タイムマシンによろしく!!

明日は、タイムマシンがなくても、やってくるから・・。

タイムマシンによろしく62

2012-03-06 06:51:43 | アニメ
先日から、
アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」を
見た話しをしているんですが、
その中で、
なんとも言えない悲しみと、
無常感(むじょうかん)を感じたと、
書きました・・・・。


あとから、考えて、
なぜだろう?
と、思いました。


このアニメの登場人物は、
ひとりひとりが、欠点(けってん)はあるにしても、
自分なりに、
一生懸命(いっしょうけんめい)、生きている。

戦争などの、
むなしい行動を繰(く)り返している
愚(おろ)かな面もありますが、
それにしても、
人間として、精一杯(せいいっぱい)、
生きようとしている!

にもかかわらず、
このアニメを見ると、
言い知れない悲しみと、無常を感じる。


それは、なぜだろう?


そう、考えた時、
やはり、それは、
『火の鳥』の存在(そんざい)だろう!
と思われる。

「火の鳥」という永遠(えいえん)の生命を持った存在が、
あまりにも輝(かがや)かしいために、
人間の行動が、
あまりにも、
愚かに、悲しく、
見えてきてしまう。

老(お)いと、死という、
絶対に避(さ)けることのできない、
宿命(しゅくめい)を持っている人間にとって、
「火の鳥」の存在が、
あまりにも、大きいからだと思う。

永遠の生命を持つ、
火の鳥の存在が、
普段(ふだん)、気づかない、
死というものを、
人間に、気づかさせてくれているんだと、
思う。


日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、


『仏法(ぶっぽう)を学ぶには、
最初に、死について、考えなさい!』


と、言っている。


別に、死を、
恐(おそ)れよということではない。

死が、あるからこそ、
生きて、生きて、生き抜(ぬ)きなさい!
と、いうことだと思う。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田先生も、
仏法の真髄(しんずい)は、

「自分自身に、生き切ることだ!」

と、言っている。


最初の「火の鳥」の話しに戻(もど)りますが、
アニメ「火の鳥」は、
永遠の生命を持つ火の鳥と、
必ず、死ぬことがわかっている、
人間の営(いとな)みとの対比(たいひ)によって、
不思議(ふしぎ)な生命空間を、
表現している。

いずれ死ぬ人間と、
永遠の生命を持つ火の鳥を、
同時に描(えが)くことによって、
必ず死ぬということと同時に、
生命の継続性(けいぞくせい)、
永遠的なものを、
描いているのかもしれない・・・。


ここに人間は、『何か?』を感じる・・。



仏法(ぶっぽう)では、
その『永遠の生命』を、説いている。

それは、幽霊(ゆうれい)とか、
霊魂(れいこん)とかいう存在ではなく、
かといって、まったく消えて、
なくなってしまうわけでもない。

形や存在が残(のこ)るものではないけれど、
それでも、存在するもの。


仏法では、それを、
『生命(せいめい)』と表現している。


仏法で使う『生命』という表現は、
難(むずか)しいけれど、
自分の生命自体は、死んでも、無(な)くならず、
宇宙に溶(と)け込んで、
存在しつづける。

それが、なにかの拍子(ひょうし)に、(なにかの縁で)
フッと、また、
一個の生きた生命として、
誕生(たんじょう)していく!

と説いている。


ちょうど、一日、
疲(つか)れたら眠り、
また、朝、元気になって
起き上がるように。

年を、とって疲れた生命は、
休まなければならない。

そして、また、みずみずしい、
若々しい生命として、
誕生していく。


だからと言って、
生まれ変わるというのではない。


生命それ自体の性質は、
永遠に継続(けいぞく)し続ける。

自分という「我(が)」の存在は、
永遠に変わらず、
存在し続けるということです。

だから、自殺(じさつ)は、無意味だと説く。

なぜならば、
自殺したいような苦しみも、
自殺した地獄(じごく)のような苦しみも、
全部、自分で、背負(せお)ったまま、
生命それ自体は、
宇宙に溶(と)け込んでも、
永遠に残り、
その苦しみは、続くからだ。

そして、また、何かの縁(えん)で、
生まれてきても、
また同じように、
自殺したいような苦しみを、味(あじ)わい、
また、自殺という地獄の苦しみを、
味わう結果(けっか)になる。

だから、自殺しても、かえって、
自分の業(ごう/悪い宿命)が増(ふ)えるだけで、
次に生まれてきても、
今より、もっと悲惨(ひさん)な自分として、
生まれてきてしまう。


その悪循環(あくじゅんかん)が、続くだけだ。


その悪循環を、
打ち破(やぶ)るために、
真実の仏法(ぶっぽう)はあり、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
あります!

その悪循環を打ち破る、
唯一(ゆいいつ)の秘策(ひさく)が、
実は、創価学会が実践する、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』

と、いうことです。


『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だけが、
自分の悪循環の宿命(しゅくめい)を、
打ち破ることが、できる!!


だから、創価学会の人たちは、
それぞれの人が、
さまざまな宿命や悩みを、もっているにもかかわらず、
その宿命や悩みを、乗り越(こ)えて、
夢や希望、幸せを勝ち取り、
堂々(どうどう)と、生きている!


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


人間は、いずれ、死ぬ。


けれど、自分の生命自体は、
永遠に、存在し続ける。


ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
無意識(むいしき)にしろ、
その自分の中にある
「永遠の生命」を、
感じることができるんだと思う。


最初、
火の鳥という永遠の生命を持った存在が、
人間の存在を、悲しく、愚(おろ)かに
見せていると言いましたが、
だとしたら、逆(ぎゃく)に、

永遠の生命が、自分の中にあるとしたら!

自分の中に火の鳥が、いるとしたら、

自分の生命を、
より偉大(いだい)に、
より輝かしく、より大きく、
感じることが、できる!!


その火の鳥のような
『永遠の生命』を感じることが、
実は、

『南無妙法蓮華経を、となえる!!』

ということかもしれない・・・。


だから、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
元気になってきて、強くなってきて、
楽しくなってきて、
勇気が出てきて、
生きるのが、幸せになってくる!

それは、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
人間は、はかなく、むなしいものではなく、
人間は(自分は)、
偉大で、素晴らしく、
最高に輝かしい存在なんだ!と、
無意識にしろ、
わかってくるからだ!!

そして、自分が、生きる意味を、
生きる使命(しめい)を、
思い出していく。


あたかも、それは、
自分の中に、
『火の鳥』が、いるように・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく61

2012-03-02 07:00:49 | アニメ
先日、
アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」の
話しをしていて、
その中に出てくる、
ヤマタイ国のヒミコで思い出したんだけれど、
古代(こだい)、
最初に日本を、つかさどったのは、
天照大神(あまてらすおおみかみ)という
「女性」だそうです。

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)も、

「日本という国は、
女性の国といわれる国です。

天照大神という
女性の神が、
つくり出された国です。」

と言われています。


昔の女性、平塚雷鳥(らいちょう)も、
明治時代に、
「元始(げんし)、女性は太陽であった」
と、言っていましたが、
確かに、そうかもしれない。


というか、
女性は、太陽だと思いますよ。


会社や組織(そしき)にしても、
女性が、イキイキと活躍(かつやく)しているところが、
繁栄(はんえい)していると
言われています。

女性をバカにし、
軽視(けいし)している組織は、
いずれ、衰退(すいたい)していくと
いうことだと思います。

だから、創価学会(そうかがっかい)でも、
女性は、
本当に尊敬(そんけい)し、大切にしています。


以前(いぜん)に、
創価学会の本部幹部会で、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、

女性の皆さんに、お礼(れい)を言いなさい!

と言ったので、
男性が、全員、立って、
女性に向かって、
「いつも、ありがとうございます!」と、
お辞儀(じぎ)をしていました(笑・・)

(池田先生は、いつも、誠意(せいい)を
現実に表に出すことを、大切にし、
よく、そういうことをやりました。)


仏法(ぶっぽう)の世界では、
女性に対する認識(にんしき)は、
とても、おもしろい。


釈尊(しゃんそん、釈迦[しゃか]、ブッダ)は、
八万法蔵(はちまんほうぞう)という、
たくさんの経文(きょうもん)を残しましたが、
そのほとんどの教えのなかで、

女性は、
「成仏(じょうぶつ)できない!」

と説かれてきました。

女性は、業(ごう)が深いので、
成仏は、できないと!


それが、逆転(ぎゃくてん)するのが、
『法華経(ほけきょう)』です。


法華経(ほけきょう)は、
釈尊が、全世界の民衆に伝えたかった、
唯一(ゆいいつ)、
真実の教えですが、
法華経を説(と)くまでは、
法華経の真理が、
あまりにも深く、難(むずか)しいため、
衆生(しゅじょう)が理解できないだろうと、
衆生にあった、
衆生の理解力に合わせて、
まあ、その人その人が喜ぶような、
簡単(かんたん)な法(ほう)を
説いてきました。


けれど、それは、
本当(ほんとう)の教えではなく、
実は、
偽(いつわ)りの、ニセの教えです。


けれど、それぞれの人が、
わかるような話しをしていかないと、
釈尊の仏法(ぶっぽう)を学び、
着いて来る人がいなくなるので、
とりあえず、
衆生の仏法に対する理解力や、
対応力(たいおうりょく)が上がるまで、
偽りの、ニセの法(ほう)を、
それぞれの能力に合わせて、
話してきたんです。


実(じつ)は、現代、
日本の、いたるところに広がっている、
葬式(そうしき)仏教や観光(かんこう)仏教は、
すべて、その偽りの教え、ニセの教えを、

「まあ、釈尊(しゃくそん)が言ってることだから、
いいんじゃないか?」

と、安易(あんい)に理解して、
ひろめられているものです。

けれど、本当は、
偽(いつわ)りの、ニセの教えだから、
功徳(くどく)や、効力(こうりょく)、
力が、あるわけがありません!

かえって、偽りのニセの仏教(ぶっきょう)をやっていると、
間違(まちが)った教えなので、
どんどん、不幸になっていきます。

また、もっと言えば、
現代の一般(いっぱん)の仏教は、
釈尊の教えのかけらもない、
ぶっちゃけ、
お金儲(もう)けができるように、
適当(てきとう)なところを
使っているに過(す)ぎません。


ようするに、
間違ったデタラメな宗教だというこです。


間違った宗教を信仰(しんこう)するということは、
その通りの結果(けっか)、
すなわち、
間違ったデタラメな結果がでるので、
当然、やればやるほど、
さまざまな形で、
不幸が出現(しゅつげん)してきてしまいます。


だから、創価学会の人は、
そんなことは、やらない方が、いいよ!
と言います。

実際、やらない方が、いいです。
真剣(しんけん)にやれば、やるほど、
不幸になります。


ちょっと横道(よこみち)に、それましたが、
釈尊(しゃくそん)の人生の後半にきて、
釈尊は、いよいよ、
真実の教えである、
『法華経(ほけきょう)』を、説きます!

この中で、はじめて、

『女性は、成仏(じょうぶつ)できるんだ!』

と説きます。

また、女性と同じように、
他の低い教えでは、
「二乗(にじょう)」と言って、
インテリ階級(かいきゅう)の
頭が、すごく良い人や、
芸術家(げいじゅつか)も、成仏できない!と、
説かれていました。

なぜかと言うと、
なまじっか、頭が良いので、
まあ、自分は優秀(ゆうしゅう)なんだと
鼻(はな)にかけているので、

「おれは、自分で、
真実の法を、さとることが、できるんだ!
人の話しなんか、聞けるか!」

と、
自分の小さな悟(さと)りに、とらわれて、
真実の仏法を、
信じようとしないからです。

なにごとも、理屈(りくつ)で考えようとして、
信じるということが、できないからです。

芸術家も、
ひとつのことに、たけているので、
慢心(まんしん)があって、
かえって、
小さな悟(さと)りに固執(こしゅう)して、
真実の仏法を信じることができない。

だから、芸術家やインテリは、
成仏できないと、
説かれていました。

そして、もう一人、
法華経以外の仏教の教えでは、

「悪人も、成仏できない」

と、説かれていました。


それが、イッキに逆転して、
女性も、二乗(慢心のインテリや芸術家など)も、
悪人も、すべて、成仏できる!

と、説いた法が、
法華経(ほけきょう)です。


深く高い教えほど、
制限(せいげん)がなく、
いっさいの民衆を救(すく)うことができる!
と、いうことです。

しかも、釈尊が言うには、

「釈尊が亡(な)くなってから、
2000年、たつと、
釈尊が説いた法華経も、
民衆を救う力(ちから)が、なくなる!」

と、言っています。


では、いったい、どうしたらいいのか?


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

釈尊(しゃくそん)は、
自分が亡くなってから、2000年後、
釈尊の法華経ですら
救うことができなくなった民衆を、
今度は、必ず幸せにできる、
『真実の法華経』が
広められていくだろう!と、
言っています。


実は、釈尊の法華経には、
未来の、現代の民衆を救い幸せにするためには、
どうしたらよいのか?


という、その方法と、法則(ほうそく)が、
メッセージとして秘(ひ)められています。


そのメッセージを、
見事(みごと)に、くみ取り、
釈尊の法華経から、
現代の、未来の、
すべての民衆を
幸せにすることができる法則を、
生命(せいめい)すべてで読み取ったのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

そして、その教えが、
現代の法華経である、

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』

です。


だから、
この『南無妙法蓮華経』は、
当然、女性も、二乗(にじょう)と呼ばれる、
インテリや、芸術家も、
また、悪人さえも、
成仏できる教えであり、法則(ほうそく)です。

成仏とは、
死んで、仏(ほとけ)になるということでは
ありません。

生きて生きて、生き抜(ぬ)いて、
勝利し、幸せになる!
と、いうことです。

すなわち、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)は、
その他の仏教では、
業(ごう)が深いと言われている、
女性も、インテリや、芸術家も、悪人さへも、
真実の幸せと勝利に導(みちび)くことができ、
現実の中で、
勝利と幸せを、
自分の生命で、ありありと体感(たいかん)できる、
これ以上ない、
最高峰(さいこうほう)の生命哲学(てつがく)であり、
生命の法則です。

だから、
『南無妙法蓮華経を、となえぬく』
という、
単純明快(たんじゅんめいかい)な活動によって、
創価学会の人たちは、
確実(かくじつ)に、勝利し、
幸せになることができます。


それは、
世界192ヵ国の創価学会の人たちが、
現実に体験していることであり、
悩みの解決や夢の実現など、
あらゆる、さまざまな形で、
その、ひとりひとりに、
勝利と幸せを、もたらしています。

また、それが、
釈尊の法華経に秘められた、
メッセージでも、あるからです・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・


タイムマシンによろしく60

2012-02-27 06:54:13 | アニメ
このまえ、
アニメ・火の鳥「黎明編(れいめいへん)」を
見ました。

原作(げんさく)は、
手塚治虫の有名なマンガ「火の鳥」 で、
ぼくも昔、熱中(ねっちゅう)して読んだのを
思い出して、
なつかしくなりました。


ヤマタイ国の王女、ヒミコは、
権力(けんりょく)を手にしながらも、
自分の老(お)いと死に、
おびえていた。


永遠(えいえん)の命(いのち)を持つ、
「火の鳥」の生き血(ち)を飲めば、
永遠に若く、生きられるという・・。


ヒミコは、
火の鳥の「生き血」を求め、
その火の鳥の住むという
ヒの国を、襲撃(しゅうげき)し、
滅(ほろ)ぼしてしまう。

ヒの国の少年ナギは、
ヤマタイ国の将軍(しょうぐん)、猿田彦に助けられ、
生きのびる。

また、
ナギの姉ヒナクと、恋人グズリも、
山に、のがれ生き延(の)びる。

しかし、ヒナクとグズリは、
火山の爆発(ばくはつ)によって、
山の深い縦穴(たてあな)の中に、
閉(と)じこめられてしまう。

やがて、ヤマタイ国は、
自分たちが侵略(しんりゃく)してきたと同じように、
馬に乗る騎馬民族(きばみんぞく)に攻(せ)められ、
滅ぼされる。

ヒミコも、
火の鳥の生き血を飲むことなく、
死んでしまう。

猿田彦も、ナギも、死んでいく。


見終わって、強く感じたのは、
なんとも言えない、つらい感情でした。

難(むずか)しいことを言えば、
すごく、

「無常(むじょう)」

というものを、感じました。


希望が見えるシーンとしては、
猿田彦と婚姻(こんいん)関係にあった、
ウズメが、最後、

「猿田彦は、負けてはいない!
なぜなら、私のおなかには、
猿田彦の子供が
宿(やど)っているからだ!

猿田彦の生命は、受けつがれたんだわ!」

と、叫(さけ)ぶシーンと、

年月を経(へ)て、
グズリとヒナクの子・タケルが、
脱出(だっしゅつ)不可能と思われた縦穴を、
火の鳥の励(はげ)ましを受けて、
抜(ぬ)け出すシーンだろう。


にもかかわらず、このアニメには、
なんとも言えない悲しみが、
つきまとう。

それは、普段(ふだん)は、
あまり感じることがない、


「人間は、いづれ、年老い、死ぬ!」


という、
無常感(むじょうかん)からだろう。


無常とは、仏教の思想の一部だけれど、
深(ふか)いといえども、
まだ、浅(あさ)はかな思想だと、
言わざるをえない。

なぜならば、人生、はかない!
世の中は、たえず移(うつ)り変わり、無常だと、
意識したところで、
今、生きている人間を、
現実に、
幸せにすることは、できないからです!


無常感を、感じたところで、
現実を、勝ち抜(ぬ)く力には、ならない!!


けれど、本当の仏法(ぶっぽう)は、
無常ではない!


無常のように、あきらめたような、悲しみはない!


本当の仏法は、
まるで、
太陽のように、明るい!


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
言っていた。

『悲観(ひかん)は、いらないんだよ!
感傷(かんしょう)すら、いらないんだよ!
だだ、希望だけを、いだいて、
生きていけば、いいんだ!』

と・・。


それが、現実にできる、
哲学(てつがく)と生命観(せいめいかん)があり、
現実を強力に切り開いていくエネルギーが、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)であり、
その実践(じっせん)が、

「南無妙法蓮華経を、となえる」

と、いうことだと、思う。

頭が良いとか、悪いとか、
金や地位(ちい)が、あるとか、ないとか、
そんなことは関係なく、
死ぬ時にも、
まるで太陽のような希望と幸せを
抱(いだ)いて、死んでいける!


それが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、
本当の仏法(ぶっぽう)です・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・

人は、このアニメの
ヤマタイ国の王女、ヒミコのように、
永遠なるものを、
求めているのかもしれない。


本当の希望、
本当の幸せ。

その象徴(しょうちょう)が、
火の鳥であったんだと思う。


また、それほど、
大げさでないにしても、
自分の悩みを解決できる糸口(いとぐち)となるもの・・、

自分の夢や希望をつかむために、
何かのきっかけと手立(てだ)てを、
人は、求めている。


そして、最終的に、
本当に幸せになっていける方法を、
求めている。


けれど、その幸せになってける方法を、
つかめないまま、
まるで、アニメ火の鳥の王女・ヒミコや
登場人物たちのように、
そのまま、死んでいくことが多いことも、
現実だと思う。


そこに、人は、
無常を感じ、
不幸を感じていく。


ここに、人間が生きていくうえでの、
根底的な不幸が、存在(そんざい)している。


この『無常』につらなる、
根底的(こんていてき)な不幸を打ち破(やぶ)らないかぎり、
人が本当に望む幸せは、
もたらされない!

と言えると思います。


だから、アニメ火の鳥の王女・ヒミコは、
火の鳥を求めていった・・。


ヒミコが火の鳥を求めたように、
人は、
無常を打ち破るもの・・、
根底的な不幸を打ち破るものを、
求めている。

そしてその、心の底(そこ)で、
だれもが求めている、
根底的な不幸を打ち破る力(ちから)が、
実(じつ)は、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法の信仰(しんこう)なんです。


それは・・、
あたかも火の鳥のように、
無常につらなる、さまざまな不幸を、
打ち破っていく!


無常を打ち破り、永遠なるもの、
火の鳥のような幸せを、勝ち取らせてくれる。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
仏法(ぶっぽう)そのものが、
まぎれもない希望であり、
まぎれもない幸せだからです。

その結果として、
どうしても解決(かいけつ)しなかったような、
さまざまな悩みが解決できたり、
大きな壁(かべ)のように思えた夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


だから、かりに、
火の鳥を、探(さが)すとしたら、
それは、どこでもない、
自分のこころ(生命)の中にある、
『希望と幸せ』が、
火の鳥なんだと思う・・。


その火の鳥と言えるような希望と幸せを、
輝(かがや)かし、つかんでいく方法を、
人は、求めているんだと思う。

そしてその、
火の鳥と言えるような「希望と幸せ」を、
どこまでも燃(も)やし続ける生き方ができるのが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


だから、南無妙法蓮華経の仏法を、
真剣に実践している人は、
他のだれよりも、
希望と幸せを、感じることができる!


それは、どんな悩みや困難(こんなん)にも負(ま)けないで、
勝利と幸せを勝ち取っていける道に、
つらなっている・・。


まるで、それは、
火の鳥のように・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(タイムマシンによろしく)・・・・・・・・・・・・・