空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

女児のファッションは・そのあおり文句はどんな程度がよろしいかと。

2024-02-16 23:56:45 | ノート
Yahoo!News (まいどなニュース) 「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告とどう向き合うべき?識者に聞いた 2/16(金) 7:07配信(2024年)

衣料品大手「H&M」が1月、オーストラリアで展開したキャンペーン広告に「女児の性的対象化につながる」といった批判が集まり、広告を削除・謝罪する騒動があった

問題とされたのは、同社がオーストラリアのSNSユーザー向けに配信した広告。通学バスを模したピンク色の空間に制服姿の少女2人が立ち、こちらを振り返っている。「Make those heads turn in H&M’s Back to School fashion(H&Mの『バック・トゥー・スクールファッション』で注目を集めよう)」(※ バック・トゥー・スクールは新学期の意)というコピーが添えられており、この文言に疑問を投げかける声が上がった

 この言い回しが性的な含意を持っているというわけだ。

東北学院大学の小宮友根准教授(社会学・ジェンダー論)」によれば

児童への性的虐待に対する危惧、女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論のポイントになっていると考えられる

 …まあその、現実としてごっつい女児への加害案件など多々あるようで、そういう向きに「えさ」を提示するような行為だろうと、そういう批判は十分ありえる。

広告は一見すると、女の子を性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれているともとれる。しかし、だから問題ないという話にはならない。あくまで広告には作り手がおり「どういう価値観を表現しているのか」が問われる

むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれている」というのは肯定的な評価だが、しかしそうした主体性の発揮はこの社会においてはしてはならない、という抑圧自体を批判すべき筋もあろう。

 つまりまあ、イスラーム的な方向性を良しとするのかどうか。ブルカだったら好ましいのか。発揮してよい主体性を大人の側で指導する―あるいはある主張に眉を顰める等で否定的態度を示し、誘導・矯正・強制する―のは、さてどれほどの強度で認容されるだろう。

 んで、18歳になったら性的アピールできない非モテは生きる権利はありませんとか、そういう世界に突然投げ出すのかとか。

つまり「自身の性的魅力を気にする主体」として女児を描くことが、現実社会における性差別や児童虐待との関係でどのように見えるのかが問われている。広告を作るという行為自体が社会的行為であり、作品が社会から切り離されたところにあるわけではないという点は留意すべき

 まあ、基本的に女児は保護されるべきだ(無論のこと、男児もだが)―というのはよいとして、さてどのくらいの子にどのくらいの冒険を許してゆくのか・推奨してゆくのか、そこらへんの検討もしたらよいんじゃないかなと。そんな当たり前のことをメモしたい気持ち。
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