Anteeksi.

すみません、ちょっといいですか。フィンランド留学の見聞録。

夜型

2009-10-08 | 日常/思索
最近、めっきり夜型になった。起きるのは、大体11時か12時。夜は、深夜3時頃まで研究室にいたりする。まぁこれでも毎日8時間くらいは眠っているから、ただ人と生活リズムがちょっとずれているだけのこと。
東工大では、夜中でも研究室に明かりがついていて、不夜城の様相もあったが、TKKではそんなことはない。夜になると本当に真っ暗で、無人。だから、たまに夜中に人に出くわすと、ぎょっとする。

基本的に朝起きなければならないということもなく、それにどうせ夜中に小一時間チェロを弾いたりするので、これはこれでまぁいいのだけど、こうなった、というか、こうしたのには、理由がある。

つい最近知ったんだけど、いま住んでいる学生寮の地下に、ナイトクラブのような部屋があった。これが、ここのところ、「非常に活発に」活動している。
もう意味分かんない。なんで、寮の下にクラブがあるのか。これが防音されているならまだしも、全くそのようなこともなく、がんがん響く。音もひどいけれど、重低音の振動もこれまた激しくて、もう耳栓しても無理。

つまり、現在は、音がだだ漏れのクラブの上に住んでいるようなもの、というわけ。これが、大体二、三日に一度、イベントをやっているようで、一旦それが始まると、なんと朝の7時頃まで続く。カラオケ大会のようなものをやっていることもあって、ひどく下手くそな不快な歌声が部屋に響く。まじ、あり得ない。

一応、寮長みたいな人がいて、騒音等で困ったときはいつでも連絡してちょうだい、ということなので、彼に毎度迷惑をかけるのも申し訳ないと思いつつ、しばしば夜中に起こして、どうにかしてもらう。どうにかなるときもあれば、どうにかならないときもある。
ただ、もはや対症療法の限界を悟り、これは構造的問題であるから、この建物を管理しているTKYというところへクレームを出しに行った。そもそも寮内で大音量を発するクラブの存在が許可されているというだけでも到底理解できないことなのだが、このクラブを即刻活動禁止に処すること(少なくとも、「普通」の人が寝ている時間帯)、もしくは百歩譲って、きちんとした防音設備をしてもらえるよう要求した。彼らの返事ときたら、善処します、の一点張り。あなたたち日本のお役所の人ですか、と言いたくなったが、まぁでも、今度そのクラブの人間を呼び出して話をつけておくとのことだから、少し様子を見て、改善を期待するしかない。

英語で学生寮を意味するdormitoryは、元々ラテン語でdormi(眠る)と torium(場所)をくっつけたものだそうだ。つまり、学生寮は、眠るための場所なのに、何で地下にクラブがあるのか。もう意味分かんない、まじで。
フィンランド人は静けさを愛する人々だと思っていたのに、今となっては、全くそう思えない。はっきり言って、これが、フィンランドに暮らしてみての一番の失望だったかもしれない。

話を戻すと、そんなこんながあり、夜中に眠れないのが問題なわけだから、夜中は自分も起きていて、静かな朝に寝るようにしよう、ということで、夜型になった次第。

ばったり

2009-10-07 | 日常/思索
去年フィンランドに来たときに、ひょんなことから、とある大学の日本語の授業に呼ばれて行ったのだけど、そのときの日本語の先生(フィンランド人)と、意外なところでばったり再会した。

意外なところというのは、いつものオケの練習。ちょっと遅れてやってきたフィンランド人のおじさんがいて、その人がなぜだか「コンニチワ、コンニチワ、スミマセーン!」なんて言っているから、え、おかしいでしょ、と振り返ると、どこかで見た事がある人だと思ったら、なんとやっぱりその先生だった。二重の驚き。
バイオリン弾きだったらしい。しばらく日本に行っていて、久しぶりにフィンランドに帰って来たと言っていた。向こうも覚えていてくれたようだった。

なんと狭い世の中。

オケ活動の話

2009-10-05 | 音楽
先月からオケを二つかけ持ちしていて、どちらも平日の夜に週一の練習。基本的には日々研究、時々音楽活動で息抜き。気付けば、すっかり東京にいたときのような暮らしのペースになってきた。

TKKの学生オケ(Polyteknikkojen Orkesteri)は、以前にも少し紹介したけど、東工大のオケと雰囲気が似ている。まぁお世辞にもレベルが高いとは言えないけど、そのことが、あの和気あいあいとした雰囲気を作っているのかなとも思う。全くがつがつしたところがなくて、みんな純粋に音楽を楽しんでいるという感じ。
それでも、チェロパートはなぜかやたら人が多くて、結構な腕前の人もちらほらいる。もう一つのオケの方は、チェロが三人だけで、それはそれでの楽しみ方があるのだけど、やっぱりチェロセクション全体としての重厚な音作りを目指す、それが味わえるというのは大人数ならではだと思う。時々、パート練習なんかもやったりする。

色々とカルチャーショックもあったのだけど、やっぱり一番はなんと言っても、みんな練習の合間に普通にビールを飲んでいることか。もちろん「みんな」じゃないんだけど、少なからぬ数の人たちが。いわく「リラックスできるから」らしい。さすがに、これは真似る気にならない。
一方で、万国共通の文化の発見に感動することもあって、例えば、譜面への書き込み。リタルダンドでうにょうにょと並線を引っ張る、指揮者を見るポイントで眼鏡マークを書き込む、とか。特に後者は、日本独自の文化だと以前に耳にしたことがあったような気がするので、驚きでした。

練習は全てフィンランド語だけど、音楽用語というのは、これもまたほとんど世界共通らしく、ピアノ/フォルテ、エスプレシ~ボ!という具合に指示されるから、そういうところだけは分かる。
フィンランド語で分かるのは、まず数字、だから、○○小節目から、てのは問題なし。でもあとは、hyvä(いいね!)、kaikki(全員で)、sello ja basso(チェロ・バス)、nopeasti/hitaasti(速く/遅く)とか、そのくらいしか分からない。けどまぁ本当に重要なことは、その都度隣の人が訳してくれる。
あと、フィンランド語で「1, 2, 3」を「yksi, kaksi, kolme」と言うのだけど、「1, 2, 3, 1, 2, 3…」のように拍を数えるときは、頭の音だけ取ってきて、「ユカコユカコ…」になる。そういや、写真を撮るときにも、ユカコ、って言って撮る人がいる。

TKKのオケでは、バルトークのConcerto for Orchestraをやっていて、これは彼らにとっても何年かに一度というチャレンジングな試みらしい。ちょうどそのときに参加できたのは、ラッキーかな。この曲、あまりよく知らなかったけれど、超ウルトラ名曲だと思います。でも難しい。

(参考資料)
Bartok Concerto for Orchestra, V Finale: Pesante - Presto

名月

2009-10-03 | 日常/思索
中秋の名月。Otaniemessa.
まぁお月見するには、気温が3℃くらいなので、ちょっと寒過ぎます。

阿倍仲麻呂の名歌が思い浮かばれます。


ロシア大使館

2009-10-02 | サンクトペテルブルク
Ясуо Сасаки

これは何かというと、自分の名前をロシア語表記したもの。
日本語で自分の名前はどう書かれるのかと興味を持つ外国人にしばしば出会うけど、なるほど、気持ちがわかる。あまりに慣れ親しみ過ぎてもはや不可分の存在であった自分自身の名前が、こうも奇妙に、全く切り離されたように映る。

今月末にサンクトペテルブルクに行くため、ヘルシンキのロシア大使館で旅行ビザを申請してきた。
これまで(留学用を除いて)ビザ不要の国々しか旅したことがないので、入国だけでお金(と準備の時間)を取られるとは、少々煩わしい。ちなみに申請料は35ユーロ。さらに、宿泊先から招待状をもらわなくてはならない(これ自体にまたお金がかかる)。

ヘルシンキでも超一等地に広々と敷地を持つロシア大使館は、それは恐ろしいところだと聞いていたが、対応してくれたのは笑顔で親切なスタッフだった。むしろ、東京のフィンランド大使館の人の方が厳しかった印象。
我々、一般的な日本人は、ロシアという国に対して、過剰な偏見を持っているのもしれない。少しでも、実際に色々と見て来られたらと思う。

ロカクー

2009-10-01 | 日常/思索
10月になりました。気付けば、この留学生活も、残り三分の一となったということです。

9月は、頭の方はまだ暖かい日なら半袖一枚でもよかったのに、この頃と来たら、もうすっかり東京の冬と変わらないレベル。手袋、マフラーはもはや必須。最低気温が氷点下となる日も出てきた。ラップランドでは、今週、初雪が観測されたそう。ヘルシンキは、たぶんもうちょっと先なんだろうけど、もういつ雪が降ってもおかしくない、という感じ。
フィンランドは、四季で言うなら、春と秋がぎゅっと凝縮されていて、5月頃の冬から夏への移り変わりも激しかったけれど、その逆もまた然りなんだな、と思った。木々が紅葉を始め、陽も短くなり、日本にいるときのように秋の訪れに余韻に浸り油断していると、あらら、いつの間にかもう冬でした。と言っても、これはやっぱりたぶん日本人的感覚で、地元人からすれば、これはまだまだ冬と言わないのだろう。でも何にせよ確かなのは、この移行のスピードが、日本に比べれば断然速い、ということだ。周囲の風景、色合いが、日々変化する。
ちょっと個人的に面白い体験があった。その街、その季節の匂い、というものがあると思うけれど、この間、ん、この匂いは?と思うと、それが脳みそから引っ張り出してきたのは、去年の3月にヘルシンキを訪れたときの記憶だった。