"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか”

2012-01-06 03:41:41 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2012/1/5】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   本日は現在発行中の『致知』2月号より、
   100歳になったいまも現役医師として
   活動を続ける聖路加国際病院理事長・日野原重明氏の、
   医師としての原点となったお話をご紹介いたします。

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        「医師としての原点」
       
       
       
            日野原重明(聖路加国際病院理事長、名誉院長)
        
              『致知』2012年2月号
               特集「一途一心」より
           
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html

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医師としての原点を語る時、外せないのが、
医局に入ったばかりの頃、最初に担当した
結核性腹膜炎の十六歳の少女です。

彼女には父親がおらず、母親が女工として働いていました。
家が貧しくて彼女自身も中学に行かず働いていたのですが、
ある時、結核を患って入院してきたんです。

その病室は八人部屋で、日曜になると
皆の家族や友人が差し入れを持って見舞いにくる。

でも彼女を訪ねてくる人はほとんどいない。
母親は日曜も工場で働いていたから、
見舞いにもなかなか来られなかったんです。

私は日曜になると教会の朝の礼拝に出席するため、
同僚に彼女のことを頼んでいました。

ところがある時、その同僚から


「日野原先生は、日曜日は
  いつも病院に来られないから寂しい」
  
  
と彼女が言っていたと聞かされましてね。
以来私は朝教会に行く前に、病室へ顔を出し、
それから礼拝に出るようにしたんです。
これはその後の私の医師としての習慣にもなりました。


ところが当時は結核の治療法がなかったために、
どんどん容態が悪くなっていってね。

非常に心配していたんですが、ある朝様子を見に行くと、


「先生、私は死ぬような気がします……」


と言うんです。私は


「午後にはお母さんが来られる予定だから、頑張りなさい」


と言いました。

すると彼女はしばらく目を閉じて、
また目を開いて言葉を続けました。


「お母さんはもう間に合わないと思いますから……、
  私がどんなにお母さんに感謝していたかを、
  日野原先生の口から伝えてください」。
  
  
そうして手を合わせた彼女に、私は


「バカなことを言うんじゃない。死ぬなんて考えないで!
  もうすぐお母さんが見えるから、しっかりしなさい」
  
  
と言って、その言葉を否定したんです。

ところが見る見るうちに顔が真っ青になっていったので、
私は看護師を呼んで「強心剤を打って延命しよう」と言い、
弱っている彼女に強心剤をジャンジャン打った。

そして「頑張れっ、頑張れっ!」と大声で叫び続けた。

彼女はまもなく茶褐色の胆汁を吐いて、
二つ三つ大きく息をしてから無呼吸になりました。

私は大急ぎで彼女の痩せた胸の上に聴診器を当てましたが、
もう二度とその心音を捉えることはできませんでした。

私は彼女の死体を前にして、どうしてあの時


「安心して成仏しなさい。
  お母さんには、私があなたの気持ちを
  ちゃんと伝えてあげるから」
  
  
と言ってあげられなかったのだろう。
強心剤を注射する代わりに、
どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか、
と悔やまれてなりませんでした。

私は静かに死んでいこうとする彼女に、
最後の最後まで鞭を打ってしまったわけです。

この時に、医師というのは
ただ患者さんの命を助けるのじゃない。

死にゆく人たちの心を支え、死を受け入れるための
援助をしなければならないのだと思いました。

その強い自責の念が、
後にターミナルケア(終末の患者へのケア)や
ホスピスに大きな関心と努力を払い、
人々が安心して天国や浄土に行くにはどうしたらよいかを考え、
そういう施設をつくる行為へと繋がっていったんですね。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201202_pickup.html



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ご自身の人間力をさらに高める
2012年にしていただければ幸いです。

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(転載以上)


日野原重明さんのお話は、先日も引用させて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/3459413ec5877af6a4a437dde715afb7


医師としての原点として挙げた十六歳の少女のお話、考えさせられます。

お父さんがなく、日曜も工場で働いているお母さんは、なかなか少女のお見舞いに来れません。


“以来私は朝教会に行く前に、病室へ顔を出し、
それから礼拝に出るようにしたんです。
これはその後の私の医師としての習慣にもなりました。”


日野原さんは、その後ずっとそうして来られたのですね。


“「バカなことを言うんじゃない。死ぬなんて考えないで!
  もうすぐお母さんが見えるから、しっかりしなさい」”
   
“「頑張れっ、頑張れっ!」と大声で叫び続けた。”


強心剤をたくさん打ちながら、必死になってその少女を励ます日野原さんの気持ち、伝わってきます。
心ある人であれば、きっとだれでもそうしようとするのではないでしょうか。


  “私は彼女の死体を前にして、どうしてあの時

「安心して成仏しなさい。
  お母さんには、私があなたの気持ちを
  ちゃんと伝えてあげるから」
  
 と言ってあげられなかったのだろう。
強心剤を注射する代わりに、
どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか、
と悔やまれてなりませんでした。

私は静かに死んでいこうとする彼女に、
最後の最後まで鞭を打ってしまったわけです。”


日野原さんの気持ちが痛いほど伝わって来ます。

 
“その強い自責の念が、
後にターミナルケア(終末の患者へのケア)や
ホスピスに大きな関心と努力を払い、
人々が安心して天国や浄土に行くにはどうしたらよいかを考え、
そういう施設をつくる行為へと繋がっていったんですね。”


私には、この少女と日野原さんのとても深いつながりが感じられてなりません。

この時の体験が原点となって、その後の日野原さんの歩みが決定づけられたのですから・・・。