<展示の様子>
展覧会名 洋画家 藤森兼明 VS 華麗なる中世彩色写本
場所:古川美術館
期間:10月24日~12月20日
訪問日:
惹句:時代を越え交わるふたつの祈りのかたち
名古屋の有力な美術館である古川美術館は、コロナ渦の中で閉館していたが、やっと開館することとなり、これを特別展として実施した。
内容は、中部地域出身で日本洋画界の重鎮、日本芸術院の会員である藤森兼明画伯の絵と、彼がインスパイアされたという中世ヨーロッパの彩色写本およびイコンを比較して示す展示会である。彩色写本について説明するために羊皮紙の説明やその彩色方法についても展示があった。
ポスターにインスパイアの例がある。左が中世ヨーロッパの彩色写本(ブシコー派の画家の時禱書 「三博士の礼拝」:時禱書とは中世装飾写本のこと)右側は藤森画伯の作品「アドレーションオブマギ)である。
作品の右上部に左の絵の引用がある。そして使われている色彩全般が似ているし、背景に写本の文字の書式が使われている。藤森画伯は2017年以降に装飾写本に関わる作品を製作しているとのこと。なお前者の写本は、古川美術館所有である。
この展示会に行って下記について知り、考えるきっかけをえることができた。
(1)中世彩色写本というのがとんでもなく手間と技術を要するものであるということが分かった。
(2)先日の源氏物語の展覧会にみられる日本の写本と比較して考えることができた。
(3)絵画の展示のライティングが通常の展示会とは異なっていた。その方法について考えることができた。
1.展示されていた写本と写本の作り方について
(1)展示写本について
展示写本は、非常に貴重なものの原本複製(ファクシミリ版:非常に精巧に複製したもの)、彩色写本、その断片(1pのもの、零葉と呼ぶ)など、古川美術館と藤森画伯が所有するものが展示されていた。だいたい原本が4~16世紀のものである。
この彩色写本は撮影が許されていなかったので、ネットからイメージがわかるものを集めてきた。
なお美術館での展示ページは、藤森画伯が引用したページであり、以下のページではない。
祈祷書、時禱書は聖書の言葉、それに対応した美しい絵、欄外の美しい装飾絵や文様からなっている。
<ベリー公のいとも豪華なる時祷書> ファクシミリ版
フランスのベリー公の命によって、約1世紀をかけて製作された大判の時祷書。
<マリー・ド・メディシスの時祷書> ファクシミリ版
描写に加え、切り紙細工で装飾される
<黒の時祷書> ファクシミリ版
羊皮紙自体を黒く染めて、その上に絵画や字を描いたもの。この作り方は1冊しか現存していない。
<聖歌集の例> 写本
色彩は4色が中心に使われており、それぞれ以下の意味を持っている。
赤:情熱
青:神秘
緑:安らぎ
金:神の光
非常に精緻で美しい。上記の4色が効果的に使われている。
羊皮紙(羊、仔牛、山羊を含む。仔牛が最も紙として適しているが、非常に高価)にページ一枚一枚丁寧に描いたものであり、普通のレベルの羊皮紙の本はちゃんとした一軒の家の値段に相当するとされた。上記の例で出したものは宮殿並みの価値を持つのではないか。
印刷が始まっていない時代に、文字を持つ超上流社会と文字を知らない大勢の下層社会を区分するものであったと思う。こういった本は王や有力貴族、大きな教会等の図書館に保管された。「薔薇の名前」という映画で神父たちが修道院の図書館でこういった本を読んでいたのを思い出す。
(2)写本の作り方
まずは、羊等の毛皮からゴリゴリと薄皮を削りだす。
<左:皮、それから毛をはぐ。刃物を準備、右:枠に皮をピンと張って削り出し研磨する。>
それに、いろいろな職人が分担して、枠、欄外装飾画、内容の文字や挿絵と描いていく。時祷書は約350p標準だったから文字入れの所でも一人で70日はかかる。ちゃんと間違い消しの削りナイフがあり、修正不可能となった場合には赤線で消すという処置がとられた。
各ページが完成すると、きちんと製本する。
<描写過程 最後の完成図は写真失敗>
<製本カットモデル>
完全に職人の分担作業で行われている。その製作者たちは無名のようである。先日の源氏物語の場合、写本は天皇とか有名な書家が行ったものがあり、その場合は内容というよりも筆跡が価値があるとされる。すなわち音楽における作曲家と演奏者がともに評価の対象となっている。そして作品そのものは明治頃まで秘蔵のものとされてきており、ヨーロッパのような限定公開といった扱いになっていない。
この辺りの対比はかなり面白そうに思う。
2.藤森画伯の作品
藤森画伯はキリスト教の洗礼を受け「祈り」ということをテーマにしている画家のようである。かつて(ずっと前)日展に行っていた頃ここにある作品と同様な肖像画だが、背景はもっとあっさりとした絵を観たことがあった。その時もがっちりとした迫力のある肖像画だなと思った印象がある。
少し調べてみるとその後肖像の背景にビザンチンの輝く装飾を描き(そのシリーズも展示されている)、その後この写本を引用した背景に移ったようである。肖像はほとんどの場合奥さんか娘さんであるとのこと。
私のイメージの最初の頃の背景に対して、ビザンチンのキンキラな背景、そして今度の写本を引用した背景と、肖像画の背景としては難易度を増しているが、それに打ち勝つだけの技量を持つ画家だなと思った。それは欧州の背景に対して東洋そのものの女性が負けずに座っていることで、日本の女性の強さの向上を意味しているのではとも思った。
<暫く前までのビザンチン建築や作品を背景にした作品群>
ほとんど金色の背景に対して、肖像を強く描くことで対応しバランスを維持している。貫禄のある女性たちに圧倒される。
<今回の時祷書にインスパイアされた作品群>
ビザンチンのものよりも、種々の色が用いられ、文字の文様など背景が複雑になっているが、肖像が一層強くなり、バランスができている。
藤森画伯の作品は、現代の展示会には珍しく写真撮影可能であった。ただしそれが一般の展示によくある平均的な照明でなく上方からやや強めのライトを当てる方式で行われていた。
ビザンチンのもの、また今度の写本引用のものには金色が多用されている。この色を使う場合には、その輝きのためイメージをうまく図版に落とし込むことができない。また展示においても、見る位置で印象が変わる。
今回の弱いスポットライト展示は、多分通常の平均的な照明とは違った印象になるだろうと思う。また私はこういった場合(私の配偶者を想定して)頭一つ分下げて観たりすることがあるが、やはり絵画の印象がだいぶ違った。いろんな角度から見て面白いと思った。
<最初の作品の弱スポットライトで撮ったもの>
肖像の中心にスポットが当てられているため、表情が強調され浮き出して見える。
<すこし、低いところから撮った頭部>
金色の周辺が非常に輝き、顔がその中で暗く、でもしっかりと鑑賞者を見つめる。私の上の普通の視点では顔も明るかったが、印象がかなり違う。
以上のように、いろいろと勉強になった展覧会だった。