芸妓さんである彼女が言った次の約束の場所XXXXは、なんと大学でした。思いつきましたか?
彼女のお客に大学の先生がいたこと、私が理科系なので研究室に興味があったこと、暫く前の学園紛争の跡地(遺跡?)を見たいとのことでした。ちゃんとお客さんとの対話を考えての勉強の一環なんですねえ、本当に仕事熱心というか…・。
9月の始めで、授業が始まっていない日に会うことにした。
私が10分前に待合せ場所である本屋さんに行くと、今度は彼女の方が先に来て、朝日ジャーナルを立ち読みしていた。(昔はこんな雑誌がありましたね。)
若めのおとなしい服にするといっていたのだが、ノースリーブの紺のサマーセーターとジーンズといういでたちで、身体の線がかなりはっきり見え、おまけにサングラスまでかけていることで、思いっきり目立っていた。
ともかくは、サングラスははずしてもらうよう、お願いした。
私が作った見学?コースメニューは、以下のとおり。
・大学紛争の頃、テレビニュースによく出ていた場所
・私所属の研究室
・すり鉢のような大教室等
・クラブの部室 (どんなにオンボロかを見せたかった。)
・有名な喫茶店
その後は、彼女が南座へ切符をとりに行くということなので、お付き合いすることにした。
最初に行った大学紛争関連の各場所、彼女は、あれをテレビで見た、これもあったなどと、はしゃぎながら見ていた。 最後に、たったこれだけの狭いところでやっていたんだねえ、だけどテレビでは大げさに見せるから注意が必要ねと言った。この反応には、虚をつかれショックを感じるとともに、やっぱりビックリ箱だなと思った。
次の私の研究室では、学生の居室の乱雑さと、特殊計器がずらっと整備されて並んでいる実験室との対比に、先ず面白いと言った。
そこで最初に会ったのは秘書の女性、彼女はケロッと私の従姉妹と言って、ちゃんと挨拶した。他のメンバーに対しても同様で、お陰で、しっかりした従姉妹がいると暫く評判になった。
超高精度の計器で、電気的な雑音の中から、狙った信号だけを取り出すんだよ、だから雑音発生源の少ない深夜実験をよくやるんだといった話を、ふーんといった感じで聞いていたが、そこにあった液体窒素(-196℃)を見せると、俄然のってきた。
魔法瓶内では液体だが、床にばら撒くと一瞬に白い煙となって蒸発する。よくステージで足元のスモークになるやつ。
冷たいねって言いながらも、煙の中に立ったり、そこにあった花やハンカチを、凍らせたりして遊んだ。そしてその液体窒素すら氷になって沈んでいる、液体ヘリウム(-269℃)の入れ物を覗いて、感心していた。
次の大教室、誰もいない部屋の一番後ろに2人で座り、ここでくだらない先生の、くだらない授業を聞いていたのだよと、偽悪的な口調で話し始めた。
研究室の結果から調子に乗って、いちゃつこうという下心が少しあったが、彼女は、教室をぐるっと見渡し、隣の席から追い出した。
「先生をそんなにけなしちゃダメよ。前の講義机へ行って。」
前に行って講義机から彼女を見た。随分小さく見える。
ここに立ったのは初めてだ。
「そこで、私に聴こえるように、何かしゃべってみて。私が大好きっていうようなのでもいいわよ。黒板に字を書いて見て。」
やってみると、教室中に声を通すには、なかなか大変なことがわかる。
「内容はどうか知れないけれども、先生は1時間以上その声を出しつづけるのだからね。そこは理解してあげなくっちゃ。」
お掃除おばさんが入ってきたので、残念ながら何事もなく退散。
クラブの部室は、遠くからオンボロだねと言われただけでパスされて、喫茶店に向かった。
大学から出るとサングラスをかけたが、やっぱりとってもかっこいい。
その喫茶店は、やや暗めの照明に黒光りする木のテーブル。客はほぼ学生ばっかりで、我々のようなカップルは少ない。
一人で本を読んでいたり、ノートを書いていたりする姿を、彼女は見回しながら、女学生が、町ではなく大学へ行く時の服装がわかったと言った。そして、続けた。
「とっても面白かったわ。
だけど、学生さんは大変というか、難しいね。
私たちの踊りなどの習い事は、すぐ使うから、一生懸命やらなければいけないことがよくわかるけれども、大学で勉強することって、何のために勉強するのか、何処で使うのかわかりにくいね。
多分私たちの習うということと、学生さんの勉強することっていうことは違うのだわ。」
とんでもない直球が投げられてきて、びっくりしてしまった。どう答えようかと逡巡していると、すっとうまく向こうから話をそらしてくれた。
「あの液体ヘリウムの中の氷が空気なんて、あんな経験するだけでも常識が変わってくるよね。夏休みも長いし、学生さんは幸せだわ。」
「だけど、今年の夏休みは半月ぐらいアルバイトやっていたんだよ…・」
彼女の予定がきて、喫茶店を出た。歩道でタクシーを捕まえようとした時、やや強引に手をつないだ。彼女は、サングラスをかけた顔をこちらに向け、口元を少しニャっとさせた。
手をつないだまま、タクシーに乗った。
タクシーが動き始めると、彼女は言った。
「君、可愛いから好きよ。だけど私の手のつなぎ方を教えてあげるわ。」
手を振りほどいて、改めて違う持ち方で手をつないだ。
「仕事で手をつなぐことがあるけど、この持ち方がまだ親しくないときの持ち方ね、そして親密度が増していくにしたがって、こういう風に持って、次にはこうつなぐのよ。
だけど基本として、どんなお客さん、やや変わったお客さんでも、私たちはほれ込んで相手をしなければならないから、手をつなぐ必要があるときは、大事につなぐのよ。」
「さあ、次は貴方と何処へ行こうかしら。宝塚なんてどうかしら、行ったことある? なかなか面白いのよ。」
宝塚歌劇は、中学の修学旅行の時、東京の舞台を最上階からつまらなく見させられて、偏見を持っていた。そして遠いし、なかなか入場券も高いし、…・。
考えている間に南座につき、降りた。 彼女が切符を受け取る間、答えを準備するべく歩道で待つことにした。
彼女はこちらへ戻ってくる時、南座から一人、白っぽい背広で白いソフトをかぶった男が出てきた。
彼女は足を止め、サングラスを外し彼へ向かって手を振った。
彼は大仰に、あたかも見得を張るように彼女を見つめ、大仰に驚いた顔で、やあっと声をかけて早足で寄って行った。2人はそこで少ししゃべった後、彼女が私を呼んだ。
「彼は歌舞伎の△△さんで、これから八坂さんにお参りに行くそうよ。一緒に行かない? △△さん、彼は私の従兄弟なの。」 おや、ここでも従兄弟か。
彼の背はそんなに高くなく、彼女とバランスが取れ、私からは見下ろす感じになった。ただし顔が大きく、表情の動きも大きかった。声もよく通る声だった。
八坂神社に向かう途中、彼、彼女、私の順になった。彼は彼女とほとんどしゃべり、私のほうには、大学は何処? 何年生? そりゃ宜しいなといった程度であった。彼女が適宜、私に声をかけてきた。
東大路の信号を渡り、八坂神社の石段をその順で登り始めた。
彼が2~3段登った時、急に彼は振り返り、彼女の手首をつかんで引き上げ、私が登るのを遮るように立って言った。
「私は社務所に行く用事があるのだが、是非○○○○さんの、私も始めて見たこの艶姿を紹介したい。
連れて行きたいけれどもよろしいか。」
石段の2段上から、厳しい顔で私を見下ろす状態になった彼は、非常に大きく見えた。その迫力に縮み上がった。
彼女は彼の横に立ち、手首を掴んだ彼の手を、もう一方の掌で柔らかそうに包んで、落着いた感じで彼を見ている。口元には笑みを浮かべている。どんな眼で彼を見ているのだろう。そこで2人の道行きの舞台が行なわれているようだった。
このたった2段が、私を彼らから遠く隔てて、近寄ることを拒絶している。とても入っていけそうにない。
彼は、彼女を本来の世界に引き戻すために来たのか。
私は、「はい。」といって、早くその場を離れようと振り向いて歩き出した。「また連絡してね。」って彼女の声が聞こえた。私はちょっと振り向いて、手を振りながらうなずいた。
その後、彼女とは会っていない。
同様にCafestaからの転載。他にも紹介したことがあります。