貧困世帯が高等教育を受けられるような支援は税金の無駄遣いというバカがおるが,頭のいい子は貧乏でも少なくない。親が金をつぎ込んで子どもを無理やり進学させるよりも,貧しくても優秀な子を伸ばすほうが社会のためになった実例は大数学者ガウスだ。
— こなみひでお (@konamih) 2017年11月3日
ガウスの父は煉瓦職人で無学だったが,この子は頭がいいから仕事に使える算術ぐらいでもと幼いときに近所の寺子屋にやられて神童ぶりを発揮。両親は渋ったが小学校の校長はじめまわりが支援して教育を受けさせて生来の才能が開花し,数学と物理の巨星として19世紀の科学の発展を支えたのだ。 https://t.co/YySmTYiZ9j
— こなみひでお (@konamih) 2017年11月3日
とまあ、成功例を想起することは困難でもない。ガウスほどの大天才でなくとも、そもそも我々の国は、下々まで教育を与えて小秀才をひろく回収して礎としてきたわけだろう。
でまあ、この方針が困難になったとき、お金持ち階層はちゃんと対応できるんですかね、という気はする。
このような話を思うと、私はイェニチェリとデヴシルメ制を思い起こす。
キリスト教徒家庭から子供をとり、改宗させて出身地域との関係を断たせるなんて、まるで地方の中下階層出身の子が都会の旧帝大(ランクの大学)に行って人間関係がリセットされるがごときじゃないか。
そうして新世代の新エリート層を作り上げていったはいいが、旧帝大出身者は我が子を旧帝大に入れようとする―イェニチェリは禁じられたはずの妻帯をするやら、いや入隊すればエリートコースだからって、ムスリム・トルコ人家庭出身者がそのまま入隊するようになる。
で、「イェニチェリ階級」の如き利害関係を共にする社会集団を作り上げていく…ように、新エリート層だったものが社会的に中上流階級を構成するようになってきた、っぽい!
…というのが最近の流れと理解されるのでしょうね。
こうなると、『有望な若者に援助を』というのは、中上流階層の子弟がまず第一の対象になるようになってしまう。だって貧困層の子弟は、有望な課外活動だのなんだの、する余裕も構想する余裕もないからねー、という。
と、中下層出身の私は思うのである:
以前から言ってますけど、こういう「貧乏だけど頭は良い」子を拾うのに最適なのが一発勝負の筆記試験なんですよね。
— KGN (@KGN_works) 2017年11月4日
面接や内申書を重視するのは「裕福な家庭に有利な制度」なんですが…
子供の経験値は親のカネの力で作られるので。https://t.co/eC7SlsT01o
バックあるひとは、やっぱつよいよー。
まあ尤も、そのバックがあるひとだって、才能あるひとだって、それは我々と比べて最初から「+3」とかの補正値を持っているに過ぎず(※ゲーマー的表現)、やはり努力等々は必要なのですが。
首相自身が有名な政治家のもとに生まれてそれだけで大学、就職、選挙というなんら自分で切り開いてきたことがないから理解できないんでしょう
— tomtom (@analystTOM) 2017年11月4日
あー。安倍首相を親の敵とパートナーの寝取りと国賊とをあわせたよーに憎む人たちがいるが、そーゆーのの背景にはこんな感じの情念が渦巻いているのかーとか思ったのでメモ。
ところでその”恵まれた”お方というのは、選んだ愛する嫁との間に子供が生まれず、家系断絶の悲運確定のご様子ですが、とすると少なくとも子作り対策には意識がおありだろうし、珍しい病気に引っかかって失脚という悲運に遭ったわけで、少なくとも健康・病気対策には意識があろうかと思われ、あれそれ割と真っ当な政治家ってことでいいんじゃない?とも思う。
とゆーか、脊椎反射的安倍批判のひとたちに対する根強い反感は1) 子なし・未婚層、2) 面倒な病気に関わった層、に強固に根付く・根付いているようにも思うんですが。個人的な見解が大いに入り込んでいる思いですが。
あと、人生には運もあったりするしねえ、という例:
週刊現代 広島・新井貴浩と阪神・新井良太、何が兄弟の命運を分けたのか 才能は弟が上、でも成功したのは兄だった 4 Nov 2017
「甲子園、現役最後の打席に沸き起こる良太コール。ヘルメットを取りスタンドへ深々と頭を下げた良太は、ベンチへと走り去った――。
「この世界は、実力だけではなくて、運やタイミングの要素が大きいですからね。まだ34歳、もうちょっとやれる気もするんだけどね……」
野球評論家の眞弓明信氏が言う」
超身に迫って辛い。
貧乏世帯の子供でも、本人のやる気と能力あれば高等教育受けて活躍する事も可能な社会が、国の将来にとって最善と考えるが、世の中には理解できない人達というか、自分が生きてる間だけしか関心がないのかな?社会格差が固定して、貧富の教育機会が世代超えて固定してる国を見ればどっちが良いか鮮明。 https://t.co/H6DUYtGjRP
— Norio Nakatsuji (@norionakatsuji) 2017年11月3日
合成の誤謬、とでもいうようなもので説明できるのかも。
高所得者なら、我が子がより高度な教育をうけることができればより良いわけだ。なので我が子に有利なルール改訂なら歓迎する。もし我が子のおつむがやや足りなさそうでも、我が家の資源で以てステキな経験を積ませ、人品優れた若者として入れる枠が出来れば結構なこと。
低所得者であれば、どうせ我が子が受益しない制度なら、なにがどうなろうと知ったことじゃない。税金でコートーキョーイクとやらをタダにする? オレからカネをとって、オレを安く使い倒してるヤツの息子を教育するのか? 知ったことかよ! というのが合理的。
…それに、そんな体制も「世代超えて固定してる国」があることを思うと、とにかく飢えて死ぬこともなさそうだ。まあそれはありがたいよな、とか。
マクロで見れば、個々の家庭が社会的に上下降するダイナミックな社会のほうが躍動的で生産的なのかもしれない。チャンスもひろがる。だけど、さしあたりミクロな観点からすれば、このままの安定的な社会なら、すくなくともこれ以上の負けはないことは分る。
そういうことなんじゃないのかな。
親にまともな給料持たせるのが筋で教育無償化なんか(死別やネグレクト家庭みたいな例外除いて)本来は要らんのですよ。
— dada (@yuuraku) 2017年11月6日
なにしろ、そーいう体制でいままで来ましたからな。さて、大転換する根性は、いまの我々にあるのかどうか。
…なので、学校が予定する一般スキルをコースに従って伸ばすのが、まあまず割りと多数の個人にとってまあ妥当な選択になるのではないか、と思います…。
…学校の勉強が出来るひとが大学院に進んで博士になっていってるわけですけど、この勉強のエリートたちが必ずしも(ry
> 商才であるとか、人当たりの良さとか、あるいは迷いのなさとか
例えば文化祭の模擬店、生徒会や部活・課外活動での外部との交渉、試合…で可能性を見出す子もいるだろう。こうした特殊スキルがある子は、それはそれで生きてくれ、というわけです。
で、先生側には、それを見出して、励ましたり、できれば指導できることが求められるものか、と。
例えば、マクドナルドの接客バイトさんの発声が綺麗なのは業務にプラス評価であろう。
そのバイトさんが実はオペラ歌手の卵で、そっちの才能・訓練の成果だったとしよう。
音楽的な接客口上が評判を呼んで、その店の売り上げが多少上がるとしようー。
この場合、彼(女)の時給はあがるはず(マクドナルドの褒賞規定による)。
しかし彼(女)が店頭で歌いだしたら、それがどれほど芸術的でも、マクドナルドの店員としては”不出来”だろう。
なにしろ、一定の課程を多数の学生に教授する形式で、そのなかでの優劣順番をつけますので、この判断基準からみて、「出来、賢さ、学力」はおおむね一様な意味を指し示すことになります。
これは、一応の”ゲームのルール”的なものと理解すればよいかと。
積み上がったお金を使わせてもらって、ちょっと成績優秀な子にティーチング・アシスタントをお願いして金銭的補助をしつつ、やや劣等生の子の補習を手伝ってもらう…くらいか。
今だってやってるわけですが、もう少し規模を大きくできると、もうちょっとだけ良くなるかも、ということで。
…先生の能力も大いに要求されますね、これ。うん…。
いまだって、コンクール上位者やスポーツ大会攘夷入賞者を大いにアピールしているんだ。
そのファンクラブ、応援団みたいなのをつくって『将来彼(女)が有名になったら、1ドルで一生自慢できるわ』式に寄付を募るとか。
> 投資が集まると自社の教育部門にお金が流れる
積み立てられたお金の一部は、一般生徒の奨学金に流れるよう、規約をつくっておいて。それで、成績超優秀者とか、被災家庭の学生とかに学費補助するの。
…アメリカの大学で既にそーゆーことしているような感じですねコレ。
なんとか政治塾よりははるかに真っ当に回りそうなのは確かだけど。
アピールがうまい、比較的高収入の子が有利っぽいのは難ですが…あと、投資資金を運用する当事者はだれかという大問題も。
勉強でもスポーツでも「絵が上手い」「友達が多い」でもいいから「これは」って子の株を買う。
で、30歳までは年収の公開を義務づけ、一定以上の収入を得ていたら配当するの。