てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

地蔵盆の楽しみ

2018-01-20 15:45:35 | 昔話・思い出
 
 小学校までは、お祭りよりも地蔵盆が一番楽しかった。
 旧盆の日、あの頃は大八車の車庫などを利用して、子供の秘密基地みたいなのを作る。その前に祠にあるお地蔵様をきれいにして飾り、2日間そこで子供たちだけで遊んだ。

 その準備は多分大人たちにとっては、半月前位から始まる。誰をリーダーにして、そして子供たちの基地になる場所を隣組の常会で決めるのだ。多分補助監督する人も決めるのだろう。リーダーは小学生、そして補助する人は中学生。
 子供たちのリーダーになる人にとっては、一週間前から準備活動が始まる。リーダーが考えることは以下である。
・秘密基地作り、および祭壇の飾りつけ
  これについては、細い竹で骨格を作り、そして簾や杉の枝で秘密基地を覆う。茣蓙なども準備しなければならない。祭壇用のテーブルなどの借り先も考える。
・お地蔵様の水洗いと飾りつけ
  小川の水に石のお地蔵様をさらし、きれいにチョークで飾り付ける。

 あの頃は、12軒の町内で20人を越える子供たちがいた。そして3年続けて小学校6年生がいたが、私が5年生になったその年は6年生が途切れてしまった。そのためあまり外遊びせず、とてもガキ大将とはいえない私がリーダーの役割をすることになった。その時の小学生およびそれ以下は12名? うちの家が4名を占めていた。

 補助する中学3年の人は、竹や杉を山から切りだし秘密基地を作る荒事は?私にはとても無理と判断したのだろう。彼の弟の4年生の子、これは本当の野山をかけるガキ大将、と一緒に作業をさせるようにした。

 8月23日、彼は私とその4年生も連れて山へ行った。兄弟で笹を切り、杉の木に登って小枝を払う。兄弟はとってもうまかった。
 補助者が、切る竹の選び方や切り方、杉の木への登り方を教えてくれた。

 「これを覚えとかないといかんぞ。町内で時々山仕事してきれいにするんや。山が荒れるからな。後はやっとくから、1時間半後くらいに子供達を連れて、枝を採りに来てくれや。それと、各家を回って簾とかテーブル、木の台を借りにまわっといてね。」

 いそいで町内に戻って、リヤカーを引き出しリストに従って、貸してくれる3軒ほどを回った。
 
 一軒一軒 ちゃんと大人の人に挨拶していく。
 ちゃんと頭を下げてご挨拶。
「こんにちは。失礼します。お地蔵さんの家を作るので簾と木の台を貸してください。」
「御苦労さまです。今年の家はどこでしょうか。」 大人たちも丁寧に挨拶を返す。
「製殻所のところです。」
「お疲れ様です。出来たらお参りに行きます。」

 女の子や小さい子に頼んでいたお地蔵様のチョークで色塗りも、だいぶ進んできた。その後美術の先生になる私の3年の妹が、一生懸命小さな子に色の使い方や塗り方を教えている。
 暫くするとびっくりするほどカラフルになってきた。

 ちょうど時間になったのでリヤカーを山道の入口に置き、子供達を山に連れていく。小竹や、緑の杉の小枝の山が出来ている。それを何度か往復してリヤカーに積み持って帰る。

 そして、祭壇作りと大八車車庫の秘密基地化。木の台、テーブルの周りを小竹の骨組みで覆い、それに杉の枝を引っ掛けていく。木の台に敷物を引き、お地蔵様を並べる。秘密基地のほうはゴザを敷き、簾と杉の枝で完全に眼隠しをして完成。

 小さい子供達は家からマンガを持ってきたり、トランプを持ってきたりして、遊び始めた。
 しかし、リーダーはこれからが本番。
 町内全部の家を、ご挨拶にまわる。ご夫婦が揃って玄関に正座して挨拶を返す所もある。
「こんにちは、私たちのうちにお地蔵さまがいらっしゃったので、お参りに来てください。」
「ご丁寧にありがとうございます。暫くしたらお伺いします。」

 自分の家も例外でない。それどころか・・・注文が多い。
「はっきりと言いなさい・・・  もっと背筋を伸ばして・・・。 他の所でもそうするのですよ。 貴方はお地蔵様の代理みたいなものですからね。」 

 全部の家を回るとだいぶ疲れる。
 皆の所を回って戻ると、最初の家がお供え物とスイカを持ってきた。
「お参りに来ました。」
「ありがとうございます。」
「今年のお地蔵様はなかなかおしゃれだね。あの赤と黄色の衣がとてもきれいだよ。祭壇もなかなか豪華に見えますよ。」 1歳下のガキ大将と妹が、どんなもんだいと喜ぶ。

 向うはちゃんと礼をし、リーダーもちゃんと挨拶を返さなければいけない。そして子供達皆でその人の後ろでお地蔵様を拝んだ後、スイカをいただく。たくさんあるので豪快に食べ散らかす。妹と一つ年上の近所の女の子がちゃんと片付ける。

 その日から次の日の夕方までは、夜と食事の時間を除いて子供達はそこにいた。将棋をする、トランプをする、マンガを読む・・・・ 親から離れたとっても自由な時間。差し入れがいくらだって入ってくる。
 しかし、リーダーになる人は気が休まる暇はない。町内の人がお参りに来るたびにちゃんとお礼をしなければならないのは当然、他の所からのおじいさんおばあさんのお参りにも対応しなければならない。
 時には近くの町内のお地蔵さんや基地の様子も見に行って、自分たちのものと比較し、来年のことを考える。

 24日の夕方に地域のご老人達に来て拝んでもらった後、お供えを子供達でまず分け、そしてお供えしていただいた各家へも、お皿を返しついでにお裾分けしていく。
「お供えいただいて、どうもありがとうございました。」
「お疲れさまでした。」 
「お借りしています簾などは、明日お返しします。」
 大人たちは、ニコニコ笑顔。この2日間で本当に大人としゃべり慣れることができた。

 その日の夕食の時、笑顔の母から「○○さんとか△△さんから、丁寧に受け答えしていましたよって言われたよ。」って言われたが、もうバタンキュー。 

 次の日、後片付けは大人たちが手伝ってくれて簡単に終わった。一生懸命組み立てた小竹や杉の小枝が、ゴミとしてトラックに乗せられて見えなくなってしまった時、また普通の日に戻るけれども、ちょっぴり違った形で生活していくのだなっておもった。


 今思うにこの地蔵盆のリーダーは、子供から大人予備軍にステップアップするための、地域社会での関門だったのだなと思う。
 お地蔵さんの代理?としての役割に強制的につけられて、儀式として大人たちと対応していくことはきつかったけれども、大人たちの社会をかなり感じることが出来た。

 この日を境にして、大人がいろいろ話しかけてくるようになったし、私の方も今までのただの子供の立場でなく、いろいろ考えて話すようになった。町内の定会にも代理として参加できるようになった。
 あの経験を得ることが出来たのは、本当に幸せだった。


記事集積のために、あるSNSからの転載
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする