博物館の縁の下の力持ちをご紹介する、【炭8(スミ・エイト)】シリーズ。
今回は、切羽(石炭採掘場)で石炭を掘るお二人のお話です。
(前回の【炭8】は8月7日、前々回は6月19日のブログをご覧ください)
田川市石炭・歴史博物館の主要スポットの一つである手掘り採炭のジオラマでは、男性が寝て石炭を掘り、女性がテボ(背負いカゴ)で掘った石炭を運んでいます。
二人とも裸に近い格好なのは、筑豊の坑内は蒸し暑く、汗で服がベトベトになるからです。
【炭8】のお二人のように、一先(二人一組)で掘る方法は、残柱式と呼ばれます。筑豊では、第一次世界大戦前後から大手炭坑を中心に残柱式から長壁式に変わっていきますので、この場面が大手炭坑であるなら、明治期の様子となります。
加えて、女性の坑内労働は昭和3~8年に禁止となりますので、中小炭坑であっても、大正期以前の様子となります。
では、お二人の関係はどうだったのでしょうか。一般に手掘り時代の一先は、夫婦が多かったと言われています。
なので、女性は大変です。夫は坑内からあがるとお酒を飲んで寝るだけですが、妻は石炭運搬といった重労働に加え、帰宅後も炊事や洗濯、子どもの世話など、ゆっくり休む暇もありません。
時に女性は、作業を休んだ男性の代わりに、坑内でツルハシを振うこともあったそうです。作兵衛さんが言う「勇ましい女性」たちによって、筑豊の石炭産業は成り立っていたと言えます。
このような男女の区分や役割は、歴史的にどう成り立ち、変化していったのでしょうか。国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)では、性差(ジェンダー)をテーマにした企画展を開催します(10/6~12/6)。
ユネスコ「世界の記憶」に登録された炭坑記録画も、当館から出品しています。
お近くにお立ち寄りの際は、ぜひご覧ください。
【企画展HP:国立歴史民俗博物館「性差(ジェンダー)の日本史」】