意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

暗黒旅人 大沢在昌 ***

2013年03月28日 | 本の読後感
作家の卵と女優の卵、恋人同士の二人は将来に絶望して樹海に入り死のうとするところに、見知らぬ老人が来て、男に「使命」を受け入れるように伝える、そうすれば作家として、女優として成功できるという。そのかわり、二人は男女の関係を断つ、という条件がついていた。

10年後、二人は売れっ子作家、売れっ子女優になっていた。「使命」が訪れたのはそんな時であった。急に頭のなかにひらめくイメージがあり、男は車でとある山の中に入り込む。そこには腐る水で大量殺人を企む男がいた。

同じようなヒラメキから、火を象徴とする赤い目、木を象徴する階段状の山村で、いずれも大量殺人を企む存在に立ち向かう作家であった。

そして最後は土を象徴とする存在、麻生みゆきというアイドルであった。「使命」とは水、火、木、土をそれぞれ象徴する超自然の存在と生死をかけて戦い、殺されようとする大勢の人々を救ううというものだった。

ホラーとSFが混在するようなサスペンス小説、半村良の石の血脈や・・伝説シリーズにつながるものがあると感じるが、スティーブンキングにも影響を受けているのだろう。解説では、ターミネーターやエイリアン2の影響を受けたとも書かれている。新宿鮫シリーズとは全く異なるテイストのホラー小説、大沢在昌のもうひとつの味であろう。気楽にすっと読めるホラー&SFと思って楽しめばいいと思う。


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三月の招待状 角田光代 ***

2013年03月25日 | 本の読後感
30歳代の男女、大学時代から続く五人組が、大学時代の楽しい思い出とともに恋愛、結婚、離婚をする。35歳の今の現実と15年前の大学時代の良き思い出をいつも比べながら善し悪しの判断をしてしまう。

正道と裕美子は大学時代から恋人同士の間柄であり、5人組どうしでの結婚をしたカップルだが、その二人から「離婚式」の招待状を受け取る仲間、充留は8歳年下の重春と同棲しているが、その招待状を受け取り、これは楽しんでやろうと考える。麻美は卒業後すぐに智と結婚し普通の生活を送っていたが、離婚式に呼ばれて学生時代は作家として脚光を浴びていた軽い男、宇田男に出会い、パーティーでキスをしてしまう。

子供ができず、夫の両親からは「まだなのか」とせっつかされるのにウンザリしていた麻美は、宇田男との出会いをきっかけに家出をしてしまう。行き先は実家の長野から沖縄、そして京都、そしてまた長野と3ヶ月ものあいだ家を空けてしまう。夫の智はそんな妻と携帯メールで連絡できているから大丈夫、と平静を保っているかに見える。そんな二人を心配して充留や裕美子、そして裕美子とは別れたはずの正道までもが集まっては善後策を検討している。充留のパートナー重道はそんな昔の仲間の集まりを冷たく見ている。

一方、正道は若い遥香と付き合い始めているが、遥香からは、「大学時代の空気をひきずってわちゃわちゃしている」と評されるが知ったことではないと突き放す。裕美子は独り身になって、合コンに楽しみを見出し、若い男性とデートをしたりディズニーランドに行ったりして、正道とだけ暮らしてきて知らなかった楽しい世界があることを知るが、充留に「そんな世界は長続きはしない」と諭される。結局麻美は3ヶ月後に自宅に帰るが、夫の智は帰ってきた麻美を素知らぬ顔をして迎え、何にもなかったのようにもとの通りの生活を続ける。

そんな時、若い重道との結婚を決める充留、仲間に案内状を出す。これでいいのか、と自問する充留。

私は、高校時代の同窓会があるまで、その時代の同級生たちと顔を合わせたことはなかったが、大学時代の友人には会っていた。大学時代の思い出を懐かしむ気持ちはなくはないが、その時の友人関係をここまで引きずるのか、これは考えられない。社会人や家庭人としての今があることをどう考えるのか、現実感がないのではないか、共感はできないが、そんな人たちもいるのかと考えながら読んでいた。三月の・・・から月別に章立てが考えられていること、これが月刊誌の連載だったことが面白さを醸し出しているのは確かである。「金曜日の妻たち」をちょっと思い浮かべるのは反則だろうか。


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風の中のマリア 百田尚樹 ****

2013年03月21日 | 本の読後感
なんと、主人公はオオスズメバチのマリア、巣の中での役割は戦士、巣の中には女王蜂と姉妹たち、秋の終わりにはオスも生まれてくるがまだ男の兄弟は今はいない。マリアが生きられるのは長くても30日、敵にやられたり出先で嵐に会ったりしたらもっと早くに死んでしまうこともある。

生まれてしばらくすると一人前のワーカーとして餌取りに出かけるマリア、餌となるのは昆虫の中でもマリアの妹たち好物、アシナガバチなどで、胴体部分だけを肉の団子にして巣に持ち帰る。敵は大きな鳥、大きな昆虫のオニヤンマ、カマキリも大きくなると難敵だ。

そもそも生き物は自分のDNAを持った子孫を増やすことが究極的な生きている目的のはずなのに、ハチはなぜ女王蜂のために働くだけのワーカーがいるのか、この本はフィクションではあるが、この問題の解説もしている。オオスズメバチもハチの仲間、生まれてくる子の性別は二種類の遺伝子を持つ場合にはすべてメス、つまり普通の受精卵ならばオスとメスの遺伝子を持つためにすべてメス、ということになる。ところが、無精卵でも子供が生まれるのがポイント、その場合にのみオスは生まれる。女王蜂はオスと生殖の後に大量の卵、つまり受精卵を生むので、全ての蜂の巣はメスばかり、ということになる。マリアの巣にも姉と妹しかいない、というわけである。この場合、一般的なワーカーにとってみると、姉妹である女王蜂が産む妹には100%同じDNAか50%同じか、いずれかのケースがあり、自分のDNAの75%が平均すると含まれる。しかし自分自身がもし受精をするとなると相手となるオスのDNAとの組み合わせとなり50%のDNAしか我が子に受け継げないということになり、自分で子を産むよりも女王蜂の出産をサポートする方がDNAを残す上では有利となり、ワーカーとして一生を過ごす意味が出てくるということ。

ところが女王蜂も年をとってくると受精卵を生む力が切れてきて、無精卵を産み始める。こうなるとワーカーにとってみると、女王蜂のお世話をすることの意味が薄れてくる。このためワーカーは女王蜂を殺して、ワーカーのなかの一番大きな個体が擬女王蜂となるという。

こうした蜂の生態を物語の中に取り込んでマリアの一生を描くことでオオスズメバチの生態を読者は学んでいく。このあたりは「ボックス!」の読者がボクシングのことを詳しく知ることになるのと同じ。このあたり百田尚樹は誰よりも上手なストーリテラーである。

圧巻は、秋の終わりに女王蜂が生んだ次世代女王蜂の候補である幼虫たちに餌を大量に獲得するために、1000匹はいるというキイロスズメバチの巣を100匹のオオスズメバチのワーカーが2日がかりで襲撃するという場面、壮絶であり、「ボックス!」での高校選手権ボクシング大会での描写を彷彿とさせる。自分の家の軒先にスズメバチの巣ができたら大変であるが、このマリアの一生はぜひ読んでみてほしい。


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輝く夜 百田尚樹 ****

2013年03月20日 | 本の読後感
世の中にはこんな良いこともあっていいよね、と思えるクリスマスイブにちなんだ短編が5編。

「魔法の万年筆」34歳で独身の恵子、結婚願望はあるのだが縁に恵まれない。弟の会社が資金繰りで困っていると聞いてなけなしの貯金から有り金のほとんど全部200万円を送金してやったら、次の日に自分の会社で退職勧告、いや宣言をされた。自分のことよりヒトの幸せを願うことが多かった恵子、クビを宣言されたクリスマスイブの帰り道、路上のホームレスに、お金と食べ物をわざわざ買ってきて上げてしまった。夕食くらいは外食を、と思って歩いていると、先ほどのホームレスが「3つの願いが叶う万年筆」と言って古びた鉛筆をくれた。そんな話は信じられないとポケットに仕舞ってレストランに入った。今日くらいは奮発しようとワインも注文した恵子、手にした鉛筆で紙ナプキンの裏に「デザート食べたい」と書いた途端、お店からのクリスマスプレゼントとデザートが出てきた。そんなことってある?と思いながら、弟の会社がうまくいきますように、と書いてみた。すぐに携帯電話がなって「会社に融資が受けられたんだ、助かったんだよ」と弟の声、これは大変だ、あとひとつしか願いはない。恵子はなにをお願いしようかと考えた。同じアパートに年下の俳優志望の男の子がいる。売れない俳優の卵で、いいやつなのだ。自分のことより人のことを考えてしまう恵子、最後の願いは「彼が売れっ子になりますように」と書いた。そしたらその夜、「準主役に抜擢されたんだ」と俳優の卵の彼が告げてきた。そして彼は恵子にプロポーズ、「売れない僕では結婚の申し込みなどできないと諦めていたが、これでプロポーズできると思った」という話。

「猫」小さいけれどもとても素敵な雰囲気の会社に派遣されている雅子、若い独身社長の石丸に密かに思いを寄せる。しかし期限付き派遣の雅子はクリスマスイブまでがその期限。最後の夜に残業するという雅子、それはいけないと早く帰るように進める石丸、ボランティアでもいいから最後の仕事を完了させてから帰りたいという雅子。そんな雅子を食事に誘う石丸。話のポイントは買っている猫、捨て猫を拾ったという雅子、そしてある時に猫が逃げ出して探しても出てこないという石丸、それは偶然なのか、必然なのか、雅子の家に行ってそれを確かめた石丸は雅子に正社員になってほしい、いや、自分のパートナーになって欲しいのだと告げる。

「ケーキ」末期がんが宣告された20歳の真理子、両親に捨てられ施設で育った真理子は主治医の大原に恋心を抱くが末期がんとなってはいかんともしがたい。ナースステーションではクリスマスイブのよる、ケーキを食べようという話になっている。・・・意識も薄れてきて危ないと思われた真理子の容態はその日を境にぐんぐん回復、奇跡的にがん細胞が消えて退院できることになった。そしてケーキ作りを学んだ真理子は同僚の伊藤にプロポーズされ結婚、子供も生まれて幸せな一生を送る。その間、何度か憧れていた大原に出会うが、大原は一生独身を通したという。そして50年が過ぎ子供も大きくなった時真理子は再びがんを宣告されるが、真理子は満足していた。がんは50年も待ってくれたのだから。・・・ナースステーションでケーキを食べていた大原に真理子の容態急変の知らせが来る。真理子の髪は真っ白になり亡くなっていたが、その顔は満足そうであった。幸せな夢を最後に見ることができた真理子、幸せな人生であった。

「タクシー」クリスマスイブの夜に乗ったタクシーの運転手相手に、昔付き合っていた男の思い出を語るのは30歳の独身女性は依子、沖縄で出会ったという彼氏は純朴そうな好青年だったが、依子は一緒に行った友人の和美と一緒になって自分達がCAであるという嘘をついていた。沖縄から帰ったあとも彼氏と連絡しあって会い続けた依子に彼は強くひかれた。しかし嘘をつき続けていた依子は本当のことが言えず、最後の最後に手紙を書いた。「CAというのは嘘、もしそれでも良いといってくれるなら今度のクリスマスイブに会って欲しい」と。しかし彼からは急にいけなくなった、という知らせ。やはりダメだったのかと諦めた依子だった。タクシーの運転手は言った。「たまたまその彼は急に親戚の不幸があり行けなかったのかもしれない」「彼はあなたのことが忘れられなくてタクシーの運転手になって探しているのかもしれない」と。運転手は彼、そんなことって。

「サンタクロース」愛していた彼に交通事故で死なれてしまった和子、お腹の中には彼の赤ちゃんがいるのに、もう死んでしまおうと知らない町を歩いていると教会があって、そこには牧師さんが待っていた。「あなたを待っていた」と。その手には星形の火傷の痕があった。牧師さんは死んではいけないとはいえないが、生きていればいいことが必ずあると。そして出会えたのが賢治、結婚してお腹にいた子供は長男の望、それ以外に3人の子供を授かり幸せに暮らした和子。クリスマスイブの夜、子どもたちが騒いでいると思ったら、末の子供がストーブをひっくり返した。それを助けたのは長男の望、望は手に火傷を負った。火傷の形は星形。

「永遠の0」を書いた後、「ボックス!」を書く前に、どうしても書きたいとまとめられた短篇集だという。エンターテインメントとは読者の期待にそっていい結末になること、という百田の面目躍如の短篇集。


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ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ 辻村深月 ****

2013年03月19日 | 本の読後感
甲府盆地に生まれ幼馴染の神宮寺みずほと望月チエミ、小学校までは同じ学校だったが、それ以降は別の道に歩む二人、進学校から東京の大学に進み結婚して雑誌ライターになったみずほ、チエミは地元の短大を出て地元の建設業に派遣事務員として働いていたが、結婚はまだしていなかった。度々ある合コンに参加して再会する二人、物語はチエミが実の母親を包丁で刺して殺してしまい出奔した直後、みずほが幼馴染のチエミの行方を追おうと昔の友人やチエミの友人関係をしらみつぶしに調べるところから始まる。

自分も母親との気持ちのすれ違いがあり、幼い頃にいじめだとも思える躾を受けて心の傷を持つみずほ、チエミの母娘関係の濃さには少々の違和感を持っていたが、まさかチエミがあの優しかった母を包丁で刺すとは考えられない。友人たちに話を聞く中で、女同士の友人という関係が、実は嫉妬や見栄、過剰な親密さの中にも、反発や嫌悪が渦巻く。

二人が幼稚園の時には、いじめられるチエミを身をもってかばったみずほ、そのことを今でも忘れないチエミ、結婚願望が強いのに、本当に良いと思える相手になかなか出会えないチエミは、みずほが男だったらいいのにと思う。みずほは兄に紹介された啓太と結婚しているが、チエミの結婚願望の強さを行方調査の間に感じていく。8月7日が誕生日の人は、ATMカードの暗証番号にもその数字を使う、これがタイトルの意味だが、本当の意味は物語の中にしかない。

みずほのチエミをおもう心の強さに読者は引き込まれてしまう。お赤ちゃんポストの話題にストーリー展開の行く末を予感しながらも、富山県への舞台転換にちょっとした驚きがある。そしてチエミが逃げていた本当の理由、読者はすこしほっとするような結末である。


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佐久の文学碑 宮澤康造 ***

2013年03月16日 | 本の読後感
佐久地方というのは信州の東、小諸、軽井沢から川上、南相木までにまたがる東信と呼ばれる地方であり、ここに460基もの文学碑があるという。この地にある野沢北高校で教鞭をとる筆者は、実際にこの地を歩きながらその全てについてその由来や建立の背景などをまとめた。一般には手に入りにくい書籍かもしれないが、佐久地方に住む人やこの地を愛する人にはたまらない一冊であろう。

軽井沢にあるのは、室生犀星詩碑、正宗白鳥の文学碑、有島武郎終焉の地の碑、立原道造詩碑、北原白秋落葉松詩碑、与謝野寛・晶子歌碑、五島茂・美代子金婚比翼歌碑、御代田町には吉屋信子句碑、小諸には若山牧水水城石歌碑、高浜虚子句碑、臼田亜浪句碑、島崎藤村の数々の詩碑、岩村田には鼻面稲荷に荻原井泉水の句碑、佐藤春夫の歌碑など数多い。

浅科、布施、望月にも荻原井泉水の歌碑、君が代の歌碑もあるという。立科には若山牧水や伊藤左千夫の歌碑もある。臼田、佐久穂、小海には高浜虚子句碑、菅原道真の歌碑、明治天皇の歌碑もある。

学校にも多くの歌碑、詩碑がある。軽井沢高校には室生犀星による校歌の碑、西部小学校は荻原井泉水による詩碑、御代田中学校の高村光太郎詩碑、御代田小学校跡地にも歌碑がある。小諸や野沢のカソリック幼稚園には万葉集歌碑、岸野小学校には牧水の歌碑、小海高校には佐藤春夫の校歌碑がある。

380Pからなる分厚い本であり、大変な労作であることは間違いないが、一般の書店では手に入りにくいだろう。Amazon でも買えるかどうかわからないが、関心が有る方はBookoffで気長に待っているしかないかもしれない。
佐久の文学碑


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佐久における佐藤春夫とその周辺 中澤ひろゆき ***

2013年03月16日 | 本の読後感
佐藤春夫は昭和20年4月に佐久市に疎開した。そこで23年秋までの3年半を過ごした。そして最後に佐久を引き払ったのが26年10月、結局合計6年、佐久の里を愛した佐藤春夫、その後昭和30年には山荘 見山居を新築した。佐久には他にも多くの文人が来て住んでいる。若山牧水、正宗白鳥、室生犀星、以前にはもちろん島崎藤村。戦後21年に初めて発刊された詩集が「佐久の草笛」。「人生の楽事」には佐久での生活や佐久の風景論、見山居のことなどが書かれている。

その他にも詩文集「まゆみ抄」、「佐久川上郷の話」「佐久山村の新年」など、そして浅間中学校、小海高校の校歌を書いているという。

文学碑、詩碑も佐久には多く存在する。横根の湯川河畔にある「詩人春夫賞心地」、人生の楽事にも詳しく書かれている。詩碑「聴雪の家」は佐久の草笛の中の一篇「聴雪」が刻まれている。上信越道佐久インターチェンジの西隣には仙禄湖畔の「湖畔口吟」という詩碑が立っている。そして近くには佐藤春夫と五島茂、美代子、若山牧水の三連詩歌碑もある。

岩村田生まれの筆者がまとめた佐久地方の佐藤春夫の足跡、佐久を愛する人が書いたことがよく分かる本である。


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アントキノイノチ さだまさし***

2013年03月14日 | 本の読後感
高校時代の心の傷が引っかかってうつ病になってしまった主人公の杏平、21歳の時に紹介された職場が遺品処理業、死んだ人の住んでいた部屋に残された品物を処分する引越し業者の仕事。業者に処理を頼むような状況であるために、死んだ人の苦しい人生が遺品処理にも影響してくる。その処理を行うのが仕事、という会社に入った杏平。高校生の時に親友だと思っていた友人松井に散々虐められた結果、彼とのやりとりの結果高校を3年生の秋に中退してしまった。

遺品処理の会社の名前がCoopers、そこに勤める先輩の佐相さんは、この仕事に誇りを持っている。その佐相さんと一緒に仕事を教えてもらううちに、命の大切さに気がつかされる杏平。会社の帰りに飲みに行く店にいるゆきちゃんに想いを寄せる杏平、ゆきちゃんもまんざらではなさそうだ。ある日、ゆきちゃんから相談したいことがあると電話番号のメモを渡される。電話をするとデートに誘われる杏平。デートに行ってゆきちゃんの身の上話を聞かされる。

驚いたことにゆきちゃんは杏平と同じ高校に通っていた同学年だったことを知る。そしてゆきちゃんは杏平に想いを寄せていたという。それがどうして。山岳部に所属していた恭平は親友の松井とともに山に登る。松井は頭も良くて機転も利くのでクラスの人気者だったが、嘘つきであり、友達といえども信用できない相手だということに気がついていたのだが、ゆきちゃんはその松井に妊娠させられていたことを聞かされる。杏平も松井には何度も煮え湯を飲まされていたのだ。

ゆきちゃんは退学になり、妊娠した子供は流産で失ってしまうが、自分こそはその子の代わりに立派に生き抜いていかなければならないと考えるようになる。「あん時の命、アントキノイノチ」これがゆきちゃんを支える魔法の言葉になったというのだ。親友だと思っていた松井に裏切られた時に何度も殺意を抱き、実際2度も殺してしまおうかと考えた杏平、同じように騙されて虐められた山木は自殺してしまった。その山木が「殺してはいけない」と耳元で囁いて、殺すのを思いとどまったことを思い起こす杏平、こちらもアントキノイノチであった。

ゆきちゃんと杏平はお互いの高校時代の挫折と屈折を告白してお互いにこれからは強く生きていくことを確認するというお話。遺品処理という人生の終末を目の前にして21歳という人生の本当の意味での出発点に立つ二人が心の支えにする言葉、それが「アントキノイノチ」。大切なのは生きていること、生き続けることだという、自殺しそうになったら読んでみるといい、というお話である。映画化もされたというこの物語を見て自殺を思いとどまったという人もいるのではないか、それだけでも大いに価値のある小説ではないか。


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ららら科學の子 矢作俊彦 ***

2013年03月13日 | 本の読後感
学生運動のさなか、学生たちが占拠している建物に警察、機動隊が入ってきた。屋上に追い詰められた学生たち、下では仲間の学生たちが機動隊にぶちのめされている。そのうちに外部階段を伝って機動隊が上がってきた。屋上の学生たちはそこにたまたまあった巨大な金庫を機動隊めがけて落とした。機動隊のメンバーの何人かが金庫の下敷きになったようだ。その日から学生たちは指名手配者となった。

主人公は警察に追われて1968年当時、文化大革命の始まった中国にツテを使って渡っていった。大学に連れて行かれた各国から参加していた若者たちはインテリの下放政策の対象となり、あるものは逃げ、あるものは殺され、主人公はいなかの農村に下放された。そこで知り合った男とその孫娘、そこで30年を過ごし、孫娘が24歳になった時に結婚した。結婚した娘は美人で、そのうちに都会にひとりで出て行ってしまった。主人公は蛇頭の人間を使って日本への脱出を試みた。大きな借金をしてたどり着いた伊豆半島のとある村、そこで逃げ出した。行き先に宛があってわけではないが、実家があった井の頭沿線の出発点、渋谷にたどり着いた。

見るもの、触るもの30年ぶりの日本はすっかり変わってしまっていた。スクランブル交差点、携帯電話、女子高生、百貨店、変わらないのはくじらや、路地裏の飲み屋街。トラブルに巻き込まれながらたまたま昔の仲間が経営するホテルに転がり込むが、電話で連絡をとったその仲間はちょうど成田空港からハワイに出発する直前だった。旧友は主人公に住む場所とお金、携帯電話そして世話をしてくれる若者をつけてくれた。

現代日本では30年前の知識と振る舞いは特に渋谷では風変わりな存在である主人公、彼にとっては周りにあるものすべてが不思議である。ある女子高生と携帯電話番号を交換する。食事を一緒にして、街を歩くうちに徐々に状況を理解し合う二人であった。主人公は生まれた家を訪れてみる。そこには両親と年の離れた妹がいたはずだったが、そこには全く異なる工事現場があった。地上げにあって別の建物が建ちかけて工事が中断されていた。年の離れた妹は留学しているあいだに両親は地上げ業者に多くのお金を吸い取られて、しかし残ったお金で別の場所に家を建てたのだという。妹はどこにいるのか。旧友のつけてくれた若者に調べてもらうと少しは名の知れたエッセイストになっていた。

妹に電話をして無事を知らせる。大喜びをする妹であったが日本に戻っているとは伝えなかった。

映画の話、30年前の歌、絵本、そして鉄腕アトムの歌が出てくる。特に映画、30年前の映画は現代人との共通言語となるきっかけになる。現代の日本になんとか追いつこうとした主人公だったが、なぜか危険を冒して中国に残っている妻に会いに日本を出る。

30年前の学生運動を経験した男が、その後就職して長いサラリーマン生活を終えた後にふと自分に戻ったときにこんなふうに感じるのであろうか。一体自分は何をしていたのかと。目覚めたのは30年前だったのか、それとも30年後の今始めて覚醒したのだろうか。「造反有理」などとともに「紙は醒めているか」という標語があったような気がする。私自身の学生運動時代は高校時代、1970年であり、三島由紀夫が自殺して、2年生の時にはあさま山荘事件があった。私は醒めていたのか、覚めていたのか、冷めていたのか。その時のことを思い出すようだ。


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日本はなぜ敗れるのか 山本七平 ****

2013年03月07日 | 本の読後感
日本の弱みの本質を分析した本だと思う。

分析対象としたのは、太平洋戦争で陸軍専任嘱託として重用され、ガソリンの代用となるブタノールを粗糖から製造する技術者として敗色が濃くなった昭和19年フィリピンに派遣され終戦を迎えて捕虜となった小松さんの手記。それも紙も鉛筆もない中でトイレットペーパーを4枚重ねてカンバスベッドのカンバスをほぐして撚った糸で綴じた手作り手帳8冊に書かれたもの。重要なのは、終戦直後の捕虜としての立場でその時に書かれたこと、そして軍人ではなく民間人として客観的に日本の軍隊を評価していること、そしてその時に日本国内で起きている変化を知らずに書いていることにより、よくある戦争日記とは一歩距離を置いた客観性を持っているという。

小松さんは日本の敗因を21ヶ条にまとめている。その15条から山本七平の解説は始まる。
15条 バシー海峡の損害と戦意喪失
これはなんだろうか、ミッドウェイでもレイテ戦でも沖縄戦でもなく台湾とルソン島の間のバシー海峡ではなにがあったのか。小松さんは徹底的に潜水艦で叩かれる日本の輸送船団を見送り、何度全滅させられても送り続けられる補給船、そして何度でも攻撃され沈められて殺されていく日本の兵隊と同胞たちを見ていた。「まるでベルトコンベアーのように」送り続けられた輸送船団、そしてその先には毒ガス室よりも効率的に殺戮が行われる戦場があった。このことを日本の指令本部はどのように認識していたのだろうか、という疑問である。バシー海峡では華々しい戦闘があったわけでもないのに何万もの日本人同胞が殺されたといい、証言者が殺され尽くされたため報道されなかったためその事実も葬り去られたという。できることはやった、と上司に説明するために司令部は出撃を命じた、というのが山本氏の分析である。

第1条には「精兵主義の日本軍に精兵がいなかった」と書かれている。これはなにか。
全日本を覆うばかりに軍国主義があったが、強力な軍隊がいたとは限らないのと同じに、精兵主義だからといって精兵がいるとは限らない、それはそのとおり。昭和の初めの常備兵力は17個師団、約30万人であった。しかし戦艦数はアメリカの5分の一、火力の分析によればアメリカの師団と同等の火力兵器を持っていたのは17個師団のうち1-2個師団であった。しかし、兵力数はと言われれば17個師団、30万人だと答える。これを山本氏は「員数主義」と呼ぶ。

日本的組織の秩序は権威により確立され、その権威は軍隊では暴力で裏付けられていた。この理由は山本氏の分析によれば文化の確立がなく思想的徹底がないためであり、人々はそれを意識せず学歴と社会的階層だけでプライドを維持していた。
第10条 日本文化に普遍性がない
第13条 独りよがりで同情心がない
現代の日本人には違和感のある記述であるがどうだろうか。外国人に対した時には、自国の文化を認識した上で相手の文化に基づく生き方や考え方を理解するのが普通に必要なコミュニケーションの第一歩であるはずだが、「大東亜の団結」というお題目を相手に理解させようとするとことから始めたのが東南アジアでの日本であった。普通の東南アジア人であれば「大東亜の理想」など理解できないため、日本の思想を教育しようとする、そこには相手の理解、というプロセスなどなかったのである。

第17条 国民が戦いに厭きていた
第12条 陸海軍の不協力
昭和12年7月の盧溝橋事件から昭和20年8月の終戦までの8年間、日本は戦争を続けていた。上海事変、日華事変、ノモンハン事件などという表現があるが、いずれも短い戦い、という印象を持つ。しかし戦争はずっと続いていたというのが日本人の感想である。厭戦、士気低下、無統制、上下不信、相互不信、壊滅と続いたのだがそれに陸軍と海軍の不協力が輪をかけたという。

終戦と知ったときに捕虜となっていたフィリピンの指揮官はどうしたのか。
1. 誰も驚かなかった、つまり規定事実だった。
2. 今の秩序を維持し責任を負うことなく特権だけは保持しようとした。
3. 私物の整理を始めた、つまり自分の所有物の確保をした。
4. 日本に帰ったときのことを心配し始めた。
5. 自分の判断ではなく上からの命令により降伏をしようとした。
指揮官たる立場の将校たちがこのように「小市民的価値観を重要視する態度」を明確に現し始めたという。おなじこの将校たちが戦争中は軍隊的価値観を口にしてそれを部下にも強制してきたのである。

こうした状況は現在の日本でも変わらない部分が多くある、というのが山本七平の主張である、いかがであろうか。


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天地明察(上・下) 冲方丁 ****

2013年03月04日 | 本の読後感
さすが本屋大賞作品、一気に読める面白さ、解説の養老先生が書いているが、書き手の若さが主人公渋川春海の生き方、人生観に出ていて、読んでいても主人公と筆者の若さを感じられて気持ちいい。渋川春海の若い頃の記述部分が多いのもそういう理由からではないかと。

将軍や老中などと囲碁の相手をする家に生まれた渋川春海は安井算哲と呼ばれる。現代でも有名な囲碁の名家といえば本因坊家であり、安井家は、江戸時代、本因坊家、井上家、林家と並ぶ囲碁の家元四家の一つ、安井算哲は名人碁所としての二世である。

縦横十九路の線が引かれた基盤の目の数は、19X19で361、一年は365日であり、地球の一年の回転を表すとも言われる。そして、「星」と呼ばれる9箇所の点、石の白黒は昼夜を表すなど、天体にも例えられる。渋川春海は囲碁の家に生まれながら算術と天体に興味を持つ。

江戸時代に使われていた暦は800年前から使われていた。渋川春海は天文学者としての才能を当時仕えていた会津藩主保科正之、そして水戸藩主徳川光圀に見出され、中国から伝わった宣明暦(せんみょうれき)を見直す、という大事業に携わることになる。この宣命暦、一年の長さが微妙に実際と異なり、年を追うごとに次第に月蝕などの予報があたらなくなって、実際の太陽や月の動きと地球の動きとを正確に測定し暦自体を見直す必要が問われていた。この時代の暦は、幕府だけではなく、神社や公家の利害や、宗教的な活動とも関係があった。また暦を印刷して販売するという版権により莫大な利益を幕府にももたらすことに老中たちも気がついた。

中国の授時暦(じゅじれき)の採用が検討されたのだが、中国と日本とは経度の差があり、その暦がそのまま日本には使えないことが分かり採用できなかった。若い頃からその名前を知っていた算術の学者である関孝和のアドバイスを得て、天体の動き、北極星の位置から測定した正確な地理測定、天体の運行の計算などからなる独自の大和暦を作成した。そして春海が作成した暦は大和暦として正式に採用された。

この大きな流れの中に、算術学者関孝和との出会いがあり、妻となるえんとの出会いが描かれる。そして保科正之、水戸光圀などにも暦を見直す最適者として認められる。名誉やお金に恬淡とした春海に多くの読者は好感をもつであろう。そして、一目見たときから春海の心の中にいた女性はえん、最初の妻にはならなかったが、結果として生涯の伴侶となったことで読み手も安心できる。このえんと春海とのやりとりがほのぼのしていて良い。また春海のえんへの想い、そして算術や天文学へのひたむきな姿勢が素朴であり、一本気であり、そして生涯を貫く前向きな姿勢であり、これが爽やかな読後感となって読者の記憶に残される。

いい本というのはこういう本のことを指すのだろうと思える作品、誰にでも推奨できる。



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