ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 312 T5、CK

2021-10-27 | F-1

Ferrari 312 T5

(1980年)

19位ジョディシェクター (南阿)

14位ジルビルニューブ(加)

10位コンストラクター

代表マルコピッチニーニ

Tec.engマウロフォルギエ―リ

1980年はDFVエンジンを使用するチームの空力処理の進化があり、

フェラーリも312T4に大きな変更を加えた312T5を作成し、開幕戦から使用した。

グラウンドエフェクト向上のため、モノコック前部の幅を80mm短縮。

サスペンションアームを鋼板溶接構造に変更し、エンジンのシリンダーヘッドの幅をさらに狭めたが、

それらの変更が裏目となって操縦性は悪化し、エンジンの信頼性の問題も多発した。

また、この年のミシュランタイヤと312T5シャシーの相性も悪く、

タイヤ磨耗が他車より激しいためにレース中にタイヤ交換を繰り返しては順位を落とした。

フェラーリは1973年以来となるシーズン未勝利に終わり、

コンストラクターズランキングは10位に低迷。

前年ワールドチャンピオンのシェクターに至ってはカナダGPで予選落ちを喫し、

年間獲得ポイントが僅か2ポイントという悲惨なシーズンを終えると、

この年を最後にレーサー引退してしまった。

312T5は、翌1981年シーズン、完全な新車の126CKに置換された。

ドライバーズタイトルは、

1位アランジョーンズ(67P)

19位シェクター0勝(2P)

14位ジルビルニューブ0勝(6P)

3,000㏄180°V12、NA

DOHC4V ,EN縦MT横置

515PS、595㎏、5速+1速

L4,530㎜W2,120㎜

前23/59 x 13",後38/68 x 13"


フェラーリ 126CK

2021-10-26 | F-1

Ferrari 126CK

(1981年)

7位ジルビルニューブ(加)

13位ディディエピローニ(仏)

5位コンストラクター

代表マルコピィチニーニ

Tec.engマウロフォルギエ―リ

Tec.dziハーベイポストレスウエイト

フェラーリ初のターボエンジンを搭載した。

車名の126は120度のV6エンジン、Cはイタリア語のCompressore過給機、

Kは西独のKKK 社製のターボチャージャーを意味する。

フェラーリは、1975年以降に4度のチャンピオンを獲得したが、時代遅れの312Tシリーズに代えて、

126CKを開発した。

1977年にルノーがはじめて持ち込んだターボエンジンの利点を見出し、V6ターボエンジンを採用した。

このマシンのエンジンには、Vバンクの外側から吸気し内側に排気するレイアウトが採用された。

KKK製の2基のターボチャージャーはVバンクの内側に配置され、

排気バルブからタービンまでの管長を短くすることができた。

312Tシリーズの水平対向12気筒からコンパクトなV6エンジンに変更したことで、

本格的なグラウンドエフェクトカーとして設計することができたが、

シャーシはスペースフレームにアルミパネルをリベット止めして

補強するセミモノコック方式のままで、エンジンパワーに対応するだけの剛性が不足していた。

この年デザイナーとして加入したハーベイポストレスウェイトはシャーシ技術は石器時代だった、

もし剛性テストをやったら、一発でチョコレートスナックのようにねじれてしまったに違いない。

と語っている。

126CKは1980年にイタリアGPのフリー走行で126Cとして最初にテストされ、

そこで312T5よりはるかに速いとわかった。

エンジンパワーが大きく直線では速かったが、ターボエンジン特有のひどいターボラグを持ち、

タイヤに厳しく、ナーバスな操縦性のマシンであり、

ヴィルヌーヴに、真っ赤なとっても速いキャデラック、と言わしめた。

それでも、ヴィルヌーヴは1981年のモナコGPとスペインGPで優勝をかざり、

1980年の不調からの復活を印象づけた。

フロントウイングは、初期型ではノーズがフロントウイングを分断する形になっていたが、

後期型では312T系のようにノーズ上に載せるような形になっている。

ドライバーズタイトルは、

1位ネルソンピケ (50P)

7位ジルビルニューブ2勝(25P)

13位ディディエピローニ0勝(9P)

1,500㏄120°V6ターボ、

550PS

EN縦置、MT横置5速


フェラーリ 126C2

2021-10-22 | F-1

Ferrari 126C2

(1982年)

15位ジルビルニューブ(加)

2位ディディエピローニ(仏)

19位マリオアンドレッティ(米)

7位パトリックタンベイ (仏)

6位ルネアルヌー(仏)

1位👑コンストラクター

代表マルコピィチニーニ

Tec.engハーベイポスルスウェイト

Tec.engマウロフォルギエ―リ

1983年は開幕戦から第8戦まで改修型の126C2Bが使用された。

126C2は、120°のV6ターボ(Compressore)エンジン搭載マシンの2代目、から取られた。

1981年よりシャーシデザイナーとして加入したポスルスウェイトのフェラーリ第1作目であり、

旧態化していたセミモノコック方式から脱却し、

一般的なアルミハニカムパネルのフルモノコックシャーシに切替えられた。

当時の他のグラウンドエフェクトカーと同様、

サイドポンツーンのウィング構造を最大化した皺寄せでコクピットが前進し、

ペダルは前車軸よりも前方に位置していた。

タイヤメーカーはミシュランからグッドイヤーに。

エンジンは126CKでチームとして初めて導入したV6ツインターボエンジンを継続使用する。

アジップと共同でウォーターインジェクションの開発も行い、

1982年シーズン後半から実戦投入された。

エンジンの信頼性は高く、エンジントラブルによるリタイヤはなかった。

シーズン中にはカーボンディスクブレーキを導入。

ヴィルヌーヴの事故を受けてコクピット周辺にカーボンパネルの補強が施された。

また、グラウンドエフェクトの強いダウンフォースに対応するため、

フロントサスペンションがロッキングアームからプルロッド方式に改造された。

これに伴い、サスペンションを覆っていたボディカウルが無くなった。

フロントウィングは左右分割式から312Tシリーズと同じシングルプレートに戻された。

(フロントウィングを外したレースもある)。

126CKのシャーシナンバーも126C2化された。

126C2はヘッドレストが五角形のすり鉢状のくぼみがあったため、容易に見分けがついた。

1983年、フェラーリは1979年以来となる、タイトル争いに絡んできた。

1982年は様々な事件が起こった。

フェラーリにとっては2人ものドライバーが事故によって戦列を去り2度と復帰することは無かった、

悲劇のシーズンを走ったマシンった。

ロングビーチでおこなわれた第3戦アメリカ西GPで、

2枚のリヤウイングを前後にずらして互い違いに装着し、

ウイングの幅をマシンの全幅規定いっぱいとしたダブルウイングを投入。

リヤウイングの幅は1,100mm以下との規定を拡大解釈したものだったが。

これは当時流行った水タンクを使用した車重の軽量化に抗議するものだった。

結局3位フィニッシュしたヴィルヌーヴは失格となるが、

開幕戦でのリザルトでのウィリアムズとブラバム勢が失格となった。

第4戦サンマリノGPはディディエピローニとジルヴィルヌーヴのワンツーフィニッシュとなったが、

ピローニがチームオーダーを無視しヴィルヌーヴの優勝を奪ったことで、

ドライバー二人の関係は極度に悪化してしまった。

ゾルダーで行われた翌第5戦ベルギーGPの予選中、

126C2を駆るヴィルヌーヴがヨッヘンマスのマーチ821に乗り上げクラッシュ。

マシンは前半部分が破壊され、

さらにシートベルトが千切れてヴィルヌーヴはマシンから放り出された。

結局彼は背骨など複数箇所を骨折しており、死亡した。

第8戦カナダGPではピローニがポールポジションを獲得するも、スタートでエンジンストール。

そこに後方からのスタートだったリカルドパレッティがフルスピードで衝突。

ピローニに怪我は無かったが、パレッティは胸郭破裂で死亡した。

さらに第12戦ドイツGPでは、ピローニがアランプロストのルノーに後方から激突。

フロント部分が完全に押しつぶされたせいで両足粉砕骨折を負い、

F1からの引退を余儀なくされてしまった。

レギュラードライバー2名の相次ぐ不幸により、ドライバーズチャンピオン獲得は不可能となったが、

代役として起用されたパトリックタンベイとマリオアンドレッティが健闘し、

最終的に1982年のコンストラクターズチャンピオンを獲得することができた。

ドライバーズタイトルは、

1位ケケロズベルグ(44P),

15位ジルビルニューブ0勝(6P)

2位ディディエピローニ2勝(39P)

19位マリオアンドレッティ0勝(4P)

7位パトリックタンベイ1勝(25P)

6位アルヌー2勝(28P),

7位タンベイ1勝(25P)

1,500㏄120°V6ターボ、

600PS以上, 540㎏,320㎞/h

EN縦置、MT横置5速


フェラーリ 126C2B,126C3

2021-10-15 | F-1

Ferrari 126C2B,126C3

(1983年)

4位パトリックタンベイ (仏)

3位ルネアルヌー(仏)

1位👑コンストラクター

代表マルコピィチニーニ

Tec.engハーベイポスルスウェイト

Tec.engマウロフォルギエ―リ

126C2Bは1983年より導入されたフラットボトム規制に対応する形で、126C2を改造して製作された。

グラウンドエフェクトのダウンフォースが利用できなくなったため前後のウィングを大型化し、

リアウィングの翼端版を延長して外側に小形のウィングレットを取り付けた。

また、後輪荷重を稼ぐためラジエターなどの補機類をエンジン周辺にまとめ、

重量配分を後ろ寄りにした。

126C2Bは本来の1983年用マシンである126C3の製作が遅れていたため、

シーズン半ばの第8戦カナダGPまで使用され、2勝4PPと活躍した。

126C3は、120度のV6ターボ(Compressore)エンジン搭載マシンの3代目、から取られた。

126CKと126C2で使用されたV6ツインターボエンジンを継続使用。

シャーシは従来のアルミハニカムモノコックに代わり、カーボンファイバー製モノコックを導入した。

燃料タンクの右側には、この年流行した燃料再給油戦術のための給油口が設けられた。

126C2Bと似ており、リアウィング翼端版の子持ちウィングレットも共通している。

サイドポンツーンはラジエターの配置を見直してより一層小型化されたが、

126C2Bと似た先端の低いタイプも使用された。

1983年シーズン第8戦カナダGPまでは126C2Bで参戦し、シーズン後半戦から126C3を投入した。

デビュー戦の第9戦英GPではアルヌーがPP、タンベイが2位となりフロントローを独占。

第10戦独GPではアルヌーが優勝し、第12戦ではアルヌー、タンベイが1,2フィニッシュを飾った。

カナダGPから6連続入賞(うち3勝)した。

アルヌーは第14戦伊GP終了時点でポイントランキング首位のプロスト(ルノー)に2点差まで肉薄したが、

残り2戦は無得点に終わり、ドライバーズチャンピオンはネルソンピケ(ブラバム)のものとなった。

タンベイは3PPを獲得したがリタイアが多く、チームメイトに及ばなかった。

この年、安定した成績を収めたフェラーリは、ドライバーズランキングではアルヌーが3位、

タンベイが4位を獲得。

両ドライバーとも好成績を収めた結果、

コンストラクターズランキングでは1982年に続いて連覇を達成した。

コンストラクター1位(89P)

ドライバーズタイトルは、

1位ネルソンピケ(59P),

3位アルヌー3勝(49P),

4位タンベイ1勝(40P)

1,500㏄120°V6ターボ、

600PS以上, 540㎏,320㎞/h

EN縦置、MT横置5速

 

 

 

 

 

 


フェラーリ 126C4M2

2021-10-13 | F-1

Ferrari 126C4M2

(1984年)

4位ミケーレアルボレート(伊)

6位ルネアルヌー(仏)

2位コンストラクター

代表マルコピィチニーニ

Tec.engハーベイ・ポスルスウェイト

126C4は、120度のV6ターボ(Compressore)エンジン搭載マシンの4代目である。

1984年のレギュレーショではレース中の再給油が禁止され、燃料タンク容量が220Lに制限された。

ウェーバーとマニエッティマレリが共同開発した電子制御燃料噴射装置を導入し、

ティーポ031エンジンは公称660馬力(予選モードで800馬力)の出力を発生した。

車体は126C3と同じく、ラジエターやインタークーラーを後方に配置し、

短いサイドポンツーンで覆うアローシェイプが特長だった。

エンジンカウルはロールバーが露出したフラットな形状となり、

左右2つのNACAダクトから吸気を行った。

シーズン中盤にはラジエター配置を縦から横に変更、ホイールベースを延長し、

リアサスペンションをプルロッドからプッシュロッドに変更した。

この改良型は126C4Mとも呼ばれる。

"M"はイタリア語のModificato(モディフィカート)の略で、改造された(modified)という意味がある。

終盤戦では、アンダーパネルとディフューザーによりグラウンドエフェクトを獲得する

新トレンドに従い、空力処理を刷新した126C4M2が登場した。

ラジエター位置を前進させ、

サイドポンツーンを縦長で後方を絞り込んだ形状(コークボトルライン)と似たものにした。

1984年ダラスGPにてミケーレアルボレートがドライブする126C4開幕戦ブラジルGPから投入され、

第3戦ベルギーGPでは予選フロントローを独占。

チームに新加入したミケーレアルボレートがポールトゥウィンで優勝を果たした。

しかし、それ以外では2位4回が最高成績であり、2台揃って予選10位以下というレースが4回あった。

フェラーリはこのシーズンから1999年まで15年間タイトルから遠ざかることになる。

コンストラクター2位(57.5P)

ドライバーズタイトルは、

1位ニキラウダ(72P),

4位アルボレート1勝(30.5P),

6位アルヌー0勝(27P)

1,500㏄120°V6ターボ、

660PS, 540㎏,320㎞/h

縦置、MT横置5速、