旧天外3メインのオフ会に行ったわけです。
最近天外関連サイトを見てると旧天外3関連の
何やかやを目にする事が多くて、
まあその度におととしの6月6日に引き戻されて
やや凹んでしまうのですが、
まあ結局のところ自分で決着をつけるしかないんだよなあ、
とまあ、そういうことを再確認したオフ会でした。
「じゃあ何をすれば良いのか」つうのは
それこそおととしの6月6日以来考えている事で
でも答えは出ていないわけですが。
自分は今の天外3も楽しんでるのですが
だからといって旧天外3への思い入れを断ち切った、
というわけではありません。
新天外3あるいは旧天外3への思い入れというのは
どちらかを切り捨てないと成立しないものなの?
というのが最近考えていることだったりします。
まあここに至る間でのいきさつを思えば、
それぞれの作品(旧天外3を「作品」と呼べるのかはともかく)
がもう一方の作品を語る際の「踏み絵」として
機能してしまう、というのもわからなくはないのですが…。
両方好きな人間もいるのですよ、ということを
とりあえず表明しておこうと思います。
それが自分だけとは思わないけど…。
新天外3がゲームとしてお客さんに優しくない部分を
多々抱えている、というのは思いますが…。
それでも次回作に期待する・し続ける
という事をやめようとは思いません。
最近天外関連サイトを見てると旧天外3関連の
何やかやを目にする事が多くて、
まあその度におととしの6月6日に引き戻されて
やや凹んでしまうのですが、
まあ結局のところ自分で決着をつけるしかないんだよなあ、
とまあ、そういうことを再確認したオフ会でした。
「じゃあ何をすれば良いのか」つうのは
それこそおととしの6月6日以来考えている事で
でも答えは出ていないわけですが。
自分は今の天外3も楽しんでるのですが
だからといって旧天外3への思い入れを断ち切った、
というわけではありません。
新天外3あるいは旧天外3への思い入れというのは
どちらかを切り捨てないと成立しないものなの?
というのが最近考えていることだったりします。
まあここに至る間でのいきさつを思えば、
それぞれの作品(旧天外3を「作品」と呼べるのかはともかく)
がもう一方の作品を語る際の「踏み絵」として
機能してしまう、というのもわからなくはないのですが…。
両方好きな人間もいるのですよ、ということを
とりあえず表明しておこうと思います。
それが自分だけとは思わないけど…。
新天外3がゲームとしてお客さんに優しくない部分を
多々抱えている、というのは思いますが…。
それでも次回作に期待する・し続ける
という事をやめようとは思いません。