今回の地震で、嫌な事や辛い事を思い出していたのですが、
日ごとにしょーもない事まで思い出してしまったので、ちょっとご紹介~
あの非常時に私の家族や親せきはつくづく「天然」だという事が
浮き彫りになったエピソードです。
神戸の震災当日、あの日は明け方に地震があったので、着の身着のまま家から脱出しました。
最後まで家に残り、3階のベランダから毛布等を私達に投げてくれた私の父。
そこから見えたのはあちこちで火の手が上がり、そして今ここもガス漏れしているので
火が付くとどうなるかは簡単に予想が出来ました。
「火の手が上がればここら辺りは火の海になる。。。」 そう考えた私の父は毛布を投げながら叫びました。
父:「 公園へ避難せぇ!! 」
辺り一辺が火事になると、酸素が一気に無くなる為、酸欠になるのです。
遮へい物の無い広い場所 → 公園や学校のグランド、空き地などの広場
等へ行くのがその時の最善の策なのです。
この話は後から父から聞いた話ですが、流石に戦争経験している人は違いますね。
ただの「口うるさいオッサン」が「頼りになるオッサン」に見えた瞬間でした。(笑)
とりあえず、毛布を被りながら言われるままに私達は公園へ移動していました。
道中、母の背中に黒い液状のシミが大量に付着しているのが目に入りました。
辺りはまだ朝方で暗くハッキリとは色が判別できませんでしたが、一瞬青ざめました。
まさか。。。。。血?? 場所から考えて腰のあたりから出血するのって。。。
私はすぐに確認ました。
私:「母さん!!! どっか怪我してない?痛いとこない?」
母:「え、お母さんね~(人差し指出して) ここ切ってしもて痛いねん。。」
私:「そんな怪我とちゃう!!!」
そんな漫才のようなやり取りがある内に白々と日が差し始め、辺りが明るくなってきました。
地震のショックで痛みを感じないのか???
これだけ出血していたら、いつ気を失ってもおかしくないのに。。。。。
そんな事をぐるぐる考えながら、ふと気が付きました。
母の背中の黒いシミの色がだんだんわかって来ました。
。。。。。黄色???茶色???
そして中に散らばる。。。。小さい赤い物体。。。???ニンジン????
もう一度私は確認しました。
私:「。。。母さん、この黄色いシミ。。。。何???(・_・;)」
母:「え?ああ!地震で昨夜のカレー鍋がお母さんの背中に飛んできてん。。。
痛かったわぁ~~。」
私:「。。。。。。。。 あ、そう。。。。」
大事に至らなくて良かった とがっかりしたような、ホッとしたような
複雑な瞬間で御座いました。