てんちゃんのビックリ箱

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ワシントン ナショナル・モール 第2次世界大戦記念碑 訪問 

2020-06-29 23:03:54 | 旅行
2016年8月下旬訪問


 ナショナル・モールのほぼ中央部に、そのグリーンベルトを横断する形で 池を中心に同心円状に碑などを配列したエリアがある。これが第2次世界大戦記念碑で、クリントン大統領の時に関係者が逝去されないうちにと計画された。そしてブッシュ大統領が2004年に除幕式を行った。
 観光しましたっていう対象のものではないが、いくつか書きたいことがあったので、掲載する。

1.全体概要
 中央に大きな噴水があり、その周辺は座ったり水に触れたりできるように階段状の段差がある。そして周辺を56本の柱が囲んでいる。それらの柱には州名および合衆国帰属の地域名が記載されたプレートが埋め込まれている
その柱群はそれぞれ半分ずつに分かれ、それらの群の中央部には門状のものがある。そこの一方にはAtlantic、もう一方にはPacificと書かれ、前者が太平洋側の日本との戦争、後者が大西洋側のドイツとの戦争を意味している。
そして、そこかしこに大戦に関わる有名人の言葉や、戦闘名、戦争の状況を示す金属パネルが掲示されている。そしてリンカーン記念館側にフリーダム・ウォールというメインの展示壁が設置されている。



<ワシントン記念塔に見下ろされる第2次世界大戦記念碑>


 

<Atlantic およびPacific と書かれた 門状のもの>


 この配置を見て、おやっと思った。アメリカの第2次世界大戦に関わる歴史書の扱いでは、ドイツとの闘いと日本との闘いの比率は3:1もしくは2:1と、ドイツとの闘いのほうが重視されている。米国の戦死者は、前者が25万人、後者が16万人と5:3だからもう少し重視してもらってもと思っていたが、大戦の本質はナチス全体主義にあると思っていたからだろう。でもここではいきなり対等になっている。
これは前者の犠牲者の主体が陸軍とその後の空軍となる陸軍航空隊、後者が海軍と海兵隊であることから、バランスをとろうとしたのかもしれないが、今度は日本の戦いが逆に過大評価される恐れがある。

2.柱の回廊
 回廊のスタート部の足元には、たぶんアテネだろう紋章がはめ込まれ、ATLANTIC側にはVICTORY ON LAND,
PACIFIC側にはVICTORY AT SEA と書かれている。


<アテナの紋章>

 

<陸の戦い   海の戦い への道>


 柱の例を示す。州名が書かれている。
 


<ニュージャージー州、コネチカット州の柱>


 柱の間に書かれた戦争指導者の言葉の例を示す



<ルーズベルト大統領のパールハーバーに関する発言>



<ニミッツ提督の死者を弔う言葉>



<トルーマン大統領の死者の貢献への謝意>



<ミッドウェイに関する記事>




 また、門になっている部分の小さな噴水には、戦闘の場所や巻き込まれた国が記載されている。



<手前に バターン、コレヒドールなど。上の石に中国、ビルマなど>


 金属パネルはかなり大きく、戦争の悲惨さや終戦の喜びなどが描かれている。



<死者を埋葬する人達>



<戦争終了の喜び>



 なお私が確認した範囲内では 「Japan」、「Germany」という言葉はなかった。当然ながら原爆を落として大損害を与えたといったこともかあkれていなかった。
両国は一応同盟国であり、外交的配慮を感じるとともに、が戦死させた相手や経緯はさておいて、戦死した死者を弔うという強い意志を感じた。


3.フリーダム・ウォール
大きなコンクリートの壁に、4048個の星が並べられている。その星の一つが戦死者もしくは行方不明者100人を意味している。この向こうに離れてリンカーン記念館がある。振り向けば、ワシントン記念塔が頭の上に、そして議事堂が見える。
ここには「Price of Freedom (自由のための価格)」と書かれている。そして第2次世界大戦の死者は40万5千人であることが書かれ、そこにわざわざ南北戦争の死者が65万人と、各時代の戦争では最も多いことを書いている。アメリカにとって南北戦争はやっぱり重い歴史なのだなとおもうとともに、国民にこの国の成り立ちを敢えて意識させるようである。



<フリーダムウォールのほぼ全景>



<星マークの説明>




4.その他
 ナショナル・モール・のリンカーン記念館側で、モールの中央線から外れた左右に朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑がある。前者の除幕は1995年、後者のほぼ完成は1982年と、第2次世界大戦記念碑に先駆けて作られている。
 むしろ米国で国家のために亡くなった兵士を慰霊する場所は、1982年以前はワシントンDCから少し離れたアーリントン墓地であった。それが何らかの意思で、政府のごく近くの人が集まり目立つ所で慰霊する方向で動き出し、ナショナル・モールの特等地をこの記念碑が占めることで完成したのではないか。

 それも私のイメージでは、大勢がこのナショナル・モールのグリーンベルトに集まって平和の大行進などを実施してきた場所だったのを、そういった運動を敷地が遮って邪魔するかのように作っている。いろんな作為が感じられた。

 ともかく私の若いころに比べて、ナショナル・モールが平和運動の中心地という性格がかわり、軍人への敬意と国家への忠誠をこっそりと南北意識させる場になったようである。

 米国軍人および軍属の、各戦争における死者を調べてみた。

南北戦争:   655,000人以上 (北軍 365,000人以上、南軍 290,000万人以上)
第2次世界大戦: 416,000人 ( 対独戦 251,000人 対日戦 165,000人)
朝鮮戦争:    44,700人(行方不明者 8100人を含む)
ベトナム戦争:  58,000人
イラク戦争 :   4,400人
アフガン戦争:   2,450人 継続中
<参考 太平洋戦争の日本の犠牲者 310万人
(軍人軍属は230万人 内140万人が餓死)>

 第2次世界大戦での死者は、フリーダム・ウォールの数値とは少しずれているがオーダー的には同等と思う。
 南北戦争の数値を見て、たぶん軍人はそれほど多くないのに犠牲が多いのは戦って形勢不利になっても逃げずに戦ったのだろう、すなわち肉弾戦のダーティな戦いをやったのだろうと思う。そんな履歴を持つ軍隊はきっとなかなか強く、第2次世界大戦でも反映されたのだろう。

 米国は第2次世界大戦後も、最近まで戦死者を出し続けている。政府が軍人への敬意を意識させる仕掛けを作るのもわかる。

 日本は、大戦の戦死者を可視化させる努力をしていないことが、情けない。

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