さてさて、このところ西洋絵画関係の書籍を読むのにうつつを抜かしております。ルーブル美術館だのの画集なんかを買ってきちゃったりして、この1週間ほどはまじめに音楽を聴くということをしておりません。
本日なにがブログの記事を書こうと思ったんだけど、まったく書くネタのストックができていないので、久方ぶりに「今日聴いたアルバムの中からあれこれ」をやることにします。
Michael Brecker(マイケル・ブレッカー、ts)がさ、なんだっけ・・・・・「骨髄異形成症候群」だっけ、現在も闘病生活を続けているみたいだね。なんか白血病に進行することもある深刻な病気らしく、骨髄移植のドナーを探している状況らしい。
僕はBreckerはジャズの最後の巨匠といったイメージで見ているので、この人が活動をこんな形で中断せざるを得ないのは残念至極。
1日も早い復帰を祈って、本日はBrecker三昧の1日を過ごしました。
まず1枚目、「Two Blocks From The Edgh」。
97年の録音で、これは彼の5枚目のリーダーアルバムになるのかな?。
ミュージシャンにとって、わけてもアーティストという人種にとって自分の演奏をアルバムに残すということは、ある意味リスナー側が自分の評価を決定づける指針になるわけで、しかも自身のアルバムデビューは結構キャリアを積んでからだったBreckerが、そのリーダー作に万全の布陣と完成度を求めるのは当然だと思う。その意味で前4作ではジャズ界の重鎮たちをゲストに迎えてドリームバンドでのスペシャルコラボレーション的なものが多かったんだけど、このアルバムでは自身のレギュラーバンドにパーカッションを加えただけのシンプルな編成で最後まで通していて、ストレートな4ビートからブルース、バラードから果てはラテンまで、多彩な音楽性で楽しませてくれる。
レギュラーグループでいつものギグのようにリラックスした演奏をアルバムにするのも僕は悪くはないと思うんだ。ジャズなんだからさ。
最後のトラック「Skylark」が光る
「Out Of The Loop / Brecker Brothers」。
92年に復活した、兄Randy Brecker(ランディ・ブレッカー、tp)とのコラボレーションによるスペシャルバンド「Brecker Brothers」による94年の録音。
以前のBrecker Brothersのようにモリモリとノリを前面に出していく様子はなくて、さらに再結成時のファンク、ヒップホップ色も希薄になってる。どちらかというとイージーリスニング路線だね。
テナーとトランペットに加えてギターにベースにドラムス、シンセにパーカッションと分厚いサウンドなんだけど、暑苦しい感じはしない。Michaelはアフリカンビートに乗ってソプラノを吹いちゃったりしていて面白い。
このアルバム、Randyの離婚した元奥さん、Eliane Elias(イリアーヌ・イライアス、vo,p)が一曲参加したりしていて、ちょっと面白いリユニオンになってる。このあとRandyはブラジリアンミュージックに傾倒したり、ElianeのアルバムにMichaelが参加したりして、Brecker家とElianeの縁は続いていくみたいね。
しかしElianeってMarc Johnson(マーク・ジョンソン、b)と再婚したんじゃなかったっけ・・・・・って、んなこた音楽には関係ないか(笑)。
「The New Standard / Herbie Hancock」。
95年に録音された、Herbie Hancock(ハービー・ハンコック、p,key)がひさびさに打ち出したアコースティック路線の秀作。HancockにBrecker、John Scofield(ジョン・スコフィールド、g)、Dave Holland(デイヴ・ホランド、b)、Jack Dejohnette(ジャック・ディジョネット、ds)、Don Alias(ドン・アライアス、par)という超豪華メンバーによるゴージャスなアルバムで、スペシャルエディションと副題がつけられた日本盤ではこのバンドによる96年のツアーの日本公演から3曲を収録した盤との2枚組みで超お得(笑)。
ジャズ以外のジャンルでスタンダードに数えられるような名曲を、ジャズ界の大御所を集めたドリームバンドでジャズとして演奏するという・・・・・音楽ファンは必涎ものだよね。ジョン・レノン、サイモンやガーファンクル、プリンスやスティービー・ワンダー、ピーター・ガブリエルなんかの名曲をカバーしていて、とっても楽しい。
単純に「ジャズでやってみました」ではなくて、各メンバーが1曲1曲をきちんと題材として捉えて取り組んでいて、演奏に他ジャンルのカバーもののジャズにありがちな浮ついたところはまったくない。
90年代ジャズ界の名盤に数えて良いでしょう。
Breckerは自身のスタジオミュージシャンとしてのキャリアとノウハウを遺憾なく発揮して、のびのびと吹いてる。どんなジャンルの曲にも対応する柔軟性はさすがだよね。
「Three Quartets+4 / Chick Corea」。
大好きなChick Coreaの81年の録音で、メンバーはChickにBrecker、Eddie Gomez(エディ・ゴメス、b)にSteve Gadd(スティーヴ・ガッド、ds)。
70年代が終わるとともにReturn To Foreverを解散して、所謂「新伝承派」(死語?)の流れを横目に見ながら、電化を経た後の新たな4ビートを創造する流れに入ってくる。俗に言う「コンテンポラリージャズ」の走りのような作品。
「ジャズは最終的にアコースティックと4ビートに帰る」と頑なに決め込んでいる古風なジャズファンの僕としては、この流れは大いに賛成。ジャズが多様化するのはいいけど、 ジャズの伝統は踏まえていないと「多様化」ではなく「拡散」していくのみになってしまう、と思う。歴史とか伝統って重いものだよ。
「Dedicated To Duke Ellington」(エリントンに捧ぐ)や「Dedicated To John Coltrane」(コルトレーンに捧ぐ)といったナンバーや、Charlie Parker(チャーリー・パーカー、as)の「Confirmation」を採りあげたりと、新時代のストレートアヘッド創造に対してシリアスそのものの姿勢で取り組んでいて、非常に好感が持てる。
Chickのキャリアの転換期かつ、ひとつの大きな頂点に位置するアルバムだと思う。
「American Dreams / Charie Haden With Michael Brecker」。
Charie Haden(チャーリー・ヘイデン、b)主体のプロジェクトで、HadenとBrecker、Brian Blade(ブライアン・ブレイド)に、なんとBrad Mehldau(ブラッド・メルドー、p)が加わったメンバーで、オーケストラをバックに吹き込んだバラード集。
Hadenのそれまでのキャリアにおける共演者たちの曲や、スタンダードから映画音楽に至るまで、多彩な選曲がHadenの多岐にわたる活動とメンバーの対応力を現していると思う。
ストリングスがそう感じさせるのかな・・・・・壮大なスケールとリラックスが同居した、聴きやすい良いアルバムだね。
しかしCharie Hadenってのは凄い音楽家だと思うね。さまざまなタイプのミュージシャンと数々のコラボレーションをこなして、そのつどそのユニット独自の色を持った音楽を作ってきている。このベーシストが、実はニュージャズ派のプロパガンダジャズ出身だなんて、近作やアコースティック志向のものから聴き始めた人にはまず分からないでしょ。
ベーシストとしてというより「音楽家」としてね、凄い人だと思う。
こんなところかな。
Michael Breckerの現代のジャズシーンにおける影響力っていうのは言うまでもないよね。
Coltrane的なコード分解をさらに推進して新たなテナーの境地を開いただの、ちょっと古い言葉だけど「Breckerフレーズ」だの・・・・・。「ブレッカー・フレーズ」だぜ!。「バップフレーズ」とか「ファンキー節」とか言うのとはわけが違う。個人の名前がジャズ界にフレーズを表す言葉として定着しちゃってるという、そんなん今まであったか?。「パーカーフレーズ」とか「コルトレーン・フレーズ」なんてあったか?。この凄まじさ・・・・・。
さらにメロディメーカーとしても卓越していて、どんな曲に対してもあれだけフレーズがリリカルに歌うテナー奏者って、シーンを見渡してもちょっといない。
あまりに影響力が大きかったものだから、大多数のテーナー奏者は彼の模倣から抜け出すことができずに、テーナーシーン、引いてはジャズシーンは、ある意味の停滞に縛られているといっても言い過ぎではないような気さえしてくる。
スゲェ人だよ。
難しい病気なんだろうけど、1日も早く復帰してほしいものだね。
ではでは、そろそろ寝ます。
おやすみー。
本日なにがブログの記事を書こうと思ったんだけど、まったく書くネタのストックができていないので、久方ぶりに「今日聴いたアルバムの中からあれこれ」をやることにします。
Michael Brecker(マイケル・ブレッカー、ts)がさ、なんだっけ・・・・・「骨髄異形成症候群」だっけ、現在も闘病生活を続けているみたいだね。なんか白血病に進行することもある深刻な病気らしく、骨髄移植のドナーを探している状況らしい。
僕はBreckerはジャズの最後の巨匠といったイメージで見ているので、この人が活動をこんな形で中断せざるを得ないのは残念至極。
1日も早い復帰を祈って、本日はBrecker三昧の1日を過ごしました。
まず1枚目、「Two Blocks From The Edgh」。
97年の録音で、これは彼の5枚目のリーダーアルバムになるのかな?。
ミュージシャンにとって、わけてもアーティストという人種にとって自分の演奏をアルバムに残すということは、ある意味リスナー側が自分の評価を決定づける指針になるわけで、しかも自身のアルバムデビューは結構キャリアを積んでからだったBreckerが、そのリーダー作に万全の布陣と完成度を求めるのは当然だと思う。その意味で前4作ではジャズ界の重鎮たちをゲストに迎えてドリームバンドでのスペシャルコラボレーション的なものが多かったんだけど、このアルバムでは自身のレギュラーバンドにパーカッションを加えただけのシンプルな編成で最後まで通していて、ストレートな4ビートからブルース、バラードから果てはラテンまで、多彩な音楽性で楽しませてくれる。
レギュラーグループでいつものギグのようにリラックスした演奏をアルバムにするのも僕は悪くはないと思うんだ。ジャズなんだからさ。
最後のトラック「Skylark」が光る
「Out Of The Loop / Brecker Brothers」。
92年に復活した、兄Randy Brecker(ランディ・ブレッカー、tp)とのコラボレーションによるスペシャルバンド「Brecker Brothers」による94年の録音。
以前のBrecker Brothersのようにモリモリとノリを前面に出していく様子はなくて、さらに再結成時のファンク、ヒップホップ色も希薄になってる。どちらかというとイージーリスニング路線だね。
テナーとトランペットに加えてギターにベースにドラムス、シンセにパーカッションと分厚いサウンドなんだけど、暑苦しい感じはしない。Michaelはアフリカンビートに乗ってソプラノを吹いちゃったりしていて面白い。
このアルバム、Randyの離婚した元奥さん、Eliane Elias(イリアーヌ・イライアス、vo,p)が一曲参加したりしていて、ちょっと面白いリユニオンになってる。このあとRandyはブラジリアンミュージックに傾倒したり、ElianeのアルバムにMichaelが参加したりして、Brecker家とElianeの縁は続いていくみたいね。
しかしElianeってMarc Johnson(マーク・ジョンソン、b)と再婚したんじゃなかったっけ・・・・・って、んなこた音楽には関係ないか(笑)。
「The New Standard / Herbie Hancock」。
95年に録音された、Herbie Hancock(ハービー・ハンコック、p,key)がひさびさに打ち出したアコースティック路線の秀作。HancockにBrecker、John Scofield(ジョン・スコフィールド、g)、Dave Holland(デイヴ・ホランド、b)、Jack Dejohnette(ジャック・ディジョネット、ds)、Don Alias(ドン・アライアス、par)という超豪華メンバーによるゴージャスなアルバムで、スペシャルエディションと副題がつけられた日本盤ではこのバンドによる96年のツアーの日本公演から3曲を収録した盤との2枚組みで超お得(笑)。
ジャズ以外のジャンルでスタンダードに数えられるような名曲を、ジャズ界の大御所を集めたドリームバンドでジャズとして演奏するという・・・・・音楽ファンは必涎ものだよね。ジョン・レノン、サイモンやガーファンクル、プリンスやスティービー・ワンダー、ピーター・ガブリエルなんかの名曲をカバーしていて、とっても楽しい。
単純に「ジャズでやってみました」ではなくて、各メンバーが1曲1曲をきちんと題材として捉えて取り組んでいて、演奏に他ジャンルのカバーもののジャズにありがちな浮ついたところはまったくない。
90年代ジャズ界の名盤に数えて良いでしょう。
Breckerは自身のスタジオミュージシャンとしてのキャリアとノウハウを遺憾なく発揮して、のびのびと吹いてる。どんなジャンルの曲にも対応する柔軟性はさすがだよね。
「Three Quartets+4 / Chick Corea」。
大好きなChick Coreaの81年の録音で、メンバーはChickにBrecker、Eddie Gomez(エディ・ゴメス、b)にSteve Gadd(スティーヴ・ガッド、ds)。
70年代が終わるとともにReturn To Foreverを解散して、所謂「新伝承派」(死語?)の流れを横目に見ながら、電化を経た後の新たな4ビートを創造する流れに入ってくる。俗に言う「コンテンポラリージャズ」の走りのような作品。
「ジャズは最終的にアコースティックと4ビートに帰る」と頑なに決め込んでいる古風なジャズファンの僕としては、この流れは大いに賛成。ジャズが多様化するのはいいけど、 ジャズの伝統は踏まえていないと「多様化」ではなく「拡散」していくのみになってしまう、と思う。歴史とか伝統って重いものだよ。
「Dedicated To Duke Ellington」(エリントンに捧ぐ)や「Dedicated To John Coltrane」(コルトレーンに捧ぐ)といったナンバーや、Charlie Parker(チャーリー・パーカー、as)の「Confirmation」を採りあげたりと、新時代のストレートアヘッド創造に対してシリアスそのものの姿勢で取り組んでいて、非常に好感が持てる。
Chickのキャリアの転換期かつ、ひとつの大きな頂点に位置するアルバムだと思う。
「American Dreams / Charie Haden With Michael Brecker」。
Charie Haden(チャーリー・ヘイデン、b)主体のプロジェクトで、HadenとBrecker、Brian Blade(ブライアン・ブレイド)に、なんとBrad Mehldau(ブラッド・メルドー、p)が加わったメンバーで、オーケストラをバックに吹き込んだバラード集。
Hadenのそれまでのキャリアにおける共演者たちの曲や、スタンダードから映画音楽に至るまで、多彩な選曲がHadenの多岐にわたる活動とメンバーの対応力を現していると思う。
ストリングスがそう感じさせるのかな・・・・・壮大なスケールとリラックスが同居した、聴きやすい良いアルバムだね。
しかしCharie Hadenってのは凄い音楽家だと思うね。さまざまなタイプのミュージシャンと数々のコラボレーションをこなして、そのつどそのユニット独自の色を持った音楽を作ってきている。このベーシストが、実はニュージャズ派のプロパガンダジャズ出身だなんて、近作やアコースティック志向のものから聴き始めた人にはまず分からないでしょ。
ベーシストとしてというより「音楽家」としてね、凄い人だと思う。
こんなところかな。
Michael Breckerの現代のジャズシーンにおける影響力っていうのは言うまでもないよね。
Coltrane的なコード分解をさらに推進して新たなテナーの境地を開いただの、ちょっと古い言葉だけど「Breckerフレーズ」だの・・・・・。「ブレッカー・フレーズ」だぜ!。「バップフレーズ」とか「ファンキー節」とか言うのとはわけが違う。個人の名前がジャズ界にフレーズを表す言葉として定着しちゃってるという、そんなん今まであったか?。「パーカーフレーズ」とか「コルトレーン・フレーズ」なんてあったか?。この凄まじさ・・・・・。
さらにメロディメーカーとしても卓越していて、どんな曲に対してもあれだけフレーズがリリカルに歌うテナー奏者って、シーンを見渡してもちょっといない。
あまりに影響力が大きかったものだから、大多数のテーナー奏者は彼の模倣から抜け出すことができずに、テーナーシーン、引いてはジャズシーンは、ある意味の停滞に縛られているといっても言い過ぎではないような気さえしてくる。
スゲェ人だよ。
難しい病気なんだろうけど、1日も早く復帰してほしいものだね。
ではでは、そろそろ寝ます。
おやすみー。
えーと、全然JAZZの話題に触れてなくてごめんなさいですけど、とりあえずお元気で何よりでした☆暇見つけてまた立ち寄らせていただきますー♪でわでわ^^
故郷を離れての生活を満喫されてますかな?。
僕の方はまぁ元気です。
これからもボチボチ、好き勝手書いていくつもりなので、まぁたまに覗きにきてくださいな。
ではではーん。
当ブログは営利目的、宣伝広告の書き込みはお断りしています。ご承知置きください。
以前にもこのブログに併設している掲示板の方に、あなたから似たようなコメントがあり、削除した記憶があるのですが、そのうえでさらに同様のコメントをするというのは、どういった了見での書き込みなのでしょうか?。
「ジャズのブログと言うことでウチの女房のSpring Jazz Liveに就いて、下記の通り紹介させて頂きます」と書かれていますが、ジャズについて扱ったサイトやブログであれば、管理者の意図にかかわらず無条件で身内の宣伝に使ってしまっていいや、とでもお考えですか?。
ブログの記事の内容にまったく関係のない宣伝を無差別に書き込むというのは、甚だ常識的ではありません。このブログはフリートーク用の掲示板ではありません。よしんばフリートーク用の掲示板であっても、少なくとも「ライブ告知させていただいてよろしいでしょうか?。不適切であれば、お手数ですが削除をお願いします」くらいのことは申し添えるのが礼儀だと思いますが?。
以前の書き込みを予告も何もなく削除したのは、その辺の配慮がまったくなく、単純に自分本位の書き込みだったので、相手にする必要がないと思ったからです。
文章そのものは腰が低いような体裁を整えていますが、あなたのやっている書き込みは、「オレの女房はプロのジャズシンガーだ。ここの家はジャズが好きみたいだから、勝手に女房のポスター貼っちまえ」というのと、基本的に何も変わりません。
おわかりになりますか?。
ネットというのは確かに難しいメディアです。
自分本位の発信が、受け手に直接向き合うことなくお手軽にできてしまう。
ですが、画面の向こうに受け手は確実に存在していて、いくら希薄であってもそこには人間関係、コミュニケーションが確実に発生するものです。
どんなコミュニティでも、人と関わる以上は、最低限の礼儀や節度、常識といったものは絶対に必要です。
「某大手総合商社の管理職を捨てて彼女と結婚」ということですが、ということはそれなりにいい大人なんでしょ?。
このくらいの公共のマナーはわきまえてください。
極めて不愉快です。
音楽はもう少し鷹揚な心で聞くものではないでしょうか。
何某かの「場」で何かを紹介したいと思った場合、そこがどんなに取るに足らない小さなコミュニティであっても「聞いてもらえますか?」「この場で紹介させてもらってもいいですか?」「ここはこういうことを紹介してもよい場でしょうか?」という姿勢でコミュニケーションをスタートさせるのが節度、良識、マナーというものです。
あなたにはそういう配慮がまったくない。
あなたの書き込みは、このブログや併設している掲示板がどのような趣旨で運営されているのか、ここがどういったコミュニティなのか、何をする場として設けられているか、それをまったく無視して、自分の「紹介したい」「宣伝したい」という気持ちだけを一方的に押し付けてしまっている。
相手がそのコミュニティをどういう気持ちで設けているかということにまったく度外視している。
「ジャズのサイトだから女房の宣伝をするのは当然」という姿勢で、一方的に自身の感情と都合を撒き散らしている。
それは、結局そのブログや掲示板の内容などはどうでもよく、単純に自分の女房を紹介したいという思いを書き込める、ただの「場」としてしか見ていないということです。
自分の気持ち「だけ」。
それが大人の人間関係の持ち方ですか?。
上記に述べたように、ネット上で個人のブログやサイトに書き込みをするということは「コミュニケーションが発生する」ということです。
いくら直接向かい合うことがないといっても、本質的に初対面の人と話をするのとまったく変わりがありません。普通、セールスマンでもない人間が初対面の相手に、時と場所を無視していきなり女房の宣伝を始めますか?。
あなたの相手を無視した一方的なコミュニケーションのとり方は、二十歳をとうに過ぎたいい大人がやることではありません。人との関わり方として極めて不誠実です。
このブログで「営利目的」さらには「広告宣伝」の書き込みを断っているのは、あなたのように未成熟で勘違いしたコミュニケーションのとりかたしかできない人間が、ネット上にはたくさんいるからです。
あなたの女房の歌が良いか悪いか、さらにはギャラがいくらかなんて、この問題には関係がありません。
あなたの女房の活動の内部事情なんて、それこそまったく興味がありません。
問題があるのは、あなたのコミュニケーションのとりかたです。
私の音楽の聴き方にゆとりがないというようなことを書かれていますが、自分の都合や感情を否定されたからといって、相手の音楽に向かう姿勢をあげつらうなどということは、開き直りもはなはだしい。
心から謝っているようにはとても思えません。
口先だけですね。
あなたのあさはかで未成熟な行動が、あなたの女房のシンガーとしての評判に直結してしまうということにすら、まったく思いが及んでいない。
あなたはすべて自分本位。
ここまで来るとあまりに幼すぎて、あきれてものが言えません。
いい大人なんだから、人との関わり方をもう少し考えた方がよろしいと思います。
では。
私がジャズを勉強し始めてからまだ日は浅いのですが、貴ブログの「JAZZを聴こうぜ」と言う、ブログの名前に惹かれて(つまりそこに連帯感を感じて)、女房のコンサートの紹介をさせて頂きました。
コミュニケーションのアプローチが幼いと言われればそうとも言えますし、「身内を褒めてどうする」と言われればそれもそうなんですが、音楽と言うのはもっと間口の広いものなのではないでしょうか。もっとジャンルを越えても交わって良いものなのではないでしょうか。
私は仕事柄世界各地の人々と親交を重ねてきましたが、音楽に助けられたことが多かったです。ジャズもそのルーツからしても、もっと肝要なものであると考えます。私の女房は20年以上ジャズを歌っています。メジャーにはなっていませんが、実力は折り紙付です。営利主義に走るなら、ジャズは20年続けられません。とても苦労しながら、好きなジャズの歌唱力を磨いています。
まあ何を申し上げても通じないのかも知れませんが、やはり音楽と言うのはもう少し肝要で鷹揚なものだと考えます。
自分が何を批判されているのかに、誤魔化さずにきちんと向き合いなさい。
あなたの書き込みが営利目的であるかどうかということは、基本的にまったく問題ではありません。
「営利目的や宣伝広告の書き込みはお断り」というのは、僕がこのブログをそういった方針で運営しているということを伝えただけです。
また「身内を誉めてどうする」などということは、僕は一度も書いていないでしょう。
文章をきちんと読みなさい。
「問題があるのは、あなたのコミュニケーションのとりかたです」と、ちゃんとそう書いてあるでしょう。
「音楽は寛容であるべきだ」と書かれていますが、これは音楽性や音楽に対する認識を云々する以前の問題です。音楽の間口とか音楽のジャンルを語る以前の問題です。
あなたの一社会人としての常識、良識、節度、社会性、人間性に稚拙なところがある、少なくとも削除した最初の2つの書き込みは、明らかに節度と礼儀を失していたと、僕はそう言っているんです。
もっと平たく言わなければ伝わりませんか?。
問題はあなたが、「私は紹介したい。だから勝手に紹介させていただきます。ここがどういったコミュニティなのかは私にとって関係ありません。私が紹介したいから、紹介させていただきます。音楽好きなら別にいいだろ」というアプローチで、コミュニケーションに臨んでいることです。
しかも一度削除されたうえで「先般の書き込みは不適切だったでしょうか?。私の連れ合いがとてもよい音楽活動をしているので、よろしければ紹介させていただきたいと思ったのですが」というアプローチすらない。挙句、まったく気にかけずに同様のライブ告知の書き込みのみを繰り返す。そういうやり方は真っ当なコミュニケーションではない、私はそう言っているんです。
こんなものは音楽以前です。人間関係の初歩の初歩、基本でしょう。
紹介されたのが身内でもなんでもなく、まったく関係のないミュージシャンであったとしてもそれは同じです。
身内であるかないか、営利目的かどうかではなく、あなたの他人との向き合い方が問題だと言っているんです。
「音楽と言うのはもっと間口の広いものなのではないでしょうか。もっとジャンルを越えても交わって良いものなのではないでしょうか」
この記述にはまったく同感ですが、音楽そのものや音楽のジャンルに対して間口を広く持ちはしても、礼儀知らずな人間に間口を広く持つつもりはありません。
音楽に寛容であっても、社会人としての節度を欠いた人間に対して寛容であらねばならないとは、露ほども思いません。
あなたが自分の連れ合いのシンガーを紹介して、その音楽が素晴らしいものだということを初対面の人とコミュニケートして認めてもらいたいなら、あなた自身が音楽家や音楽愛好者である以前に、一社会人、良識人、紳士であるべきでしょう。
それともあなたの主張は「音楽愛好者は連帯感があるはずなんだから、礼儀や節度なんて必要ないだろ」というものですか?。
あなたのそういう態度によって「ああなるほど、つまり音楽家というのは音楽をやっていることを盾にとって、無礼を正当化する人たちなんだな」と、音楽に携わる人たち総体がそう思われるんですよ。
それがあなたの描く音楽家像ですか?。
少なくとも僕の知っているミュージシャンには、そんな幼稚で非常識な人はいません。
あなたの連れ合いがどんなに実力のあるシンガーであっても、あなたがどれだけ有名な人と一緒に演奏活動をしたことがあっても、どれだけ世界各国で歌ったことがあっても、それはまったく関係がありません。
プロであれセミプロであれ、まったく関係はありません。
たとえあなたが超一流のミュージシャン、超有名な大スターであったとしても、礼儀知らずな、節度を欠いた書き込みをした事実は変わりません。
自分の音楽のキャリアを持ち出して話を逸らすのはやめなさい。
根本的な社会性を取り沙汰しているときに、音楽のグローバリズムを引き合いに出して頓珍漢な正当化をするのはやめなさい。
ここで言っているのは音楽のことではない。
あなたの一社会人としての常識の話です。
あなたが何を批判されているのか、その批判は正しいのか否か、そのことにまず向き合いなさい。
「コミュニケーションのアプローチが幼いと言われればそうとも言えますし」などと、「そうとも言えますし」という言葉でお茶を濁すのはやめなさい。
「不愉快な思いをさせたことは心から謝りますが」とのことですが、不愉快だと言われたから、何を批判されているのかに関わらずとりあえず謝るんですか?。そうじゃないでしょう。
この批判に対してあなたは一社会人としてどう感じるのか。
そのことにまず向き合いなさい。
くだらないプライドや正当化などは捨てて、批判そのものにきちんと向き合いなさい。
大人なんだからそのくらいできるでしょう?。
そのことを清算して、そのうえでなければ真っ当なコミュニケーションは成立しません。最初のアプローチの時点で、あなたがコミュニケーションそのものをぶち壊しているのですから。
音楽が寛容なものであるかとか、あなたの連れ合いのシンガーの実力だとか、そういったことを話すのはそれ以降の話でしょう。