博物館に寄贈された写真の中に一枚走行中の蒸気機関車を撮ったものがありました。
いつごろどこで撮ったものだろうかと言う事になりましたが、手掛かりはその写真だけです。
見ると、機関車の形式はナンバープレート「C5557」でわかります。
それ以外にわかる事は、線路がカーブしたところで、脇が木の茂った斜面になっており、
煙が濃いので峠を越える処だろうと思われます。
また、特徴のある三灯の信号機が写っていて、さらにカーブの内側に柵が見えます。
ナンバーからこの機関車は昭和30年代は大分―宮崎間の日豊本線、
40年代は若松ー原田間の筑豊本線で使われたことがわかりました。
以上の事から、おおよそこの写真は筑豊本線の冷水峠で撮られのではないかと見当がつきました。
同じところで撮られた場所の記載のある写真がないかとネットで探してみると
ほかの機関車ですが見つかりました。つまり、最初の予想通りでした。
こういう調べ物は少しスリルがあって面白いものです。
ところで先日直方汽車倶楽部へ行ったとき、敷地内に蒸気機関車C55の動輪が展示してあるのを
思いだし、見てみました。最初に見た側には何も記号はなく、反対側を見ると、
「C5557]と刻印してありました。正直びっくりしました。
いつごろどこで撮ったものだろうかと言う事になりましたが、手掛かりはその写真だけです。
見ると、機関車の形式はナンバープレート「C5557」でわかります。
それ以外にわかる事は、線路がカーブしたところで、脇が木の茂った斜面になっており、
煙が濃いので峠を越える処だろうと思われます。
また、特徴のある三灯の信号機が写っていて、さらにカーブの内側に柵が見えます。
ナンバーからこの機関車は昭和30年代は大分―宮崎間の日豊本線、
40年代は若松ー原田間の筑豊本線で使われたことがわかりました。
以上の事から、おおよそこの写真は筑豊本線の冷水峠で撮られのではないかと見当がつきました。
同じところで撮られた場所の記載のある写真がないかとネットで探してみると
ほかの機関車ですが見つかりました。つまり、最初の予想通りでした。
こういう調べ物は少しスリルがあって面白いものです。
ところで先日直方汽車倶楽部へ行ったとき、敷地内に蒸気機関車C55の動輪が展示してあるのを
思いだし、見てみました。最初に見た側には何も記号はなく、反対側を見ると、
「C5557]と刻印してありました。正直びっくりしました。