菊池の記

天外魔境ファン・菊池が言いたいこと言います。

「戦国魔城」について+その他

2013年07月11日 | 天外魔境

叶精二『宮崎駿全書』より。

> 鈴木の発案・構成で、『アニメージュ』八一年八月号に巻頭三一ペ
> ージの大特集「マンガ映画の魔術師・宮崎駿―冒険とロマンの世界」
> が掲載された。そのカラー扉数項を、未発表のイメージボードが飾
> った。それは、鎧武者と飛行機械や空中に浮く城が共存する奇妙な
> 作品で、未掲載ボードには武装集団・土鬼(ドルク)、トリウマ、巨神兵のよ
> うな巨大ロボットも描かれていた。

http://www.amazon.co.jp/dp/4845906872/

 

鈴木敏夫『映画道楽』より。

>  最初に提出したのは、僕が仮タイトルを付けた『戦国魔城』というチャン
> バラものでした。宮さんの場合、作品を作るときにいろんなイメージが重な
> るんですが、岩見重太郎のヒヒ退治とか俵藤太のムカデ退治。ああいうもの
> を作ってみたいというのがあったんです。それは単に昔話として面白いとい
> うよりも、巨大なものをやっつけるところに日本の伝統があるんじゃないか
> と。タイトルにも『魔城』とあるように城も出てくるんですが、雰囲気は映
> 画『もののけ姫』をもっと素朴にした、その原型みたいな企画でしたね。
>  結局、この企画はうまくいきませんでした。

http://www.amazon.co.jp/dp/4041005663/

 

黒澤明 宮崎駿『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』より。

> 黒澤(中略)
>  シェイクスピアやったらどうですか、日本の時代劇にして。たくさんありますよ、面白いのが。ど
> う?
> 宮崎 いや、これは……、うーん。
>  まずその時代、何を食べてたのか、何を着てたのか、というところから入らないと。
> 黒澤 でもね、その文献ならありますよ。昔のもののほうがあるんです。献立を書いたものとかが。
> 宮崎 室町というのはどうですか。
> 黒澤 室町頃だってありますよ。室町もいい時代だけどね。しかしやっぱり鎌倉……。
> 宮崎 南北朝でめちゃめちゃになりますね、「太平記」の時代に。何があったかよくわからない。あの
> 時代は僕はどうなのかと興味があって……。
> 黒澤 そうね、あまり遠くなるとわかりにくいところがたくさんある。平家だったら、そっくり残って
> るわけですからね。

 

> 宮崎 黒澤監督は『七人の侍』を作ったことによって、日本の映画界に一つの基準線を作ったと僕は思
> っています。もちろん『七人の侍』は歴史観や、そのときの経済情勢や政治情勢や人々の気持ちや、そ
> ういうもののなかで、まさにあの時代が生んだ作品でもある。黒澤監督をはじめとするスタッフの力量
> であると同時に、時代が生んだものです。あの映像のなかにある侍像や、百姓像や戦いの描き方そのも
> のが一つの時代を作っている。そして、それは呪縛のように――まさに呪縛です――その後、多くの人
> 間たちが映画を作るときに縛ってきた。べつに、悪いとかいいとかということじゃなく、それだけの力
> がある作品なんです。
>  でも、今、自分たちが時代劇を作るとしたら、それを超えなきゃいけないんです。歴史観も変わった。
> 変わったというのは変な言い方ですけれど、前より少し余計にわかったことがある。また、前よりわか
> らなくなっている部分もあるでしょう。その点を自分たちで見極めないと、『七人の侍』を超えること
> は、やはりできないでしょうね。超えることができないということは、なにも並べてみてどっちがいい
> かということを競うというんじゃない。
>  つまり、黒澤監督があの作品を作ってからもう何十年かたっているのに、その間に自分たちが何を学
> んできたのかということを、問われることになると思うんです。それに対する回答は残念なことに日本
> 映画は出していないと僕は思いますね。実をいえば、黒澤監督も出していない。日本のなかでは、まだ、
> 『七人の侍』を超える映画は作られていないですよ。それができるかできないかは、やってみないこと
> には話にならない。
>  つまり、あの場で時代劇についていろいろお話しすることよりも、我々に課せられているのは、「な
> るほど違う時代劇だ」という映画を果たして作れるかどうかということです。いろいろいっても、作れ
> ないんだったら話にならないんです。
(中略)
> んなにワクワクするのか。そんな映画はめったにないです。自分が今までに見た映画のなかに、いい映
> 画はいっぱいあるんですよ。でも、一番好きな映画といわれたら、やっぱり『七人の侍』ですね。

http://www.amazon.co.jp/dp/4195552729/


テレコム・アニメーションフィルム時代の辻野寅次郎(辻野芳輝)さんについて

2013年07月07日 | 天外魔境

『天外魔境III NAMIDA 設定資料集』(「天外魔境III NAMIDA ~宝箱~(デラックスパック)」に同梱)より。

> 辻野 広井さんに最初に会ったときのことかな。当時はアニメ

> の会社にいたんですが、打ち上げかなんかで、酔っ払って家に

> 帰ったんです。そうしたら電話があって「会わせたい人がいる」

> と。しょうがないなと思いつつ、翌日会社で会ったのが広井さ

> んで、ぼくが描いた絵を気に入ってくれたということだったんで

> す。「いっしょにでかいことやろうぜ」みたいな誘い方をされて。

> 外人からみた日本という世界観でゲームを作ろうということで、

> 面白い人がいるなあ、世の中広いな、と思いました。良くも悪

> くもあの日に人生変わっちゃったかな。

> 広井 悪くも、ってのはないんじゃない?(笑)

> 辻野 あのままアニメーターを続けてれば、けっこういいとこ

> までいってたかも(笑)

> 久保 『アキラ』の仕事をしたくなくて……って話も聞いたけ

> ど(笑)

> 辻野 当時、合作ばかりでちょっと腐ってたかもしれませんね。

> ―― 広井さんは?

> 広井 辻野とほぼ同じような時期のことだけど、ハドソンの大

> 里さんと中本さん(当時の経営陣)に会ったときに運命が変わ

> りましたね。あのときに誘われて、「いやだ」って言ってるの

> に強引に北海道に連れてかれて蟹食わされて(笑) うまいこと

> 乗せられたんだけど、それまで普通の映画青年だったのが、億

> というとんでもない予算を背負わされて広井王子になったわけ

> です。

>  辻野を強引に誘ったのも資金があったからで、人の巻き込み

> 方も変わりましたよね。それが『I』が世に出る3年くらい前

> なんですが、予算がついてすぐに会いに行ったのが辻野だった

> んです。

> やっぱり天外の思い出っていうと、キャラクターとかシナリオ

> よりも、どうしても人になりますね。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00076YLU2/

http://www.famitsu.com/game/news/2005/02/04/103,1107507102,36109,0,0.html

・参考

 

>  世間ではほとんど知られることはなかったが、だいたい、一九八五年から一九九〇年にかけての数年

> 間、まさにバブル経済の時期、日本のアニメーションの仕事のかなりの割合を合作が占めていた時期が

> ある。ピーク時には半分を超えていたかもしれない。

 

>   ここで言う「合作」とは、主にアメリカのアニメ会社と日本のアニメ会社との共同制作のことを言うが、立

> 場は決して対等ではなく、実質的にはアメリカのテレ ビ番組の下請け作業だったのである。ほとんどの場

> 合、絵コンテまでがアメリカで作られ、それをフィルムにするまでを日本が請け負うというものだった。

 

>  なぜ、それほどまでに多くの仕事を日本が請けたのかと言うと、当時はまだ円が安かったからの一言に

> 尽きる。一ドルが二百円以上だった為、動画単価ですら日本の作品の倍近くあったのだ。

>   どんなに受注額が高くても末端に行き届かない体質の日本のアニメ業界で、動画単価がそこまで高いと

> いうことは、合作の受注には相当な利益があったと思って いいだろう。事実、私が初めて合作の動画を

> やったときに「えっ、こんなに貰っていいの?」と思ったほどなのだ。合作ばかりやってお金を稼ぐ人のこと

> を当時、ある程度、皮肉を込めて「合作貴族」などと言ったものである。

http://obatasensei.sakura.ne.jp/gassakunokoro.html

http://obatasensei.sakura.ne.jp/

 

> 昇りのホームから塀を乗り越えて行けそうな所にあるのが
> 東京ムービー新社であります。
> 昔は、ムービーの子会社テレコムがここに入っていた。
> テレコムは「夢の国のリトルニモ」を作るために
> 作られた会社で、辻野も家入も、「ニモ」を作るための
> スタッフ募集でテレコムに入ったのでした。

(略)

> そもそも、東京ムービー新社とレッドの関係は「天外魔境」
> が始まるより2年ほど前、「蜃気楼帝国」がアニメになりかかった
> 時にさかのぼります。そして、レッドをハドソンに紹介して
> くれたのは、その時のプロデューサー山崎さんという方でした。
> それで、ハドソンに「天外魔境」の企画が通った時、
> アニメ部分は東京ムービーさんに……という話になったのだ。
> ———というわけで、辻野と家入とレッドの関係がうまれた。

http://web.archive.org/web/19990209194547/http://red-jp.com/ten/tora0.htm

 

> 雷の鳴る豪雨の中、新井薬師にやってきた
> いかにも怪しげな広井に「いっしょに天下をとろうではないか」
> と言われたと、辻野は小説天外魔境3のあとがきで書いている。
> そのころ、「ニモ」の製作は止まっていて、辻野は
> 同期の仲間とオリジナルの企画を立てていた。
> 「鬼童丸」というその企画の絵を見て、広井は
> その主人公を自来也に抜擢したのだった。

(略)

> <鬼童丸>はOVAに、あるいは、ゲームにならないか———と
> 家入が持ち歩いていたそうだ。それで、辻野と家入がセットで
> うちにきた理由が分る。(辻野証言)その辺のいろいろも
> あとで家入に聞いてみよう。

http://web.archive.org/web/19991002034246/http://red-jp.com/ten/tora1.htm

あだちひろし&レッドカンパニー『天外魔境 FAR EAST OF EDEN』(角川スニーカー文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/4044704015/

あだちひろし&レッドカンパニー『天外魔境 2 大門招来編上之巻』(角川スニーカー文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/4044704023/

あだちひろし&レッドカンパニー『天外魔境 3 大門招来編下之巻』(角川スニーカー文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/4044704031/

 

>  *家入によると、原案は佐々木+家入で作ったとのこと。その際、
> 影響を受けたのは宮崎駿さんの「もののけ姫」だったそうだ。宮崎さ
> んも、「ニモ」のために、一時期テレコムにいた。しかし、辻野も家
> 入も、宮崎さんとはすれ違ってテレコムに入ったのだった。影響を与
> えたのは、講談社から出た「イメージボード集」に載っていた「もの
> のけ姫」だとのこと。辻野は「もののけ姫」の影響は否定していた。
> 家入によると、「辻野の意識にあったのは<クロサワ>であろう」と。
> その証拠は、スケッチに主人公の名を「鬼久丸」と書いているのがあ
> ることで分る。これは「七人の侍」の菊千代からきている。
>  残念ながら、どこにも日付がない。家入の記憶によれば、この企画
> を作り、持ち回っていたのは1986年から87年にかけて———。
> 運命の遭遇は、1987.7.22。この日、ハドソンで家入の持っ
> てきたスケッチを見て、広井はまるで自分が持ってきたかのように、
> 「自来也はこれです」と言ったそうだ。そのとおり、ジャキの絵はそ
> のまま「自来也」である。広井と辻野の出会いは、その3日後のこと。

http://web.archive.org/web/19990503015150/http://red-jp.com/ten/tora3.htm

 

> ‘86.3.31———という日付がある。このあと、月に一枚のペースで
> このNOTEは作られてゆく。まだ、この時は、微かながら「蜃気楼帝国」の
> アニメ化の話が生き残っていた。「天外」はその第2弾のつもりだったのである。
> このとおり、最初は自来也でもなんでもなかった。そこに自来也があてられ、
> その製作会社になるかもしれなかった東京ムービー新社の子会社で、辻野たちが
> のちに自来也になるキャラを作っていたという同時性が、
> なんだか面白くてしょうがないのだ。

http://web.archive.org/web/19980129010822/http://red-jp.com/ten/note0.htm

『天外魔境 ビデオ&ゲーム大集成』(レッド・カンパニー内回覧「天外魔境NOTE」が一部掲載)

http://www.amazon.co.jp/dp/4047145025/

 

以下、大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文春ジブリ文庫)より。

231ページ

>  一方、私がまだ『コナン』で頑張っているころ、藤岡さんは「長編アニメーター募集」

> と新聞等に派手にブチ上げ、応募者は1000人を超えたといいます。審査に当たった

232ページ

> 月岡貞夫さんは、採用にあたってまず経験者とアニメ・ファンを極力排除したそうで、

> 東京ムービー専務(当時)片山哲氏によれば、「既成アニメに毒されていない、できれ

> ばそれまでにテレビアニメなどを見たことがない人を、が採用にあたっての審査の基準

> でした」「面接では持って来た絵が非常によかった人でも、アニメ番組をよく見ています、

> と言っただけで落とされた」そうです。

(略)

>  アニメーターばかり、総勢42名(うち男性5人)それも美人ぞろいで若い熱気であふ

> れかえっていました。

264ページ

> 『風魔一族』は、細部の出来はよかったのですが、統一感に乏しく、多分にスーパーマ

> ーケット的で、印象の弱い作品になっています。一方、原画陣が思い思いに楽しんで作

> ったためか理屈がなくて、痛快な画面が多く、『ルパン』のシリーズのなかでは『カリ

265ページ

> オストロ』に次ぐ出色の出来栄えといえましょう。

 

大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』(文春ジブリ文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/416812200X/

大塚康生『リトル・ニモの野望』

http://www.amazon.co.jp/dp/4198618909/

宮崎駿『宮崎駿イメージボード集』

http://www.amazon.co.jp/dp/B0053EO0HW/

(↑何故かおもちゃカテゴリ)

宮崎駿『もののけ姫』

http://www.amazon.co.jp/dp/4198600406/

 

ついでに。

『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』(文春ジブリ文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/4168120007/

『ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ』(文春ジブリ文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/4168120015/

『ジブリの教科書3 となりのトトロ』(文春ジブリ文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/4168120023/

 

以下『リトル・ニモの野望』より。

111ページ

>  この時期の宮崎さんの「ニモ」に対するスタンスに触れておかなければなりません。宮崎さ

> んは「ニモ」の企画が出た時からはっきりと反対を表明していました。「このストーリーはは

> じめから全編が夢であると宣言している。映画はもともと夢には違いないが、これは夢だとい

> ってはじまるのでは、観客はしらけてしまうだけの話だ。別の企画を用意すべきだ」と言って、

> 戦国時代を背景にお姫さまと獣に変身させられた青年の話を考えだして、主なシーンのカラ

> ー・スケッチを描いていました。これを宮崎さんは、藤岡さんに「ニモ」の代わりの企画とし

> て提出します。この時のストーリー・スケッチが「もののけ姫」の原型で、のちに徳間書店か

> ら大判の絵本になって出ています。

112ページ

> 信用できる企画ということになります。残念ながら宮崎さんは「未来少年コナン」や「カリオ

> ストロの城」のあとでもまだ世間的には知名度は決して高くはない時期だったのです。

(略)

>  その後も宮崎さんは、「ニモ」の準備の途中から描きためていたスケッチを発展させた「グ

> ールの王女」や「ROLF」から得た着想をもとにした「風使いのヤラ」といった「風の谷のナ

> ウシカ」の原型となるスケッチを量産していました。驚いたことにその頃、宮崎さんはすでに

> 「ナウシカ」の名前を考えだし「藤岡さん『ニモ』のかわりにこれを採用してくれませんか」

> と具体的に提案していたのです。困り抜いた藤岡さんの表情は今も忘れることが出来ません。

> ここまで進めてきた「ニモ」が引き返せない状況の中での提案です。これらのスケッチに藤岡

> さんが反応出来ずにいるうちに、宮崎さんは『アニメージュ』(徳間書店)の1982年2月

> 号から「風の谷のナウシカ」を漫画連載することになりました。

129ページ

> 「ニモ」の準備中、テレコムは主としてディズニーその他のアメリカのアニメ・プロからの受

> 注作品を手がけています。アメリカ風の1コマ、2コマの動かし方(1秒24コマあるフィルム

> を1コマ、2コマごとに作画する方法)の技術は習熟してきていたので、現地では非常に好

> 評でしたが、肝心の日本の視聴者の目には触れないままです。テレコムのアニメーターたちは

> 日本で胸をはれない寂しさと、辛さを味わってもいました。