元のコンコースに戻る。なかなかよくできた施設やねなどと言いながらも、二百年強の歴史はまとめやすいよね・・・日本の歴史は長すぎて・・・なーーんて言ってみる。しかし、どたばた騒いだ日本の《私の仕事館》なるものを思いだすと、どうしてこんなにスマートな《いい仕事》ができないんだろう!とも、思う。
hus.がなにやら気にしているのは、元コンコースの壁面に貼られた to Train の表示。元駅だものね・・・電車が見られるのかもと矢印の方へ。 Tower A area と言われる所をエレべーターで3階へ。シンシナティ鉄道クラブ(うろおぼえ)の入り口と書かれてある・・
ドアを開けると。オーーすばらしい眺望!駅舎の真裏に当たる部分で線路が何本も走っており、それを超えてすばらしい景色が広がっている。このクラブを運営しているのは鉄道好きのボランティアさんであろうか? 説明したくて仕方ないと言った顔つきのシニアを散見。本当に駅だったんだ!シンシィナティのダウンタウン(南の端)、オハイオ川沿いに長い長い貨物列車が走っていたのを思い出した。又北の方でも百輌近い貨物が走っているのを見たことがある。この駅を通っていたのだ。
展示を見ると、建設当時(1933年)は、一日の旅客数1.7万人・216車両の利用を見込んで建てられたとか。しかしその予想を超える利用は第二次世界大戦時を除いては無く、斜陽の一途をたどり1972年に閉鎖。何しろ車と飛行機の時代に移行しちゃったからね。1991年に博物館開設と同時期、駅舎のほんの一部でアムトラックが営業再開したのだとか。実際、どこがホームやら、改札やら、誰も知らないのではなかろうか?
戦時中の写真は、WELCOME HOMEの垂れ幕の下を通る若い兵士の群像写真があり、この駅から何万と言う若者が戦場へ送られ、帰郷したのがわかる。又、かってシンシナティ市内を走っていた路線や駅舎の写真もあり、広く鉄道網のあったことも分かる。そういえば買い物によく行くスーパーの前にもスタンドバイミイを思い出すような、単線の線路が伸びていて、いつも何時電車が通るのかと不思議に思っていた。あれも、かってのものなのか・・・・
70年前の大きな建物・・表の顔は博物館。この三階の一室から見下ろす裏の部分は大きな貨物のための駅。最盛期から見れば、縮小しているだろうけれど、これだけの敷地と路線はなかなかあるものではない。この部屋の窓の下の壁を取り巻くように古い暖房器具が取り付けられている。部屋を暖房?思わず、ボランティアさんに、かっての待合室かと聞いてしまった!(あほな質問をしたものだが、あとのまつり!)
ここは、列車管理司令室だったんですとの答えに、そやそや、タワーAを上ってきたんだ、塔の一室だから部屋自体が細長い扇面をしていたんだ、広大な操車場を見下ろして仕事をしてはったんだと、納得。あ・り・が・と・ぅ・・・・と終わりたかったのに・・ボランティア魂に火をつけてしまったようで・・・・あぁ捕まったと、観念。
戦時中は一日450本以上の列車が出ていたんですと言いつつ、彼が部屋の中心部の床を指差す。細長く湾曲して黒く塗られて要る部分。そこに机や機器が設置されていて、スイッチャーと呼ばれる職員が、列車の操車に携わっていたのだと言う(彼らは窓に背を向けている)。そこから見上げる位置に操車板(写真・当時のもの)がある。これは教えてもらわないとわからない・・と、ちょっと得をした気分。スイッチャーに指令を出すのは、窓側から操車場を見ているコントローラーと呼ばれる職員(彼らのデスクは今も残っている)。
ボランティアさんはパンフレットを持ってきて列車の旅はどうですかと言う。えっ、貨物だけじゃないんですか? いやいや、一日1本客車も出てますよ。 ルートはNew York - Washington・ DC とCincinnati間。 Cincinnati とChicago間。シカゴとの間はシンシィを深夜12時ごろにたって翌朝10時ごろに到着で、なかなか時間的にいいですよ、と。費用は確か50ドル前後だったか(その気が無いのでうろ覚え)・・・各種割引などもありますと、盛んに言う。ニューヨークへはほぼ1日の行程だとか。
タワーを降りて、帰りのバスの時間までThe Museum of Natural History & Scienceへ。ここも駆け足がなんとも残念。