刑法、商法等々がカバーする日常生活万般が統括される。西洋世界から新たな法律を押しつけられる必要はないのである。世俗法で一夫一婦を決めている国はある。しかしその国で人々は、一方で日々コーランを読み、礼拝しているのである。このねじれは深刻である。
(原理派と世俗派)
こうした中で、今イスラム世界でもっとも深刻な亀裂は、宗派間の争いより、イスラム原理派と世俗派との対立であると考えられる。これは外部世界との接触が少なかったオスマン帝国統治下では起こり得なかった問題で、ここ70年来の西洋世界との濃密な接触の中で生まれたイスラム史上初の事態である。これこそがイスラム社会を揺さぶり、分断に至らせる最大の要因であると考えられる。
現在目に見えるところでは、エジプトの世俗的なシーシ大統領率いるところの現体勢と原理主義的なムスリム同胞団、或いはトルコの原理主義的なエルドアン大統領率いるところの現体勢といわゆるインテリ層を中心とする世俗的な勢力との対立に象徴的に見られる。トルコ国軍は国の設立の経緯から伝統的に世俗派である。これも、もちろん、イスラムに徹底的に忠実であろうとする最右翼から、ほぼ西洋世界をそのまま受け入れる最左翼まで連続的に分布している。
さきに、私は、イスラム社会は「西洋を受け入れることを拒絶してきたのである。今もってそうであるし、この後も未来永劫受け入れることはないであろう」と書いた。これは、ひとりの偏った日本人の観察者としての見方であるが、これはイスラム教の原理主義的傾向を重く見た結果である。というのは、一方で「いずれイスラムも緩まざるを得ないであろう」とする世俗派的な見方があるからである。特に若い世代は「醒めている」という見方もある。ただイスラムが緩もうとすると常に原理主義からのブレーキがかかると考えられるので、仮に緩むとしても気が遠くなるほど先のことであろう。
イスラム教には、原理主義あるのみで、世俗派の存在などあり得ないのである。誤解を恐れずに言えば、「酒を飲んではならない」という戒律があるとき、「一杯ぐらいいいだろう」はないということである。世俗派とはこの「一杯ぐらい」派であり、これは原理派からは許されない。しかし世俗派にもさまざまな言い分があるであろう。世俗派には「(外部世界と共存せざるを得ない)この世に生きている限り・・」を枕に据えた世俗派たらざるを得なくなった多くの理由がある。イスラムの原理に背いてわざわざ世俗派にはなりたくはないが、原理派たることが不可能な世界に住まざるを得なくなっているではないか。それに対して原理派には原理ひとつしかない。かくして両者は、妥協のない、果てしない抗争に突入することになる。
(百家争鳴-四分五裂)
イスラム社会は、コーランとそのほかいくつかの規範にもとづいて人間のすべての行動が規定される。ところが、当然のことながら、一冊の書物にあらゆる場合を具体的に書き尽くすことは出来ないわけで、ほとんどはコーランを読む人の解釈次第となる。つまりものごとにはコーランを読む人の数だけ解釈があることになる。また黙って成行きに任せることは、不義を見過ごしたことになり、これも神の意志に反する。このことがイスラム社会に特徴的な百家争鳴の理由である。その結果個人的に、或いは意見を同じくする小さなグループに分かれて相争うことになるが、どれかの意見が有力で次々と説得されて大勢となるということにはならず、結論に至らないまま果てしなく議論を繰り返す。そして、その多岐にわたる意見を集約するための(多数決に代わるような)方法がない。イスラム社会に特徴的な猛烈な議論の沸騰と発散はこの特質に依っている。論争が昂じてやがて武闘に突入する。
(パレスチナ問題)
ここ70年の中東を「中東」たらしめている問題のひとつがパレスチナ問題である。これまた先の見えない解決不能の問題である。これについては別に一章を立てて論じたいが、以下簡単に私の見るところを述べる。
これはアラブ・イスラム世界が西洋世界と戦う意味を具現化して見せた例である。イスラエルは、西洋世界の出店であるが、イスラム世界は出店と戦ってこの有様である。しかもイスラム世界(パレスチナ)は、何をしていいか分からず、これ以外にやりようがない。どこに解決策を求めればいいのかも分からない。現実的な解決策はない。
(アラブ世界の冷淡)
これにはふたつの大きな不思議がある。ひとつは、アラブ連盟に属する国が二十か国余あるが、この問題のために出来たアラブ連盟はもとより、アラブ国全体がパレスチナ問題に非常に冷淡なことである。まるで他人事である。エジプトに至っては、1977年、さっさとイスラエルと手を握ってしまった。国境を接するガザに対しても国境を閉めたり開いたり、まともな援助をしたこともない。これには驚きを通り越して唖然とするばかりである。
アラブ国にとっては、パレスチナ問題は西洋諸国が引き起こした問題であり、自分たちは被害者でこそあれ、責任はないということかも知れない。国際社会で解決してくれということであろう。「国際社会」など頭から考えにもないイスラム教徒がこれを言うのもおかしいが、一理はある。だが、この70年間、その国際社会が出動することもなく、ずるずるとどうすることも出来ない事態に至ってしまっているところがこの問題の現実である。
(強硬なイランとトルコ)
もうひとつの不思議は、アラブ諸国の冷淡さに対して、同じイスラム国のイランとトルコが、パレスチナにどれだけ援助しているかは別として、この問題を重視し、イスラエルに極めて厳しい態度をとっていることである。特にイランがそうである。イランの指導者がかつてイスラエルは地図から抹消されるべきだと語ったことがある。
イランやトルコとしては、直接自分に火の粉が降りかかってくる問題ではないので、イスラムの大義にのっとって、かえって気楽に厳しいことを言っているものと考えるほかない。アラブ諸国に対する当てつけである。
(イスラエルによるイラン攻撃)
ところで、イスラエルは、イランが原子力開発の名のもとに核兵器の開発を進めているとして、先制攻撃の構えをとり続けている。イスラエルは、さきにイラクとシリアの原子力関連施設を実際に攻撃し破壊しているだけに、核をめぐるイラン国内の動きがイスラエルの容認点を越えた時点で、イスラエルは確実に攻撃すると考えないわけにはいかない。イスラエルが、これまで何人かのイランの要となる原子力関係の科学者を暗殺したと見られていることもこのことを裏づける。
もしイランに対してこうした事態が起こると、影響するところはまことに甚大で、とてもイラクやシリアの比ではない。たちまちペルシャ湾と湾岸の油田地帯の上をミサイルや戦闘機が飛び交う事態になることが予想される。その後は想像するだに恐ろしい。
(おわりに)
もし「イスラム国とは何か」ということであれば、それはジャーナリズムに寄るほかない。だが、ここでは「イスラム国をあらしめているものは何か」といったほどのことについて、思うところをだらだらと書き連ねてみた。
戦後70年にして中東の地はかつてないほどの混乱に陥っている。緊張の高まりの中にある。このまま時間が経過して行って、いつしか緊張が緩み、何事もなかったような平和な時間が流れるようになることは期待できそうにない。そのことについては次に述べる。