宮崎駿「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」(ロッキング・オン)
http://www.amazon.co.jp/dp/4860520076/
「最初はなんとなく、バス停で待ってたらオバケが来たっていう、それだけ思いついたんで
すけどね。それで、どういうオバケだかわかんないから、絵本で描いてるときは闇のような
黒いもんが来て、ヒョッと見たら爪が生えてたとか毛が生えてたとかね、全体像を必ずしも
見せなくていいと思ってやったんですけど、え~い面倒くさいってこう、このくらいのこと
しか思いつかないっていうふうにして描いたら出てきたのが、あのトトロだったんです。だ
から、確信をもって絶対こういう格好をしてなきゃいけないんだっていうものじゃなくて、
原形になってるのは、やっぱり『どんぐりと山猫』を読んだときに、山猫が呆然と立ってい
て、その足下でドングリがキーキー言ってるっていうところなんですよね。それは宮沢賢治
の解釈として間違いだと言ってる人もいるけども、それはどうでもいいことで(笑)。そうや
ってイメージしたものが自分の中で強烈だったことは、もう間違いないですね。大~きくて、
呆然と立ってるっていう。だから、みんながトトロを描くと似ないんですよ。なにが似ない
かっていうとね、みんなの描いたトトロっていうのは、なにかものを見てる顔になっちゃう
んですよね。でも、見ちゃいけないんです(笑)。焦点の合っていない、なんだか得体も知れ
ず、茫洋としてたほうが神聖さみたいなものを感じさせるような気がするんですよね。気を
キかしたり相手の気持ちをおもんぱかったりするのは自分たちでもできるから、とにかく呆
然とそこにいて安心させてほしいっていう、そういう存在を誰でもどっかで望んでると思っ
たんです(笑)。誰でもかどうかわかりませんけど。なんていうか、役に立つのか立たないの
かわかんない、賢いんだかバカなのか、たぶん両方なんだっていうね、そういう愚かなもの
が賢いものに通じてるっていう考え方は、不思議な土俗的な日本の思想なんだろうと思うん
だけど(笑)。やっぱり好きだからしょうがないですよね」
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