朝日新聞 天声人語 2015年7月12日(日)付 (リンクは当日分用)
「一昨日の午後7時半。安保関連法案に反対する大規模な抗議行動が始まった▼催したのは都内の大学生らによる「SEALDs(シールズ)」だ。日本語では「自由と民主主義のための学生緊急行動」」
どっかの海兵隊かなにかの名称にかぶりますねー。
「「勝手に決めるな。憲法守れ」。激しいコールが国権の最高機関の堅牢な建築にこだまする」
…いや、国会議事堂の中には、人民の代表者がいるわけなのですが。
「投票だけが国民の仕事ではない。時の政権に常に目を光らせ、必要なら声を上げる」これはご尤もである。が、「哲学者の柄谷行人(からたにこうじん)さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、「人がデモをする社会」という文章を書いた。人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と」というのは些かどうか。
というのは、デモによって人民が主権者である社会への扉が開かれた―のはまあその通りなのだろう。つまり、フランス革命の一連の流れのように。しかしながら、既に我々は人民が主権者である社会を得ているのである。となると、今現在行われているデモに対する評言・表現としては些か正確でない。
―いやまあ、論理を裏返せば、デモによってその意志を貫徹しようとする人々にとっては、現状の日本は民主社会ではなく独裁的政権の支配下にあるものでなければならず、それゆえ現政権担当者は独裁者でなければならないのであり、そのように描写するのであろうが。
だろうが、むしろ、我々は「デモが出来る社会」であることこそを賞賛すべきだろう。確かに現政権=自民党主導の政権は先日の選挙で圧勝した。しかしそれは、代議士達に無制限の権限委譲を行ったわけではない、白紙委任状を与えたわけではない、それゆえ時に応じて人民の意志をデモの形式でアピールせねばならない。
そして今現に、その行動が行われている。
そしてそれを賞賛する大新聞が大手をふって発行されている。
我々には民主主義が、わりと強固に根付いたのだ、まあわりといびつかもしれないけど。
TBS 中国で人権派弁護士を拘束、「50人以上連行」の情報も 12日15:07
「中国国営メディアは12日、中国・公安省が多くの人権問題に取り組む「北京鋒鋭弁護士事務所」を、「秩序を混乱させる重大犯罪グループ」として摘発したと報じました。事務所の著名な女性弁護士・王宇氏らを敏感な事件を画策してあおり、騒ぎを起こした容疑で拘束したとしています。50人以上が連行・拘束されたという情報もあります」
NHK 中国 弁護士拘束 批判押さえ込むねらいか 7月12日 13時07分
「中国では今月9日以降、北京の著名な女性弁護士、王宇氏をはじめ、各地で人権問題などに積極的に取り組む弁護士や弁護士事務所で働くスタッフなどが当局に拘束されたり、一時的に連行されたりしていて、関係者によりますとその数は50人を超えるということです」
時事ドットコム 公安、人権派事務所を摘発=著名弁護士を刑事拘束-党機関紙など初報道・中国 2015/07/12-09:40
「12日付の共産党機関紙・人民日報や国営新華社通信が伝えた。公安当局は9日から15以上の省や市などで人権派弁護士やその関係者を、異例の規模で一斉に拘束したが、公式メディアがこの事件について伝えたのは初めて」
まあその、どっちの社会のほうがよさそうかなあとか思ってみる。
もちろん、この二つの事例をただ並べるのはあまり褒められたことではないと思われる。なにしろ、条件が違うので、対比はできないはずだから。しかし、政府方針に正面から反対し、国会議事堂前で反対意見を鼓吹するデモを行う若者が特に逮捕されることなく活動できる我々と、弁護士を事務所ごと「重大犯罪グループ」として拘束する社会と、どちらが好ましそうかとは。
ひさしぶりにお見かけした山口二郎先生が、まあ山口二郎先生そのものの平常運転で、世界は平穏に運行しているなあと穏やかな気持ちになった。
たしかこちらはアスリートだったと思うが、たぶん民主主義者としてこちらのほうが見識が深いなあとか思えて、ああ学識が深いのと見識が深いというのと、別の概念なんだなあとか思ってみる夜。
数年前の原発問題のときのあれこれを思い出すとか。
数年前の原発問題のときのあ(ry
おもいっきり同じ轍を踏んでる気がしますが、今度の安全保障改定の方向に反対の向きのひとは、数年前にアレのひとたちがどんな轍を踏んでどうなったか、検討してみるのはどうだろう。
「一昨日の午後7時半。安保関連法案に反対する大規模な抗議行動が始まった▼催したのは都内の大学生らによる「SEALDs(シールズ)」だ。日本語では「自由と民主主義のための学生緊急行動」」
どっかの海兵隊かなにかの名称にかぶりますねー。
「「勝手に決めるな。憲法守れ」。激しいコールが国権の最高機関の堅牢な建築にこだまする」
…いや、国会議事堂の中には、人民の代表者がいるわけなのですが。
「投票だけが国民の仕事ではない。時の政権に常に目を光らせ、必要なら声を上げる」これはご尤もである。が、「哲学者の柄谷行人(からたにこうじん)さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、「人がデモをする社会」という文章を書いた。人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と」というのは些かどうか。
というのは、デモによって人民が主権者である社会への扉が開かれた―のはまあその通りなのだろう。つまり、フランス革命の一連の流れのように。しかしながら、既に我々は人民が主権者である社会を得ているのである。となると、今現在行われているデモに対する評言・表現としては些か正確でない。
―いやまあ、論理を裏返せば、デモによってその意志を貫徹しようとする人々にとっては、現状の日本は民主社会ではなく独裁的政権の支配下にあるものでなければならず、それゆえ現政権担当者は独裁者でなければならないのであり、そのように描写するのであろうが。
だろうが、むしろ、我々は「デモが出来る社会」であることこそを賞賛すべきだろう。確かに現政権=自民党主導の政権は先日の選挙で圧勝した。しかしそれは、代議士達に無制限の権限委譲を行ったわけではない、白紙委任状を与えたわけではない、それゆえ時に応じて人民の意志をデモの形式でアピールせねばならない。
そして今現に、その行動が行われている。
そしてそれを賞賛する大新聞が大手をふって発行されている。
我々には民主主義が、わりと強固に根付いたのだ、まあわりといびつかもしれないけど。
TBS 中国で人権派弁護士を拘束、「50人以上連行」の情報も 12日15:07
「中国国営メディアは12日、中国・公安省が多くの人権問題に取り組む「北京鋒鋭弁護士事務所」を、「秩序を混乱させる重大犯罪グループ」として摘発したと報じました。事務所の著名な女性弁護士・王宇氏らを敏感な事件を画策してあおり、騒ぎを起こした容疑で拘束したとしています。50人以上が連行・拘束されたという情報もあります」
NHK 中国 弁護士拘束 批判押さえ込むねらいか 7月12日 13時07分
「中国では今月9日以降、北京の著名な女性弁護士、王宇氏をはじめ、各地で人権問題などに積極的に取り組む弁護士や弁護士事務所で働くスタッフなどが当局に拘束されたり、一時的に連行されたりしていて、関係者によりますとその数は50人を超えるということです」
時事ドットコム 公安、人権派事務所を摘発=著名弁護士を刑事拘束-党機関紙など初報道・中国 2015/07/12-09:40
「12日付の共産党機関紙・人民日報や国営新華社通信が伝えた。公安当局は9日から15以上の省や市などで人権派弁護士やその関係者を、異例の規模で一斉に拘束したが、公式メディアがこの事件について伝えたのは初めて」
まあその、どっちの社会のほうがよさそうかなあとか思ってみる。
もちろん、この二つの事例をただ並べるのはあまり褒められたことではないと思われる。なにしろ、条件が違うので、対比はできないはずだから。しかし、政府方針に正面から反対し、国会議事堂前で反対意見を鼓吹するデモを行う若者が特に逮捕されることなく活動できる我々と、弁護士を事務所ごと「重大犯罪グループ」として拘束する社会と、どちらが好ましそうかとは。
安保法制反対の研究者署名が1万に迫る。態度表明をする、しないは自由。今黙っている政治学者は、近未来に憲法改正が発議されても黙っているのだろう。そんな政治学者の研究のために国民の税金を投入することに意味があるのかといわれたら、どう反論するのだろうか。
— 山口二郎 (@260yamaguchi) 2015, 7月 10
ひさしぶりにお見かけした山口二郎先生が、まあ山口二郎先生そのものの平常運転で、世界は平穏に運行しているなあと穏やかな気持ちになった。
あなたも反対もしくは賛成するべきだという政治的な立ち位置を相手に強要する、ポリティカルハラスメントというのを作ってもいいのではないかと思う
— 為末 大 (@daijapan) 2015, 7月 10
たしかこちらはアスリートだったと思うが、たぶん民主主義者としてこちらのほうが見識が深いなあとか思えて、ああ学識が深いのと見識が深いというのと、別の概念なんだなあとか思ってみる夜。
良かれ悪しかれ、そういう「横綱相撲」は政権交代のない55年体制の話だよな、という思いが最近つくづく。 https://t.co/XavoAYrqIW
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2015, 7月 11
なんであの人たちは、「憲法違反だ」と断言しないと「安倍政権がお気に入りなんだ」とか「御用学者だ」とか、決めつけるんだろう。支持者を減らすだけですよ。国政選挙で多数を取って政策を改めようという気が、ないんだろうか。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2015, 7月 11
数年前の原発問題のときのあれこれを思い出すとか。
だいたい、現政権の「御用学者」の層の薄さって、NHKの会長を見ればわかるだろう。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2015, 7月 11
数年前の原発問題のときのあ(ry
おもいっきり同じ轍を踏んでる気がしますが、今度の安全保障改定の方向に反対の向きのひとは、数年前にアレのひとたちがどんな轍を踏んでどうなったか、検討してみるのはどうだろう。
この閉塞感の根源・原因・説明として、あるいは類似物として「抑圧」を同置して、
抑圧をもたらすもの=政府与党にたいする抵抗を導き、あるいは抵抗を組織する…
ものだろうか。
もしもそうなら、解決するべきものを取り違えているので、いくら反原発闘争をしようが反安倍政権デモをしようが、ひとびとは満たされない。なぜなら、原発を止めることも安倍政権を妥当することも、実は彼らの目的ではないからだ。
○打倒
ならば、閉塞状況に埒があけば彼・彼女は運動から離脱するだろう。彼・彼女の目的は、この場合、(自己の)閉塞状況をなんとかすることであるから、この条件が満たされれば一定の満足に達する。
特に、果たして今こそが立ち上がるべきときなのか、とか。
具体的には、スーダンで自衛隊が韓国軍に弾を貸した件。どうしても共同防衛を許したくないひとは、あのときこそ叫ぶべきだった:『自衛隊は他国軍と共同しない。殺人兵器を融通しない。難民保護のためにも銃を撃たない。難民保護のため銃を撃つ友好国軍を援護もしない』と。
現状の世界の状況からして、戦前回帰などできはしないのであり、そういった状況のなか、「世界に冠たる主導的中規模国家」としてなにが、どうするのが相応しいのか、という方向で、どうか。