タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく115

2013-03-13 09:23:57 | 日常
調査によると、
週刊誌の報道(ほうどう)を信じている人は、
日本人の中でも、1%にも、満(み)たないそうです。

創価学会に対するデマ記事も、ひどかったですが、
その他、個人や団体に対するデマ記事も、ひどく、
ある週刊誌などは、デマ記事によって、
裁判に訴(うった)えられて敗訴した、賠償金(ばいしょうきん)は、
すでに、1億円を、超えているそうです。

それでも、デマを、やめようとしないのが、
そのような週刊誌の実情(じつじょう)なのかもしれない・・。


だいぶ前の話しだけれど、週刊誌に、
創価学会の池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
世界中の大学から、
博士号や名誉学位(めいよがくい)を、いただいているものだから、
(現在、世界で300以上の名誉学位を、いただいている)
韓国のテレビ番組で、
チュンチョン大学の学長が、
創価学会から、多額の寄付(きふ)を、もらったから、
名誉学位を、授与(じゅよ)したという証言をしたとする、
記事を、のせていたことがあった。

ところが、その韓国のテレビ番組というのが、
チュンチョン大学の学長が話している映像を、
都合(つごう)の良いように、ばらばらに切って、つなげた、
とんでもない報道だったそうです。
学長も、そんなことは、言っていないと、
激怒して、テレビ局に抗議(こうぎ)したそうです。

そんなテレビ番組をもとにして、つくられた、
日本の週刊誌の報道に、真実(しんじつ)があるわけがなく、
とんでもない、デマ報道だったと言える。
チュンチョン大学の学長は、
日本の週刊誌側にも、抗議の手紙を、
送っているそうです。

けれど、売れれば、
そんなことは、どうでいいと思っているのが、
そのような週刊誌の現状(げんじょう)なのでしょう。

すべては、金!
そうとしか、考えられない週刊誌の記事は、
もじどうり、週刊誌を書いている本人たちが、
金のことしか、考えられない、
あさましい人間であることの、
証明(しょうめい)となっている。

日本の、こういう週刊誌の売上げも、
徐々(じょじょ)に、減(へ)ってきていて、
衰退(すいたい)の道を、たどっているようです。


世間一般では、
悪を見て、見ぬふりをするのは、
善ではないけれど、悪ではないと、
考えられているようです。

けれど、仏法(ぶっぽう)の考え方は、違う!
悪を見て、「まあ、いいや」と
傍観(ぼうかん)するのは、
まぎれもなく『悪』であり、
『悪』の仲間である!と、説く。

『悪』を見て、見ぬふりをするのは、
一見、利口(りこう)そうに見えますが、
それは、あきらかに、
悪を、のさばらせ、
悪を増長(ぞうちょう)させる行為であり、
あきらかに、「悪を行う行為(こうい)」と、
言えます。

これが、日本の悪い部分の文化であり、
この悪(あ)しき文化が、
平気でデマを書くデマ雑誌を、
のさばらせてきたんだと思う。
また、それが、当然(とうぜん)のことだと、
平気で考えている人間も、いるようです。

悪を悪だと、叫(さけ)びきる!
たとえ、周(まわ)りから見たら、
かりに、みっともないように見えたとしても、
悪を悪だと、訴えることを、やめない!
徹底(てってい)して、悪を責(せ)めきる!
これを、やってきたのが、
創価学会です。

この創価学会の思想は、
目に見えないようだけれども、
日本の文化を、少しづつ、良くしている!
正義を正義だと、堂々と言っていける世界!
善(ぜん)が、栄(さか)える世界!
それを、実践してるのが、
創価学会だと、言えます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

悪を責(せ)めきることは、
それ自体、最高の善(ぜん)に、つながる。
悪を責めることは、自分の悪を断(た)ち切り、
自分自身の善を、正義を、
より強く、輝(かがや)かせる!
それは、そのまま、
自分の幸せを、輝かせる!
自分の人生を、幸せにする!

悪を責めるとは、
実は、自分の人生を、幸せに変え、
自分の未来を、幸せに変える行為(こうい)です。
悪を責めれば、責めるほど、
自分の未来が、開けてくる。
なぜだか、悪を責めれば責めるほど、
自分の悩みは、解決し、
夢や希望が、かなっていく!

それは、悪を責めることが、
自分の中にある、悪(あ)しき生命、
自分の幸せになることを阻(はば)んでいる
元凶(げんきょう)となっているものを、
取り除(のぞ)く結果となり、
その結果、自分の生命は、輝き、
生命と人生が向上(こうじょう)していくと、いうことです。

その結果として、不思議(ふしぎ)だけれど、
悩みや問題が解決し、
夢や希望を、かなえていけるようになっていく。

実は、その、
究極(きゅうきょく)の法則(ほうそく)が、
創価学会の人たちが、日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』なんです。

その幸せをもたらす、
不思議なる法則が、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)なんです。

南無妙法蓮華経とは、
宇宙の法則であり、生命の法則です。
だから、悪を責めることは、
宇宙の法則にも、生命の法則にも、
かなっている!ということです。

だから、悪を責めると、
宇宙の法則(生命の法則)からいっても、
その幸せになる法則にかなっているから、
急激(きゅうげき)に自分の人生が、
幸せに変わっていく。

仏法では、
『声、仏事(ぶつじ)をなす!』と、言います。
叫(さけ)ぶことを、やめない。
声を出すことを、やめない!
正しいことは、正しい!
間違(まちが)っていることは、間違っていると、叫びきる。

これが、仏事(ぶつじ)に、かなっている。
すなわち、人間として、
最高に幸せになる道に、つながっている。
人間として、最高の勝利者になり、
人間として、最高の幸せを、つかむ、
結果となっていく。

そのための鉄則(てっそく)が、
『声を出す』
真実を、話して話して、話しぬく!
そのことに、つながってくるんだと思う。


さきほども、話しましたが、
これは、たんなる理屈(りくつ)ではなく、
宇宙の法則であり、生命の法則だということです。

創価学会が、
どんなに迫害(はくがい)されても、
この大変な時代の中でも、
隆々(りゅうりゅう)たる発展を続け、
世界192ヶ国に、広がっているのは、
なぜか?


それは、創価学会が、
いつでも、
真実を、語ってきたからなのだろう・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

タイムマシンによろしく100

2012-10-09 09:30:22 | 日常
うちの会社に、
優秀な女性がいて、
立派(りっぱ)な婦人なんですが、
いろいろ「推(お)し」 があるのか、
情報網(じょうほうもう)が広いようで、
芸人やら、アイドルやら、俳優やら、
いつも、だれかしら、
夢中(むちゅう)になっている芸能人がいて、
机やパソコンの回りに、
いっぱい、その人の写真などを、
かざってあります。

当然(とうぜん)、結婚もしていて、
なんの不満(ふまん)もないみたいですが、
やはり、好きなものは、好きなんでしょう。

お目当(めあ)ての芸能人がでるテレビ番組があると、
放送時間に見なくても、
見る方法は、あると思うのですが、
夜中の3時でも4時でも、
わざわざ、起きていて、
一生懸命(いっしょうけんめい)、見ています。


わざわざ、起きてるな~~~~!!
と、思いますが、
それが、彼女にとって、
生活していく上で、
大きな活力(かつりょく)になっているのも、事実です。


何かしら、夢中になるものが、ないと、
人間は、生きていけない生き物なのかも、
しれません。


また、夢中になるものが、あったほうが、
人は、
輝(かがや)いて見えるものです。


人から見たら、
その夢中になっていることは、
価値(かち)のないようにも見え、
無駄(むだ)に思えてしまうかもしれないけれど、
決して無駄ではなく、
その人の、生きていく上での、
大きな活力になっている。


不思議(ふしぎ)と言えば、不思議です。


他人には、
何の価値(かち)もない無駄なものであっても、
ある人にとっては、
かけがいのない大切な宝物(たからもの)になる!


それが、人間なのかもしれない。


極論(きょくろん)から言うと、
人間は、生きているだけで、
価値があるという。

だから、その人が、
そのことに夢中になり、熱中することは、
その人を、

「生きさせる」「生きようとさせる」

ことになり、
それは、かけがいのない、
生命(せいめい)の宝物になるんだと思う。


人は、さまざまなものに、夢中になり、
さまざまなことを、好きになる。


それが、人間の個性であり、
その人を、形成(けいせい)する、
かけがいのない、
「生命の形(かたち)」と、なっていく。


けれど、
時として、自分が、熱中すること、
夢中になることが、
人に不幸を、もたらし、
大きな災難(さいなん)を、もたらすことも、
多々ある。


そこが、人間の恐(こわ)いところだ。


不倫(ふりん)をしたら、なにかしら、
まわりの人たちに、不幸を、もたらす。

さまざまな犯罪(はんざい)も、同じだと思う。

最低限(さいていげん)、
自分が夢中になること、
好きなことが、
人や世界に、危害(きがい)を与えず、
好ましいことである必要がある。


逆(ぎゃく)に、
自分が、好きになったり、夢中になることが、
もし、自分だけでなく、
まわりの人たち、地域(ちいき)の人たち、
世界のために、ためになり、
世界に貢献(こうけん)できることであったなら、
もっと言うと、
世界を幸せにすることに、つながったのなら、
どれだけ幸せだろうと、思う。


もし、それができたなら、
自分の生きる価値は、
もっともっと、大きくなり、
自分の生命は、もっともっと、輝き、
生きる喜びは、もっともっと、
増大(ぞうだい)するはずだ。


実は、その根本命題を、
みごとに解決したのが、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法(ぶっぽう)です。


この南無妙法蓮華経の仏法は、
すべての人の個性(こせい)を、
否定(ひてい)しない!

すべての人の個性豊(ゆた)かな生き方を、
否定しない!

肯定(こうてい)して肯定して、肯定しぬく!

なぜならば、
それが、完璧(かんぺき)に可能な
生命哲学(せいめいてつがく)に、
立脚(りっきゃく)しているからです。


南無妙法蓮華経は、全宇宙のリズムであり、
法則(ほうそく)であるがゆえに、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
宇宙の法則、宇宙のリズムに、
完全に、合致(がっち)する!

それは、そのまま、
その人の生き方、その人そのものを、
宇宙のリズム、法則に、
完全にマッチさせることになり、
その人の人生も、その人の生命も、
幸せのリズムに、のっていく!


一切(いっさい)が、
幸せへと、転換(てんかん)されていく!


ゆえに、その人の個性や、趣味などが、
すべて、人々を、世界を、幸せにすることに、
不思議と、いかされてきてしまう!!!


これが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる生き方です。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


「活(かつ)の法門(ほうもん)」
という言葉が、ある。


どんな人であろうと、
どんな個性の、どんな生き方の人であろうと、
その人が、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえだした時から、
その人の生き様(いきざま)は、
今まで、自分にとって、
マイナスだと思ってきたことまで、
すべて、
今まで、生きてきて、
何にも役(やく)に立(た)っていないと思っていたことまで、
自分の生きてきた、
生(お)い立ち、すべてが、
マイナスからプラスへと、
完全に逆転(ぎゃくてん)していく!!


自分の生きていること、すべてが、
自分の生命すべてが、
完全に、生(い)かされていく!


それが、妙(みょう)なる法(ほう)、
『南無妙法蓮華経』だと思う。


だから、どんな人であろうと、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の生活すべてが、
自分の趣味も、好きなことも、熱中することも、
すべてが、世界を、人々を、
幸せにするために、役立つようになってくる!


自分が、呼吸(こきゅう)することすべてが、
世界を、人々を、幸せにしていく!!


だから、
自分の存在(そんざい)に、
大きな価値を感じるようになり、
強烈(きょうれつ)な生きがいを感じるようになり、
心が、歓喜してきて、
生きていること自体(じたい)が、
幸せで、幸せで、しょうがなくなってくる!


それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえていく生き方です。


こんなスゴイ生き方は、絶対(ぜったい)にないし、
こんな幸せなことも、絶対にない!


だから、
南無妙法蓮華経を、となえていく生き方は、
「歓喜(かんき)の中の大歓喜」であり、
幸せの中の、最高の幸せであり、
生きるということから、言えば、
最高最大に、価値があり、
価値を感じる生きかただと、言える。


その最高の生き方を実践(じっせん)しているから、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がっている・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく95

2012-09-15 12:08:08 | 日常
フランスの女性哲学者(てつがくしゃ)、
シモーヌ・ベーユが、言っているそうです。


「生命に障害(しょうがい)となる、

あらゆるものとの戦いが、

革命(かくめい)なのである」


と・・・!


前に聞いた話しだけれど、
人間は、戦っているから、
生きているんだそうです。

人間の中の、あらゆる細胞(さいぼう)は、
起きている時も、寝ている時も、
生命に危害(きがい)を加えようとする、
ありとあらゆる細菌(さいきん)や病原菌(びょうげんきん)、
それらすべてと、戦っている・・・。


だから、ぼくたちは生きている。


生命(せいめい)を、つかさどるそれらの細胞が、
戦うのを、やめたら、
ぼくたちは、腐(くさ)って、
ただのゴミのようになって、
死んでしまう。


戦うことは、大変なようだけれど、
生命にとって、それは、
必然(ひつぜん)のことなのでしょう。


だから、生命は、
『戦(たたか)う』ことによって、
成り立っていると、言えるかもしれない。


それに、人間が本当(ほんとう)にイキイキしているのは、
確かに、何かに挑戦している時のような気がする。

そういうときは、大変かもしれないけれど、
確かに、
輝(かがや)いてきて、
生きがいを感じる!


『革命(かくめい)・・・』


シモーヌ・ベーユが、言っている。

「生命に障害となる、

あらゆるものとの戦いが、

革命なのである」

と・・・!


そう考えると、
『革命』は、『生きる!』ためにあるのだろう・・。

また『革命』は、『輝(かがや)く!』ために、
あるのだろう・・・。

そう考えると、
『革命』とは、
『幸せ』になるための『挑戦(ちょうせん)』!
そのものなんだと思う。


それが、
シモーヌ・ベーユが言う、
『生命における革命』なんだと思う。



革命というと、血(ち)なまぐさいことを、
考えがちだけれど、
シモーヌ・ベーユが正しければ、
革命とは、少なくとも、
人間を、殺すことでは、ないと思う。

人間を、殺すのでは、なくて、
人間を、活(い)かすこと。


それが、ほんとうの革命なのだろう・・。


ひとりの人間にスポットを、
当(あ)てるのならば、

「生きて、生きて、生き抜(ぬ)くこと!」


それが、生命における、
真実(しんじつ)の革命のはずです・・。


だとしたら、
仕事における困難(こんなん)を打開するのも革命、
さまざまな悩(なや)みを解決するのも、革命、
一人の人間の悩みを聞き、
励(はげ)まし、元気づけるのも、革命、

病気を、乗り越(こ)えるのも、革命、
老(お)いに、負けないで生きるのも、革命!
夢を、かなえるのも、革命。

家族を思い、家族を愛し、
家族と共(とも)に、生き抜くのも、革命!


人間が、生きることには、
たえず、障害はあります。

けれど、障害に負(ま)けないこと、
障害を乗(の)り越えて、生きることが、
革命なのかも、しれません・・・。



革命というと、何か、
とんでもないことのように、思うけど、
また、何か、
特別(とくべつ)の立場(たちば)の人でないと、
関係ないように、思うかもしれないけれど、
革命は、もっと身近で、
もっと、
自分に関係あることなのかも、しれない・・・。


それが、
シモーヌ・ベーユが言う、
『生命における革命』
なのかもしれない・・・。


だから、
シモーヌ・ベーユが、言うように、
すべての人間に、革命は、ある。

瞬間(しゅんかん)、瞬間、
ひとりひとりに、革命は、ある!

一瞬、一瞬、自分の生命は、
叫(さけ)んでいるのかもしれない。

「負けるな!負けるな!乗り越えろ!!」

その生命の戦いが、
『革命』なのでしょう。


そして、その瞬間、瞬間、
一瞬(いっしゅん)、一瞬の生命を、
変革する力(ちから)のことを、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

と、言うことができます。


『南無妙法蓮華経』は、
生命を変革する力(ちから)そのものだからです。


だから、創価学会(そうかがっかい)の人たちは、
さまざまな悩みに直面(ちょくめん)したときに、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。

夢を、希望を、
どうしても、かなえたい時に、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。


それは、自分の生命に、
革命を、起こすためです!


そして、
創価学会では、
この革命のことを、

『人間革命(にんげんかくめい)』

と、いう!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)
の言葉!


『ひとりの人間における、
偉大(いだい)な人間革命は、
やがて一国の宿命(しゅくめい)の転換をも、
成し遂(と)げ、
さらに、
全人類の宿命の転換(てんかん)をも、
可能にする!』


これは、生命の叫び声かも、しれない。

ひとりひとりが、持っている、
本当の生き様(ざま)!
本当の価値(かち)!
本当の生きがい!


それが、『人間革命』なのかも、しれない!


そして、その人間革命が、できる、
唯一(ゆいいつ)の生命の法則(ほうそく)が、
『南無妙法蓮華経』です。


どういうことかというと、
悩みを解決するにしても、
夢や希望をかなえていくにしても、
困難を乗り越えていくにしても、
生命の根底(こんてい)では、
それを可能にし、つかさどっているのは、
この『南無妙法蓮華経という法則』だと
いうことです。


宇宙を動かしている根底のもの・・、

生命を変化させている根源(こんげん)にある力・・。


それが、『南無妙法蓮華経』だということです。



よく言うことだけれど、
人それぞれ、宿命(しゅくめい)がある。

なぜ、宿命というかというと、
それが、なかなか変(か)えられないからです。


変えられないから、人は、苦(くる)しむ。


その自分が背負(せお)っている、
どうしようもないような苦しみや運命、
抜(ぬ)けるに抜けられない宿命・・。

その宿命を打ち破っていける、
唯一(ゆいいつ)の秘宝(ひほう)が、
『南無妙法蓮華経』だということです。


あらゆる困難を打ち破り、
あらゆる幸せをもたらしていける力(ちから)・・。


それが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。


だから、
「南無妙法蓮華経をとなえる」ことなくして、
宿命を変革(へんかく)していくことは、
できない・・・。


横暴(おうぼう)なようで、
それが、真実だと言えます・・・。


どんなに、あがいたとしても、
どんなに悩んだとしても、
どんなに逃(に)げても、
本当に幸せをもたらし、
現実に、プラスの変化(へんか)、幸せの変化、
幸運の変化をもたすら方法は、

『南無妙法蓮華経を、となえる』

しかない・・・・!


人生の根本的(こんぽんてき)な幸せの変化は、
南無妙法蓮華経を、となえることに始まり、
最終的にも、結局(けっきょく)
南無妙法蓮華経を、となえることに
たどり着く。


そう、言えると思います。


だから、
人間が、生きて生きて生き抜く上での、
革命とは、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

ことに、ほかならないと、
言い切ることが、可能(かのう)となる・・・!


なぜなら、
そこから、すべてが、
変革していくからだ・・・・・・!!!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく84

2012-06-23 13:40:29 | 日常
今日の朝、
いつもと同じ、出勤の道を歩きながら、
ふと、空を、見上げた。

毎日、通っている道だけれど、
視野(しや)が広がり、
いつもとは、違(ちが)った景色が、
見えた。

いつも、見ているはずのビルが、
とても、美しく、
芸術的(げいじゅつてき)にさえ、思えた。

「こんな芸術的な素晴(すば)らしいビルが、
あったのか!!」

と、感動した。


見るもの、すべてが、
新鮮(しんせん)に、思えた。


道路工事の誘導(ゆうどう)をするオジサンが、
なぜだか、輝(かがや)いて見えた。


世界は、こんなに美しいのか!

世界は、こんなに、素晴らしいのか!


と、自分で、
気持ちよく、出勤できた。


考えてみれば、些細(ささい)なことかもしれない。

だだ、ちょっと、空を、見上げ、
視点(してん)を変え、
視野を、変えてみただけだ。

けれど、
それだけで、
世界の見え方は、大きく変わる。

それは、そのまま、
人生の変化にも、つながる。


ほんのわずか、視点を変えただけで、
人生も、世界も、変(か)わって見える。


自分が、どんな視点で、
世界を、人生を、
ものごとを、見ているのか。

それによって、
人生は、大きく、左右される。


自分の視点が、
狭(せま)く、こり固まったものになっていると、
思ったことは、ないだろうか?

自分の世界を、人を見る視点が、
かたよった、小さなものになっていると、
思ったことは、ないだろうか?


自分の人生を見る視点が、
自分なんか、こんなものさと、
マンネリ化した、
同じ視点で、
見ていないだろうか?


すべては、変化(へんか)していく。
すべては、変化し続ける。


だとしたら、ほんのわずか、
視点を、変えるだけで、いいはずた。

それだけで、
どれだけ、世界が、変わって見えるか!
どれだけ、人生が、変わっていくか!


目は、人間の機能(きのう)の
一部分に過(す)ぎないけれど、
その一部分だけの視点を、変えただけで、
世界も、自分も、
大きく変わっていく!

だとしたら、
もっと、根本的な、
もっと、根源的(こんげんてき)な、
生命(せいめい)そのものの視点を、
変えることが、できたなら、
どけだけ、人生が、変わっていくか!
どれだけ、人生が、開けていくか!


そう、考えることは、
できないだろうか・・・・・!!


その最も根本的な、
「生命そのもの」を、
変化させる力(ちから)が、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです!

だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
自分自身の生命の視点が、
変わっていく!

今まで、ピンチだと思っていたものが、
これは、人生を切り開く、
大きなチャンスだ!
と、考えられるようになる。

どんな悲しみであっても、
その悲しみを乗り越(こ)え、
大きな幸せを、つかんでいく力に、
変えていくことが、できる。


それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことだと思う。


空を見上げると、
視野が、広がるように、
南無妙法蓮華経を、となえると、
生命そのものの、視野が広がり、
世界が、ひろがる。

その広々とした生命状態からは、
どんな困難(こんなん)も、困難ではなくなり、
大きな幸せを、
つかむチャンスに変わる。


それは、そのまま、
自(みずか)らが求めた幸せへと、
つながっていく・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
生命そのものの視点を変える、
不思議(ふしぎ)なる法則(ほうそく)!

だから、世界中の、
どんな人間であろうとも、
南無妙法蓮華経を、となえると、
前向きな、新鮮な視線(しせん)で、
ものごとを、見て、
考えられるようになっていく。

そして、それは、
大きな充実(じゅうじつ)と、
幸せを、つかむことに、
つながっていく。


この現実的な、
生命の躍動(やくどう)と歓喜(かんき)があるから、
創価学会は、
世界中に、
広がり続けているんだと、思う。


創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、
世界中のすべての人間を
幸せにできる、
理由のひとつが、
ここに、あるんだと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく67

2012-03-31 11:05:35 | 日常
まえに、
聖教(せいきょう)新聞の『わが友に贈(おく)る』に、

(「わが友に贈る」は、
池田創価学会インターナショナル会長が、
聖教新聞の一面に、毎日、のせてくれている、
4、5行の短いメッセージです)

「未来部の友は皆、
 
法華経(ほけきょう)の命を継(つ)ぐ人。

だからこそ

学会と共に生きる

素晴(すば)らしさを伝えよ!」

と、あった。


未来部とは、
創価学会員(そうかがっかいいん)の
夫婦の間に生まれた子供たちのことで、
創価学会員二世とか、三世、四世になると、
思う。


『法華経(ほけきょう)の命を継(つ)ぐ人・・・』


法華経とは、仏法の真髄(しんずい)で、
結論から言えば、
現代では、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』が、
法華経なんです。

だから、仏法(ぶっぽう)の真髄とは、
「南無妙法蓮華経」のことになり、
『南無妙法蓮華経の仏法』が、
仏法の真髄である、「法華経」だということです。

だから、法華経の命を継ぐ人とは、
その、
「南無妙法蓮華経の仏法の真髄を、伝える人」
という意味だと思う。


仏法(ぶっぽう)とは、
はっきり言えば、
世界を平和にする、
世界を幸せにする、
最高にして唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)と
言っていいので、
その仏法の真髄を、世界に伝える人は、
本当に、大切となる。


『学会と共に生きる
素晴らしさを伝えよ!・・・・』


創価学会と共に、生きる素晴らしさって、
何だろう?


いろいろ、ありすぎて、困(こま)るけれど、
「生きる価値(かち)」と共に、
生きることができる!ということだろうか?

自分の存在を、
最高最大に認(みと)めることが
できる喜(よろこ)び!だろうか?


普通は、家庭にしろ、会社にしろ、
現実の社会の中に生きていると、

(創価学会が、現実の社会ではないと
いうことではない!
創価学会は、現実社会を、
より強く、楽しく、幸せに、
生きていくために、ある)

自分という存在(そんざい)は、
どんどん、小さくなっていくような気がする。


自分の存在が、はっきり、見えてこない!


なんのために、生きているか、
見えてこない。

目先(めさき)の、さまざまな小さなことに、
とらわれて、あくせく、
生きているという感じがする。


人間としての、目的感、
人間として、
自分は、本当に生きているんだという、
本当の意味での生命に感じる、
充実感(じゅうじつかん)!


これが、隠(かく)れてしまうのが、
「世間(せけん)」だと思う。


見栄(みえ)や、ていさいに、とらわれ、
それでも、その日、その日、
めまぐるしく、生きていくしかない。

時は、どんどん、過(す)ぎていく。


これが、普通の、
あえて、わかりやすく言い方を変えれば、
創価学会を知らない人たちの、
生き方だと、思う・・。


創価学会と共に生きるのと、
そうでない生き方との違(ちが)いはなんだろう?


と考えたとき、

一般的に・・、
創価学会でない人たちは、
あまり、
「歓喜(かんき)」という言葉を、使わない。

「歓喜」という言葉が、めずらしく思えてくる。

それは、日々の生活の中で、
自分の生命に、「歓喜」を感じることが、
ほとんど、ないからだと思う。

「歓喜」とは、生きる喜び、そのもの!
この「歓喜」が、なかったら、
人生は、むなしく、はかないかもしれない。


ところが、創価学会の人たちは、違う。
日々の生活の中で、
よく「歓喜」という言葉を使う。

それは、日々、自分の生命で、
歓喜を感じているからであり、
歓喜が湧(わ)き上がってくる実感(じっかん)を、
自分の生命で体験しているからであり、
また、その「歓喜」を
共に共有(きょうゆう)しているからだとも言える。

悩みを克服(こくふく)することのできた歓喜!

困難を乗り越(こ)えることのできた歓喜!

創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰によって、
夢や希望をつかむことのできた歓喜!

宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)し、
より良く人間革命していけた歓喜!

家族や職場、環境や境遇(きょうぐう)を、
より良く変えていくことのできた歓喜!

家族や友を、幸せに導(みちび)くことのできた歓喜!

単純(たんじゅん)に言えば、
勝利の歓喜!
希望がわき上がる歓喜!
未来までつらぬく幸せの歓喜!

その、あらゆる歓喜をつかみ、
味(あじ)わえる場所が、
創価学会(そうかがっかい)だと思う。


だから、
創価学会の中で、生きるとは、
この「歓喜」の中で、生きるということだと、
思う。


日々の生活の中で、「歓喜」を、感じながら、
生きる。


創価学会と共に生きるとは、
自分の生命に、歓喜を感じ、
自分の生命に、生きる価値を感じ、
勝利と幸せの生きる充実感を、
感じながら生きる!
ということだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

以前、聖教新聞に、
ある落語家(らくごか)の師匠(ししょう)が、
毎日毎日、師匠と呼ばれながらも、
ものすごい、はかなさを、感じ、
妻がやっていた創価学会の信仰を、
はじめたと、書いてあった。

ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
虚飾(きょしょく)や、見栄(みえ)が、なくなってきて、
自分の欠点が、よく見えてきて、
弟子に、落語家としてではなく、
人間として、いろいろなことを、
教えることが、できるようになった!

と書いてあった。

そして、創価学会と共に生きる喜びを、
強く、語っていた。


創価学会と共に生きる素晴らしさとは、
何だろう?


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とは、
宇宙のリズムだ。

幸福を作る宇宙のリズムであり、法則だ。

創価学会は、その「南無妙法蓮華経の仏法」を、
日々、生活の中、人生の中で、
実践(じっせん)している団体なので、
創価学会と、共に生きるということは、
その南無妙法蓮華経の作る、
幸福のリズム、宇宙のリズムの中で、
生きるということになります。

それは、どんな時でも、
宇宙の幸せを作る波の上を、
サーフィンで、楽しく波乗(なみの)りして、
遊んでいるようなものかもしれない。


これが、幸せのリズムから、外れていたら、
どんなに、悲惨(ひさん)だろう!

宇宙のリズムである、
幸せを作る波に、のれなかったら、
どんなに、さみしく、つまらないだろう・・・!


池田先生が、

「創価学会は、
幸せの安全地帯(あんぜんちたい)なんだよ!」

と、言っていた。

だとしたら、
創価学会と共に、生きなかったら、
現実社会という危険に、さらされながら、
かすり傷(きず)で、すめばいいが、
人生の苦難(くなん)という、
さまざまな車に、衝突(しょうとつ)され、
大きな痛手(いたで)を負いながら、毎日、
それでも、生き続けなければならない。


それでは、あまりにも、つらいし、
悲しいと思う。


それは、歓喜を知らない人生、
創価学会と共に生きることを、
知らない生き方だと、思う。


結論(けつろん)から言うと、
創価学会と共に、生きるということは、
人生における、
すべてのものを、手に入れるのに、
等(ひと)しいと、思う・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・