goo blog サービス終了のお知らせ 

中東断章

中東問題よこにらみ

中東の現状理解

2014年12月13日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 いま中東で何が起こっているのか。特にアラブ・イスラム世界で起こっていることをどのように理解すればよいか。アラブ諸国では、イラクとシリアは国家崩壊の状況にある。エジプトは先の見通しが立たず、湾岸産油国は自国への波及を恐れてハリネズミのようになって体制の維持に懸命である。「アラブの春」によって激動に見舞われた北アフリカの国々は再建の見通しが立っていない。パレスチナは相変わらず目も当てられない状況にある。イランは、原子力の開発容認と制裁の緩和を求めて、西側としのぎを削っている。これの理解にはどうしても少しく歴史を振り返ってみることが必要である。


(オスマン帝国の統治)
 アラビア半島で7世紀半ばに誕生したイスラム教は、西はイベリア半島から東は東南アジアの島々に至るまで疾風の如く駆け抜け、たちまちのうちに広大無辺のイスラム世界を築き上げた。イスラム世界では、各地で数学や天文学、化学などにとどまらず文学や哲学の分野でも後にイスラム文明と称されるようなさまざまな文化が起こった。これがルネッサンスの興隆に決定的な影響を与えたとされる。だが、やがて14,5世紀になるとイスラム世界はそれまでの大活動を一休みするかのように、オスマン帝国による支配のもとでひたすら神を讃える静かな生活に沈潜することになる。

 この間中東イスラム世界は、外部世界から軍事的、政治的、文化的干渉を受けることがなく、人々は宗教的に考えを同じくする人々が集まって村や町をつくり、言わば無風状態の中にあったであろう。この至福の時代も、やがて20世紀に入ると欧州列強の侵略を受けることとなり、そのままずるずると今日に至っている。


(近代ヨーロッパ)
 一方、隣接するヨーロッパ大陸では、イスラム世界が沈静化するのとは対照的に、近代ヨーロッパの成立に向かって鳴動が始まった。大航海時代の到来とともに、新大陸に到達し、アジア経営が始まり、ルネサンスが起こり、宗教改革が遂行され、産業革命を成し遂げる。欧州内では主権国家体制が固まっていった。多数決にもとづく議会における立法、法にもとづく行政と裁判の制度が確立した。また多くの人から資金を集めて事業を経営する株式会社の制度が発明され、そのリスクに対する保険制度も導入された。かくして欧州人は、世界中から食料や資源や財物を収奪し、二度にわたる世界大戦を引き起こし、今日眼前に見る世界が現出することになる。

 平行して展開された科学技術の発展は、人文・社会科学のそれと合わせて、ただただ驚異そのものである。地動説、万有引力、進化論などさまざまな自然界の法則が明らかにされ、人体の不思議の解明から免疫療法、抗生物質が開発され、蒸気機関や内燃機関の発明によって人や物の移動が動力化され、電力が実用化され、電気通信が始まり、原子力の解放から遂には今日のコンピュータやインターネットに及ぶ。いずれも数学や物理学や化学などの学問によって支えられていることは言うまでもない。目くるめくほどの知的活動である。人類が布地を織り始めて何万年になるのか知らないが、その間ずっと縦糸の間に横糸を一本一本手で通していた。それを動力を使って自動的に織り上げるようにした工夫は、神業以外の何ものでもない。


(日本の文明開化・富国強兵)
 後のアメリカを含めたこの西洋世界の「外部」からその価値を認めて最初にその世界の学習、模倣、或いは参画を試みたのが、われわれ日本人であったという事実はもう少し議論されてよい。ペルシャ人はもとより、インド人でもなく、シナ人でもなく、何と大陸の東の果ての僻遠の島国に住む日本人であったとは。19世紀末以来、西洋人からは猿の親類扱いを受けながら、営々と西洋世界の到達の成果を吸収していった。文明開化である。文明開化につれて富国強兵が達成された。
 インド人もシナ人もこの段階を経ずして、日本人の百年遅れでいま西洋世界と取り組んでいる、取り組まざるを得なくなっている事実に注目したい。ただ木に竹を継ごうとしているところは、その行方に危うさを感じさせる。日本人は自ら進んで西洋世界に飛び込み、西洋人の成果を自身の言葉に翻訳し、原理原則を踏まえて近代化に取り組んできた。そこにインド人やシナ人との違いがある。そして欧州の南の隣人たるイスラム世界の人間がそれに近づこうとしない最後の人々であることはまことに皮肉である。


(イスラム世界と西洋世界、共存とその無理)
 さて、イスラム世界の人間は、地中海を挟んでヨーロッパと向きあいながら、西洋世界がなし遂げた、またなし遂げつつある人類史上の驚異である発明発見の数々を、まったく無視し続けてきた。素知らぬ顔をしてきた。対岸のヨーロッパで何が起こっていようと意に介さなかったのである。いや、もっと言えば、意図的に西洋を受け入れることを拒絶してきたのである。今もってそうであるし、この後も未来永劫受け入れることはないであろう。このことが、戦後70年を経過した今日、中東に現出している状況の根本的な理由である。このあたりの事情は、何度か触れたと思うが、バーナード・ルイス著「何が間違っていたのか」(邦訳「イスラム世界はなぜ没落したか」日本評論社)に詳しい。

 今日の中東イスラム世界の状況は、伝統的な文化や社会は別として、発達した科学技術や社会制度をベースに軍事的にも産業的にも経済的に断然優位を占める西洋世界に対して、原理的にこれを受け入れることができず、その結果必然的に劣位におかれたイスラム世界が、活路を見いだせないまま絶望のあまり自暴自棄に陥っている図である。イスラム世界は、1945年以来の70年間に、この原理的な断絶の結果を現実の姿として眼前につきつけられたのである。この間イスラム世界に何か変化があっただろうか。イスラム世界から何か新しいものが出て来ただろうか。アラブの盟主エジプトに新しい価値を生む世界的な企業が生まれたか。おとぎ話のような富を握ったアラブ産油国の言うところの王族がそれを何に使ったか。そこから何が生まれたか。イスラム世界から生まれたものはただ絶望であった。

 ヨーロッパに出たひとりのイスラム国からの留学生を思い浮かべていただきたいが、彼或いは彼女が優秀であればあるほど、西洋の原理とコーランが教えるイスラムの原理との間の越え難い断絶に深い絶望感を抱くことになるであろう。ロンドンやパリの下宿にあって、身動きがとれないはずである。ビッグバン?進化論?民主主義?男女同権?臓器移植?DNA?同性婚?映画?美術?音楽?オリンピック?インターネット??・・こうした周囲の状況と宗教の規定とを自分の中ですり合わせを行わなければならないからである。イスラム世界には宗教によるさまざまな、また強烈な縛りがあるため、行動に縛りの少ない西洋や日本のような世界とこの地球上での共存が避けられない以上、いつまでたっても両者の格差が埋められないのである。それどころか、西洋世界が物質的に進歩すればするだけ、ますます差が開いていくという構造に気づくだろうだからである。しかもいまさら外部から隔絶された牧歌的なイスラム社会に戻ることができるわけもない。9.11実行犯のリーダーとされるドイツに留学していたエジプト人留学生モハメド・アタの心中は察するに余るものがある。恐るべき短絡性ではあったが。


(多数決)
 民主主義の基本である多数決とイスラムとの関係はどうか。日本における多数決の歴史は知らないが、今の日本人なら、小学校での学級委員選びなどを通じて手をあげて多数決によりものごとを決めることを体験し、大人になって各種の選挙をはじめほとんどあらゆる場面で多数決によってものごとを決め、その結果を受け入れていく。多数決がよいか悪いか、多数決に代わるものがあるのかどうかなど考えることもない。ところがイスラム社会では、多数決は神の意志とは無関係であるため、これを受け入れることができないのである。そのためイスラム社会ではあらゆる場面、あらゆるレベルでの合意形成が出来ず、たとえ形式的に合意が形成されてもいつかうやむやになってしまう。合意が合意になっていないのである。これはイスラム社会では「多数決」が無意味であることを意味する。(ちなみに、われわれの隣の大国、中国が多数決に依っていない、即ち法治も民主主義もないことに注意したい。われわれ日本人は、中国に限らずついどこも多数決に従っていると思い込み、ワキが甘くなりがちである。)

 くどくなるが重ねて言えば、多数決とは、われわれ日本人にとっては「長いものには巻かれよ」という意味である。目上の者や勢力のあるものの言うことややることには黙って従っておけば無難であるということと同様に受けとられているであろう。保身という点からは間違いない。また、独裁でなければ、これによってのみ組織の統一と統制が維持される。日本人はこれを抵抗なくすんなり受け入れることができた。少数側に入って負けた方は、悔し涙にくれながらも仕方がないとして諦める。諦めないことには、組織が維持できない上に、不利益を受けることになる。長いものに巻かれることなく何事かを企てることは、特別の覚悟の上のことである。多数決に代わる新しい方法が出現するまでは、このまま行くしかない。

 ところがイスラム教徒にとっては、長いものとは常に神の声である。まわりの人間が何をうじゃうじゃ言おうとも、自らが従うべきは神の声なのである。少し言い換えると、これが神の意志であると自分が信ずるところである。コーランは預言者を通じて与えられた神の声である。従って、コーランはこう命じている、だから自分はこの道を行くということになる。なぜなら、自分が最後に極楽の天国に入るか恐怖の地獄に落ちるかは、ただ神の審判によるわけで、それをクリアするためには、生涯、神を讃え神の意志のもとに行動しなければならないからである。ただ多数の人の声だからといって、それに自分の運命を預けることはできないではないか。イスラム社会と民主主義は相い容れない。


(憲法と諸法)
 多数決が無意味であるということは、選挙が成立せず、その結果代議制度(議会)が成り立たず、その結果法律が成立せずに無法状態となるということである。ところがイスラム社会では、われわれの議会製の法律ではないが、宗教にもとづいた習慣法の体系が出来ているのである。まず憲法は、言うまでもなく、コーランそのものである。それとともにシャリーアと呼ばれる法体系がある。このシャリーアによって、われわれの民法、刑法、商法等々がカバーする日常生活万般が統括される。西洋世界から新たな法律を押しつけられる必要はないのである。世俗法で一夫一婦を決めている国はある。しかしその国で人々は、一方で日々コーランを読み、礼拝しているのである。このねじれは深刻である。


(原理派と世俗派)
 こうした中で、今イスラム世界でもっとも深刻な亀裂は、宗派間の争いより、イスラム原理派と世俗派との対立であると考えられる。これは外部世界との接触が少なかったオスマン帝国統治下では起こり得なかった問題で、ここ70年来の西洋世界との濃密な接触の中で生まれたイスラム史上初の事態である。これこそがイスラム社会を揺さぶり、分断に至らせる最大の要因であると考えられる。
 現在目に見えるところでは、エジプトの世俗的なシーシ大統領率いるところの現体勢と原理主義的なムスリム同胞団、或いはトルコの原理主義的なエルドアン大統領率いるところの現体勢といわゆるインテリ層を中心とする世俗的な勢力との対立に象徴的に見られる。トルコ国軍は国の設立の経緯から伝統的に世俗派である。これも、もちろん、イスラムに徹底的に忠実であろうとする最右翼から、ほぼ西洋世界をそのまま受け入れる最左翼まで連続的に分布している。

 さきに、私は、イスラム社会は「西洋を受け入れることを拒絶してきたのである。今もってそうであるし、この後も未来永劫受け入れることはないであろう」と書いた。これは、ひとりの偏った日本人の観察者としての見方であるが、これはイスラム教の原理主義的傾向を重く見た結果である。というのは、一方で「いずれイスラムも緩まざるを得ないであろう」とする世俗派的な見方があるからである。特に若い世代は「醒めている」という見方もある。ただイスラムが緩もうとすると常に原理主義からのブレーキがかかると考えられるので、仮に緩むとしても気が遠くなるほど先のことであろう。

 イスラム教には、原理主義あるのみで、世俗派の存在などあり得ないのである。誤解を恐れずに言えば、「酒を飲んではならない」という戒律があるとき、「一杯ぐらいいいだろう」はないということである。世俗派とはこの「一杯ぐらい」派であり、これは原理派からは許されない。しかし世俗派にもさまざまな言い分があるであろう。世俗派には「(外部世界と共存せざるを得ない)この世に生きている限り・・」を枕に据えた世俗派たらざるを得なくなった多くの理由がある。イスラムの原理に背いてわざわざ世俗派にはなりたくはないが、原理派たることが不可能な世界に住まざるを得なくなっているではないか。それに対して原理派には原理ひとつしかない。かくして両者は、妥協のない、果てしない抗争に突入することになる。


(百家争鳴-四分五裂)
 イスラム社会は、コーランとそのほかいくつかの規範にもとづいて人間のすべての行動が規定される。ところが、当然のことながら、一冊の書物にあらゆる場合を具体的に書き尽くすことは出来ないわけで、ほとんどはコーランを読む人の解釈次第となる。つまりものごとにはコーランを読む人の数だけ解釈があることになる。また黙って成行きに任せることは、不義を見過ごしたことになり、これも神の意志に反する。このことがイスラム社会に特徴的な百家争鳴の理由である。その結果個人的に、或いは意見を同じくする小さなグループに分かれて相争うことになるが、どれかの意見が有力で次々と説得されて大勢となるということにはならず、結論に至らないまま果てしなく議論を繰り返す。そして、その多岐にわたる意見を集約するための(多数決に代わるような)方法がない。イスラム社会に特徴的な猛烈な議論の沸騰と発散はこの特質に依っている。論争が昂じてやがて武闘に突入する。


(パレスチナ問題)
 ここ70年の中東を「中東」たらしめている問題のひとつがパレスチナ問題である。これまた先の見えない解決不能の問題である。これについては別に一章を立てて論じたいが、以下簡単に私の見るところを述べる。

 これはアラブ・イスラム世界が西洋世界と戦う意味を具現化して見せた例である。イスラエルは、西洋世界の出店であるが、イスラム世界は出店と戦ってこの有様である。しかもイスラム世界(パレスチナ)は、何をしていいか分からず、これ以外にやりようがない。どこに解決策を求めればいいのかも分からない。現実的な解決策はない。

 (アラブ世界の冷淡)
 これにはふたつの大きな不思議がある。ひとつは、アラブ連盟に属する国が二十か国余あるが、この問題のために出来たアラブ連盟はもとより、アラブ国全体がパレスチナ問題に非常に冷淡なことである。まるで他人事である。エジプトに至っては、1977年、さっさとイスラエルと手を握ってしまった。国境を接するガザに対しても国境を閉めたり開いたり、まともな援助をしたこともない。これには驚きを通り越して唖然とするばかりである。

 アラブ国にとっては、パレスチナ問題は西洋諸国が引き起こした問題であり、自分たちは被害者でこそあれ、責任はないということかも知れない。国際社会で解決してくれということであろう。「国際社会」など頭から考えにもないイスラム教徒がこれを言うのもおかしいが、一理はある。だが、この70年間、その国際社会が出動することもなく、ずるずるとどうすることも出来ない事態に至ってしまっているところがこの問題の現実である。

 (強硬なイランとトルコ)
 もうひとつの不思議は、アラブ諸国の冷淡さに対して、同じイスラム国のイランとトルコが、パレスチナにどれだけ援助しているかは別として、この問題を重視し、イスラエルに極めて厳しい態度をとっていることである。特にイランがそうである。イランの指導者がかつてイスラエルは地図から抹消されるべきだと語ったことがある。
 イランやトルコとしては、直接自分に火の粉が降りかかってくる問題ではないので、イスラムの大義にのっとって、かえって気楽に厳しいことを言っているものと考えるほかない。アラブ諸国に対する当てつけである。

 (イスラエルによるイラン攻撃)
 ところで、イスラエルは、イランが原子力開発の名のもとに核兵器の開発を進めているとして、先制攻撃の構えをとり続けている。イスラエルは、さきにイラクとシリアの原子力関連施設を実際に攻撃し破壊しているだけに、核をめぐるイラン国内の動きがイスラエルの容認点を越えた時点で、イスラエルは確実に攻撃すると考えないわけにはいかない。イスラエルが、これまで何人かのイランの要となる原子力関係の科学者を暗殺したと見られていることもこのことを裏づける。
 もしイランに対してこうした事態が起こると、影響するところはまことに甚大で、とてもイラクやシリアの比ではない。たちまちペルシャ湾と湾岸の油田地帯の上をミサイルや戦闘機が飛び交う事態になることが予想される。その後は想像するだに恐ろしい。


(おわりに)
 もし「イスラム国とは何か」ということであれば、それはジャーナリズムに寄るほかない。だが、ここでは「イスラム国をあらしめているものは何か」といったほどのことについて、思うところをだらだらと書き連ねてみた。

 戦後70年にして中東の地はかつてないほどの混乱に陥っている。緊張の高まりの中にある。このまま時間が経過して行って、いつしか緊張が緩み、何事もなかったような平和な時間が流れるようになることは期待できそうにない。そのことについては次に述べる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の「イスタンブール・オリンピック」

2014年11月27日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 ただ驚きであった。2020年オリンピックの開催地が、イスタンブールではなく、東京に決まった。昨年の夏のことである。IOC総会での決定の成り行きをテレビで見ながら、驚きを禁じ得なかった。私は、頭からイスタンブールで決まりと思っていたので、次々に進行する事態が信じられなかったのである。何かの間違いではないかと思ったほどである。オリンピックがどこで行われようと大した興味はないが、それに対する日本人とトルコ人、或いはイスラム国人の対応の仕方に関心があったのである。

 イスラム主義者にして戦略家のトルコのエルドアン首相(現大統領)がサウジアラビアをはじめとする湾岸産油国やエジプトなどに直接働きかけ、最終的にジェダに本拠をおくイスラム協力機構(イスラム諸国会議機構)をあげて招致に動くような態勢で臨んでくるであろう、と私は漠然と思っていたのである。「イスラム世界が一体となって動く?」「あり得な~~い!」。まさにそのあり得ないことを信じていたのであるから、われとわが不明を恥じた。

 私がイスタンブールと思った理由は、1)イスラム圏最初のオリンピックを標榜していること、2)イスタンブールのもつ引力と連続四度落選して五度目の立候補であること、3)エルドアン首相が招致に本気になっているように見えたこと、である。もしこれでイスタンブールに決まらなければ、何かがおかしい。

 たまたまであるが、ニューズウィーク日本版(2014年10月14日号電子版)に次の記事がある。
 『オスロ五輪招致撤退はIOCの接待要求のせい。聞きしに勝るIOCの「たかり体質」にあきれ、冬季五輪から逃げ出したオスロ』
 内容は、推して知るべしで紹介の必要もないが、どろどろのオリンピック招致合戦に嫌気がさしたノルウェーが立候補を辞退したというものである。
 トルコは、ノルウェーと同じく、手を汚すことなく(手を汚すことができないまま)、逆にわが日本は、全身泥まみれになって「栄冠」を勝ちとったということであろう。

 トルコの敗因は二つある。ひとつはまとまることのないイスラム世界である。イスラム圏初を謳いながら、五十か国を越えるというイスラム国の間を根回ししてトルコ支持をとりつけ、投票にもち込むということができないのである。エルドアン首相がイスラムのよしみで湾岸産油国に工作資金の支援を要請したり、エジプトに影響力の行使を求めたりするようなこともなかったのであろう。エルドアン首相なら何とかするのではないかと思ったが、それはなかった。そもそもイスラム世界にオリンピックを受け入れる地合いはない。ではイスラム圏初などとは言わなくてもよさそうなものであるが、これはどうやら西洋世界に対するアピールのようなのである。しかし今回は日本の圧倒的な招致運動の前にそれも利かなかった。

 もうひとつは、トルコ人としての矜持から、また西洋世界と厳しく対峙してきた長い歴史から、トルコは西洋諸国に媚を売って投票をお願いすることができなかった。日本のようにカネにあかした巨大な招致組織を作り、西洋人のコンサルタントを雇って手取り足取りの指南を受ける、といったなりふり構わぬ招致運動を繰り広げることができなかったのである。あれは西洋世界の侍女にしてはじめてできることであって、誇り高きトルコ人にはとても真似のできる相談ではない。東京に決まった時の代表団の歓喜雀躍、感涙にむせぶさまには、トルコ人ならずとも、当の日本人でも目を伏せた人が少なくなかったに違いない。西洋人一般はただ苦笑をもって迎えたはずである。

 トルコの招致活動は、オリンピック招致の責任者が手ぶらで各国をめぐってトルコへの投票を要請して回っただけらしい。正々堂々と戦ったということであろう。それで日本の60票に対し半分以上の得票があったということは、イスタンブールにそれだけの魅力があったということである。

 私には、イスタンブールをブルドーザーで壊してほしくないという本音から、イスタンブールの落選はたいへん有り難かった。トルコは観光立国を目指すのがもっとも似合っている。自然の風光と歴史遺物にあふれている。トルコは、エジプトのように流されるままに混沌の観光国になるのではなく、整備された近代的な産業としての観光産業の確立に進むのがふさわしい。その意味で、日本は勝った勝ったと浮かれるのではなく、トルコに対してその方向に沿った協力の手を差し伸べるべきであろう。喫緊の課題であるイスタンブールの交通渋滞の解消をはじめ、イスタンブール・アンカラ間、さらにアンカラから北の黒海、南の地中海沿岸のリゾート、歴史地帯に至る鉄道や道路網の建設、情報網の建設等々、案件は少なくない。こうしたことによってわが国はトルコ人から見直され、中東のみならず国際社会で信任を増すことにつながるであろう。日本が生きのびる道である。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

≪アラブの春 - 限りなき不安≫(承前)

2013年07月17日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 イスラム世界は断食月、ラマダンの最中にある。ここ数年はもっとも暑い時期にあたっているので、飲まず食わずの一日は、いかに毎年のこととは言え、相当こたえるであろう。この期間、人々の宗教感情が高揚することによって不測の事態が起こることが懸念される。いや、逆に宗教感情に沈潜して、ひたすら神との対話に勤しんでいるのかも知れない。ともあれ、イスラムのように高度に発展し完結した宗教の世界は、しきたりや約束ごとが多く、外側から憶測しあれこれ言うことはたんへん難しい。


(1)トルコ

 この5月末、トルコにおいてほとんど偶発的に始まった反環境破壊、反首相、反政府デモは、突然のことでもあり大いに驚かされた。今回のトルコでのデモの著しい特徴は、何よりそのスマートさにある。若者を中心とするデモ隊が叫んだという「公園の木を切るな、公園を守れ、ショッピングセンター建設反対」というスローガンは、これは西ヨーロッパの市民運動そのものであり、西ヨーロッパ人のスローガンである。デモをするほとんどの女性はスカーフを着けていなかった。さらにそれが自発的に形成された市民集団の運動であったとは。その主張もデモのスタイルも、アラブ・イスラム国ではまったく見ることができない異質のものである。

 だが、そのスローガンはほとんど口実で、言わんとするところは「イスラム化」への反発であった。この国のイスラムはこのままでいいと言うのか、もっと脱イスラム、西洋化せよと言うのかよく分からないが、ともあれイスラムへの回帰を押しすすめる首相に対する異議申し立てであったようである。

 トルコという国は、本来、政治も経済も、いや人々の生活全体がイスラムの原理のもとにひとつであるべきイスラム教徒の国である。ところが、この国は、少なくとも建前上は、政治と宗教は互いに無関係で、欧米や日本と同様に国民が選んだ議会の定める世俗法によって統治される世俗国家なのである。イスラムの本家であるアラブ・イスラム世界には例のない実験国家なのである。

 タクシム広場でデモを行う国民を作ったのは紛れもなく世俗国家であり、世俗教育である。宗教が禁止する酒類の販売規制に反対する国民を作ったのは「政教分離」によって宗教と切り離された学校教育の成果である。七十余年前、トルコ共和国の初代大統領ケマル・パシャが礎石を置いた国家を宗教から切り離すという所謂「世俗化」、即ち「西欧化」の試みがこの国にしっかり根づいている証拠である。それだけの年月が経過して、今日イスタンブールのタクシム広場に見るあのスマートな若者のデモ隊となったのである。彼らの主張は、当然のこととして、正面の敵である宗教性の強い首相とその政府に対する反発へと明確になっていった。

 デモをする人たちのほとんどは西洋的な教養に基盤をおくインテリであろう。おそらく日本におけると変わらない教育を受けて来た。ケマル・パシャの夢は、こうした国民によるヨーロッパ的な国民国家の建設であったはずである。ケマル・パシャの夢は、着実に実現に向かって進んでいるように見える。ところが、もちろん生まれながらの正真正銘のイスラム教徒である彼らの心のうちを覗いてみると非常に複雑なものがあるであろうと思われるのである。このまま国全体が世俗化に向かってつき進んでいくとは考えにくいのである。

 象徴的な意味で「酒」をとり上げてみよう。イスラムでは飲酒はコーランで禁止されている。デモ隊のスローガンの中にはアルコール飲料の宣伝と夜間の販売やモスクや教育施設の周辺での販売を規制(禁止?)する法案への反対があった。このことは、デモ参加者のほとんどがアル中やアルコールの常用者であることを意味しない。多くはおそらく機会があればたまに飲む程度で、それも心の中で何やかや言い訳をしながら、たしなんでいる。そういう彼らがアルコール規制に反対するのは、教育によって原初の時代より酒は人類の友であることを知っており、イスラム世界の外では話題になることもないことを知っているからである。酒害は法律によって対処される。デモ参加者は、酒を言わば常識-人間世界にはあってしかるべきもの-として受け入れようとしている。しかし、イスラム者から突っ込まれると反論の余地がないことも知っているのである。その点を、極限まで悩みながら、心中でどのように折り合いをつけているかは、ひとりひとり異なるはずである。

 これを例えば「多数決」と置き換えてみる。何事も多数決で決めることにはイスラム教徒は大きな不安と不満をもっている。アラブ・イスラム国においても、現下のエジプトを見ても分かるように、多数決で決まったことが尊重されることはない。多数決は神の意志とは無関係だからである。何事も神の意志によって動かなければならないイスラム教徒にとって、多数決はほとんど意味ももたないからである。神の意志に反することは地獄に落ちることを意味する。トルコのデモ参加者にとっても、多数決万能になることは気持ちのいいものではないはずである。イスラム者に突っ込まれると返答不能の事態に落ちいる。

 エルドアン首相が選挙で過半数を占めているということは、今のところ、上記のような進歩派・世俗派国民より、宗教寄りの国民が多いことを示しているであろう。首相はイスラムという強固な岩盤の上に立って、この国のイスラム回帰を進めようとしている。今回のデモは、イスラムという岩盤の上に咲いたあだ花のようなものではないのかと思われるのである。ここまでで見る限り、進歩派、世俗派国民が武器をもって立ち上がり守旧派国民との間で市街戦を始めるという事態は起こりそうにない。だがしかし、仮に戦いが勃発したとして、その帰趨を決めるのは、言うまでもなく、この国の軍隊である。ケマル・パシャが掌握し、この国の世俗化を支持してきた軍隊がどう動くのかが鍵となるであろう。

 しかしながら、トルコを考えるとき、どうしても気になるのは、トルコ人にとってイスラムはあくまで民族の外からやって来たという事実である。トルコ人の心の底にはどうしてもイスラムの神は輸入神だというこだわりがあるのではないだろうか。トルコ人がイスラムの神をアラビア語を通してしか理解し合えないもどかしい神であると感じているとしても不可解ではない。それはちょうど日本人にとっての仏教と同じことである。日本人も、普段は意識もしないが、時によっては仏を外から来た神、蕃神と呼び、また廃仏毀釈などという激しい気持ちの高揚を見せてきた。

 今回初めて姿を見せたトルコの進歩派・世俗派の国民層の今後の消長が気になるところである。


(2)シリア

 シリアの現状をどう理解すればよいか。途方に暮れるばかりである。この国は、主として宗派の違いをもとにして、軍を握る体制側と頭数をたのむ反体制側が、危うい均衡を保ってきた。その間はそれはそれで経過してきたが、衝突が始まればどちらも引き返すことができないという構造になっていた。つまり、負けた方、また戦闘をやめた方が相手から殲滅されるのである。最後の一人まで殺されるのである。それでは負けるわけには行かないではないか。やめるわけには行かないではないか。

 しかも、どちらか一方が潰れるまで殺戮が続くことになることはだれにも分かっていた。それを回避することができなかったのである。だれもが分かっていながら知らぬ顔をしている間に、アラブの春の嵐に煽られて発火点に達してしまったのである。

 いま、外部世界ではアサド大統領への退陣要求が強い。ロシアなど権益をもつ一部の国を除いて、アサド大統領やめろの大合唱である。どうしたわけか、湾岸産油国までその合唱団に加わっている。しかしである、アサド大統領が辞めた後、あの国はどのような状況になるのか。だれが大統領の職を継ぐことになるのか。その人物をどのようにして選ぶことになるのか。選挙管理内閣ができて、総選挙が実施されるとでも言うのであろうか。

 考えられる最善の方向は、アサド大統領が軍事的優位を確実なものとし、その上でその地位にとどまったまま強力に「国内宥和」に向けて政策転換をすすめることであるが、このようなことを言うこと自体が上記の前置きと矛盾する上、ないものねだりそのものである。今ひとつは、国際連合の現在の非力で無定見な事務総長を早急に強力な人物に差し替えて、国連の軍事的政治的な管理下に置くことであろうが、これまた実現の可能性はほとんどない。「アラブはひとつ」のアラブ諸国をたのむことは論外である。

 今はただダマスカスを潰さないでくれと心の中で叫ぶばかりである。


(3)エジプト

 ムルシ大統領は、ことを急ぎすぎたであろう、自らクーデタの引き金を引いてしまった。技術者としては立派であったのであろうが、それこそ政治家としての資質を欠き、空気が読めず、背後のムスリム同胞団も有効な支援を与えることがことができなかった、ということと理解しておく。

 それにしても、エジプト国内にムスリム同胞団に反対する進歩派・世俗派勢力がこれほど大きく広がり、しかも国軍がこれについたのは驚きであった。さきのムバラク大統領追放劇の後、外国からの観光客が来なくなって経済が回らなくなったことで泡を食っていることが主因であろうが、それにしても大きな疑問が出現したことになる。それこそイスラムの岩盤がむき出している国であるが、その国軍がムスリム同胞団を足蹴にするとは意外であった。この動きは、少数の強力な軍の指導者の思惑によるものと考えざるを得ない。

 さらに意表をつかれたのは、クーデタ後のエジプトに対して湾岸産油国が合計で100億ドル近い巨額の援助を申し出たことである。これは、さまざまなメディアの解説によれば、湾岸の産油国が自国の王室と王政の安泰を守るために、ムスリム同胞団の勢力を殺ぐことによって、これが自国内での活動を抑え、さらなる浸透を防ぐことが目的であるという。それは納得であるが、中には、エジプト国軍と産油国との間で事前の取り決めができていたことを示唆するものもあった。そうとすればもう一歩進めて、エジプトのような国では援助が国民の間に行きわたることは考えにくく、こうした援助の行く先は自ずから限られてくるであろうというところまで踏み込んでもらいたかった。出来レースである。

 産油国の中でもサウジアラビアは、イスラムの総本山であり、聖地の守護者でもある。そこがエジプトでイスラムを守る最大勢力であるムスリム同胞団を退けて、脱イスラムを指向する勢力を支援するのはおかしな話である。これもイスラム世界に特徴的なその場逃れのご都合主義のあらわれのひとつなのであろう。

 ムルシ大統領を選出し、イスラム国家として新しい国家像を描くかに見えたエジプトが、発足一年にしてあえなく頓挫した。エジプトはどこへ行こうとしているのか。どこへ行くのでもない、ただ漂流を続けるのみである。

(完)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラブの春 - 次なる不安 (承前)

2013年01月11日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 さきに、クウェートにおける国会議員選挙が2012年12月1日に実施されるに当たって、従来からの政府・体制側と反体制派との間の抗争が国を挙げての混乱に発展する危惧を述べたが、杞憂に過ぎなかったようで安堵している。だが、このことは単に問題が先送りされたに過ぎず、いつ火を噴いてもおかしくないものであることは言うまでもない。今回、クウェートで事なきを得たのは、同時進行するシリアとエジプトでの戦闘や抗争を横目で見ながら、体制側が重装備を動員した徹底した予防措置を行い、一方の反体制派も極端な行動に出ることを控えたことによるであろう。珍しく自制せざるを得なかったということである。この状況がいつまでも続くことはあり得ない。われわれ日本人としては、石油とガスの安定的な確保の観点から、注視と対策を怠ってはならないであろう。同時に一旦有事に直面したときへの対応と覚悟を新たにすべきである。

 選挙の結果は明らかで、投票をボイコットした反体制の野党勢力は1名にとどまったようである(3名との報道もある)。注目すべきは、イラン系クウェート人であるシーア派議員が5(?)名から17名に急伸したことである。クウェートのシーア派国民は、旧来の、また本来の反体制勢力であるが、これがイスラム急進勢力とたもとを分かって体制側に同調し、投票に参加して議席を増やしているのである。複雑怪奇と言わなければならない。このことはペルシャ湾の南側におけるアラブ産油国の成立の経緯に立ち戻らなければ理解しがたいのであるが、先住のペルシャ系国民が割を食って来たことは事実である。彼らが今後どのように動くかは、これまた皆目分からない。


 「分からない」の繰り返しであるが、以下さらにいくつか分からないことをつけ加える。

(シリア)

 「アラブの春」が拡散の兆しを見せていた頃、その後の展開を占ったいくつかのネット文書の中で、シリアについてだけは、この国では何が起ころうとも政府・体制側には反体制勢力に対する徹底的な弾圧、徹底抗戦以外に選択の余地はないという趣旨の内容でほぼ一致していた。この国の中には、宗教的少数派からなる政府・国軍とそれに批判的な宗派を異にする圧倒的多数の国民との間で、「殺すか殺されるか」という構造が組み込まれているというのである。そうしてその通りになっている。2013年1月6日に行われたアサド大統領の演説にも妥協を模索する姿勢は見られなかった。「欧米の操り人形の勢力とはあくまで戦う」ということであった。大多数の国民を敵として、勝利するまで戦闘を継続するということである。

 これまでに多くの町や村が破壊され、百万人単位の国民が飢餓と厳寒にさらされ、数十万人の国民が避難民となって隣国に溢れ出し、6万人を越える死者が出ているとされる。負傷者となるともう数知れず、治療を受けることもなく放置されていることであろう。そうした中での、その国を率いる大統領の演説である。先代を含めた大統領を形だけでも支持してきた「国民」もまた国民である。

 このような事態になるに至った節目々々の事件やそれらの背景は、書かれたものを読んでそれはそれで分かるのであるが、そうした知識をもったところで、テレビやパソコンで見るかの地で進行中の惨状を理解することはできないのである。われわれの理解を越えた、想像を絶する事態であると言うほかない。「国家」にしても「国民」にしても、われわれの理解とは別物である。

 これは、ひとりシリアのみでなく、程度の差はあれ、リビアでもエジプトでもイェメンでも同じである。


(エジプト)

 ムルシ大統領の出だしがもうひとつ芳しくないようである。本人の責任か、背後をなすムスリム同胞団の差配かは分からないが、少しことを急ぎ過ぎているであろう。「こと」というのは、宗教色の強いイスラム国家の建設である。おそらくムルシ大統領はこの国の将来はそれしかないと見ているはずである。そしてそれは正しいであろう。

 話は飛ぶが、2001年の「9.11」事件の実行犯のリーダーであったとされるエジプト人モハメド・アタの影とムルシ大統領が重なって見えて仕方がない。どちらもカイロ大学工学部の出身で、科学・技術分野の人間である。アタは都市工学を専攻しドイツに8年間留学していた。一方、ムルシ大統領も長年カリフォルニアの大学で航空工学を学び、NASAに勤務したこともあると言う。どちらも西洋世界とのつき合いが長く、よく知り、その結果としてイスラム回帰を遂げたのではないかと思われるのである。

 エジプトにおける比較的宗教色の薄い西洋志向のインテリ層(仮にこれをイスラム進歩派と称しておく)がこの国の姿として漠然と描いている図は「トルコ化」であると言われてきた。政教分離である。政治と宗教を分離して国家を世俗化-民主化-西洋化しようというものである。国の発展はこれしかないというわけであろう。このイスラム進歩派がムルシ大統領の行く手に大きく立ちはだかっている。

 独裁者ムバラク前大統領を倒したエジプト国民は、いまこの国の将来をめぐって国論を二分して争っているように見える。しかし両陣営ともその中身は四分五裂である。つきつめれば一人一人が己が神の命ずるところを思い思いに叫んでいる。その行方はまったく分からない。


(トルコ)

 日々報道されるアラブ・イスラム世界の混沌状況を見るにつけ、アラブを中心とするイスラム世界の複雑さには頭を抱えるばかりである。しかも近い将来における解決に至る道筋が見えない、というより存在しないという事実が、外部世界に生きるものには、もっとも当惑させられる点である。それは、イスラム世界、特にアラブ・イスラム世界の今日の状況がイスラム世界内部から生じたものではなく、隣接する西欧世界との軋轢の中から結果しているからである。イスラム世界のみでは解決不能なのである。イスラム世界は西欧世界と共存することができないのである。共存するすべをもたないのである。

 このことに関連して、トルコ・イスラム世界で次のような興味深い逸話が知られている。

 ライト兄弟の初飛行に先立つ300年の昔、イスタンブールは金角湾をはさんだ東側、今日言うところの新市街に立つ高さ70メートルのガラタ塔からトルコ人ヘザルフェンが世界で初めて人工の羽を背負って大空に飛び立ち、強い風に乗ってボスポラス海峡を越えてアジア側のウスキュダルまで飛行したという。ところが時のスルタンは、これは神の領域を侵す行為であるとしてヘザルフェンを殺してしまった。

 もちろん、たとえこの話が事実としても直ちに飛行機の発明につながるべくもなかったが、トルコ人は今ももしヘザルフェンが生きておればトルコ人が飛行機の発明の栄誉をになうことになったのにと口惜しがる。それはさておき、この逸話は、今日につながるイスラム世界における学問や科学技術一般の、それに伴う産業全般の、またそれに伴う国勢の不振の原因の核心を突いていると考えられるのである。同時にイスラム世界は、その不振の原因を永久にとり除くことができないであろうということも示しているのである。

 このスルタンの対応をめぐって、これを認める人たちはいわゆるイスラム原理派・保守派に属する。そしてこれが正統派である。このスルタンの措置に反対する人たちは、これはいわゆるイスラム進歩派で、個人生活でも社会制度としてもイスラムが禁忌とするところを適宜に緩め、是々非々でやっていこうとする。現実派である。例えば飲酒を容認するとか、世俗法によって一夫多妻を認めないとか、西洋世界との共生を前提とした措置を受け入れる。だが、これは明らかに異端で、正統派から突っ込まれたときは反論できない。トルコにおける進歩派の象徴は近代トルコ建国の父アタチュルク(ケマル・パシャ)である。ばっさりと政教分離を断行した。

 ところが、この国の危うさ、不安定のもとはこの一点にあるのである。トルコが政治的に安定して経済発展の道を驀進していると見るのは早計である。今のトルコは、エルドアンという特異にして有能な宰相の個人的な活動によって動いていると見るべきである。一旦エルドアン首相が去ったあと、現在の政治的な安定と経済的な好調が続くかどうかがポイントである。おそらく、旧来の政治家の非能率と腐敗、非宗教的な軍の政治への介入、イスラム過激派の暗躍、クルド人などの民族闘争、といった不安定な状態に戻るであろうことは間違いない。そうそう簡単にトルコ・イスラム社会が変わることは考えられないからである。

 エルドアン首相は、宗教的には極めて保守的で、ほとんどイスラム原理主義者と見られている。この人物がEUへの加盟を推進しているように見えるのは理解できない。EU加盟によって、ただでさえ脆いトルコのイスラム社会が破壊され、その結果国内が累卵の危うきに直面することをもっともよく知っているはずであるからだ。おそらくEUへの加盟努力は、EUから突きつけられる基準達成要求などを利用したいいとこ取りを狙っているか、或いは何か別の政治的な効果を期待しているのであろう。

 事実、エルドアン首相は、男性のトルコ帽の禁止や女子学生のスカーフの禁止などに見られる現在の政教分離状況を行きすぎと見て、これを宗教の側に戻そうとしているのである。政教分離の軌道修正である。或いはもう少し強力に、この国を栄光のオスマン帝国の昔に押し戻そうと考えているのではあるまいか。それがトルコという国の真のあり方、真の発展への道であると考えているのではないだろうか。その行く手にはアタチュルク改革を信奉する国軍が道を阻んでいる。しかしその国軍も一枚岩ではない。とにかく長く険しい道のりを覚悟しているように思われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラブの春 - 次なる不安

2012年11月14日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 シリアの戦闘は、北のアレッポからいよいよ南の首都ダマスカスに及んできたようである。見たくはないが、古きよきダマスカスが灰燼に帰すところを見せられることになるのかも知れない。暗澹たる気持ちにならざるをえない。冗談ではない、ダマスカス市民はどうなるのだと詰問されても、答えようがない。無責任な放言であることは承知の上である。

 言うところの「アラブの春」という騒乱、戦闘とそれに伴う政変が、2011年初め、チュニジアで始まって以来、エジプト、リビア、イェメン、シリアと広がり、その間アルジェリアやヨルダン、バーレンなどにも余波が及んでいる。今はシリアが主戦場である。で、この戦闘と政変はシリアで打ち止めになるのだろうか。いや、騒乱がこれで終止符を打つと思うのは幻想である。これで終わりとする理由がないからだ。逆に、終わりと見ることができない理由は山ほどある。

 ひとつは、メディアによる報道姿勢であるが、テレビによるものでもネットを通じてのものにしても、どの国の例でも、「アラブの春」という標語が象徴するように、反体制勢力を支援し鼓舞する雰囲気のものが圧倒的に多いことである。反対に、その地でそれなりの理由があって権力の座についている支配者を悪者に仕立てあげている。ニュースで食べている人たちは、戦争は最大のニュースなりとして、澄ました顔をして暗に煽っているいる向きがあるのかもしれない。そうでなくても、反体制勢力の宣伝は別として、メディアの記者のもの言いが「虐げられた人たち」への同情に傾くのはやむを得ないところである。これによって、変革を求め、石油の富はどこへ消えた叫ぶアラブ・イスラム国の青年は刺激され奮い立つ。

 さらに、いささか下世話になるが、「アラブの春」で儲ける人がいる現実がある。大儲けをするために策謀の限りを尽くしている一群の人たちがいる。言うまでもなく、武器のメーカーであり、武器商人である。ここでやめられたら困るのである。おそらく次の戦場を求めて出来る限りの布石を敷いているに違いないのである。敵と味方が同一の武器商人が供給する武器で撃ち合っている図は、これはもう笑いごとあるが、おそらく現実に近いのではないだろうか。アラブ・イスラム国のおかれた立場を象徴しているかのようである。

 では、次はどこか。それは神のみぞ知るである。だが、われわれ日本人にとって最も困るのはアラブ産油国への波及であるであろう。困るどころの騒ぎでないことは言うまでもない。産油施設に砲弾が撃ち込まれ炎上するさまを想像するだに身の毛のよだつ思いがするのである。

 アラビア半島の産油国の中で、これまでアラブの春に関連したニュースの表に立つことは少なかったが、クウェートの動きが気になる。クウェートが揺れているのである。アラブ流民主主義の優等生で、比較的落ち着いた状況が続いていたのであるが、ここに来てにわかに泡立っている。国内でのはっきりした(過激派)イスラム勢力の伸長が見られる中で、政府というか王族というか、体制側が極めて露骨な抑え込みを図っており、その抗争の頂点が12月のはじめに来るのではないかと見られているのである。報道されることが少なく、われわれが杖とも頼む東京外大の「日本語で読む中東メディア」でもクウェート情勢については全くと言っていいほどとり上げてもらえないので、ごく簡単に振り返ってみたい。

 クウェートでは、本年2月に国民議会選挙があり、ムスリム同胞団やサラフィ主義者らイスラム系中心の野党勢力が大勝利をとげた。議会の定員50議席のうち従来の20議席から一挙に34議席を獲得し多数派となったのである。案の定、6月、その議会で財務相らが不正疑惑を追及されて辞職し、サバハ首長は議会の1か月閉会を命令した。続いて憲法裁判所がさきの議会選挙を無効と判断し、旧議会を復活させるという離れ業を演じて見せた。それを受けてジャビル内閣が総辞職した。7月に入り、首長は、ジャビルに対して再組閣を命令した。そして10月に入ると首長が議会を解散し、続いて12月1日に行う予定の国会議員選挙の制度変更を命令したのである。この選挙制度の変更とは、従来の有権者が4人の候補者に投票できる制度から、1人にしか投票できないように改めたのである。すでに締め切られた立候補登録では、50議席に対して400人近い立候補者があったと伝えられている。

 この変更はイスラム系の野党勢力に不利になると受けとられている。言うまでもなく、2月の選挙の悪夢の再現を防ぐのが体制側の目的である。目下は、12月1日の新たな議会選挙を前に、首長が野党に不利となる選挙制度変更を決めたことに対し、野党勢力は選挙ボイコットを表明し、制度変更の撤回を求めてデモを続けている状況である。追いかけて首長は20人を越える集会の禁止令を発令した。在位6年目で83歳になる首長はなりふりかまうところがない。

 このような状況にあるところから、アラブの春という激動の中で、12月1日に向けてクウェート情勢が注目されるのである。クウェートは、サウジアラビアやカタール、UAE、オーマンなどの産油国と運命共同体的なところがあり、事実、これらは政治的軍事的同盟関係にある。そのため混乱が昂じてクウェートの体制が揺らぐようなことになる前にサウジアラビアがテコ入れを行うだろうとの期待があり、事実これまでバーレンやクウェートへの派兵も伝えられている。しかしそのサウジアラビア自体がクウェートとほとんど同じ状況にあるのである。しかも、アラブ連盟を見ても分かるように、イスラム国間の同盟というか、話し合い、約束事が当てにならないことは今さら言うまでもない。てんでんばらばらなのだ。

 そこへもしイラン-イスラエル紛争が同時に具現化することになると、ホルムズ海峡の封鎖は言うまでもなく、ペルシャ湾が文字通り火の海となる恐れなしとしない。ことの次第としてこうした事態も考えられるということである。思い出していただきたいが、2年足らず前にチュニジアの片田舎で起こった一人の青年の命をかけた体制への抗議行動から、今はシリアの国軍が国民の頭上に連日爆弾を投じるところまで来ているのである。ここでは因果関係を問うても無駄なのである。オスマン帝国の崩壊以来西洋世界との軋轢の中で、イスラム世界にたまりにたまったさまざまな歪みが連鎖的に一挙に噴き出していると見るほかない。

 話題はそれるが、イラン-イスラエル抗争はと言えば、本来イランがイスラエルと事を構える理由はないのである。歴史的にもペルシャ人はユダヤ人を受け入れて長く平和に暮らしてきた。それが、1970年代にはじまるレバノン内戦を契機として、ホメイニ師の登場によって宗教的にも政治的にも異様に高揚したイランがレバノンを足場にパレスチナ人とユダヤ人との間の抗争に介入してきたに過ぎないのである。それは、イランがイスラム世界における己の存在を誇示せんがためのイスラム世界に対する自己顕示行動であると考えざるを得ないのである。イランが核兵器の開発に固執するのも、イスラエルを標的とするのはあくまでも表向きの口実であって、真の目的はイスラム世界における覇権を握ることであると考えられる。それ以外に理由がない。あくまでイスラム世界内部の問題と見られるのである。しかるにイラン-イスラエル抗争は抜き差しならないところまで来てしまった。

 アラブ世界に戻って、さらなる問題は、アラブ・イスラム世界を覆う現下の騒乱が、収束からやがて新たな秩序へと向かうのであればそれも生みの苦しみとして外部世界にも受け入れられるのであるが、先行きが全く見えないことなのである。その先に控えているものはさらなる抗争であり混乱である。アラブ・イスラム世界には抗争を収束するプロセスが存在しないのである。繰り返すが、この世界では多数決が意味をもたないのである。なぜなら、ごく簡単に言えば、個人個人が独自に神と結びついているからである。多数意見がどうであれ、自分は自分の信ずる道を行くほかないのである。

 こうした中東情勢に直面して、われわれ日本人が考えなければならないのは「石油・ガス」のことである。もし中東からの石油・ガスが止まったらこの国はアウトである。こんな急場になって考えても仕方がないのであるが、われわれ日本人は急場にならないとものごとを真剣にかつ身近に考えられないという大きな弱点をもっている。2010年9月に発生した尖閣諸島での中国漁船衝突事件直後に中国は希土類元素鉱石(レアアース)の対日輸出を制限してきた。希土類を中国に頼りすぎることの危険性はこれまで何度も言われてきたのであるが、日本人はそれを真剣に取り上げて対策を講じることはなかった。同時に尖閣諸島に思いを致してひそかに対策を講じることはなかった。今日の事態は、どちらもあれよあれよの間のできごとである。

 日本という国は中東の石油・ガスの上に浮いてある現実を忘れてはならない。シェールオイルだ、シェールガスだ、メタンハイドレートだ、太陽光だ、風力発電だ、脱原発だ・・と寝言を言ってはならないであろう。これらのことは、10年後20年後のことを考えて、今、国をあげて体制を整え資金を投じて推進しなければならないことであっても、今、大声をあげて騒いだりデモをすることでは決してない。資源やエネルギー面では日本と似たような立場にあるイギリスが、いや日本よりよほど有利な立場にあるイギリスが、何と日本(日立製作所)から資金と技術を導入して原子力発電の増強を図ろうとしていることに対して粛然たる思いに駆られる。そこには毅然とした国民と国家の意志が感じられる。これがしたたかな国家戦略というものであろう。


 われわれ日本人は原子力の開発や利用に関してなにひとつ貢献をしていない。広島に原子爆弾を見舞われて「新型爆弾らしい」と大人たちが騒いでいるのを記憶している人はまだ少なくないはずだ。二つ目を長崎に落とされて観念した。やがて欧米から発電用原子炉を持ち込まれ、夢のエネルギー源を手に入れたと大喜びしていたのを、今度は自分のこととしてよく見覚えている。その原子力発電所のひとつが地震で壊れたからと言って放り出そうとしているのである。われわれ日本人は万有引力を見つけたのでもなければ内燃機関を発明したのでもない。すべてを欧米から取りいれてひたすら「カイゼン」に励んできただけである。この事実を踏まえて、中東問題と原発事故という危機に陥った資源エネルギー問題に対して、われわれは今こそ原子力発電の「カイゼン」に向かって国をあげて最大限の努力をすべきであると考える。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリア、またエジプト

2012年08月19日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 アラブ・イスラム諸国における混乱が収束する兆しがない。シリアは行くところまで行くほかなさそうである。アレッポ城をとり囲む巨大なスークはどうなっているのだろうか。その存在自体が奇蹟のようなダマスカスも灰燼に帰すのであろうか。アレッポやダマスカスと言えば、歴史や学問や旅行などを通して思い入れもただならないヨーロッパ人は数多いはずであるが、やりきれない思いで日々の戦闘の報道を見ているであろう。往時の力を失ったヨーロッパの悲哀を嘆く人もいれば、思い余って、自律の原理のないアラブ・イスラム世界を突き放して見ている人もいるはずである。これがどのような形で収束するのか、見当もつかない。

 それもそのはず、収束に至るプロセスが存在しないのである。そのプロセスの根幹にあるものは「多数決」であるはずだが、現在の世界の大勢である多数決の原理がアラブ・イスラム世界では意味をもたないのである。つまり統治の原理は、多数の国民の意志ではなく、神の意志でなけばならないからである。われわれは「長いものには巻かれよ」というが、かれらには通用しない。それがいかに長大であっても、神の意志に添うと信ずるものでない限り巻かれるわけにはいかないのである。しかも、それが神の意志に添うと信ずるものもいれば、そうとは信じないものもいる。これが不統一の原点である。

 武力革命はやった、また今もやっている。非道な独裁者を追放した。で、その次は何をするのか。選挙?そう、選挙こそ収束への第一歩であるはずだ。しかし、アラブ・イスラム世界はこの第一歩が踏み出せないのである。形だけは選挙をやっても、その結果はイスラム教徒にとっては意味がないのである。多数決、これがイスラム世界では意味をもたないのである。コーランにものごとは多数決で決めることと書かれてあればそれまでであったのであるが、そうは書かれていない。ではどうするか。そのやり方からして、議論して決めなければならないのである。今はその段階にある。で、何が決まるのか。おそらくいつまでたっても何も決まらないであろう。

 そもそも、アラブ・イスラム諸国における今日の状況は、実に、一昨年(2010年)12月17日、北アフリカはチュニジアの田舎町の青果市場で一人の露天商の青年が、当局の厳しい取り締まりに抗議して焼身自殺を図ったことが発端でなったものである。それだけである。この点をわれわれは忘れてはならない。この事件から、今日の事態を一体だれが予想し得たであろう。それまではこのような大騒乱の気配を感じることはなかった。

 社会に鬱積していた不満に火がついたといった言い方は何ものも説明していない。どの世界にも不満は渦巻いているからである。そもそも、2010年12月17日の時点で、アラブ二十余か国すべてが、程度の差はあれ、ほとんどいわれ(正当性)のない独裁国家であった。しかもその指導者を、たった10年、20年、30年の昔に、それぞれの国で、多くの国民が歓呼の声をあげて迎え入れたのであった。

 チュニジアに端を発した変革の動きを「アラブの春」などと呼んだ西側のジャーナリストは究極の皮肉屋であったが、それを額面通りに受けとった世界のジャーナリズムは、反対に、究極の鈍感であった。欧米人が築いた近代文明の中で、欧米人による科学的技術的文化的スポーツ的政治的経済的リーダーシップのもとにある世界で、東アジア諸国が懸命に追随を試みている中で、アラブ・イスラム諸国がそれらと協調し競争して生きていくことはあり得ないのである。おりもおり、イスラム世界は断食月のさ中にあるが、早い話がこの断食月を抱えて熾烈な経済戦争を戦うことはナンセンスであるであろう。

 東アジアにあって、超大国の中国が民主主義などどこ吹く風の共産党による一党独裁のもとにあることは示唆的である。アラブ・イスラム国は、一旦、とにかく「民主主義」は棚上げにして、宗教にもとづくカリフ国家を目指すほかない。その意味で、エジプトにおけるムスリム同胞団の主導による新国家の形成にはたいへん注目している。それは一にかかって新大統領の指導力如何にある。新大統領が強力かつ巧妙な指導力を発揮して7千万国民を束ねるイスラム国を建設することを切望している。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茉莉花革命余聞4

2012年04月27日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 シリアがひどいことになっている。余りの惨状に目を覆うばかりである。ネット上に見られる諸映像は正視するに耐えない。そこまでやるか、と呆然たらざるをえない。新興の未だ国体の定まらないキンキラのアラブ産油国とは違って、砂漠のオアシスを思わせる落ちついた歴史の国シリアにしてこのさまである。せめてこの国なら少しはスマートに対処してくれるかと淡い期待を抱いていたが、アラブ・イスラムの因襲の桎梏から逃れるすべはなかったようである。いやアラブ・イスラムの因襲は、うかつにも本家などと思っていたサウジアラビアと比べても、この国においてより深く沈潜しているように見受けられる。こうなって見れば、やはり、シリアこそアラブ・イスラムのもっとも正当な体現者であったのかも知れないと気づくのである。

 シリアに限らないが、混沌に陥ったイスラム兄弟国を見ながら、周囲のアラブ国、イスラム国がなすところがないというのはいつもの通りである。この無関心はお互い様なのである。シリアもエジプトやリビアに対して何もしなかった。アラブ・イスラムの理念を代表しているはずのアラブ連盟がなすところがないのもいつもの通りである。ところが、今回はサウジアラビアやバーレーンなどのアラビア半島の産油国がシリア大使を追放し、アサド大統領に自制を求める声明を出したのは驚きであった。アサド大統領から自分たちの国を何とかしろと反撃されたとき、どのように釈明するのであろうか。これはもう漫画の域を通り越して、彼の地の人々の白々しさには脱帽するほかない。これは儀礼の一種となっているのであろう。

 神の名を叫びながら多くの人が死んで行き、凄まじい破壊が進み行くシリアの状況を見ながらちらちらと思うのは、イスラムには宗教改革が必要ではないのか、それは可能か、という妄想である。もちろんこれが最初ではなく、何度も同じ問題につきまとわれてきたのであるが。神の名のもとに殺し合いを行うのはイスラムの専売特許ではない。だが、ほかの宗教ではほぼその段階を通過したような状況にあるであろう。イスラムは若いためにまだ内部抗争を続けるのだろうか。それだけではなく、宗教改革という言葉自体が、後に触れる民主主義と同じように、イスラムと相容れることはありそうにない。よい改革とか悪い改革とか、改革の内容を言う前に、改革という言葉を口にしたとたん生首が飛ぶであろう。絶対の禁句である。そもそも宗教改革などを言い出すイスラム教徒はイスラム教徒ではない。

 それはさておいて、今後、この状況がどこまで進み、どのような形で当座の終結を迎えるのかは、もとより知るべくもない。しかし、シリアはさておいても、エジプトを始めとして政権が倒れた国々は、これから「民主化」の掛け声のもとに、政治体制の立て直しを行おうとしている。それは、公正な「選挙」によって「議員」を選び「議会」によって「法律」を定め、それに従って全ての政治を行い、法律に違反するものは「裁判」によって処罰する、ということである。男女同権である。だが、どうして今から民主化なのか。今からできることがどうしてこれまで出来なかったのか。これまでどれほど民主主義が叫ばれてきたのか。ヨーロッパ人が発明した「議会制民主主義」なるものを、これを最も忌避してきたのがヨーロッパの隣人であるアラブ・イスラム人ではなかったか。そもそも「民主主義」なる概念自体が反イスラム、非イスラムであるはずだ。

 政治体制に加えて、アラブ・イスラム世界は、欧米のいわゆる近代文明を受け入れることができない。いくら少数の開明者が科学の振興、技術の発展を訴えてもむなしく響くのみである。アラブ・イスラム世界では世俗的な学校教育が成り立たないのである。理科も社会も、国語も算数も、音楽も美術も、外部世界で当たり前に教えられているようにはアラブ・イスラムの子供たちに教えることができないのである。その結果、科学と技術を伸ばすことが出来ず、もろもろの産業、なかんづく工業、製造業を育てることが出来ず、未来永劫工業製品の輸入国にとどまらざるを得ないのである。具体的には、例えば、アラブ・イスラム世界に研究開発センターを設けたり、製造工場を建設しようという世界企業はありそうにない。その結果、外部世界からの製品の輸入代金を稼ぐ手段がない。そして、行き場のない技能をもたない多数の若者が外部世界へ溢れだす。

 こう見ると、アラブ・イスラム世界は、間違っても実現できない議会制民主主義などはさっさと忘れて、イスラムにもとづく独自の政体を目指すほかないと思われる。それも、新しいものはもちろん不可能で、歴史上に行われた制度、例えば代表的なものでトルコ統治下の各地で行われた平安なカリフ制にもどるべきである。それ以外にとるべき道はない。議会制民主主義は、もちろん、万能でもなければ汎用でもない。一歩踏み込んで、アラブ・イスラム世界は、今こそ自らの価値に自信をもたなければならないであろう。アラブ・イスラムの価値を大切にし、自らの世界に立ち戻って自らの統治体制を確立し、その上で外部世界とのすり合わせの構築を考えるべきであろう。

 東アジアでは、曲がりなりにも西欧的な民主主義を受け入れて懸命に追随を試みている国がある一方で、規模的にアラブ・イスラム世界全体に匹敵する中国が、民主主義などお構いなしに、共産党による一党独裁を実現するという独自性を見せている。アラブ・イスラム世界も「民主化」を叫ぶことはもうやめにして、自分自身を見直すときである。イスラムの価値に自信をもって、例えば、カリフ国の建設に挑戦するときである。英明カリフを立てて、不合理きわまりない収奪が行われている石油収入の公平な配分を図らなければならないであろう。しかし、アラブ・イスラム世界に変化は期待できそうにない。

 振りかえれば、今日アラブ・イスラム世界が苦悶しているのは、世界の一体化が進行した結果、アラブ・イスラム世界が、厳格なイスラムの原理の故に外部世界の宗教や生活習慣と折り合いをつけることが出来ず、さらにイスラムの原理に縛られるために世俗的な後進性から抜け出ることが出来ないことによるであろう。同時に、外部世界は、「9.11」に象徴されるように、いたるところでアラブ・イスラム世界の苦悶の撥ね返りをもろに受けることになってしまった。そうとすれば、理屈として、ここは西欧世界のリーダーシップによってグローバリゼーションの方向を逆回転してもらうほかない。それ以外に「解決」はない。

 蛇足であるが、東アジアにあって西欧を目標に追いつけ追い越せとひたすら走っているもうひとつの大国は、アラブ・イスラム世界の対極にあるようで、ほとんど盲目的に何でも取り込んでいく。西の国が小選挙区制だと見るとやみくもに制度を変え、二大政党だと言うとそのように舵を切り、その結果を検証することがない。極めつきは言うところのグローバリズムであって、TPPに走る政府や海外進出に拍車をかける企業はもとより、最有力の大学まで「秋入学」がグローバリズムに沿うものと言い抜けている。いずれ、また西の方から、反グローバリズム、反グローバリゼーションの思潮が押し寄せてくるであろうが、その時はまたあたふたと方向転換を図るのであろうか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茉莉花革命余聞3

2011年06月09日 | 番外編-茉莉花革命余聞


 ローマ遺跡の上に浮かび地中海性の花々が咲き乱れる美しい観光国チュニジアにおいて、2010年暮れ、学校を出たものの希望する職に就くことが出来ない一人の青果露天商の青年が当局による厳しい取締りに対して抗議の焼身自殺を遂げた。この小さな悲劇が、アラブ・イスラム世界はもとより、全世界を揺るがす大事に至ることになろうとは。このアラブ世界の大変を欧米人は、アラブ社会が民主化へ向かう「アラブの春」などと歯のうくようなお世辞、お追従を言うが、彼らはここで一体何を目論んでいるのであろうか。欧米人は、アラブ・イスラム世界を、また広くイスラム世界を自らの掌の上で弄ぶほどにしか考えない。一方イスラム世界はそこから抜け出して、一人立ちする方途を見出すことができないでいる。

 震源地のチュニジアも、次のエジプトも、期待された民主化に向けて着実な歩みを歩んでいるとは、とてもそのようには見えない。「次」の準備も何もなしにいきなり独裁政権がなくなったから、などということは言い訳にも説明にもならない。そこにはアラブ・イスラム世界につきものの百家争鳴が渦巻いているだけである。それはやがて暴力にたどり着く。それはともかく、エジプトにおいて桎梏を解き放たれたムスリム同胞団の動きが気にかかる。アラブ・イスラム世界において、たとえ欧米の期待するような民主主義ではなくとも、もし、西側世界と折り合いをつけた形のアラブ・イスラム型民主主義といったものを実現する勢力があるとすれば、それはイスラム同胞団しかないと思うのだが。

 隣国のリビアはと言えば、内戦に加えて(理不尽としか思えない)欧米軍による爆撃に遭って、国の体制はもちろん物理的な下部構造も上部構造も破壊し尽くされつつあるようである。どのような形で治まるのか見当もつかないが、どうなるにしろ治まった後はゼロからの再出発を余儀なくされている。そこに欧米が期待する民主主義体制が行われるとでも言うのだろうか。石油施設に大きな被害があったとの報道を目にしないのも意味深長である。

 そしてシリアである。アラブ・イスラム的でよし、現状打開のための新しい行動を起こす知性を見せてくれる国があるとすれば、それはまずこのシリアであったであろうが、目も当てられない状況に陥っている。外部世界の人間はもちろん、アラブ・イスラム世界を通じて、体制派・反体制派を問わず、シリアに対してこのアラブ世界の泥沼を脱するための方途、あるいは規範を示してくれることを求めていたに違いないのであるが、その期待はあえなく裏切られた。国際的にアサド父子政権の命脈は尽きたとは言え、人命の犠牲は余りにも大きく、今なお増えつつある。報道陣を閉め出して、この瞬間も血で血を洗う惨劇が繰り返されていることであろう。人心の荒廃は言うまでもないであろう。先行きは見当もつかない。

 長引くイェメンの反体制闘争は、長く根深い部族間紛争を反映していると言われる。それが茉莉花革命に煽られて激化したのであろうか。こちらも出口の見えない混乱に陥っている。しかも、たとえ何らかの形で決着がついたとしても、民主化などは欧米人の夢のまた夢、考えられないほど遠い将来の話である。ここにはアルカイダの影が色濃くさしていると言われることが気にかかる。

 最後にペルシャ湾岸産油国である。クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連合(アブダビ、ドバイ)、カタール、オーマンである。バーレーンは、既に産油国とは言えないが、当初のデモの弾圧に成功したようである。ただ、これら産油国は、今は一時の平穏を保っているように見えるが、一触即発状態であることには変わりない。これらの国が、当面、生きのびることができる唯一の道は、アメリカ保険会社に危険保険を引き受けてもらうことである。保険料は高いものにつくであろうが、それ以外に方法はない。厳しい駆け引きが続いていることであろう。

 これらアラブ・イスラム諸国が、期待されるような民主主義国家として、公正な選挙を行い、多数決によって代議人や首長を選び、法律を作り、それを実施するための行政組織と司法制度を整備することができるのだろうか。しかも早急にである。そればかりはあり得ない。では、先に述べたアラブ・イスラム型とでも言うべき新しい民主主義を創始することができるのか。これまた極めて難しいに違いない。

 そもそもイスラム教と民主主義は両立しないであろう。イスラム教徒の根本的な立場は「アラー・アクバル」である。これは、通常言われる「神は偉大である」よりももっと強いことばで、「神はなによりも偉大である、神はもっとも偉大である」ということを意味しているとされる。この言葉が民主主義と相いれないことは明らかである。神の意思(コーラン)にもとる法律や制度をどうして代議人が決定し、それを容認することができようか。そうであれば代議制度などは必要がない。欧米人から押しつけられる民主主義とイスラム教徒の「アラー・アクバル」がイスラムの土地で果てしないせめぎ合いを演ずることになるであろう。


 余談にわたるが、わが国の生存は、上に見るように、欧米諸国との関係で非常に危うい中東諸国が産する石油・ガスに、100%、依存している。日本のエネルギー事情は、まだしも余裕がある欧米諸国とは全く異なるのである。石炭を掘ることも完全にやめてしまった。わが国は、絶対に原子力発電を放棄し、排除してはならないと考える。原子力発電を排することは求めて国を危うくすることである。今後とも原子力発電を維持し改良し開発する努力を続けていくことがわが国が選択すべき道であることは疑いを容れない。
 一方で、列島の周囲の海底に眠るという大量の炭化水素資源を活用する方法を早急に開発する必要があるであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茉莉花革命余聞2

2011年04月22日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 目下進行中の中東の動乱は、われわれ日本人としては、石油・ガスの供給がどうなるか、石油・ガスをどう確保するかという切実きわまりない問題に直接かかわり、これを対岸の火事視することは許されない。われわれ1億2千万国民の生命財産がこの中東動乱の成り行きにかかっているという事実をしっかり認識したい。もし、わが国への石油・ガスの供給に支障が生じる事態に至れば、これはもうこの国の存続に危険信号がともったということである。事態の推移を見る限り、中東アラブ諸国は、その根底にもつ不安定さをますます露呈させつつあるように見える。

 動乱の波は、11年01月、北アフリカの中央部に位置する小国チュニジアから起って、西の方アルジェリア、モロッコは沈静化したようであるが、東に向かって大波となり、すでにリビア、エジプト、ヨルダン、シリアを巻き込み、戦乱のイラクを跨いでペルシャ湾岸のバーレーンに到達した。別途、アラビア半島東南端のイェメンは2月から混乱に陥っている。これが本丸のサウジアラビアとそれを取り囲む産油国、クウェート、カタール、アラブ首長国連合、オマーンにも波及しないとは限らない。サウジアラビアでは既に小規模な反体制デモの発生が伝えられている。もしこれらの国の石油生産が大きなダメージを受けることになれば、最も大きな影響を受けるのはほかならぬ日本である。(ところが、これに対して日本は、手も足も出すことができないのである。)

 先にアラブ諸国の首長と在位年数の一覧表を見たが、そこには長期独裁政権でないものはないという何とも荒涼たる風景がみられた。そうでないものはレバノンだけであるが、これはあまりに非力である上に、逆に長期独裁でないゆえに不安定きわまりない。アラブ・イスラム世界には、長期独裁政権を許すというより、長期独裁政権を選好する底流があることは間違いない。選挙や代議制度には信を置いていないのである。しかし長期独裁は(特にこの世界では)つきもののような腐敗を招く。情報氾濫時代となった今は、西側世界からの刺激が強く、一時的に民衆の現政権に対する反発が強まっているものと理解したい。

 リビアについては、石油・ガスの観点からは、NATOがいち早くリビアの紛争に軍事介入したことは、欧州にとってリビアの石油が非常に大きな役割を果たしていることを示している。欧州諸国は、過去にはいろいろあったものの今は友人のカダフィ大佐を見限り、ここは時代を先読みして、国の東部の産油地域に広がる反カダフィ派住民に乗って、リビア石油の長期安定的な確保を図ったと見ることができる。
 NATOには早い時期にトルコが加盟を認められているが、この唯一のイスラム国の存在が今回のNATOの行動のもたつきの原因かも知れない。トルコは、当初、イスラム友邦で、地中海にあってつい目と鼻の先にあるリビアへの軍事介入に反対したものの、最終的に大勢に従って賛成したということである。トルコは、宿願である『ECへの加盟』を思い浮かべて妥協したのであろうが、ヨーロッパ人は、これによってトルコをECへ受け入れることの難しさを再認識したのではないだろうか。
 それにしても、欧米諸国は、いとも簡単にアジア・アフリカの国をミサイル攻撃し、爆撃するのには驚かされる。アラブ・イスラム国は、今もって、かくも弱くもろいものなのである。二百年この方、未だに武器も医薬品も欧米から買ってきて、それで内戦を戦わざるを得ないという現実は、欧米の掌の上で戦っていることにほかならない。

 現在多くの人が固唾をのんで見守っているのがシリアにおける反体制デモの行方であろう。「ダマスカス」や「アレッポ」と聞いてさまざまな思いを馳せる向きも少なくないに違いないが、歴史の国シリアはまた上質なアラブを代表する国で、アラブ世界の要石のような国であった。しかしそれも1960年代後半のハーフェズ・アサド大統領率いるバース党政権の登場までの話である。この国も多くの不安定要因を抱えているが、何はさておき、イスラム教シーア派の遠い分派とされるアラウィー派に属するアサド大統領父子が鉄の爪をもって圧倒的多数のスンニー派国民を押さえているねじれの構図である。その強権支配に対する反発が起こり、それに対する弾圧が1982年の「ハマの虐殺」であった。反発と言い弾圧と言うにはあまりに強烈であった。
 大多数のスンニー派国民の中の一部のイスラム同胞団系国民によるいささか過激に走った反政府運動に対し、その拠点となったダマスカス北方200kmのハマの町を国家が国軍を投入して包囲し掃討するという惨劇で、死者は4万人(!)を超えるとされる。この時は、なぜか、欧米の介入はなかった。以来、シリアでは「ハマ」という語を口にするや否やたちまち当局に引っ張られ、二度と帰って来ることはない恐怖政治が続いているという伝説が伝えられている。
 オロンテス川にかかる大きな水車で知られたハマの町の住民の殆どは国内外に逃亡し、その後の住民とすっかり入れ替わったと言われる。散り散りになった当時の多感な青少年も、心に復讐を誓って過ごしたであろう30年後の今はいい壮年になっている。エジプトのイスラム同胞団も束縛を解かれて活動の自由を取り戻している。こうした状況下で反体制派と体制側のつば迫り合いが始まったばかりである。デモ隊の死者はここ1か月で200人に達したとのことである。今日(110420)の報道では、大統領は懐柔策のひとつとして非常事態法と高等法院の廃止を発表した。
 だが、全般的な状況を見れば、単純に考えて体制側が生き残る見込みは乏しいような気がする。しかし、軍の動向が分からず、リビアの例を見ても、事態が見込み通りに進むとは限らない。シリアの現政権が倒れた場合と傷つきながらも持ちこたえた場合のいずれであっても、サウジアラビアを中心とする産油国への直接的な影響は考えにくいが、産油国の反体制、体制側それぞれへの大きな応援歌となるであろう。


 石油・ガス問題はしばらくおいて、今回の一連の動乱が、今後どのように広がっていくのか、或いは収束に向かうのかは予断を許さないが、これを見て思うのは、
1)アラブ・イスラム世界のてんでんばらばらぶりと、
2)アラブ・イスラム世界が、今後、欧米諸国や東アジアなどの非イスラム世界とこの地球上でどのように共存していくのか、ということである。

 今回、アラブ・イスラム世界は、そこに内在する破綻を極めてはっきりと見せてくれた。アラブ・イスラム世界というひとつの宇宙があり、アラブ連盟という組織はあっても、当然そこに存在すると予想される理想、結束、一体性、統一感情、共通目標、共同行動、協力関係、同盟性等々は全く見られないのである。端的に言えば、NATOの旗のもとに欧米諸国が連合して攻撃してくるのに対し、アラブ諸国がアラブ連盟の結束をもって反撃できないということである。アラブ連盟軍を作ることが出来ないのである。それどころか、アラブ連盟国の中からNATO軍のリビア攻撃に加担し、参戦する国まで現われる始末である。カタール、UAEなどである。このことは、20カ国余りのアラブ国間には、これらを互いに結びつけるもの、紐帯が存在しないということであろう。つきつめれば、国と国の間はおろか、国民ひとりひとりを互いに結びつけるものがない、もしそれが言い過ぎであれば、非常に希薄であるということのように思われる。

 さらに言えば、サウジアラビアは、隣国イェメンでの長引く強硬な反政府デモには見て見ぬふりをして、親米反テロの同士サレハ大統領を支援しようとしないにもかかわらず、バーレーンに対しては直ちに1500人規模のデモ鎮圧軍を派遣した。UAEもバーレーンに500人程度を派遣したと伝えられている。これは、国内のシーア派イスラム教徒を刺激し、あまつさえイランの介入を招く危険を冒してまで、バーレーンを自国の最後の防波堤と見たことによるのであろう。サウジアラビアは、国内的には、文字通り札束で国民の頬をひっぱたくようなバラ撒きを行って、蜂起の抑え込みをはかる方針と伝えられている。

 ここで思い出すのが、昨年10月、カダフィ大佐の議長のもとで、カダフィ大佐の出身地であり、今は一般国民は立ち入ることが許されないという政治都市・国際会議都市シルトで行われたアラブ首脳会議である。この時の様子が、東京外国語大学の「日本語で読む中東メディア」プロジェクトで紹介された。その時から本年2月のムバラク大統領辞任まで僅か4ヶ月、そこでの報道された議事内容と現状の対比、或いは落差が衝撃的であるので、敢えてここに全文を転載させていただく。

QUOTE
アラブ首脳会議、アラブ諸国の新協働体制と「近隣諸国同盟」について協議し閉幕
(2010年10月10日付 Al-Ahram紙)

■ムバーラク大統領、アラブ連盟の枠組み維持の立場を堅持
2010年10月10日付『アル=アハラーム』紙(エジプト)HP1面
【シルト:アティーヤ・イーサウィー、マスウード・アル=ハンナ―ウィー、サリー・ワファーイー】
 リビアの都市シルトで開かれていた臨時アラブ首脳会議が昨日閉幕した。今回の首脳会議では、アラブ諸国協働体制の発展と、「アラブ近隣諸国同盟」政策について協議が行われ、これら2つの議題とその他の議題に関していくつかの決議が採択された。
 決議の中には、先の6月28日にトリポリで開催された5ヶ国最高委員会による勧告の採択も含まれている。同会合では、アラブ諸国協働体制の発展について協議が行われた。今回の首脳会議ではアラブ連盟事務局に対して、この課題に関する議定書草案を練り直し、3ヶ月後に開催される予定のアラブ連盟閣僚評議会に協働体制のあり方について提案を行うよう委任がなされた。
 また、アラブ近隣諸国の問題に関して今回の首脳会議では、「アラブ近隣諸国同盟」計画について検討すべく、アラブ首脳会議議長を長とする閣僚級委員会を設置することと、加盟諸国が引き続きこの問題に関してアラブ連盟事務局にアイデアを寄せるよう要請することが決定された。
 首脳会議は昨日の朝に開会され15ヶ国の元首が参加、その他の諸国からは副元首ないし副首相、或いは外相級が代表として参加した。開会式の後、アラブ諸国指導者らは非公開会合を開き、臨時首脳会議の2つの主要議題について協議を行った。
 エジプトのフスニー・ムバーラク大統領は、首脳会議での発言の中で、あらゆる分野にわたって入り組んだ課題に取り組むにあたって、アラブ諸国の立場を統一するよう呼びかけ、地域及び国際情勢の展開によって、アラブ諸国協働体制の発展の必要性は倍増していると説明した。
 ムバーラク大統領は、協働体制を推し進めるためのエジプトの方針を示し、それが3つの主要な柱の上に成り立っていることを述べる一方で、協働体制の発展がこれまで受け継がれてきた重要な遺産や、60年以上にわたって蓄積されたアラブ諸国協働の豊かな経験との断絶をもたらさないようにする必要があることも強調し、「それゆえエジプトは、アラブ連盟と名付けられた、この遺産と経験を象徴する存在を維持していく必要があることを強調するとともに、アラブ連盟の実行力を発展させるという我々の目的の根本を突く新しいヴィジョンの採用にも最大の関心を持っている」と主張した。
 またムバーラク大統領は、2004年のチュニス首脳会議やその後の諸首脳会議以来の合意に沿った漸進的な発展の原則を強調し、「我が国では、現実主義と大望を併せもつ漸進的な発展こそ、協働体制の改革が単なる高尚な目標にとどまらず、実現可能な具体的な歩みとなるための正道であると確信している」と述べた。
 アラブ近隣諸国政策に関しては、ムバーラク大統領は、アラブ諸国の利益実現のため、近隣諸国に対する共通のヴィジョンを明確化することが必要だと強調した。
 またムバーラク大統領は閉会式での演説で、首脳会議議長であるムアンマル・カッザーフィー指導者の努力を称賛した。
 スライマーン・アウワード大統領府報道官は昨日、シルト首脳会議では、アラブ諸国協働メカニズムの発展と「アラブ近隣諸国同盟」の2つの主要な議題が取り上げられたと述べた。
 アラブ首脳会議議長を務めたリビアのカッザーフィー革命指導者は、シルト首脳会議の開会式において、「今回の臨時首脳会議は、アラブ諸国協働の新機構について検討するために開催されるものだ」と述べている。
 一方で、ムバーラク大統領は今日、第2回アラブ・アフリカ首脳会議の開会式を行い、アラブ・アフリカ首脳会議の今期議長としてカッザーフィー氏に議長職の移譲を行う予定である。
 また一方、アフマド・アブルゲイト外相は[パレスチナ・イスラエル]直接和平交渉の継続は、イスラエルが入植活動を停止するか否かにかかっていると強調した。
UNQUOTE

 アラブ連盟がまったくの虚構に過ぎないことが明らかになった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茉莉花革命余聞

2011年03月04日 | 番外編-茉莉花革命余聞

 数年来、イスラム教徒のテロ活動のよって来たる所以と行く末について駄文を綴っている間に、突如、北アフリカで強硬な反体制運動が起り、あれよあれよと言う間に中東各地に燎原の火のような広がりを見せている。ただ驚きである。イスラム世界内部からと言わず外部世界からと言わず、予断や解説を拒否する中東の面目そのものである。昨日の昨日まで、30年、40年の長期独裁政権を容認し、熱狂的に支持してきたのも彼らアラブ・イスラム人民であれば、一夜にしてその体制の打倒を叫び、過激な行動に出るのも同じアラブ・イスラム人民である。CIAはもとより、旧宗主国たる欧州の大国といえども夢想だにしなかった事態に違いない。さらにまた、こうしてわれわれの目の前に出来した事態をうまく説明し、理解を助けてくれる理屈もない。この先どうなるかは神のみぞ知るである。さもあらばあれ、自分で屁理屈をつけ、自分なりの感慨を書き留めておくほかない。

 余談であるが、国の最高権力者が国民の税金を投じて構築した軍隊を自国の国民に差し向けて殺戮を行うということは究極のモラルの崩壊現象と言えるであろう。いま中東ではそうしたことが起こっている。しかし、こうした国々の国民が進んで収入を申告し、納税しているとは考えにくい。そうしたことが制度化されているとも考えにくい。特に産油国であればそもそも所得税は存在しないであろう。そうであれば、統治者にしてみれば、国軍は自らを守るために手金で作った親衛隊くらいに思っていても不思議ではない。

 中東では、いま、われわれ日本人の想像を越えたことが起こっているように思われる。


1) <湾岸産油国>

 今回のチュニジアに端を発する一連の騒乱を見ていて、とにかくわれわれ日本人として最も懸念されるのは「石油・ガス」の供給についてである。我が国がそれによって立つ石油の90パーセント以上を中東に頼っている。石油とガスはどうなるのか。それは、日本への石油・ガスの殆どすべてが来るペルシャ湾岸の産油国の動向にかかっている。そしてそれは、今回、はしなくもバーレーンの反体制運動で表に出てきた湾岸のペルシャ人シーア派イスラム教徒住民の動向にかかっていると考えられる。今後バーレーンの反体制デモが拡大し、近隣の産油国に波及する事態だけは起こってほしくない。

 エジプトやリビア国民による反体制運動とバーレーンなど湾岸諸国でのそれとは、運動する国民の性格がかなり異なるのである。エジプトとリビアは、何と言えばよいか、アラビア語を話す北アフリカ人の国である。(エジプトについては常に1割以下のコプト人キリスト教徒の存在が指摘される。)一方、ペルシャ湾岸は、その名が示すように、ペルシャ人の世界である。或いはそうであった。湾の北側は、勿論ペルシャ人の国であり、ペルシャ人ばかりである。ところが交易の民であるペルシャ人は、湾の南側、現在のアラブ人の土地にも多数進出していた。というより、具体的な数字はないが、アラブ人の人口は非常に希薄で、歴史的にペルシャ人の優勢な土地であったと考えられる。僅かにいたアラブ人は、漁民であるが、彼らは主として海人(あま)として海底に潜り真珠を採取していた。アラブ人海人がとった真珠をペルシャ人がダウ船に乗って交易に携わっていたのではないだろうか。いまデモ隊によって占拠されているバーレーンの首都マナマの中心広場が「真珠広場」と名づけられているのはこの歴史によるのである。しかしこの素潜りによる天然真珠採取も、百年あまり前のわが御木本幸吉による養殖真珠の発明によって壊滅する。ペルシャ湾での真珠採取業については、アブダビの初代石油大臣オタイバ氏が著した「アブダビの経済」(東京銀行調査部1972年)に詳しい。(因みにこれは筆者が訳したものである。)

 こうして、人口面でペルシャ人優位のまま石油時代に入って、湾岸各地にアラブ人「王族」が現われて国を作って行くわけであるが、このとき多数派のペルシャ人がなすところなく、唯々諾々としてアラブ人王族の国に組み込まれていった行った。ここのところがよく分からない。ペルシャ人には、ここはアラブの土地であるとして、自分たちは客分であるという自覚でもあったのだろうか。本国のペルシャ(イラン)が植民地状態で自国民保護のために軍を派遣する余裕などとてもなかったこともあるであろう。ともかく、結果として少数派のスンニー派アラブ人王族が多数派のシーア派イスラム教徒であるペルシャ人国民を治めるというねじれ状態の小産油国が次々に生まれた。クウェート、バーレーン、カタール、アブダビ、ドバイなどである。サウジアラビアも湾岸地域に限れば断然ペルシャ人の方が多い。だが、その後アラブ人が人口を猛烈に増やしたので、現在、実際にどうなっているのかはよく分からない。

 そこで、容易に想像される通り、シーア派ペルシャ人は二級国民にされ、さまざまな面で差別的な不利な扱いを受けるようになった。ペルシャ湾南岸には彼らの不満が渦巻いている。いつ爆発してもおかしくない状況にあるはずである。石油施設で働いているものも多い。かつてはサウジアラビアにおけるペルシャ人国民の暴動のニュースが何度か伝えられたが、暴動はたちまち抑圧され、事実は隠蔽された。現在バーレーンでデモを行っているのもこの人々が主体のはずである。この上に、特に就職先がなく不遇に喘いでいる若いアラブ人国民が加担するような状況が生まれると、どの国でも体制を揺るがす事態に至るであろうことは容易に想像される。イランの干渉が懸念されるところであるが、現在の保守派政権が改革派の抗議デモを受けている状態では、そのような余裕があるかどうか。

 湾岸のアラブ産油国の構成をごく簡単に整理すれば、次のようになるであろう。まず、中核となる「王族」と言われる一握りの人々がいて、国のほとんど全ての要衝を占めている。莫大な石油収入も彼らによって然るべく配分されているであろうが、実態は知るべくもない。ごく少数のテクノクラートを登用した内閣があり、評議会や議会という諮問機関もあれば、それらのメンバーを選ぶための形ばかりの選挙制度がある国もある。国軍と親衛隊と警察がある。宗教者も組織化されており、理論面で王族を支える。王族のほかに一般アラブ人国民がいるが、さまざまな利権をもつ王族と結びついて盛大に商売を行っているのもこうしたアラブ人国民である。アラブ人は、出身の部族や家族など出自をしつこく問うところが特徴的である。さて、上記のペルシャ人やその他一部パレスチナ人などの外国系国民は、国籍をもってはいても、これらアラブ人国民の埒外に置かれていると考えられる。ところで、湾岸産油国にはこうした「国民」以外に、多いところでは国民の何倍にも達する外国人労働者、いわゆる出稼ぎがいるのである。少ない国でも3割くらいは外国人で、野外や現場での労働はもちろん、企業や役所の実務は殆ど彼らが行っている。多くはアジア諸国からの労働者であるが、役員やマネージャークラスには欧米人も少なくない。彼らは、雇い主のアラブ人に何を言われても「イエス・サー」と答えて裏であこぎな仕事をするが、雇い主は白人を部下にしていい気持になっている。

 サウジアラビアは、エジプトやバーレーンなどの様子を見て、先手を打って懐柔策に出たようである。伝えられるところでは、緊急の経済対策として、350億ドルを拠出する(ばら撒く)とのことである。
「経済対策は社会福祉、住宅、雇用、教育などの予算を大幅に増額する内容。食料や住宅の価格急騰で国民の不満が高まる中、中東各地で激化している反政府デモの混乱がサウジアラビアに及ぶのを食い止める狙いがあるとみられる。(11/02/24CNN)」
 サウジアラビアは、かねてともに高齢で病身の国王と皇太子をめぐる王位継承問題を抱えているところに、突然の今回のアラブ・イスラム世界全体を揺るがす騒ぎで、王族内部の緊張のほどが察せられる。

 なお、湾岸産油国6か国(サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン)は、湾岸協力会議(GCC)という地域協力機構を作っている。これがうまく機能して互いに支え合うことになれば心強いのであるが、次に触れるアラブ連盟と同様、アラブ・イスラム世界での協働や協力関係はうまくいかないとしたもののようである。


2) <アラブ連盟>

 アラブ世界は未曾有の大動乱に直面している。しかもこれまでのような外圧によらない、内発的な変動のときを迎えることになった。一国だけでなく、全アラブ国が早急な対応を迫られている。このときこそ、アラブ連盟は、崇高なアラブ連盟憲章の精神にもとづいて、強力な指導力を発揮し、アラブ国、アラブ社会の進むべき方向を示し行動しなければならないところであるはずである。どうなっているのか。だが、アラブ・イスラム人は、議論を尽くして、合意のもとに目標を立て、それに向かって協力して行動を起こすといった一連の手続きが絶望的に下手である。

 リビアのカダフィ大佐は今もアラブ連盟首脳会議の議長であるはずである。昨年10月のリビアはシルトでの首脳会議において、このカダフィ議長のもとでアラブの将来を語り合ったばかりであるはずの盟友のムバーラク大統領やベンアリ大統領の姿はもうない。残る有力メンバーとしては、アルジェリアもイラクも弱体化し、サウジアラビア国王しかいない。しかしそのサウジアラビアはベンアリの亡命を受け入れ、ムバーラクに対しても避難所を申し出ている国である。アラブ連盟はぼろぼろの状態である。

 そのアラブ連盟が「声明」を発表した。
「リビアで反体制デモの武力鎮圧が激化していることを受け、アラブ連盟(本部・カイロ)は22日、カダフィ政権を強く非難し、アラブ連盟のすべての会議や委員会への参加を禁止するとの声明を発表した。声明は、戦闘機によるデモ隊への無差別空爆などをしたとされるカダフィ政権について、「外国人傭兵を雇い、実弾や重火器を使った暴力は人権法に反し、許し難い」と強く非難。弾圧行為の停止や反政府側との対話の開始、メディアの受け入れなどの条件が満たされるまでは、アラブ連盟の会議や委員会への参加をすべて禁止するとした。」 (11/01/23朝日)

 これがアラブ連盟の「意思」或いは「決議」だとすれば、だれがどのようにして決めたのであろうか。これはアラブ連盟が議長のカダフィを非難する内容である。何が何だか皆目訳が分からない。上記の声明は、明らかに事務総長の一存で、事務総長が議長を糾弾するものである。この混沌。このナンセンス。一体、「アラブ連盟」とは何か。アラブ世界とは何か。

 アラブ連盟という集まりが、民衆の与り知らぬ理念なきトップ同士のおしゃべりの場に過ぎないことがここでもはっきりした。この声明にどれだけのアラブ人が反応を示しているのだろうか。過去の数限りない声明の行方を見ても、ゼロである。だが、アラブ世界を襲った今回の騒乱で、さらに何人かのアラブ連盟首脳会議のメンバーが姿を消すことになるであろうが、騒乱が治まった後は、新しい顔触れで「新アラブ連盟」を作ることになるのであろう。

 さらなる驚きは、そのアラブ連盟の十年来のエジプト人事務総長アムル・ムーサー博士が、ムバーラクなき後の大統領の候補者として最右翼にいるという報道である。多くの民衆が期待し、本人もやる気満々ということであるが、まことにアラブ世界なるかなである。


3) <中東問題とパレスチナ問題>

 余談にわたるが、世に言う「パレスチナ問題」とは非常に不思議な言葉で、あってはならない種類の言葉なのである。と言うのは、問題であるのは、また問題があるのは、あくまでユダヤ人、イスラエルの側であって、断じてパレスチナ人でもパレスチナの土地でもないからだ。ユダヤ人がパレスチナの土地に平和に暮らしていたパレスチナ人を蹴散らし、土地を奪ってそこに国を作ったことが、それがどうして「パレスチナ問題」なのか。どうしてこれを「パレスチナ問題」と言って、「イスラエル問題」と言わないのか。実は、その点こそが「パレスチナ問題」の「パレスチナ問題」たる所以であると考える。

 パレスチナ問題とは、これは間違いなく「イスラエル問題」であり「ユダヤ人問題」である。パレスチナ人の側に問題など影も形もなかった。そこをユダヤ人なり欧米のジャーナリズムが、いつの間にか巧妙にすり替えて、世界的に「パレスチナ問題」と言い習わさせてしまったのであろう。このためこの問題の責任はパレスチナ人にあるかのような非常におかしなことになっている。

 同じ伝で言えば、「中東問題」も「中東問題」ではない。好戦的かつ暴力的な、少なくともかつてはそうであった紅毛碧眼の欧州人による「欧州問題」であるはずである。地中海の対岸から近代兵器で武装した大軍を送り込み、太平の眠りを眠るアラブ人やトルコ人やペルシャ人を叩き起し、勝手に国境線を引いて国を作っては次々と植民地に組込み、産業革命の成果物を売りつけ、資源を収奪した欧州人にこそ問題があったのではないか。中東人こそいい迷惑である。その結果として「中東問題」とは、踏んだり蹴ったりではないか。「中東問題」は濡れ衣である。

 「中東問題とパレスチナ問題」は、正しくは「欧州問題とイスラエル問題」と言い替えられなければならないであろう。そこを中東のアラブ人は、無反省に自ら「中東問題」と言い、「パレスチナ問題」と言って憚らない。その点が問題なのである。アラブ世界が上記のような歴史的な経緯を認識し、これを不都合であると判定し、西洋世界の然るべき相手と同じテーブルに座って抗議して訂正を求め、ジャーナリズムによって世界に向かって論陣を張ることをしなければならないところである。ユダヤ人ならきっとやっているだろうことであるが、アラブ人はどうしてやらないのか。

 さらに、単に抗議するだけでなく、自ら立ち上がらなければならないであろう。数学を学び、工学を研究し、産業を興こし、憎き欧米に対抗すべく行動を起こさなければならないところである。それを行わない限り、中東問題もパレスチナ問題もなくならない。


4) <民主化?>

 ところで、いわゆる中東問題の焦点は、言うまでもなく、政情不安である。中東は、しばしば火薬庫にもたとえられてきた。この点は、上記の濡れ衣中東問題とは違って、純正中東問題と言われても仕方のないところである。今回のアラブ世界の動乱は、これはまさにこの手の問題であって、問題含みの中東が抱える大きな問題のひとつが現実となって現われ出た図である。外部世界の人間は、これを見て、石油を念頭に置いて、「困った連中だ、厄介なことになった」と思っている。石油・ガスが関係しなければこれほど大きく扱われる問題ではない。

 アラブの民衆は、いま、突然自らの可能性に目覚めて、長期独裁体制の打倒のために決起し、既にチュニジアとエジプトでは実現した。次はリビアである。いま独裁の打破に立ち上がっている民衆、特に青年たちは口々に「自由だ」「民主主義だ」と拳を振り上げ絶叫している。しかし、いまイスラムの外部世界で行われているような自由や民主主義は、これまでアラブ世界ではどこでも実現したことはないし、イスラムとの両立はなかなか難しいはずのものである。そもそもそれらの言葉は学校でも教えられず、聞きかじった言葉だけが独り歩きをして、内容は何も理解されていないはずだ。人権も、言論の自由も、選挙も、議会も、多数決も、国民の義務も、何もかも理解されいない。イスラム世界は、歴史的に、民主主義とは無縁なのである。

(中国は「中国茉莉花革命」に過敏になっているようであるが、われわれの目から見て、中国と中東は酷似していると言える。長期独裁政権である、人権無視である、言論の自由がない、選挙がない、議会がない等々と数え上げればいくつも合致して、中国の不安もなるほどと納得がゆくのである。これについてはぜひどなたかに書いていただきたいものである。)

 いささか飛躍するが、アラブ・イスラム諸国の首長と在位年数を並べて見るだけでいろいろなことが見えてくる。まず見事に長期独裁国ばかりである。首長の在位期間が短いようでも、例えばシリアのバッシャール大統領は初代で父親の前大統領と合せると40年の統治となり、もし今回の事件がなければ、エジプトがちょうどこのようになるところであった。ここに「民主主義」は影も形もない。これらの国が一足飛びに民主国家に変身すると考えること自体に無理があるであろう。(各国についてのもう少し詳しい情報は、外務省の「各国・地域情勢」が簡潔で便利である。)

モロッコ ------ モハメッド国王 ---(12年)
アルジェリア--- ブーテフリカ大統領(12年)
チュニジア ---- ベンアリ大統領 ---(24年)
リビア -------- カダフィ革命指導者(42年)
エジプト ------ ムバラク大統領 ---(30年)
スーダン ------ バシール大統領 ---(22年)
シリア -------- バッシャール大統領(11年)
ヨルダン ------ アブドラ国王 -----(12年)
パレスチナ ---- アッバース大統領 -(07年)
サウジアラビア- アブドラ国王 -----(06年)
クウェート ---- サバーハ首長 -----(05年)
バーレーン ---- ハマド国王 -------(12年)
カタール ------ ハマド首長 -------(16年)
UAE -------- ハリーファ大統領 -(07年)
オマーン ------ カブース国王 -----(41年)
イェメン ------ サレハ大統領 -----(33年)


 そもそも、いま街頭で荒れ狂っている民衆が求めているものは確かに独裁者の追放である。しかしアラブの民衆は「独裁」そのものに対して怒っているのではないのではないか。アラブ・イスラム民衆は、独裁体制自体には違和感をもつどころか、恐らく親近感をもって歓迎している。アラブ・イスラム人は、歴史的に一貫して独裁制を受け入れ、独裁者のもとに暮らしてきた。そうして、今も独裁者の下で暮らすことを選択し希望していると考える。民衆は、現代の「カリフ」を求めているように見えるのである。カリフという言葉の当否はともかく、真のイスラム世界を実現してくれる独裁者を、である。

 カリフは、預言者亡き後の後継者の意で、それは同時にイスラム共同体の指導者である。イスラム教徒は、いつの時代もカリフを求めている。現代のイスラム教徒もやはりカリフを求めている。真のカリフを求めているのである。ところが、新しい統率者が現われ、それにカリフのイメージを重ねてついていくが、いつも裏切られているというのが実情ではないだろうか。

 それが証拠に、いま追放されようとしている独裁者たちも、就任(政権奪取)のときは民衆によって歓喜して迎えられ、時々の演説は歓呼をもって答えられ、つい昨日まで多数の国民の支持を得てきたのではなかったか。それは、かつてのカリフのように、預言者の口をついて出た神の言葉を実現してくれるイスラム的公正、公平な政治を民衆が期待しているからである。

 では、なぜ歓呼で迎えた独裁者を今になって追放したいのかと言えば、それは独裁者の不正蓄財の故であるであろう。独裁者とその一族と取巻きたちによる国家財産の私物化、収奪に怒っているのである。それは、恐らく、情報時代の余波ではないかと思われる。どの時代どの地域のカリフも戦争や統治を行うためには莫大な資金を必要としたことは言うまでもなく、住民からは過酷な税を取り立てる一方、あらゆる手段を講じて資金を掻き集めたであろう。民衆はそれを知らなかっただけである。現代のカリフは、いささかの倫理的欠如と時代的不運に見舞われたということである。

 アラブの民衆自身が、自分たちが何を求めているのかが分かっていない。それを明確にしてやるのが宗教指導者たちであるはずだが、これまたなすところがない。欧米諸国も、アラブ諸国、アラブ民衆に対し、すぐには実現不可能な民主化を求めるのではなく、開明君主、開明カリフを見出し押し立てることをアドバイスする方が現実的であるように思われるのだが。


++++

 この度、諸般の事情により、記名で書くことに致しました。私は足立晋(あだちすすむ)と申しまして、昭和14年兵庫県生まれで、ここ40年来東京都在住です。総合商社ニチメンに勤務したサラリーマン上りで、通算10年近い中東各国での滞在、駐在、出張経験があります。
 匿名で始めたのには特に理由はありません。gooブログも現在の参加者は150万人を越えている由ですが、これを始めた頃はたしか8万人程度で、Eメールに代わる便利な手段として、時々の駄文を二三の知友に読んでもらうのが目的でした。それがそのままずるずると今日に及んだ次第です。

 なお私は、昔から古い日本語に関心をもっておりまして、別に「倭語探検」というサイトを運営しており、そちらの方で忙しくしています。もし日本語に関心をお持ちの節は、ちらと覗いて見ていただければ幸甚です。

足立晋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする