
フランス期待の若手女流監督セリーヌ・シアマは、女優アデル・エネルとも同棲していたことのあるバリバリのレズビアン。『水の中のつぼみ』に続く長編2作目にあたる本作を、わずか20日間で撮りあげたというから驚きだ。少年クィア問題という是枝裕和の『怪物』と同じ重たいテーマを扱いながら、スクリーンから伝わってくる雰囲気は、ジメジメと湿ったうしろ暗さなど微塵も感じられない南仏の太陽のように明るいみずみずしさ。シアマがヌーヴェルバーグの血統をちゃんと受け継いでいる証拠だろう。
見るからに性同一性障害っぽい外見をしている女の子ゾエ・エランをキャスティングした時点で、本作の成功はほぼ決まっていたにちがいない。引っ越して早々お友達になった男の子たちとサッカー遊びに興じ、ちょっとおませなリサちゃんとも初キッス、ついでに可愛い妹ちゃんをいじめた男の子に怪我をさせたミカエルのことを、誰が“女子”などと信じるだろう。しかし夏休みが終われば“女の子”であることがバレバレになるわけで、ミカエルいなロールにとっては一夏のタイムリミット付“禁じられた遊び”なのである。
監督シアマの少女時代の思い出もおそらくふんだんに盛り込まれているのだろう。男の子とならんでタチションができずに短パンの中にお漏らししちゃったり、森の中の湖で友だちと水遊びするために、お手製の海パンの中に模造モッコリをしこんだり...“トムボーイ”な皆さんだったら「あるある」と思わずうなずいてしまう、ちょぴりビターなエピソードには、当事者でなければ思いつかないようなリアルが感じられるのである。
『怪物』の是枝裕和も子供たちの自然な演技を引き出す技には定評のある監督だが、このシアマだって負けてはいない。ジェンダーの区別なくキャッキャと戯れる子供たちを観ていると、男の子だろうが女の子だろうが、子供の“遊び”の中ではほとんど何の障壁にもなっていないような気がするのだ。むしろ、身重の母さんをはじめとする大人たちが「男の子ごっこならいいけど、これはダメ」と気にしているだけで、理不尽な線引きをしているのは大人たちの方なのである。
結局、母さんのせいで遊び仲間に自分が女の子であることがバレバレになってしまったロールは、初恋の相手リサちゃんに本当の名前をきかれ、悪気もなくはにかんだような笑みを浮かべるのである。おそらくこのロール、新学期が始まっても日本の小学生のように引きこもりなんかならずに、すぐにみんなと外で元気に遊び出すにちがいない。“大人”という本当の意味でのタイムリミットがおとずれるまで。
トムボーイ
監督 セリーヌ・シアマ(2011年)
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