意思による楽観のための読書日記

死ぬことと見つけたり(上・下) 隆慶一郎 ****

筆者は大学生で兵隊に取られることとなった。文学青年であった筆者はどうしてもランボーの本を持って行きたかったが、そんなものは入隊時に没収されるに決まっている。そこで、兵隊が潔く死ね、ということで推奨されていた「葉隠」の岩波文庫本3冊の中をくりぬいてアルチュール・ランボーの『地獄の季節』を入れ、隠し持つために持っていった。兵隊というところは筆者にとってはまことに退屈な場所であり、活字に飢えた挙句に「葉隠」を読み出したところ、おもしろさに魅了されてしまったという。

葉隠では題名となっているフレーズが有名であるが、ただ潔く死ね、ということではない。正義に殉じて死ぬのでなければ犬死である。

主人公斎藤杢之助は毎朝死のシミュレーションを行う。今日も死ぬことを観念する、という鍋島藩祖の直茂の教え、佐賀武士の心である。思いもかけない自らの死にざまを思い描くことで、死に直面しても周章狼狽しない、この鍛錬を毎朝することで身も心も軽くなる。杢之助は、死人であるとともにいくさ人でもあった。鉄砲の腕はすごいものであった。嵐の日に、鉄砲で大猪を仕留めたのだが、妻になるお勇がそれを見ていた。その夜、お勇は杢之助と夫婦になった。杢之助には、牛島萬右衛門という大猿をつれた腕自慢の佐賀武士の友がいた。そして考え方は違うがこちらも腕っこきの鍋島藩士中野球馬という仲間がいた。この三人で鍋島藩のさまざまな難局を乗り越え、、鍋島藩取りつぶしに燃える松平信綱老中の陰謀と戦う、というおはなし。

物語は未完、登場人物である鍋島勝茂、そして三人の仲間たちは死ぬ、という想定だったらしいのであるが、大猿だけが死んだところで筆者の方が先に死んでしまった。

死を覚悟している杢之助と無二の親友である萬右衛門はほとんど敵なしに強い。読んでいて爽快、しかし死ぬことと見つけたり、ではあっても犬死はしない。文句なしに面白いエンターテインメント小説になっているのが筆者の意図通り、葉隠を面白く語りたい、という望みは読者に明確にしっかりと伝わっている。傑作である。

死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)

死ぬことと見つけたり〈下〉 (新潮文庫)
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