物心ついたころ
昭和20年代後半
家では石炭の粉から作った「豆炭」を燃やす「七輪」が調理の主役でした。
アサガオに似た上広がりの素焼きの器具です。
最初に新聞紙や広告紙を丸めて入れ、その上に小さく割った薪(まき)を置き、
さらに豆炭をのせたあと、紙に火をつけて赤い煮炊き用ウチワで下の空気穴を煽(あお)ぐと、
しばらくして豆炭に火が移ります。
これに「刃釜」を載せてご飯を炊いたり、金網にのせたメザシ等の魚を焼いたりしました。
このころ父母に買ってもらった幼児用絵本の中に、石炭採掘の様子や石炭の利用法を
一目で分かりやすく描いたものがあったので、こども心に石炭ってすごいなと思っていました。
お菓子やおもちゃをはじめ生活のすべてが石炭でできているとありました。
風呂は「石炭」で沸かすようになっていて、火のつけ方は七輪と同様です。
小学生の頃はこの石炭の風呂わかしは私の役目でした。
(他に「電熱器」という調理器具も補助的に「火鉢」に納めて使っていました。)
また、祖父母の住まう部屋には「掘りごたつ」があって、これにはやはり石炭から作った
穴あきの「練炭」が使われていました。
これら石炭を使う器具・装置は急速に電気やガス、灯油のものに置き換わって一般には
見られなくなったので、今の若い人たちには「石炭」は縁遠いものとなり、
ほとんど意識されないものとなっています。
現在日本では小規模ないくつかの炭坑が残っているだけですが、
石炭は製鉄や発電その他の用途のため、かつて国内で生産された最大量
(5700万トン:1940年)以上に輸入されています(約1億9、558万トン:2013年)。
わたしもこの量には驚いているのですが、
もうすこし石炭を意識したほうが良いようですね。
昭和20年代後半
家では石炭の粉から作った「豆炭」を燃やす「七輪」が調理の主役でした。
アサガオに似た上広がりの素焼きの器具です。
最初に新聞紙や広告紙を丸めて入れ、その上に小さく割った薪(まき)を置き、
さらに豆炭をのせたあと、紙に火をつけて赤い煮炊き用ウチワで下の空気穴を煽(あお)ぐと、
しばらくして豆炭に火が移ります。
これに「刃釜」を載せてご飯を炊いたり、金網にのせたメザシ等の魚を焼いたりしました。
このころ父母に買ってもらった幼児用絵本の中に、石炭採掘の様子や石炭の利用法を
一目で分かりやすく描いたものがあったので、こども心に石炭ってすごいなと思っていました。
お菓子やおもちゃをはじめ生活のすべてが石炭でできているとありました。
風呂は「石炭」で沸かすようになっていて、火のつけ方は七輪と同様です。
小学生の頃はこの石炭の風呂わかしは私の役目でした。
(他に「電熱器」という調理器具も補助的に「火鉢」に納めて使っていました。)
また、祖父母の住まう部屋には「掘りごたつ」があって、これにはやはり石炭から作った
穴あきの「練炭」が使われていました。
これら石炭を使う器具・装置は急速に電気やガス、灯油のものに置き換わって一般には
見られなくなったので、今の若い人たちには「石炭」は縁遠いものとなり、
ほとんど意識されないものとなっています。
現在日本では小規模ないくつかの炭坑が残っているだけですが、
石炭は製鉄や発電その他の用途のため、かつて国内で生産された最大量
(5700万トン:1940年)以上に輸入されています(約1億9、558万トン:2013年)。
わたしもこの量には驚いているのですが、
もうすこし石炭を意識したほうが良いようですね。