8月5日(土)5714歩
温泉近くの小川です。甲突川に注ぎます。
数ケ月まで空き地だった元パチンコ屋さん後に大きな老人施設
がもうすぐ完成です。
台風接近ですが、鹿児島市内は今のところ少し風が強くなっている
程度です。雨戸を入れていると全く感じません。
ここ数日庭の草取りほんの少しずつですが続けています。
あじさいや、明日葉の始末をしたら、大きなごみ袋5つにもなりました。
平和へのメッセージは今日は峠三吉さんの「人間を返せ」
この詩は20歳前に出会いました。下宿の壁に貼っていました。
18歳のころより平和行進に参加して、この詩に出会いました。
平和行進は8月6日・9日の広島長崎に原爆投下された日に向けて
南は沖縄から平和を訴えて行進を続けて、その地域地域で旗を
リレーした長崎ヒロシマへと届けるものです。
私たちは歌で行進する人を励ましともに歩きました。
敗戦から10年後の作られた曲、この歌もよく演奏しました。
あの子【F】
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作詞 作曲 |
永井 隆 木野普見雄 |
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新おけら歌集(10/11/22)青年歌集4 /楽譜:ビーさん(11/02-13/08) |
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この曲も今なお歌い続けています。
1年前のブログです。子育てサロン
http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/d/20160805
とでたので準備万端でしたが、離島はかなり激しい雨風
だったようですが、死者まで出ています。お気の毒です。
市内は交通機関も一切止まって用心したのに、どこか
の看板が落ちたというニュースだけでした。
ご心配いただきありがとうございました。
私も3回・・中には入りませんが前で見学しました。
「あの子が生きて居れば」の著書も残されています。
「こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ」
有名なこの歌も永井博士の…とは案外知らない人もいるのでしょうね。
せめてこの8月だけでも平和について考え、思いを語り合いたいと思います。
コメントありがとうございました。荷ほどきの方も大変でしょうね。ぼちぼち行きましょう。
私の生き方の原点。18歳のころ歌のサークルの仲間
たちと歩いた暑い暑い夏。東京から沖縄にわたりリレー
機をもって歩いている女性・・確かカメラマンだったかな?
顔は真っ黒に焼けて…それでも笑顔を絶やさず歩き
続けている。
うたごえの仲間と広島や長崎の原水禁大会にも何度
参加したことでしょう。
「死んだ女の子」あちこち訪問して歌いました。
広島の文化祭典では、あの池辺晋一朗の指揮で
組曲を全国の仲間数百人と演奏しました。
鹿児島から広島へ嫁いだ仲間の家で10数人で雑魚寝。
ありゃぁ、またまたおしゃべりで長くなりました。
あさがおさんのコメントうれしくてね。
台風まだ気配ありません。13時30分です。
kaoさんは実に自然にそれができていますね。
詩もそういう心の在りようで生まれると思います。
悲惨な原爆を身を持って体験した、その人しか書けな
い言葉。心に突き刺さります。
私は戦前派でも戦後派でもない、まさにその両方を
体験してきた。でも 終戦が6歳では、一番大変な時
代を伝えられません。せめてその後の体験や周りか
ら耳にしたこと、それが私の人生を決めてくれた。
これからはもっと自分にしか伝えられないことを伝え
ていきたいと思います。
この季節になると 思い出すのですが
本当は 私達の毎日の生活が成り立っているのは
この犠牲が有ればこそなのでしょうね
如己堂に 一度だけ行ったことが有ります
市内 他を色々観光しましたが
ここが一番 心に残り
帰ってから 永井博士の本を読んだりしました
平和の有り難さを痛感しますね
台風 気を付けて下さいね
核兵器「リトルボーイ」原子爆弾が投下されました。
一瞬にして消えてしまった、街、生命、後遺症に苦しむ人々・・・広島、長崎の原爆記念館も訪れましたが、
あまりの惨さに目を覆うばかりでした。
○人間を返せ
○死んだ女の子
○あの子
どんなに苦しかったことでしょう。本当に胸が詰まります。
世界平和を祈るばかりです。
悲痛な怒りが伝わってきて
胸が詰まりました・
chidoriさんの美しい文字で書かれると
さらにいっそう真に迫ってきます。
こうした詩に出会うと私の詩が非常に未熟ということが
よくわかります・こうした人の心をうつ詩は
不滅ですね、また滅してはいけませんね。