2016年10月19日(水)、韓国世界遺産の旅も4日目、この日は
韓国の歴史村として、2010年に登録された
①良洞民俗村 ②安東河回村
そして、1995年に登録された、③海印寺蔵経板殿の3か所を巡ります。
朝、慶州のホテルをバスで出発、8時10分に良洞民俗村に到着。
しかし、実際に人が住んでいる村で、公開は9時からのため、しばらく、散策することに。
朝霧がたちこめ、里山の風情がいい感じです。
住人のおばさんと思いますが、お盆を片手に歩いています。 時刻は8時50分。
良洞民俗村の紹介パンフレットから抜粋。
驪江李氏(ヨガン・イシ)と月城孫氏(ウォルソン・ソンシ)という2つの名家が500年以上共存してきた、同姓集落としては珍しい歴史をもっている良洞民俗村。
54戸の瓦屋敷と110戸の藁ぶき家屋が現存しており、その保存状態や規模、文化財の数と伝統性、自然の美しさから、村全体が、ユネスコ世界遺産に登録された。
良洞民俗村を代表する四つの建物の一つ、香壇。 ここは非公開でした。
手入れが行き届いている感じの、住まわれている民家。
香壇の土塀の周りを進みます。
下の光景。
藁葺きの民家。 秋桜が似合う。
ワンちゃんの歓迎。
代表する四つの建物の一つ、観稼亭。 朝鮮時代の大臣のかたが、分家をして暮らしたあずまや。
台所だったかな?
見晴らしの良いところにあります。
下の藁葺きの民家。 ピックアップトラックが現代の息吹きを伝える。
電柱もテレビアンテナも無いなーと思っていたら、衛星アンテナがありました。 向こうは、香壇の邸宅。
土塀の脇に小さな箱。 たぶん、電気などのインフラ設備を収容しているのでしょう。
見学を終えて、バスに向かう途中、良洞村の小学校脇を通りました。
人物像がなかなか面白い。 右端は日本でいえば二宮尊徳像にあたるものでしょう、でも中央と左の像はポップな感じで、ホー。
高速道路のゲート。 10時08分 安東に向かいます。
河回村に着き、駐車場付近の食堂へ。 旅行案内では、名物「塩サバ定食」となっていて、トルコ旅行でのサバの食事に、いい印象を持っていなかった
私は、期待感ゼロでした。
店のなかにも、あずまや風な造りが。
これが「塩サバ定食」
スッカラで身をわけて食べる、ん?おいしい!! サバ嫌いな一人を除いて、ツアー仲間全員がおいしい評価。
調べると、浦項市で水揚げされたさばを2日かけて安東に運び、腐る一歩手前のものに振り塩をして、加工するからなのだそうです。
傷む寸前のさばにはうまみを感じる酵素がよく出るのだとか。
さて、河回村は字の通り、河に囲まれた村。
(看板の左端が切れてすみません。)
村は、車は乗り入れ禁止になっていて、駐車場からシャトルバスで村の入口に行きます。
村の入口には”チャンスン”と呼ばれる魔除けの木像と石が置かれています。(パンフレットには入郷祖・紀蹟碑と書かれています)
以前、ソウルの歴史民俗博物館でチャンスンを見ましたが、実物を見るのは初めて。 朽ちているのもあり、怖い雰囲気です。
晴天のなか、黄金色の稲穂が美しい。
まさに韓国の農村という感じ。
オンドル用の薪でしょうか。
建物は50cmほどの石垣の上に造られています。 河川の氾濫時の備えでしょうか。
大きな犬がこちらを見ていました。
アップで。 片眼はウィンクではなくて、不自由なのかな。
養真堂と呼ばれる建屋、河回村の柳氏の総本家にあたるとか。
厩で、何か説明があったのですが、忘れました。
別名、立厳古宅とも呼ばれ、この村で一番古い建物とか。
養真堂の向かいにある忠孝堂
土塀と赤い花が似合う。
河沿いの土手に出ました。
民俗遊技場。 ブランコですが、支柱が鳥居に見えて、変な感覚になります。
河の向こうは、「芙蓉台」と呼ばれる岸壁。
土手から見える、里山の景色が美しい。
木陰の気持ちいいウォーキング。
村の入口近くです。 これから見学に行く高校生?の団体。
観光客が続々と来ています。 確かにここは、韓国の伝統や文化を感じる面白いところです。
文化といえば、ユーモラスな仮面をつけて、当時の支配階級を批判する伝統舞踊『河回別神グッタルノリ』も有名ですが
土日しか公演していないため、次回の楽しみとしました。
海印寺は次回に。
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