
本シリーズのメガホンはもうとらないと公言していたはずのポール・グリーングラスと、マット・デイモンが再びコンビを組んだ本作のテーマは、ずばり原点回帰と新旧世代交代だ。
山手線で出勤時間によく見かける「おれは一人になりたいのによ、どいつもこいつもストーカーしてきやがる」という独り言を繰り返す絶叫オジサン。そんなに一人になりたければ誰もいない山奥にでも行って好きなだけ叫んでくればいいのに、なぜかこのいかれたオジサンほどほどに混んでいる電車の中で叫びたがるのだ。
映画冒頭の方でこんなシーンがある。アンダーグラウンドなファイトクラブで、やられっぱなしで防戦一方だったボーンが、熱狂する群衆の中に元CIA連絡員の姿を見つけた途端スイッチが入り、ほんの数発で相手を悶絶させてしまう。
ボーンほどの能力があれば、CIAから一生雲隠れしながら生活することなどお茶の子だと思うのだが、なぜか組織の回りをウロチョロしたがる悪癖を持っている。自らの能力を誇示したがる単なる自信過剰男なのかというとそうでもなく、戦うための大義名分をただただ欲しがっているように見えなくもない。
ハッキング技術と上昇志向はめちゃくちゃ高い若手CIA局員ヘザー・リー(アリシア・アマンダ・ヴィキャンデル)に「私と同じ愛国者」といとも簡単に正体を見抜かれてしまったボーン。今回父の敵討ちとは名ばかりの壮絶な復讐劇をCIA長官デューイ(トミー・リー・ジョーンズ)相手に仕掛けるのだが、修羅の道を自ら選んだことを逆に悟ってしまうのだ。
無能ぶりをさらけ出すデューイに代わってボーンを生き餌に長官の座を狙っているリー(いくらなんでも若すぎるやろ)から復帰の勧誘を受けても「お前らの魂胆なんか見え見えさ」とばかり後ろ足で砂をかけて立ち去るボーン。見せかけの平和な時代に戦う理由を求めてさまよい続ける亡霊こそ、この男ジェイソン・ボーンの原点=アイデンティティーなのかもしれない。なんつって。
ジェイソン・ボーン
監督 ポール・グリーングラス(2016年)
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