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ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 330 LMB Street,250 GT by Tom Meade Thomassima Ⅲ

2021-06-25 | スペシャルモデル

フェラーリ 330 LMB Street

(1963) 生産台数4台

1気筒330㏄(4L)ルマンベルリネッタの意味。

この車はGTOのシャーシに、当時の市販ロードカーであったベルリネッタ・ルッソの

キャビン部分を着せたもので、3.0L版の250LMB(250GTOのボディ違い)4.0Lの330LMBが作られた。

330LMBはプロトタイプクラスのエントリーであったが、330LMBは250GTOを最高速度で凌いだ。

1963年には24hrルマンにも出場している。

エクステリアデザインは250GTOにフロントデザインがよく似ていますが、

一回り大きくルッソの意味らしく贅沢に出来ています。

詳細データ不明。

 

フェラーリ 250 GT by Tom Meade Thomassima Ⅲ

(1987) 生産台数1台

250GTをオマージュに仕立てたコンセプトカーと思われます。

詳細データ不明。


フェラーリ 250 Breadvan N°16,250 GTO DRAGO

2021-06-23 | スペシャルモデル

フェラーリ 250 Breadvan N°16

(1962)台数1台

ブレッドバン(パン屋のバン)と呼ばれるこのフェラーリはモデナのカロッツェリア、

ネリ&ボナチーニが僅か14日間で作成した。

依頼主はフェラーリの上得意、ジョバンニ・ヴォルピディ・ミズラータ伯爵。

ベースとなったのは1961年パリ1000㎞レースでクラス優勝した250GT SWB。

伯爵の改造コンセプトはGTOに負けない車でした。

実際ルマンでは250GTOより7㎞/速かった。

斬新なエアロダイナミクスボディとエンジン高が下がることによりパフォーマンスが向上した。

ブレッドバンの愛称?を付けたのは英マスコミで、ボディ後部の形状によるものでした。

その後このブレッドバンを見たエンツォフェラーリは激怒、

伯爵からの2台のGTOのオーダーを断ってしまう。

2010年フェラーリクラシケは250GTベルにネッタ(シャシー1号車2819)に対し

歴史的価値を認める車である事を認め証明書を発行した。

 

フェラーリ250 GTO DRAGO

(1963)

ニュルブルクリンク

現在調査中。


フェラーリ 250 LM Street,250 GTO 64シリーズⅡ

2021-06-22 | スペシャルモデル

フェラーリ 250 LM Street

(1963-1965) 生産台数32台

車名は1気筒当りの排気量とLMはルマンから。

初めの1台だけ250㏄で、以降は排気量を275㏄が搭載された。275LMと呼ばれた。

250GTOの後継として登場したフェラーリ初のミッドシップGT。

当時ライバルだった大フォードは、打倒フェラーリを謳い文句に物量作戦でフェラーリの牙城を

崩そうとした。

世の中はミッドシップの時代になっていて、

エンジンパワーだけでレースに勝てる時代ではなくなっていた。

そこで作られたのであるが、レースでは思うような成績は挙げられなかった。

GT選手権は連続12か月100台以上生産が条件だったが、大量生産ができる設備が無かった。

生産が思うようにいかなかったエンツォフェラーリは250GTのエヴォリューションモデルとして

FIAに申請したが、さすがにLMはミッドシップなので認可されることは無かった。

納得できないエンツォフェラーリは65年GT選手権に市販型のフェラーリを欠場させた。

4,270×1,700×1,115㎜

820㎏ 287㎞/h 300PS

(305PS),2,953㏄(3,286㏄)

60°V12 SOHC

 

フェラーリ 250 GTO 64シリーズⅡ

(1964)生産3台。

250GTOの正常進化型。

1964年、フェラーリは強力なライバルの出現に備え、250LMをGTクラスへ投入する予定だった。

GTOの公認取得の際に通用したエボリューションモデルという理屈を今回も持ち出したが、

エンジンレイアウトが異なる点(GTOはFR、LMはミッドシップ)などから受け入れられず、

GTクラスの公認を得られなかった。

また、250LMの戦闘力も熟成が進む1964年後半までは高くなかった。

そこで急遽250GTOを3台増産、1964年に3台製作されたGTOは主に空力面が改良され、

250GTO64、またはシリーズIIと呼ばれた。

ボディデザインはピニンファリーナとなり、直線的なフロントノーズ、

250LMプロトタイプと同様のカットオフルーフを備えた。

ただし3台とも細部のディテールが異なっている。

GTOシリーズIIは1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利し、GTクラスで勝ち続け、

フェラーリにGT-IIIクラスの3年連続チャンピオンをもたらした。

他の詳細データ不明。


フェラーリ 288 GTO

2021-05-17 | スペシャルモデル

フェラーリ 288 GTO

(1984-1985) 限定272台

正式名称はフェラーリGTOですが250GTOや599GTOと区別する為、便宣上288GTOと呼ばれている。

2.8LV8気筒ランーリスモモロガートでFIAグループBのGTレースの公認取得を意味する。

200台/12か月規定。

308GTBをベースにしているがホイールベースを110㎜延長し縦置きMDエンジンのIHIターボ2基は

フェラーリ市販車では初めて。

リアテイルのダックテールやリアフェンダーの縦型3本のルーバー等250GTOをオマージュしている。

大きい4灯フォグランプ、規定まで大きく膨らんだフェンダーの為、後方視界を確保するため

上方に伸びたサイドミラー。

GTカーなのに全体的に女性的で美しいボディーライン。

当時グループBカーを製作したのはフェラーリだけで結局レースは行われなかったが限定車の為、

熱狂的なコレクターが殺到した。

4,290×1,910×1,120㎜

1,160㎏,5速MT,305㎞/h

2,855㏄V8ツインターボ

DOHC400PS,0-100;4.9秒

225/55VR16 265/50VR16

 

 

フェラーリ288GTO

スパイダー(1987)

屋根は幌製トップが備わると思われる。

リアフェンダーの広さが際立っている。


フェラーリ 288 GTO エヴォルチオーネ

2021-04-28 | スペシャルモデル

フェラーリ288 GTO エボルツィオーネ

(1985)

限定6台

F40のプロトタイプの様な役割をした。

288GTOからF40の間に存在する車種。

ミケロットとの共同開発。

288GTOを性能本位でまとめるとエボルツィオーネになり、さらに整理するとF40になる。

最終的には650PSまで上がった。

フォグランプは288から、ボンネットのNACAダクトはF40に受け継がれた。

サイドのインテークの形状は288やF40に似ていて興味深い。

エンジンフードはF40の様に透明で、

大型リアスポイラーやリアバンパーの廃熱ルーバーの多さには過激さがある。

そのデータやレース思想の多くがF40に引き継がれた。

F40誕生には、実戦投入されずに終わった288GTOの魂がエボルツィオーネに引き継がれ、

見事にF40に昇華させた過程が伺える。

性能が飛躍的に上がったのと引き換えに、

少し残念な事に288GTOの女性的で優雅なボディーラインが減ってしまった事は寂しい。

日本にも1台アートスポーツが所有している。

4,225×1,970×1,100㎜

1,114㎏,5速MT,-㎞/h

2,855㏄V8ツインターボ

DOHC530PS,0-100;ー秒