婢将女(ひしょうじょ)日記

ニダの創氏改名・通名の大問題を叩く!日本人の生命と安全のために

日本の悲劇と中国・朝鮮儒教連合の悪.

2006-12-20 01:20:48 | 政治への怒り
日本は満州移民について、東宮らの朝鮮人を移民させるという案を、現地中国人とのトラブルを避けるため日本人のみにすべきだとして、各県から優秀なる人材を選抜して満州に送っている。日本人は婦女暴行や、窃盗などをする心配はないと考えたのである。
これは日本の公文書でも記録が残っている。

さて当時、東亜考古学会蒙古調査班の一人であった人物が、1931年の話として、興味深い記録を残している。
旧満州の首府新京のほぼ250キロの町通遼と言うところでの話である。
蒙古で調査に明け暮れて日本に帰国するべく満鉄の支線の敷かれているこの町に着いたとき、日本人と見られたならばたちまち殺されかねない逼迫した空気であったという。
「万宝山事件」とか「中村大尉事件」とか大書され「日本帝国主義打倒」とか「在満の朝鮮人を皆殺しにせよ」とか書かれ、ひどく激しくたかぶった荒々しい排日文句が、町中に書き散らしてあったのだ。(「学問の探検」江上波夫著 株式会社佼成出版社発行)

これは、蒙古を調査などで歩き、事態も分からずトラブルのさなか大変なところに出てきた氏が、相当驚いて記録にしたものだという点が、貴重である。

日本人たたきの元凶は、これより以前に萬宝山で入植していた朝鮮人と中国人農民が用水路建設をめぐってトラブルを起こし、これに端を発して、朝鮮人を煽動したのは日本人だと見た中国人たちが排日運動を始めたのである。
トラブルを避けようと初めから日本は配慮していたのであるから、日本人が扇動するはずはないのだが。
(当初の日本側の「問題を起こす朝鮮人」と言う先見の明は、正しかったのである)

この朝鮮人のおかげで、今なお「南京虐殺」だのと、日本人は汚名を着せられているのか。

この険悪な状態に油を注いだのが、関東軍参謀部から諜報任務を与えられて、興安嶺山中に入っていた中村震太郎大尉が、中国軍部部隊によって殺害された事件をめぐるに日中の対立である。
そしてその後、盧溝橋事件が起こるのである。この事件については、中国側が発砲したものといわれているのである。
満州にあった石原莞爾らが、穏便に事を収めようとしたが、軍本部の強硬な態度によりその後に繋がる事となる。

満州にソ連が侵攻した時の事と言い、北方の島にソ連が侵攻した時の事と言い、何か、日本が負けるように負けるように災禍に見舞われるように、誰かに導かれていたかのようである。
後日、ソ連侵攻当時の事について、書いてみたい。

日韓併合当時朝鮮国内では、「この戦争で、日本はすぐ負ける」と言う話がささやかれていたようだが、トラブルの種を蒔いた張本人が、高みの見物をしていたようだ。
中国やソ連やアメリカらの列強と次々に対峙することになった日本(朝鮮が蟻とバカにする日本)を見て、「日本と併合してほしい」と依頼した朝鮮は、何を思っていたのであろうか。
まさか、併合を願った朝鮮が裏で日本たたきとか日本を陥れるなどしているとは、誰も思うまい。
中国は、世界が日本を敵視すべく煽動し今なお日本を悪者にしているが、清朝を襲ったのは中国と言うことが出来るのではないのか。

勝てば官軍であるから、何を言われても敗戦国日本はやむなしであろうが、精神は中国・朝鮮よりも劣る事はないはずである。
朝鮮王朝当時の拷問の仕方を「記念館」などで陳列して、日本人の仕業にするなど、中国・朝鮮の儒教連合国は精神が劣った国という表現が正しい。