空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「そういう回りからのプレッシャーの話」

2018-11-03 21:10:19 | ノート


 でまあ、いまどきアニメ方向の絵を書けば、それは当然「萌え絵」方向に振れる。少なくとも『巨人の星』や『アルプスの少女ハイジ』―のような、古手のひとが”ウム、これぞ健全なアニメ絵である”と太鼓判をおしてくれる―ようなものにはまあ、ならない。

 もちろん、『プリキュア』以降、ずぅっと「萌え絵」で育ってきた人たちに、「そもそも『プリキュア』からして、女の子を性的に消費しようと思っているキモイ非人道的おっさんたちと、その共犯者の外道女たちとの共作なのであって、それをかわいいと思うのは女性に対する叛逆行動なのです!」という主張をしているものだと思われ、それはそれで理論的には一貫するとは思う。

 だから、この岩淵氏が(萌え絵に対する聖戦と言う限りにおいて)戦うべきは、今現につっかかってくる”ネトキモオタ”ではなく、今現に幼い・いたいけな少女たちを詐欺の魔の手に絡めとりつつある『プリキュア』製作者たちなのだ。間違えてはいけない。

 そして、物神の巨大さと言う点でいえば、『プリキュア』のような影響力の低い(視聴年数×人数×資本的な意味で)ものではなく、AKBとかなんとか、そっちのほうなのだ。



 これについても岩淵氏的見解からは、「そうして幼少時から性的表象に慣れさせているという本質論をはぐらかす気か」ということになろう。まあその、ハイジはまあともかく、巨人の星のねーちゃんみたいに受動的な女性像を展開することについてはどう思うんだとかいう突っ込みもあろうが。

 …それに比べれば、女の子が女の子のままで世界救済の英雄になれる『プリキュア』のほうが、女の自立のためになっていると思うがなあ。『リボンの騎士』だと、女には王国継承権はないままだろうし、男の姿にならないと活躍できない世界だったろうに。ここ数十年の偉大な歩みに敬意をもたないのは、歴史に関わる学者としてもどうか。

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