展示会名:塩川コレクション 「ロイヤルコペンハーゲンのアールヌーボー」
開催場所:ヤマザキマザック美術館
期間:2019.04.20~08.25
訪問日:6月4日
惹句:ミルク色に輝くどうぶつたちをご覧あれ
ちょっと時間ができたので、私の好きなヤマザキマザック美術館の特別展に行った。今回の特別展は、19世紀末の頃のデンマークの当時最高級技術の焼き物。ロイヤルコペンハーゲンとビングオーグレンダールの2社の窯が担っていた。前者は1775年に王立窯として成立したが、1868年には「ロイヤル」という名前を残すことを条件に民間に移管した。
その民間会社が19世紀末にアーノルド・クローを芸術監督にして重要な技術開発を行い、それが非常に人気を呼んだ。その技術が後で述べる釉下彩である。その人気に対応して供給量をまるため、ビングオーグレンダール社ができた。この2社はその後合併している。
釉下彩というのは、焼き物の素地に絵付けをしてその上に釉を載せるという方法である。
もともとロイヤルコペンハーゲン等の西洋窯は、東洋の青磁や青の染付に憧れてそのコピー品を作ることからスタートしている。
ロイヤルコペンハーゲンは特に古伊万里の染付の影響を受けたが、残念ながら彼らの入手できる絵具と焼成温度の治外から、濃淡のない濃い青しか発色できなかった。
それをクローは釉下彩の手法を選び、材料や焼成条件を工夫することで、濃淡のある青やその他の色の発色、そしてミルク色の独特の質感を作り上げた。
この展覧会では、下記が展示されている。
1.釉下彩の進展過程
2.釉下彩による動物等の作品
3.食器等の作品
4.釉下彩の日本への影響
5.製造技術の再現
このうち、1~3について示す。なお実際の展示は2から始まっていて、それが最も多数展示されている。
1.釉下彩の進展過程
1888年から1900年にかけて、釉下彩の技術が一気に進展している。それまでのロイヤルコペンハーゲンのブルーオニオンは青の線描であったのが、この時期から面の塗りとなり、どれも濃淡をコントロールできるようになり、最後には青だけでなく、他の色も色付けされるようになっている。ともかく多色のものを一回の焼成で製作できる技術が確立した。
1888年11月 1889年9月
1890年1月 1890年10月
1904年7月
2.釉下彩による動物等の作品
2.1 ジャポニズムの影響
世紀末にヨーロッパではジャポニズムが席巻していたが、1890年頃に北斎漫画の影響を受けて、魚のフィギュア(フィギュアリン)を作り出した。
タラとかオコゼ、ゲンゲなどが作られたが、ゲンゲなどぬめりのある肌の魚のものは、釉の艶のため本物そっくりに見える。
タラ ゲンゲ
オコゼ
2.2 ロイヤルコペンハーゲンの動物のフィギュア
2社ともに動物のフィギュアを製作しているが、雰囲気がちょっと違う。ロイヤルコペンハーゲンのほうのものは、「ここちよい親近感溢れる美」と言われている。
以下に4匹の犬、3匹の子猫の作品を示したが、とても柔らかい光が周りを囲んでいるようで、ほっとする。これらは1910~1920年の作品である。
なおこちらでは、コペンハーゲン名物の人魚のフィギュアを作っているが、なかなか色っぽい。
2.3 ビングオーグレンダールの動物のフィギュア
こちらは「釉下彩の造形美」と言われているが、色に加え形もリアルさがある。
以下、サル、および犬の例を示す。サルのほうでは繊細さ、犬のほうでは力強さを感じる。
3.食器等の作品
1902年にジャポニズムの影響を受け、鷺をデザインした食器セットが非常に有名である。
センターピース、食器の一部を示す。広いテーブルの上に、これらが展開して並べられ、キラキラ光っていると壮観だろう。
4.おわりに
このように、素晴らしい釉下彩の作品だが、アールヌ-ボーからアールデコを経てモダンデザインになると、ほぼ消滅した。それはこの柔らかい光を好むという状況から自然発色させる窯変釉が好まれたこと、また装飾性を排除しシンプルで合理性、使いやすさが望まれたためである。
結局企業として生きていくため、工芸品として評価されるが少量しか生産できず歩留まりの悪いものより、多数の消費者に提供するために、量産性のよい工業製品を生産する方向へと方針を変更したことによるものとのこと。