カントクノヒトリゴト Ⅳ

2008-11-29 10:35:07 | Weblog
4.敗戦後-再生へ

息切れが途切れないユニフォームから湯気の上がる状態での
4年生にとって最後の全員ミーティングで、

「日本一がかなえられない夢や幻ではなく、
実際になれるんだということを本当に姿として見せてくれた、
大橋と五十嵐の二人の4年生、ありがとう。
さらに、インカレ出場のあらゆるチームの中で、
日本一素晴らしいチームにしてくれてありがとう」

との私のただの一言から始まり、
二人の4年生はもちろん8人の3年生全員に一言あいさつをさせたら、
ほぼ全員が涙と鼻水でなかなか言葉にならず、
声を絞りきってそれぞれが感謝と再出発、
そして反省と改善の言葉を述べて、
最後にヘッドコーチの
「これからの人生で勝ってほしい」
との絞めの言葉で、30分近いセレモニーが終わりました。


夜になり、宿で腹いっぱい飯食ってから、
1,980円飲み放題(基本は“つまみ”なし、ひたすら飲むだけ)という
近くの[養老の滝](うちの主務は「[エビの滝]で8時15分開始です」と言っていました)で、
I氏も交えて、悔しさと淋しさをぶっ飛ばす2時間の大宴会を行いました。


初日の【広島風お好み焼き】で初めて会うこととなったI氏も参加されたため、
全員に自己紹介と今後の抱負やなんかを言わせたのですが、
輪番制で最後になったうちの3年生エースが、
「(いろいろ話した後、下級生に向かって)鳴かぬなら無くまで待とうホトトギス!」と
ギラリと睨みを利かせながら迫力ある言辞を呈した際に、
私による「300年もか?」という酔っ払いおやじの怒声ヤジに
全員が一瞬きょとんとした場面もありました。

その直後、発声したその学生の抱負が
「ベンチプレスで100キロあげます!」だったのですが、
この宣言直後に上半身すべて裸になり、
筋肉隆々のボディビルダー的パフォーマンスをしたところ、
すぐさまみんなの指名で最もうちで細身の2年生も裸にさせられ、
筋肉隆々の3年生スーパーエース(推定体重80キロ前後)の横に並べられて、
大笑いのボディビルダーのポーズ比べが始まりました。


そうしたら、すぐにこの日で現役引退となった4年生の推定体重???キロ超の
キーパーが脱ぎ始め、3人でポーズ比べになりましたが、
4人目を誰にするかになってざわめきに変わった瞬間、
「俺がやる!」と監督の私が言って、
驚き笑い転げる学生たちを押しのけて最上座から演芸ステージの席へ移り、
上半身全裸になって「どうだ!」と43歳の現在の美体(現役時代に比べて約20キロ増)を披露しました。
監督の「4!(100キロ超キーパー) 3!(監督) 2!(3年エース) 1(2年のヤセ者)!」
の指差し的かけ声により、4人で肩組んでラグビーのスクラムのマネをして、
全員手拍子の大発声したところ、
I氏が、「Wさああんっ」と手を振りながら、
上半身全裸で泣き笑い状態で走って抱きついてきました。
クライマックスでした・・・。


最後に、司会役の学生から締めの挨拶を指名され、
これだけの狂乱的騒ぎをしておきながら
最後には瞬間的に全員正座で静まりかえり、
酒で顔も真っ赤になりながらも私の顔目を真っ直ぐな目で直視する学生たちを見て、
一瞬「鳴かぬなら、俺が鳴くぞ、ホトトギス!」と言いかけましたが、
監督というより一人のOBとしてある決意があるため、
それを言うのはこらえて、
「淋しい。けれど、また明日から笑おう!」と述べて、大宴会を終えました。



以上、負けて泣き、勝って泣き、笑って泣き、
悔しさと嬉しさと面白さと淋しさが交錯しあう中で、
インプットとしての「水分ストレス」を、
常に成長へのエネルギーに変換し、
例えば「涙・汗・鼻水」の水分としてアウトプットしながら、最後には見事な実りを表現し、
新生への誓いというプレゼントを交換し合った1年間のフィナーレでした。


 本文をご高覧いただいた諸氏におかれましては、
なにとぞ冒険をし続けるTFU男子ハンドボール部の
今後の活動をご海容のうえ、
私の誇りの若人達へのご教導とご支援を伏してお願いを申し上げます。

カントクノヒトリゴト Ⅲ

2008-11-28 07:07:30 | Weblog
3.大会3日目(2回戦)

力及ばず、というより余りに力量の差が歴然とした結果であり、
51対23(前半25-11,後半 26-12)という圧倒的大差で東海大学に負けました。

一言でいえば、「TFUはチームワークは日本一」と、
私自身が日常から自称・公言しながらも、
結果の成因は

「ハンドボールの〈個の差〉ではなく、
〈個の集合結実の作成プロセス〉」という差です。


ただ、試合終了後に、
こんな結果が4年生の引退試合になってしまった
ふがいなさに納得のいかない表情を浮かべるすべての選手たちに、
会場からは、大きな拍手が沸き起こりました
(山口ということもあってか、うちの学生の保護者やOBは
数人しかいなかったはず)。

隣のコートで同時スタートで行われている
全日本インカレ上位常連校のK大学とA大学が見応えのあるいいゲームを
しているにもかかわらず、東北のチームが、
(T大やN大というナショナルメンバー輩出・全日本インカレ上位常連校
を破った)東海大学と30点近い大差・50点以上失点の「ボコられゲーム」を
演じている場面をなぜか多くの方々にご覧になっていただいていたようで、
最後の拍手喝采はありがたかったです。



通常では考えられないことですが、これだけの大差になりながらも、
決してあきらめず、ひたすら「前へ!」「前へ!」と攻め続け、
前出の平山郁夫のように「不東」の精神で省察と成長を求め続ける
選手たちの姿(我々には当たり前のことですが)が、
手前みそながら多くの方々の共感をよんだのではないかと思います。

通常であれば、相手が明らかに格下ですし、
しかもこんな圧倒的に点差的優位になれば、
監督はベンチにデンと膝でも組んで座りっぱなしで、
控えの選手をひたすら交代し続けるものですが、
東海大学の監督は立ちっぱなしで大声で指示を出し、
スタートメンバーを終始ほぼ変えませんでした。



上の観客席でみていたI氏が、
我々のゲームを観ていたM大学の選手たちが
「福祉大の監督、シュート入ると選手よりも喜んでる!
おんもしれーなあ、ほらほらまたやった!」と喜んでいたそうです。
そういう学生は、カンキャク監督の本質を見抜けない、
まだまだ洞察ができない子どもたちでしょうが、
本学のトレーニングコーチの指導によるゲーム開始直前の
往復コートダッシュに、監督のくせに選手のファイティングスピリッツに
無線的影響を瞬間的に受けた私が一本だけ参加したら、
ヘッドコーチに「アキレス腱切るからやめなさい!」と叱られました。


なお、厳島神社からは、上記を一見すれば神通力も無かったように
思われますが、試合(までも含む)プロセスからも結果からも
数え切れないほどの多くの≪大量豊満≫学びをいただきました。

カントクノヒトリゴト Ⅱ

2008-11-27 07:09:39 | Weblog
2.大会初日(開会式)

この日は夕方から開会式だったため、
たっぷりある時間でなんとか練習環境(体育館)を整えようと、
前日から作戦ミーティングをI氏と重ね、超強力なご支援の賜物で、
宿舎から歩いて15分程度の距離にある、
とあるチームの体育館にて午前10時から12時まで最適切な時間帯で
練習させていただきました。その詳細は企業秘密です。


夕方からの開会式には、もちろんカンキャク監督は出るわけもなく、
I氏に昼から夕方にかけて宮島で接待されました。
宮島が向こう岸に見え、海沿いに日本庭園があるカッコいい料理屋で、
アナゴの“うまーい!”のをごちそうになった後、宮島神社にフェリーで渡り、
厳島神社の真ん中にあるお札やおみくじなどを売っているところで、
《商売繁盛》だの《大願成就》だのといろいろあった中で、

最も値の張る《大漁豊満》

という最も意味不明な文字が書かれている
縦50センチ横10センチほどのお札を買ってきました。



その後、宿舎のホテルに到着し、夕食の『いただきます』挨拶前に、
以上の経緯をなるだけ正確に伝え(たつもり)、
一人ひとりにミカンを渡し、

「このミカンがお前らだ!そして、《大量豊満》の御加護で明日からはずっと《大量得点》だ!」

との肝心のメッセージは言わず(伝えたつもり)、
ハンドボールの戦術や技術論は一切コーチ陣に任せて、
「私は監督が4年生のときの1年生で、監督の奴隷です」と自己紹介したI氏と、
ホテルの隣にあった我々には何となく不釣り合いな小ジャレた店に飲みに行きました。


今回は、私自身の大阪・京都と続いた諸々のハンドボール以外のビジネスの延長線上で、
昼夜ともに広島・山口その他の中四国に学びをいただきました。

呉の大和ミュージアムにもI氏に連れて行っていただきましたが、
ハンドボールの全日本インカレを通して体感したヒロシマおよび中国地方の
率直な感想というか印象をまとめて言えば、

「再生の連鎖と混在」、

「人間の良くも悪くも可能性のすごさ(すさまじさ)」、

「歴史的文脈の中の自分自身の存在」。


さらには、

「自尊と悲哀」、

「強制と非支配」、

「諸々の複雑性の縮減」でした。

そして、やっぱりなんといっても、

「反省的実践(=省察)」です。


ミーティングを終えた後、
前出のホテル隣の小ジャレた店に4年生及び3年生(一部)と
コーチ陣が合流してきました。

なにゆえ我々という現存在があり、
なにゆえ批判的考察と汎用性の育成、常識・前提の打破と、
肯定の部分集合による脱構築をしなくてはならないか、
という酔っぱらい型説教を学生達とコーチ陣に延々と私がしていました。

夜10時過ぎにはヘッドコーチの命令で学生はなんとか解放されましたが、
他に誰もお客さんが来なかった(通りに面したガラス張りの店でしたので、私を見てお客さんが入らなかった?)せいもあってか、
小ジャレた飲み屋から小高い金額を請求されましたので、
その夜は自分なりに反省して寝ました。
ちなみに、なんだかんだ言ってその小ジャレた店に、
結局、滞在した3日間連続行きましたが、店名は不明ですし、
おそらく二度と迷惑かけることもないでしょう。

カントクノヒトリゴト Ⅰ

2008-11-26 07:10:50 | Weblog
我がハンドボール部の監督がヒトリゴトを言いましたので、
今回連載形式で掲載します。

◇はじめに

今般、カントクでありながらコートに立つとカンキャクになり、
自称「日本一のTFU男子ハンドボール部のファン」でもある監督の私より、
「高松宮記念杯男子第51回 平成20年度全日本学生ハンドボール
選手権大会(於:山口県周南市)」での数日間を時系列的に、
主観論の極致ながら、〈カントクの独り言〉としてレポートします。


1.現地入り

選手及びコーチ陣は、平成20年11月18日(火)午後1時半ごろに
広島空港に到着しましたが、私自身はその前日より広島入りしていました。
〈BG21〉の会長でもある私自身が現役学生4年生(昭和62年度)のときの
1年生で、現在広島で活躍されているI氏(仙台育英高校出身)による、
昔と現在、ハンドボールと仕事の話を重ねながら、
広島の二夜を過ごさせていただきました。


どこに連れて行くのか、学生時代から
「自分からはわざわざ言わない、言うとしたらちょっとだけ」
のスタンスを崩さないI氏の引率に
現役時代の数々の暴挙への反省によりただひれ伏すように従い、
山陽高速道路だかなんだかを飛ばす車中で、
例によって今昔物語を二人で笑いながら
延々とダイアローグしていましたが、
広島空港インターチェンジを過ぎてから、
学生に【広島風お好み焼き】を食わせようというI氏の発題に即応し、
わざわざ引き返して広島空港で学生・コーチ陣を出迎えました。


『みっちゃん』という私でも知っている
【広島風お好み焼き】の有名店が空港内テナントとしてあり、
そこで約30人分を突然頼んで、すべてI氏におごってもらいました。

その時は、学生・I氏ともに初対面のため、あまり会話もせず
(というよりも学生にしてみれば、「なんで広島に着いた途端お好み焼き?」のような)、
もくもくとお好み焼きを食していましたが、
後述する試合終了後の大宴会で多くの学生が
【広島風お好み焼き】に感謝の言葉を述べていました。



その後、学生及びコーチ陣は事前に手配していたバスで山口に向かいましたが、
私はその後、しまなみ海道を通って尾道市にありながらも瀬戸内海に浮かぶ生口島にある
平山郁夫美術館に連れていってもらい、
その中の「前田青邨・平山郁夫子弟展-心の系譜-」に感激してしまいました。



爆心地から3kmのところで、平山は15歳で被爆したそうです。
15歳で「死ななければならない」とまで覚悟したそうで、
いつ死ぬともわからぬ青春期を迎えながら東京芸大に進学し、前田に師事したのこと。
その前田の教育は

「何も教えない」

だったそうです
(聞くところによると芸大の美術家教育は今でも大凡そのようです)。

その後、平山が36歳くらいのときに「不東(西に向かい生涯二度と戻らない)」の精神で
仏教の聖地に向かう巡礼者を空想で描いたところ、
「ある(別の)先生がお前の絵をいいと言っている」と間接的に初めて褒めてくれたそうです。
それで、シルクロードから洋の東西をライフワークの一つのテーマとする由、決意したとのこと。

43歳の時に芸大の教授となり、同時に高松塚古墳壁画模写の国家プロジェクトのリーダーとなって、
壁画模写を完成させたときに、87歳でほぼ寝たきり状態だった恩師・前田が
弟子たちに両脇を抱えられながら巨大な平山の作品をみて

「これでよい」と

初めて直接的に一言だけ褒めてくれた

そうです。


その後、92歳で前田は逝去し、後に平山が48歳の時に「一本の道」という本を刊行し、
同年「画禅院青邨先生環浄図」を出品し、それが内閣総理大臣賞を受賞したとのこと。
前田青邨なる人物は、私は知りませんでしたが、
その作品をみても中学校の時に通信簿の美術評価が“2”だった私には
「うワーッ、すごい!」という内的言語しか見当たりませんでした。



それもさることながら、もっと学んだことがあります。

平山郁夫美術館の隣の有料駐車場に車を停めたのですが、
時間に関係なく一律500円という駐車料金設定に一瞬疑義を抱きながら、
帰り際に車のかぎをとりに行ったところ、
浅黒く日焼けしたいかにも瀬戸内海のミカン農家の顔をした管理人のおやじさんがでてきて、
「面白い顔だあ」と思わず吹き出しそうになったため後ろを振り向いたら、
小屋の中で美味しそうなみかんが直売されていました。

ひと箱1,300円から1,500円であり東北人としては格安に思ったため、
面白い顔のおやじさんに、
「こんなかでどれ一番上手いの?」って聞いたら、
「それぞれ違う味がある。好みがあるからまず食ってみてくれ」と言われ、
直後に差し出されたミカンを私とI氏でそれぞれ味見してみました。

確かにそれぞれ持ち味が違いましたが、小さい1,300円のやつが一番うまいと感じ、
とっさにうちのチームがイメージングされて、学生に食わせようと
「おやじさん、めんどくさいからこれ全部くれ」って言って残っていた
1,300円の3箱買おうとしたら、
「めんどくさいから全部くれって言われたの、はじめてだあ」って切り返され、
ますます面白いおやじさんだなあって思いはじめ、
私とのちょっとしたかけあいが始まりました。

我々が試食している(させられている)横で、箱を片づけながらおもむろに
「今年のミカンは美味いんだよ」って言うから
「なんで?」って聞いたら、
「雨が少なかったから」って答えられ、
「は?なんで雨少ないと、美味くなるの?」って聞き返したら、

「水分ストレス!雨なんかで水分を与えられないと、ミカンは一生懸命水を吸おうと
土の中のいろいろな養分を自分でいっぱい吸って甘くなるんだよ」

ってミカンおやじ師匠は仰られました。

瞬間、「はあっ」とため息が出て、
さすが、平山郁夫美術館の隣で経営している兼業農家の駐車場管理業者だと、
マジマジと初めて会ったミカンおやじ師匠のご尊顔を拝見し、
同美術館を去りゆく車中で

「水分ストレス」

という言葉が脳内でリフレインされていました。



後述する呉市の大和ミュージアムも含めて、とにかく広島、凄すぎました。

つづく・・・

インカレ レポート

2008-11-19 22:28:13 | Weblog
今日は午前中、周南市内の体育館にて練習。
OBの石○さん、体育館を手配していただきありがとうございました。

午後から代表者会議、そして全大学が参加しての開会式。

明日から各会場にて熱戦が繰り広げられます。

11月20日(木)
14:30~ 東北福祉大学VS高松大学
周南市総合スポーツセンターが試合会場となります。

応援よろしくお願い致します。

インカレ大会開催地入り

2008-11-18 20:39:57 | Weblog
本日、全日本インカレが行われる山口県周南市に入りました。

仙台空港から広島空港を経由して、バスにて現地へ。

広島空港にて、OBの石○さんから、お好み焼きを選手全員がご馳走になりました。
広島風お好み焼きを食べたことのない学生もおり、嬉しそうでしたね。
石○さん、ありがとうございました。


ホテルに無事到着し、ミーティング。

明日は午前中練習、午後は夕方から代表者会議、そして開会式です。


たくさんのOBの方々に寄付金をいただきました。
大会期間中の移動費や食費など、大切に使わせていただきます。
ありがとうございました。

2008宮城県総合ハンドボール選手権 試合日程

2008-11-16 06:37:08 | Weblog
11月22日(土)~24日(月)にかけて、
宮城県総合ハンドボール選手権が行われます。

BG21の試合日程は下記のとおりです。


11月23日(日) 大和町総合体育館

  9:30~ 黒川選抜 VS 古工クラブ

 14:10~ 3回戦



11月24日(月)富谷スポーツセンター

  9:30~ 準決勝

 14:00~ 決勝

なお、昨年優勝の東北福祉大学が不参加のため、
準優勝チームのBG21が第一シードとなりました。

全試合日程は宮城県ハンドボール協会のHPに
記載されております。

インカレへの抱負Ⅱ

2008-11-15 06:28:06 | Weblog
副将:五十嵐 佳尚より

今回4年振りに東北王者という立場で、山口県にて行われるインカレに出場します。
昨年の9月から新チームになり、
インカレで今までにない最高の結果を得る為に私たちはキャプテンの大橋を中心とし、
一丸となり「最高のチーム」を作って来たと思っています。
関東や関西といった強豪を倒すために本当にボロボロになりながら
トレーニングを積み重ねて来ました。
その想いを試合にぶつけたいと思います。
私たちはOBの方々を中心とした沢山の方々のご支援の中で活動が出来ています。
ハンドボールが出来る喜びに感謝をし、
東北王者という結果に慢心せず更なる高みを目指し、
あくまでも目指すのは「日本一」です。
これからも至らない点がありますが
ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。