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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

利己的な遺伝子

2019年01月13日 | 映画評じゃないけど篇

無神論四天王のうちの一人リチャード・ドーキンスが1976年に発表したベストセラー。私が好んで読むSF の中にドーキンスが創作した造語ミームについて書かれた短編があり、実はその小説を通じてこの本の存在も知ったのである。生粋のダーウィニストでもある著者が特段新しい発見について書いたわけでもなく、ただ今までの生物学者が見逃していたことを、難しい数式を使わずに一般読者にもわかりやすく(しかもシニカルに)書き表したところに本著の意義があるらしい。この“数式を使わずに”というのが(専門書ではない一般向け)科学本のトレンドらしく、案外イーガンなどに代表されるハードSF に類似しているのかもしれない。

母親が無償の愛を我子に捧げるのは自己愛の別表現だなんて話しを聞いたことがあるが、厳密にいうとそうではなく、我子の中に受け継がれた自らの遺伝子50%分に相当する愛情を注いでいるだけのことだと、ドーキンスは親子愛を盲信したがる我々を無情にも突き放す。生存機械に過ぎない生命個体を、自己複製子たるDNA がその数を最大限に増やせるよう利己的に操作する。それが生命進化の実態であると。いやそんなことはない、動物が群淘汰のために自己犠牲的行動を見せる場合があるではないかという社会学的突っ込みに対しても、詳細な具体的例をあげながらこうあるべきだ、こうあってほしいと願うロマン主義者の夢を木っ端微塵に打ち砕く。

その“利己的な遺伝子”の影響力や絶大で、(ゲノム書換が計算に入っていない前提では)生まれる以前から生命個体を最大限効率的に操るためのコードが仕込まれていたわけで、地球を半周するほど離れた場所にいる雌の耳にも届く雄鯨の歌声を考慮すれば、時間のみならず空間をも操る術を備えているというのだ。個人的には白眉の<雄と雌との戦い>では、受精卵と精子の大きさ・数の違いが雌雄のSEX や育児に対する態度差に深く関わっているとする推論には大いに納得。次回作『延長された表現型』のダイジェストともなっている最終章においては、寄生虫が寄生主の進化に影響を及ぼす例にもふれており、遺伝子が細胞壁を飛び越え別個体の操作さえもしているとドーキンスは説く。

「この本を読んで夜眠れなくなりました」といういたいけな子供からの手紙を読んで心を痛めたのかはわからないが、「でもね」と著者は読者に一筋の希望を与えてくれる。ドーキンスが<ミーム>と名付けた文化的遺伝子とも呼ばれる造語がそれである。遺伝子には直接関係のない宗教における神の概念をはじめ、独身を通す聖職者やホモセクシャルの遺伝子も、自然淘汰を考えればとっくに絶滅していてもおかしくないのに現代にいたるまで連綿と受け継がれているのはなぜか。(脳内の)一種の模倣能力を駆使して、人間だけが利己的な遺伝子の専制支配から抜け出せるというのだ。それは、我々人間は宇宙の遺伝子プール内の結合から偶然に生まれた哲学的ゾンビにすぎないのかという問いに対する一つの反論にもなっている。

利己的な遺伝子(紀伊国屋書店)
著者 リチャード・ドーキンス
[オススメ度 ]


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