詩吟と健康

詩吟での腹式呼吸・腹式(丹田)発声は、健康はもとより全ての基本。

カラオケの事や愚痴も書きます

親愛なる友よ暫しの別れ

2009-03-31 00:36:46 | 思いのままに
3月5日木曜日。戸田教室

PM2:00、何時ものように、詩吟の練習を始める。
雑談を交えながらの練習である。
何時もと同じように、詠い、雑談、そして詠った。
わたしは、如何しても自分の物にしたい詩を詠った。
「先生、最後の「ん(hiB)」が苦しそうだよ」
松ちゃんが言った。
「あ、そう、じゃぁもう一回」
「あぁー、それなら良いよ」
松ちゃんが先生である。
pm6:00からは夜の部の始まりだ。
「松っちゃん何やる?」
コンクールの課題吟である。
「早に白渟帝城やってよ」と、近ちゃんが言う。
模範吟である。
わたしは、コンダクターを弾く。
詠い終わって、手直し箇所を何箇所か指摘し、其れを注意しながら吟じた。
近ちゃんは其れを参考に吟じた。
そして、手直し箇所を一箇所づつ直していくのだ。
「次、○○さん行って見ようか」
9時に終了して、雑談しながらの楽しい食事。
10時に帰途に着いた。
松ちゃんに変わったところは無かった。

3月9日松ちゃんの奥さんからのTELが鳴った。
「松ちゃんがお腹の調子がおかしいから病院へ行って来る」
「どんな具合?」
「何時もと違う痛さだって言うから心配で・・・」
「じゃぁ、早いほうが良いよ」
と、言うことで、電話を切った。

12日稽古日の朝、松ちゃんの奥さんからのTELがまた鳴った。
「他の病院へ行って見るから稽古は休みにする」
との事であった。

13日松ちゃんの奥さんから電話があった。
「来週ガン研ヘ言って検査するから、当分稽古は出来ないかもしれないよ」
「なっ何ぃっ!ガン研!」
次の言葉が出なかった。

18日自宅近くの病院へ転院して来た。
膵臓、肝臓がやられていて、持って二ヵ月との宣告を受けての転院であった。

19日教室のみんなで見舞いに行く。
色艶の良い顔。とても病人とは思えない。
しかし、食事はもう摂れない。
点滴で補っていた。
夜、家に有った蓮根を持って走った。
「蓮根汁飲ませてあげて」

24日館山で掘った蓮根を持って行った。
「スプーンに1杯か2杯しか飲めないんだよ」
と、奥さんが言う。

28日病院へ行くも病室へは入れなかった。
談話スペースで、奥さんと暫らく話を交わした。
兎に角、体力を付けないことには、治療に入れない。
先生は「治験も含めて方法を考えている」と、言っているそうだ。
「動けるようになったら、酵素風呂へ行こう。兎に角、体力を付けなきゃ」
わたしは、そう言い残して病院を後にした。

30日夜、突然TELのベルが鳴った。
「先生。松ちゃんが逝っちゃった」
「えぇーっ!・・・何で・・・」
次の言葉に詰まった。
何も考えが浮かばない。とりあえず走った。
静かな寝顔だった。
線香を立て、念仏を唱えた。
「我昔所造諸悪行皆由無始貪瞋癡従身口意之所生一切我今皆懺悔」
とてもその場にいられなかった。
4月1日通夜での手伝いを申し出て帰途に付いた。

30年来の友であり、仲間であり、生徒で有り、
また、師でも有った松ちゃん。
齢も1つしか違わない松ちゃん。
一緒に詩吟をやって来た松ちゃん。
じっと見ていると、息をしている様な松ちゃん。
起きろよ、起きてくれよ松ちゃん。
早すぎるよ。まだ、心の準備が出来て無いよ。

コメント (15)
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