サンダー杉山blog

まあいろいろと。音楽主体かな。あと本とかアニメとか。

魔法少女まどか☆マギカをみた

2011-05-05 21:59:56 | Weblog
GWということもあって、なにかと話題の「魔法少女まどか☆マギカ」を昨日一日で全12話みてしまった。

もう、アニメだからどうの、っていう作品じゃないよね。

とはいっても、タイム・パラドックスとかセカイ系な要素とか、ここ最近のアニメのトレンドがあるから、こういう世界観が強く立ち上がってくる、というのもある気がする。というのは、この作品がすごい面白い、と思っても身近にいる、あまりアニメを見ない人にはちょっと勧められないというか、わかりずらい気がする。あとやっぱ、男だと絵柄に抵抗感を持つかもしれない……。

日本のアニメ、っていう言い方はほんと、好きじゃないんだけど、どうしても避けて通れなくなってしまう。歴史的に、ロボットを出したり魔法少女を出した子供向けを装わないとテレビで放送するアニメが作れない、といった時代が長かったから、こういう絵柄で、設定でってことになるわけなのだが、逆にこういう(魔法少女)ジャンルがあるから、こういったテーマが描ける、というのもあるわけだ。

太宰治が「パンドラの匣」という小説の中で、扱った「希望」というモチーフを、「魔法少女まどか☆マギカ」は現代にもう一度、正面から取り組んだ。当然、太宰の「希望」と同じように、その両面を見つめる。つまり、希望があるから絶望が生まれる、ということだ。

普通の少女が、ぬいぐるみのウサギとネコを掛け合わせたような謎の生き物に、たったひとつの願い事をかなえてもらう、という契約と引き換えに、魔法少女となって魔女と戦わなければいけない、という宿命を与えられる。

これは、少年がロボットを与えられ巨大な力を与えられることと同じなわけだ。

まあ、これは子供が大人になる、ってことのメタファーなわけで、物語の構造としては、力を持つことにより責任を与えられ、精神的にも成長するっていうのが、いわゆる大人が子供に見せるためのうけがいいあらすじってことになる。

しかしながら、この物語は成長の物語といった側面よりも、「一度しかない今この時を後悔せずに生きる」という側面に力を感じる。

太宰の絶望が、避けることのできない人間の死に向かう運命、であったことに対し、いずれ肉体は滅んでいくが、だからこそ、どう生きるか、ということ、しんじる道を全うすることに「希望」を見出そうとしている。

まどかは、友達の絶望を目の当たりにしながら、最後にある決断を下す。これはある意味、大人になることを拒絶するわけだ。あまり書くとネタばれになっちゃうわけなんだけど、しょうじき、萌え絵に抵抗ある人にも見てもらいたいです…