こんにちは。
お久しぶりでございます。某事情により約3ヶ月、ネットから離れておりました。
とりあえず元気でやってます。
長いブランクでしたが、本日から本格的にネット復帰します(多分)。
この間に変わったことといえば、我が家に1台ノートパソコンが増えたことかな。前のはOSがMEだったしCPUもCeleronの500という、いまさらなんでそんなもん使ってるんだっていう劣悪な環境だったんだけど、今回はおニューニューのノートの方からの書き込み。
しょっぱななんで勘が鈍ってるかもしれないけど、まぁ書きたいという意欲が戻ってきたんだから勢いで書くか(笑)。
この3ヵ月間、ジャズを聴くには聴いてたんだけど、記事のネタのストックは全然できてない。
例によって「今日聴いたアルバムの中からあれこれ」をやります。
まずはStan Getz(スタン・ゲッツ、ts)とGerry Mulligan(ジェリー・マリガン、bs)の「Getz Meets Mulligan In Hi-Fi」。
録音は57年で、編成はトリオ+ツーホーン。Ray Brownの参加が光るね。
これね、なにが凄いかって、3曲目に2人がお互いの楽器を交換して吹いてるという・・・・・こりゃぁ珍しい!。そりゃねぇ、GetzのバリトンとかMulliganのテナーなんて普通聴けないもんねぇ。
で聴いてみて、やっぱバリトンでもGetzはGetz、テナーでもMulliganはMulliganだなぁって思った。
特にGetz。アタックをかけるときのあの「ブホッ」ってのがよく聴こえてくる。しかもバリトンという、低音で吹き応えのある楽器なもんだからもうブホブホです(笑)。
内容は2人とも好調そのもの。セッションがだんだんと盛り上がって、メンバーが和やかにエキサイトしてくるのが伝わってくる。テナーとバリトンという、あまりキンキンしない音域でのアンサンブルも耳に優しくていい。
楽しいですよ。これは珍盤ですね。
Raiph Towner(ラルフ・タウナー、g)の「Solstice」。
76年、Jan Garbarek(ヤン・ガルバレク、ts,ss,fl)とカルテットで吹き込んだセッション。このアルバムではTownerはピアノも弾いてる。
これはなんとも言いようがないな・・・・・曲のテーマ、メロディラインが判然としないものが多くて、かなりフリーフォームに近い。ただ興の趣くままに無秩序に演奏が広がっていくドシャドシャグチャグチャなフリーではなくて、おおもとのテーマによる一定の方向性は一貫してたもたれていて、曲として破綻することはない。常に無調性というわけでもないしね。
幻想的、エスニック、・・・・・雰囲気を言い表す言葉としてはどれも当てはまるようでピンとこないんだけど、取り留めない心象風景を浮かんでくるに任せているような、そんな感じ。フランス印象派の絵画に近いか?(笑)。
これね、3曲目に僕の大好きな「Drifting Petals」が入ってるのね。この曲は美しい。TownerがGary Burton(ゲイリー・バートン、vib)とのデュオでのテイクもあるけど、こっちもかなりいい。
GarbarekのフルートがTownerのピアノとユニゾンでテーマを吹くんだけど、フルートってところがね・・・・・凄くさびしげな印象を加えてていいんだなぁ。
これも僕の愛聴盤のひとつですね。
次はKeith Jarrett(キース・ジャレット、p)から2タイトル。まず2枚組みの「Solo Concerts」ね。
Keithの一連のピアノソロコンサートの火付けになった作品で、初っ端(正確にはソロは2作目)ということもあって、感性が瑞々しく感じる。ピアノソロにスレていないというか、ね。
1曲の演奏時間が長いので、2枚組みを聴き通すのにはかなり集中力が要求されるけど、弾きだされるフレーズひとつひとつはあくまで美しい。
「私は芸術を信奉しない」「私は私が生まれる前に存在した音楽はある程度信ずる」「私は自分で創造できる男だとは思わない。しかし、創造への道は目指しているつもりである」「この作品は~中略~なし得る限り純粋度を保ったつもりである」
これらはライナーに載っていたこの作品へのKeith自身の評。Keithってのは知的な人だね。
でもやっぱこのアルバムだって「純粋」ではないよね。Keith自身のバックボーン、カントリーやフォークだったりゴスペルだったりといった、彼自身がこれまで影響を受けてきた音楽がどうしても顔を出してしまっているように感じる。
「純粋な創造」ってのは在りえるものなのかな?。
次もKeithのアルバムで、タイトルは「J.S.Bach Goldberg Variations」。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」ね。Keithはクラシック畑での活動も少ないけどある。これはハープシコードでの録音で、クラシックなんだけどレーベルはやっぱりECM(笑)。
ゴルトベルク変奏曲って、バッハが「クラヴィーア練習曲集第4部<アリアと種々の変奏>」というのを、カイザーリング伯爵という人の依頼で書くのね。それをカイザーリング伯爵がお抱えのチェンバロ奏者ゴルトベルクに寝物語に夜な夜な弾かせたことから、ゴルトベルク変奏曲と呼ばれるようになったんだとか。
2部構成のアリアと和声進行を基準として、その30種類のさまざまな変奏がハープシコードという単調な音色で延々と続くという・・・・・最初の5~10曲くらいまではいいんだけど、さらにずーっと聴いてると正直飽きる。友人のピアノ弾きに「バッハの、特にこの曲は、弾いてみて初めて美しさが見えてくるよ。曲の構造美が意識できる」なんて言われてしまった。素人がこんなもん弾けるかっ!(笑)。
Keithによると「旋律線そのものがとても表情に富んだものなのです~中略~このことを意識できぬ人々は、目の前の音楽に何か意味を付け加えたくなるのでしょう」だそうな。
これはこの変奏曲集を最後まで集中して聴き通せない僕の修行が足りないということなのか・・・・・ピアノの演奏ならまた違って聴こえるのかな。
これってグレン・グールドに有名な録音があるし、ちょっと開拓してみようかな。
最後、ボサノバの神様Joao Gilberto(ジョアン・ジルベルト、g,vo)の「Joao Gilberto」。
Joaoの弾き語りと控えめなパーカッションによるシンプルな構成で、淡々としたボサのビートに独り言めいたつぶやきのようなJoaoの歌声が乗って、訥々と語り続ける・・・・・ボサの真髄ですなぁ。
アルバムの邦題は「三月の水」で、ここでは1曲目に収録されている「Aguas De Marco」というAntonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン、g,p,vo,com)の書いた超のつく名曲。ブラジル音楽全体の中でも大傑作とされてる。
なんでそんなに有名かっていうと、詞ね。ポルトガル語の原曲と英語の詞もJobim当人が書いたんだけど、これがとても美しい。
「棒切れ、石ころ、道はおしまい。切り株に腰を下ろし、少し寂しい」と始まって、「ガラスの欠片、命と太陽、夜、死、糸、釣り針、木のうろ」と、単純な単語を単純な2拍子に立て続けに載せてゆき、断片的なイメージのみで自然の中の人間の営みを綴ってゆく。そして最後に「三月の雨が降り、夏はおしまい。君の胸に宿る新たな命の約束」と結ばれる。
この曲、最初音だけ聴いたときはなんて単調な曲だろうと思ったんだけど、日本語訳の詞を読んで「なんて美しい曲だろう」って手のひらを返した(笑)。
こんなふうに、なにひとつ説明することなく単純な印象をつなぎ合わせるだけで、こんなにも豊かなイメージにつながるのかって。こんな表現の方法もあるんだなぁって思った。
やっぱり世で名曲といわれている曲って凄いんだねぇ(笑)。
はい、今日はここまで。
うー、疲れた。ほんとーに久しぶりの書き込みだったのでかなり苦労しました。
これからまたぼちぼち何かを書いていこうと思います。
ではでは。
お久しぶりでございます。某事情により約3ヶ月、ネットから離れておりました。
とりあえず元気でやってます。
長いブランクでしたが、本日から本格的にネット復帰します(多分)。
この間に変わったことといえば、我が家に1台ノートパソコンが増えたことかな。前のはOSがMEだったしCPUもCeleronの500という、いまさらなんでそんなもん使ってるんだっていう劣悪な環境だったんだけど、今回はおニューニューのノートの方からの書き込み。
しょっぱななんで勘が鈍ってるかもしれないけど、まぁ書きたいという意欲が戻ってきたんだから勢いで書くか(笑)。
この3ヵ月間、ジャズを聴くには聴いてたんだけど、記事のネタのストックは全然できてない。
例によって「今日聴いたアルバムの中からあれこれ」をやります。
まずはStan Getz(スタン・ゲッツ、ts)とGerry Mulligan(ジェリー・マリガン、bs)の「Getz Meets Mulligan In Hi-Fi」。
録音は57年で、編成はトリオ+ツーホーン。Ray Brownの参加が光るね。
これね、なにが凄いかって、3曲目に2人がお互いの楽器を交換して吹いてるという・・・・・こりゃぁ珍しい!。そりゃねぇ、GetzのバリトンとかMulliganのテナーなんて普通聴けないもんねぇ。
で聴いてみて、やっぱバリトンでもGetzはGetz、テナーでもMulliganはMulliganだなぁって思った。
特にGetz。アタックをかけるときのあの「ブホッ」ってのがよく聴こえてくる。しかもバリトンという、低音で吹き応えのある楽器なもんだからもうブホブホです(笑)。
内容は2人とも好調そのもの。セッションがだんだんと盛り上がって、メンバーが和やかにエキサイトしてくるのが伝わってくる。テナーとバリトンという、あまりキンキンしない音域でのアンサンブルも耳に優しくていい。
楽しいですよ。これは珍盤ですね。
Raiph Towner(ラルフ・タウナー、g)の「Solstice」。
76年、Jan Garbarek(ヤン・ガルバレク、ts,ss,fl)とカルテットで吹き込んだセッション。このアルバムではTownerはピアノも弾いてる。
これはなんとも言いようがないな・・・・・曲のテーマ、メロディラインが判然としないものが多くて、かなりフリーフォームに近い。ただ興の趣くままに無秩序に演奏が広がっていくドシャドシャグチャグチャなフリーではなくて、おおもとのテーマによる一定の方向性は一貫してたもたれていて、曲として破綻することはない。常に無調性というわけでもないしね。
幻想的、エスニック、・・・・・雰囲気を言い表す言葉としてはどれも当てはまるようでピンとこないんだけど、取り留めない心象風景を浮かんでくるに任せているような、そんな感じ。フランス印象派の絵画に近いか?(笑)。
これね、3曲目に僕の大好きな「Drifting Petals」が入ってるのね。この曲は美しい。TownerがGary Burton(ゲイリー・バートン、vib)とのデュオでのテイクもあるけど、こっちもかなりいい。
GarbarekのフルートがTownerのピアノとユニゾンでテーマを吹くんだけど、フルートってところがね・・・・・凄くさびしげな印象を加えてていいんだなぁ。
これも僕の愛聴盤のひとつですね。
次はKeith Jarrett(キース・ジャレット、p)から2タイトル。まず2枚組みの「Solo Concerts」ね。
Keithの一連のピアノソロコンサートの火付けになった作品で、初っ端(正確にはソロは2作目)ということもあって、感性が瑞々しく感じる。ピアノソロにスレていないというか、ね。
1曲の演奏時間が長いので、2枚組みを聴き通すのにはかなり集中力が要求されるけど、弾きだされるフレーズひとつひとつはあくまで美しい。
「私は芸術を信奉しない」「私は私が生まれる前に存在した音楽はある程度信ずる」「私は自分で創造できる男だとは思わない。しかし、創造への道は目指しているつもりである」「この作品は~中略~なし得る限り純粋度を保ったつもりである」
これらはライナーに載っていたこの作品へのKeith自身の評。Keithってのは知的な人だね。
でもやっぱこのアルバムだって「純粋」ではないよね。Keith自身のバックボーン、カントリーやフォークだったりゴスペルだったりといった、彼自身がこれまで影響を受けてきた音楽がどうしても顔を出してしまっているように感じる。
「純粋な創造」ってのは在りえるものなのかな?。
次もKeithのアルバムで、タイトルは「J.S.Bach Goldberg Variations」。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」ね。Keithはクラシック畑での活動も少ないけどある。これはハープシコードでの録音で、クラシックなんだけどレーベルはやっぱりECM(笑)。
ゴルトベルク変奏曲って、バッハが「クラヴィーア練習曲集第4部<アリアと種々の変奏>」というのを、カイザーリング伯爵という人の依頼で書くのね。それをカイザーリング伯爵がお抱えのチェンバロ奏者ゴルトベルクに寝物語に夜な夜な弾かせたことから、ゴルトベルク変奏曲と呼ばれるようになったんだとか。
2部構成のアリアと和声進行を基準として、その30種類のさまざまな変奏がハープシコードという単調な音色で延々と続くという・・・・・最初の5~10曲くらいまではいいんだけど、さらにずーっと聴いてると正直飽きる。友人のピアノ弾きに「バッハの、特にこの曲は、弾いてみて初めて美しさが見えてくるよ。曲の構造美が意識できる」なんて言われてしまった。素人がこんなもん弾けるかっ!(笑)。
Keithによると「旋律線そのものがとても表情に富んだものなのです~中略~このことを意識できぬ人々は、目の前の音楽に何か意味を付け加えたくなるのでしょう」だそうな。
これはこの変奏曲集を最後まで集中して聴き通せない僕の修行が足りないということなのか・・・・・ピアノの演奏ならまた違って聴こえるのかな。
これってグレン・グールドに有名な録音があるし、ちょっと開拓してみようかな。
最後、ボサノバの神様Joao Gilberto(ジョアン・ジルベルト、g,vo)の「Joao Gilberto」。
Joaoの弾き語りと控えめなパーカッションによるシンプルな構成で、淡々としたボサのビートに独り言めいたつぶやきのようなJoaoの歌声が乗って、訥々と語り続ける・・・・・ボサの真髄ですなぁ。
アルバムの邦題は「三月の水」で、ここでは1曲目に収録されている「Aguas De Marco」というAntonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン、g,p,vo,com)の書いた超のつく名曲。ブラジル音楽全体の中でも大傑作とされてる。
なんでそんなに有名かっていうと、詞ね。ポルトガル語の原曲と英語の詞もJobim当人が書いたんだけど、これがとても美しい。
「棒切れ、石ころ、道はおしまい。切り株に腰を下ろし、少し寂しい」と始まって、「ガラスの欠片、命と太陽、夜、死、糸、釣り針、木のうろ」と、単純な単語を単純な2拍子に立て続けに載せてゆき、断片的なイメージのみで自然の中の人間の営みを綴ってゆく。そして最後に「三月の雨が降り、夏はおしまい。君の胸に宿る新たな命の約束」と結ばれる。
この曲、最初音だけ聴いたときはなんて単調な曲だろうと思ったんだけど、日本語訳の詞を読んで「なんて美しい曲だろう」って手のひらを返した(笑)。
こんなふうに、なにひとつ説明することなく単純な印象をつなぎ合わせるだけで、こんなにも豊かなイメージにつながるのかって。こんな表現の方法もあるんだなぁって思った。
やっぱり世で名曲といわれている曲って凄いんだねぇ(笑)。
はい、今日はここまで。
うー、疲れた。ほんとーに久しぶりの書き込みだったのでかなり苦労しました。
これからまたぼちぼち何かを書いていこうと思います。
ではでは。
すが、再開されるそうでよかったです(^^
またまた、注目しています。
皆様お久しぶりです。
>サスケさん
や、ご無沙汰しております。
これからまた好き勝手書かせてもらいます(笑)。
見に来てやってくださいませー。
>naruru21stさん
いやいやいや、ありがとうございます。
またちょっとがんばりますんで、たまにかまいに来てくださいね(笑)。
お2人とも書き込んだら即座に反応していただいて、少々感動しています。
またよろしくお願いしますね。
ではでは。
ゴルドベルクは他のピアニストと聴き比べると、
はっきり違いがわかる曲です。
グレン・グールドのは私も聴いたことがあるけど、
有名なだけあるというか。変わってるし、私は好きかな。
是非、聴いてみてください。
キース・ジャレットは平均律しか聴いたことがないですが、
これもソフトでいいですね。音自体もソフトだし。
以上、naruru21stの個人感想でした。
グールドのがいいですか?。
ではとりあえずそこから始めてみることにします。
しかし・・・・・Keithもグールドもうなりますね。
偶然の一致でしょうか?、なんて(笑)。
そしてお久しぶりです、
ほんとに更新止めてしまったのかと思いました。
最近Brian Brombergというジャズベーシストの
CDを愛聴しております、
ご存知かな?
や、えらいご無沙汰しております。
ちょっと環境に大きな変化がありまして、ネットを離れておりました。
また好き勝手書いていくつもりです。
>Brian Bromberg
Stan Getsのとこでやってた超絶技巧ベーシストですね。
最近では神保彰と組んだプロジェクトが記憶に新しいですが、僕が手元に所持しているアルバムは「Wood」1枚だけですね。
ベーシストとしての評価というよりは、「速く弾く」という点でOscar Petersonと共通のわかりやすさというか、親しみやすさがありますよね。
「おおっ、スゲェ!」みたいな。
僕も開拓してみようかな。
ではでは。
ぜんぜんあきませんねぇ。
Stan Getsと組んでいたとは驚きですよ。
「Wood」は初めて聴いたときに、ピアノがリリカルですごく気になったんですね。「誰だこれ?」って。
調べたら、アメリカの映画音楽界で活躍しているRandy Waldmanという人らしくて、「Timing Is Everything」というリーダー作が「Wood」と同じキングレコードから出ています。
メンバーはベースにBrian Bromberg、ドラムスに僕の好きなVinnie Colaiutaがはいっています。
伴奏に回って手数を抑えたBrombergの違った面が見えたりします。
機会があったら聴いてみてください。