南北戦争が泥沼化する中で、戦争継続か和解かでリンカーンが苦悩していた丁度その時に、11歳の愛息子ウィリーを腸チフスで喪ってしまう。悲嘆に暮れる大統領が、遺体が安置された礼拝所に一人長時間こもっていたという史実に着想をえて、綿密な調査の元に編まれた小説だという。ギャグ短篇の名手ジョージ・ソーンダースがはじめて手掛けた本長編は、英国ブッカー賞にも輝いている。実在の書物からの引用らしき文章にまざって、作 . . . 本文を読む
洋書はやはり翻訳家を選びますね。『ぼくと1ルピーの神様』を思わせる本書の魅力を存分に引き出した先生の翻訳、まことにお見事でした。原題『ホワイトタイガー』よりもよっぽど味わい深い翻訳タイトルにも好感が持てますよ。なんたって民主主義が没する国の首相にあてた手紙なのですから。ちなみに、物語の時間経過とは異なるチャプター(1~7日目 . . . 本文を読む
文庫本にして300頁足らず分量だが、主人公マイケルの疲労感がいつのまにか乗り移ってしまい、読んでいてとても疲れる難儀な小説なのだ。『ロビンソン・クルーソー』と『ミヒャエル・コース』をベースにして書かれたという本小説は、笹竹の代わりに別の餌を食べさせようとしたら餓死してしまったパンダをニュースで見て着想を得たという。ベジタリアンでもある作家クッツェーが、自分で育てたカボチ . . . 本文を読む
自伝とは言いながら、自身のことについてはほとんど書かれていない小説的自伝、いや自伝的小説と言った方が当たっているのかもしれない。どこまでが事実でどこからが創作なのか、ほとんど判読不能な虚実ないまぜの不思議な魅力に満ちた“読み物”なのである。失われたロシア名家の栄華をいとあはれに懐かしむだけのロマンチックな回顧録でもない本書は、鋭い文化批判的要素も兼ね備えたエッセイとしての一面も。そんなナボコフの意 . . . 本文を読む
初クッツェー。一読した感想はとにかくスマート。早い人なら2時間ぐらいでサラッ読めてしまう中編といってもさしつかえのない分量ながら、内容はいたって濃い目。それもそのはず、カズオイシグロでさえなしえていない2度目のブッカー賞を作者にもたらしたのが本小説なのである。デリヘルに一時はまっていた誰かさん? とほとんど変わらない、主人公の俗物ぶりが書かれた出だし部分にまずは口をあ . . . 本文を読む
自分を社会の勝ち組だと思っている方が本書を読むと、単なる狂人の戯言だと迂闊にも思うのかもしれない。IQ170 の元天才少年が飛級で入学した大学の型にはまった教育になじめず中途退学、紆余曲折を経て大学教授になったのも束の間、テクニカルライターとして細々と生計をたてながら流浪の旅へ・・・そんな無名の筆者がしたためた紀行文とも精神哲学書ともいえる本書が発売される . . . 本文を読む
過去、現在、未来を自由に行き来できる公園で見そめたあの娘は、主人公の奥さんの若き日の姿なのか、はたまた実の娘の未来の姿なのか、それとも…永遠に答の出ない循環参照に読者を誘い込むエッシャーの騙し絵のような作品『青ざめた逍遙』。そして、本短篇集の白眉ともいえるドリーム・アーキペラーゴ・シリーズからのスピンアウト4編に是非ともご注目。その本編ともいえる短編集『夢 . . . 本文を読む
アマゾンにはコンテンツを提供しないという、最近にしては珍しい骨太なポリシーを貫いている三修社から出版されている本書は、本国ドイツのみならず世界各国でベストセラーを記録した哲学的冒険小説。登場人物の会話をあえて「」書きにしない間接話法を用いた訳者先生の翻訳も、伝記部分と創作部分の境界をあえてあいまいにしている本書のモキュメンタリーな雰囲気をうまく伝えられていると思う。哲学界の革命児マルクス・ガブリエ . . . 本文を読む
最近は文芸評論のような仕事もしている元大統領バラク・オバマ一押しの難民小説。一時は米国マッキンゼー社に籍を置いていたこともあるパキスタン人作家モーシン・ハミッドによる本書は、実際に起きた出来事を書いているかというとそうでもない、フィクションとノンフィクションの狭間をなぞるように続いていく、ぼんやりとした境界線がなんともいえない魅力となっている。政府と武装組織による内戦が激化している国 . . . 本文を読む
意思決定において情動的な身体反応が重要な信号を提供するというソマティック・マーカー仮説の提唱者アントニオ・ダマシオ。本職が神経科医だけに語り口はいたって明瞭簡潔、哲学者が書いた意識論なんかはどうもまどろっしくて何をいいたいのかさっぱり、という方にもおすすめできる内容だ。大雑把にいえば、心=脳の働きと限定的に考える安易な流れに対し、神経とくにホメオスタシスが身体に及ぼす影 . . . 本文を読む
中国系アメリカ人SF作家テッド・チャンの最新作は、画期的ソフトウェアやITプロダクツがもたらすけっして薔薇色とはいえない未来をデストピア的視点で描ている。前作の『あなたの人生の物語』に織り込まれた、自由意思と決定論、神の存在をテーマにした短篇も数篇含まれてはいるが、17年という歳月の間に少々風化してしまった感は否めない。(世界中にコロナウィルスを蔓延させたあげく日本製マ . . . 本文を読む
学生時代に柳田國夫の仕事に感銘を受け、以降1,000軒以上の民家を泊まり歩くことをフィールドワークにしていたという民俗学者宮本常一。農家の寄合に参加した時の体験談や、漁夫から聞いた小話を中心に、エッセイ風の紀行文にまとめられたのがこの『忘れられた日本人』である。そのほとんどが地元民から宮本が直接聞いたエピソードであるのに対し、『土佐源氏』という盲目の乞食を語り部にしたチャプターには別に作者不明の種 . . . 本文を読む
作家や映画監督が、違う分野の芸術家を主人公とした作品を創作した時、大抵自己投影した小説だったり映画だったりする場合が非常に多い気がする。しかし、カズオイシグロのケースでは、『遠い山並みの光』という長編デビューからわずか2作目において、小説家という権威に溺れて周囲がみえなくなるであろう将来の己れの姿を、透徹とした眼差しですでに見抜いているのである。ブッカー賞作家やノーベル賞作家としてお . . . 本文を読む
現在では英国を代表する作家となったカズオ・イシグロが5歳になるまで過ごした長崎の記憶、そこに1950年代の小津や成瀬が撮った映画の要素を加え再構築された“ナガサキ”が舞台になっている。作家自身の薄れゆく故郷の“記憶”と、本作の語り部エツコがすり替えた“記憶”が、戦後のパラダイム変換を背景に微妙なシンクロをみせる小説である。離縁後ケイコという娘を連れイギリスに渡り再婚したエツコによる、 . . . 本文を読む
私は『ゲーデル、エッシャー、バッハ』に手をつけたもののほんの数ページを読んで本を閉じたことのある、いわゆる“挫折組”である。翻訳のせいかもしれないが、ダジャレもどきの造語を連発するしつこいほどのアナロジーの連続技についていけなかった、というのが正直な感想だった。サイエンス・フィクションとしては異例のベストセラーとなったそのGEBで、読者に伝えきれなかったことを本書に記したというホフス . . . 本文を読む