「えーん、絵が上手くなりたいよー」「どうしたんだい坊や」「えーん、絵が上手くなりたいよー」「そんなに絵が下手なのかい?おじさんが見てあげよう」「えーん」「坊や絵を見せてごらん?」「えーん」「坊や?」「えーん」「絵は?」
— 三夜代 (@naraku734) 2018年3月6日
↓ 10年くらい前にウチを訪ねてきたニートの若者を思い出した。「作品を見て欲しいんです」「ボク出版社でも編集者でもないんだけど・・・まぁ見て意見くらいなら。で、作品は?」「まだ描いてないです。デビューできて売れるという保証もないのに描くのは無駄じゃないですか」「帰って」
— うるの拓也@電子書籍はじめました (@takuya_uruno) 2018年3月7日
「ハンターハンターが好きなんです。よく休載するでしょ。落としても平気でしょ。それで売れてるでしょ。ああいう漫画家になりたいんです」「とにかく帰ってってば」・・・これ実話だよ。本当にそういう人が訪ねてきたんだ・・・
— うるの拓也@電子書籍はじめました (@takuya_uruno) 2018年3月7日
その時だけで二度と会ってないけど、世の中にはスゲェ奴がいるもんだと思ったなぁ・・・(笑)
— うるの拓也@電子書籍はじめました (@takuya_uruno) 2018年3月7日
昨夜のこのツイートがバズってますが、一応、1時間くらいは話をしたんですよ。まず描きなさい、仕上げなさいって。でも「売れると保証して欲しい」「無駄なことはしたくない」の繰り返しだったので、どうしようもなかったんですよね・・・ https://t.co/UoONgKmBD9
— うるの拓也@電子書籍はじめました (@takuya_uruno) 2018年3月8日
「基礎訓練はしたくない、でも学者になりたい、論文書きたい」というのもあるのよー…。基礎訓練はムダ、自分のやりたいものだけやりたい、と。いやそれをするためにも基礎訓練が必要なのであって、あるいは主テーマの学術的位置づけを理解するためにも、主テーマをやりつつもそれなりに隣接領域を扱う必要がねー…。
少しでも歴史研究をやりたい人には、とにかく史料を読めと言っている。はっきり言うけど、才能のない人でも、数十年間史料を大量に読んで、そこから得られた知見を明らかにすれば、必ず学界に貢献できる。まあ、それを成し遂げること自体、才能で、頭の良し悪しなんかよりはるかに重要。
— 金子良事 (@ryojikaneko) 2018年3月15日
「それを成し遂げること自体、才能で、頭の良し悪しなんかよりはるかに重要」。重要な言葉と思う。私が生き残っている最大の理由はこれだとも思う。
自分はそこまで本格的に史料に深入りしたくありません、というのもよく聞くけど、それで歴史に関わる研究をやりたいなら、様々な領域の研究についてもの凄い勉強量が必要。経済史だったら、橋本寿朗先生がそのタイプだけど、そう見定めてる人は自分の限界を知りつつ、代替的方法に向かってる。
— 金子良事 (@ryojikaneko) 2018年3月15日
…この勉強量についても、そんなのしたくない、というのではねえ…(※そういう例があった)。
アカデミズムでも普通の仕事でも同じで、仕事量が質を規定するというところがある。そんなことは今の人事労働界隈では時代錯誤だけど、中澤二朗さんの『働く。なぜ?』はそういう流れをよくよく知った上であえて前時代的な価値観を書いている。そこは本当に立派だな、さすが新日鉄だなと思う。
— 金子良事 (@ryojikaneko) 2018年3月15日
根性論だけの問題ではなく、作業量はやはりそれなりに必要なのだ。作業量を減らしたいなら、なんらかの合理的な手法をとるべきなのであり、そこの合理性の教示を行うところに先生の有能さが現れることだろう。
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