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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO
いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…
あとりえ "ぽみえ"
∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets. ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★
神様~~~~~~('_')
2014-09-28
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日々気づき
自然も生きてる
今回も御嶽山の噴火がありましたね
それに際しての関係各位様にとっては心痛お察しします
登山家でもなんでもないので行ったことはないですが、民謡の木曽節は今でも口ずさめるほどにちゃんと出てくるこの名前
結構長い間休火山だと思われていたこの火山も、昭和54年に噴火あってからどんどん噴火警戒レベルがあがってきているらしい
この時あたりから火山活動認識も変化していったみたいですね
多分その「認識する」という事が大事なんじゃないかなとも思いますよね
地震に関しても山崩れに関しても・・・
そんな事考えだすと何にでも当てはめられるぐらい
日本人は温泉大好きで、最近は掘る技術も高まってきたんでそこらへんのスーパー銭湯なんかもできてるけど掘り過ぎてて大丈夫かな~~とか、地下鉄も地下駐車場も掘ってるけど・・・・・いつかどこからか爆発しないかなとか、地割れしないのかなとか、なんて思う時がある
ハワイもどんどん日本に近づいて来ているという事も聞いた
自分の立ってる位置だけみていたり、その周りの景色を感じて生きてるだけだったら難なく過ごしてしまう毎日でも、常々大きな自然の中に生きてる私達はこんな自然にのみこまれることなんかはほんの一瞬簡単な事で、今一度あらゆるところに自然を感じることを認識するとともに考えないといけないのかなと思う
私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょうね
私自身はこれといって決まった宗教を信仰してはいないし、誰か特定の人物を崇拝していることはないけれど、宗教心だったり、道徳心だったりということは常々心に留めておきたいと思っている
なので、「神様」って言葉も使うもよし、使わざるも由っていう人間です
あえていうなら、昔の神道で伝えられていたみたいに、神と人間は同等?同立っていったところでいうと「神道」の考えに共感するぐらいです
後は・・・自然信仰ってところぐらい
古代の人達にとっては、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷だったと思う
自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えてくれる
人間の生活を、また自らをも破壊してゆく自然の猛威、一方で暖かい光と豊饒の恵みをもたらす生命の泉としての存在・・・大自然の脅威と恵みは、古代の人の心に「恐れ」と、気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出していきます
その中で私達の先人達は、自然をも超越した完全無欠・全知全能の神を望まないで、大自然の中にこそ存在し、災害も恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を望んだのか
先日行ってきた熊野には、自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っていて、そのような特別の場所に、熊野三山の神々は降り立ったんでしょう
今回噴火した御嶽山もお山信仰でも有名であったといわれています
先人たちはどこにでも神様を感じていたんでしょうね・・・・純真な魂で
それから時代とともに文明・科学が発展していき、目の前に見えるものの世界に囚われていく心がどんどんその超越した自然に向かわなければいけなかった意識の次元を下げていきつつあるのも嘘ではないかもしれません
そうすると、そんな神聖な場所でも守る人、向かう人などの人間の意識の次元がどんどん低くなってしまうと、相反してその場が次元のバランスをとろうとどんどん次元が上がり細かくなり絶対全に進めば、こういう神聖な場が近くなるようで遠い存在になっていくかもしれませんよね
私達が思っている神様はやっぱり見えるものの先にあると信じる心が、いつも神様が側にあることを感じさせてくれるんでしょう
私自身、独身時代には考えもしなかったこの神様・仏様・ご先祖様
結婚を機に考えさせられることの壁にぶつかり始めて
まるで赤ちゃんが育っていく時によくある「なんで?」「どうして?」の連発で・・・素直に何でも吸収し、咀嚼し、納得し、確認し、自分の信念とするってことを続けてきた
それからは、ほぼ順番に・・・経験を伴い、ご先祖様の世界・仏の世界・神様の世界・・・神様を超える意識の世界・・・そこから超意識の世界へと進んでいった
それを確認するかのようにいつも旅行に行っては色んなメッセージを受け取ってきた
自然信仰への理にたどり着いたのも確認できたように思った
それでもって、今その自然と同等・同立・共存・・・って課題に向かってるのか
たどり着く先・向かう先は分かっていても、それを自信もって進んでいっていいよということだろう・・・そこでの体験が始まっていく気がする
こんな町に生まれ育った私が今更厳しい自然の地へ放り出されることは無いかもしれないし、あるかもしれないし・・・
何が向かってくるかは分からないけど意識と共に進んで行こう
自然と共存していく中で、自分の肉体の次元を上げていこう
何ができるか分からないけど
まず自分の意識を・認識をかえていく事から始めよぅていうことを神様が教えてくれてるんだ
・・・きっと
そして自然と共存していることを認識するとともに、その向こうに
向かう心
を教えてくれるのが神様だと思って進んで行こう
感謝です
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葛城山!
2014-09-28
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お出かけとグルメ
去年のお盆には自分の足で登った
子供の頃から運動が苦手で、何するにもすぐあきらめてしまう性格の私には考えられない・・・ましてや登山なんか
中学校の時にも大山登山があったけど、山頂に着いたのはビリから数えて・・・ぐらい嫌だった
大人になってからの方が何でも出来るようになったように思う
興味が出てきたのか、集中力が出てきたのかにもきっと関係あるんでしょう
この葛城山も900メートル超える高さの山で、石段の高さも半端なく、一時間半の間ずっとスクワットしてる状態のようで
去年もめちゃしんどかったけど、自分にもまだまだそんな体力があったんだと感心した
そこで、今年も・・・って計画だった
頑張って登って、その後に山頂のロッジでお泊り宴会で飲んだくれ
ところが、友達の一人が足を負傷したと言い、一人でケーブルが嫌だというので、結論、今年はみんなでケーブルでした
残念なような嬉しいような
この葛城山、数回登ってるけど、ケーブル初めてです
結構な急勾配です
・・・めちゃダイナミック
山肌も綺麗です
もう少し早ければススキの景色が綺麗だそうですが、少し開き気味で終わりかけだったかな
今回は鴨すきです
卵・山芋でたべます
初めて食べました
・・・・・歯ごたえがあるお肉で牛よりあっさりしてる
山芋で食べるのも乙でございました
旅行行った時の非日常って家でゆっくりしてるのと訳が違い良い感じ
帰って、何もすることがないほど家事が溜まってなければなお最高なんだけどね・・・・そこはまだ無理
帰ると時空がとまってます
なので、英気を養いに・・・エネルギー補給ですね
感謝です
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玉置神社!
2014-09-26
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お出かけとグルメ
もひとつ気が前へ進まなかったような
今回行くにあたっても車運転するにも道がどうだとか、何だかんだと去年から話は出ていたけど、一向に計画が進まなく、春にも予定キャンセルしていたぐらい進まなかったのもこの場所が理由の一つだったかも
一般的にネットでもここへは中々行けない場所で、選ばれないと的なことも載っていたと聞く
そんなことも理由の一つだったのかなとも思ったけど、そんなんではないと感じていた・・・普段の意識スイッチではめちゃ鈍感なわたし
・・・でも私の中のハイヤーセルフは無意識のうちにいつも導いてくれてる
それを信じて行ってみようと決断したのでした・・・ちと大袈裟
でも玉置山のふもとから車を乗り入れた途端・・・・この山には登るもんではないよってメッセージがよぎってきた
それでも気にしながらも登って行った
・・・・車で登るのは失礼なのかなと思いながら
鳥居です
社殿です・・・
駐車場から鳥居をくぐり少し山道(参道)を歩いていきます
この日の最後の参拝だったので、少々時間が遅め
お天気のいい日の朝なんかだったら木漏れ日がさし、神秘的な雰囲気もいい感じなんだろうと思うところ
ひっそりと古い社殿が佇んでました
社務所および台所、梵鐘は国の重要文化財。境内地の杉の巨樹群は奈良県の天然記念物。2004年7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部とされてて重みは感じます
山の地核から大きなエネルギーは感じます
、でも社殿の階段の前に立った時にもふと「嘘くさい」って感じるんです
私の感覚がおかしいのかなと気にすることもなく進んで行きます
この玉置神社は、奈良県吉野郡十津川村にある神社。大峰山系の霊山の一つである玉置山の山頂直下の9合目に位置し、大峯奥駈道の靡(なびき)のひとつ
ご祭神は・・・国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)・天照大御神(あまてらすおおみかみ)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
なんかそれを知っても気分はすっきりせず、胡散臭さすら感じる
罰当たりだったらごめんなさいだけど正直な感想
どんなところ行ってもこんなにも感じたことなかったんで、友達も不思議がってた
・・・・決して悪気はないんだけどね
その玉置神社の聖域である玉置山は、山頂を除く標高1000メートルから1040メートルにかけて枕状溶岩堆積地があり、海底火山の噴火により玄武岩質の溶岩が水中に噴出して急速に冷却・固化したことにより生じた、不規則な楕円状または曲がった丸太状の形状をした溶岩が一帯に露頭している。玉置山山頂の南側斜面には枕状溶岩の顕著な露頭が見られ、場所によっては枕状溶岩が重なり合っている
社務所に行って、神倉神社で出会ったおじさんに聞いたカードサイズの午王符も買って、そこにいた女性二人ずれの参拝者が薦める一本杉の板に書かれた金箔の鶴の絵とか松の絵も拝見しました
社殿の奥に「玉石社」がある
ここも山自体がご神体なので、多分そこが本来この山のご神体の中心だったんでしょう
神倉神社みたいに磐座信仰での拝所だったのかも
ここら辺でももう早く山を下りたくてしょうがない
後に調べると・・・
今日では玉石社の神体である枕状溶岩の周囲に人工的な作為が相当に加えられており、自然石を自然の状態で拝礼することを重んじる山岳修験の本来の思想からは異質な状態であることから、遅くとも近世後期にさかのぼる造作の可能性が指摘されている。今日の社殿は枕状溶岩露頭を背後に背負った位置にある。露頭直下は傾斜が急で地すべりを起こしやすく、堂舎を営むには無理があることから、斜度が緩やかになる現在地まで標高を下げたのであろうが、しかし、そのことは本来の礼拝対象である「玉木(玉置)」が何であるかを分かりにくくし、霊地の根元を不明確にしてしまったと考えられている
こんなことが書かれていた
そう思うと無理に行くまでもなかったのか・・・かな
もっと大きな意味で遠くから拝するといいのかも
友達もここまで来たらその「玉石社」まで行こうと言ったんだけど、なんかそんな気になれなかった
行こうと思っても足が進まないし、ホント下りたくて・・・友達もいつにない私の雰囲気に気づいていたみたいで・・・どう感じてるのって聞くもんだからちょっと焦点あわせてみた
メッセージは・・・「自分の方向と違う」ってことだった
詳しい事はその場では解明することはなかったけれど、多分ビンゴだったんでしょう
いくらパワースポットだと言えど、自分のエネルギーに合う合わないはあっていいんです
パワースポットだからといって、良い悪しは無しに合う合わないという事があるという事なんですよね
それが解ると気はすっきりするんです
帰ってからの
Wiki
での資料を見てもなんかそんな事を感じました
歴史を読み解くと深くて複雑でまとめられなかったんで、興味のある方は読んでみてもいいかと思います
その土地土地にはいろんな歴史があって当たり前だとも思うし、人が生きていくにはいろんな意識が複雑に交差しているのもわかります
そんな先人達がいるからこそ私達も生まれて生きていけているんだと思うし
でもその前の・・・始まりの純真な魂をもっと求めたい・感じたいと思ってる自分には今はその歴史を通してもその向こうを見つめる事がどんなことなのかに向かって行きたいと思った
そんな発展途上な私です
これからの課題の一歩となる旅だったかな
この玉置神社を後にして、大阪まで十津川・五条市経由で帰りました
カーブの多い山道をカーレーシングのように・・・・みんな急ぎすぎ~~~
・・・・・ふぅぅーっ
まあ下見だと思って行ってきたけど、当分いいかな
ちょっと違うところへ・・・・五芒星の描く線上にでも
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神倉神社!
2014-09-25
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お出かけとグルメ
ここもこの旅の中で花の窟神社の次に行きたいと思ったところ
ブログの先輩ulalaさんの旅行記を見た時に・・・ここ行こうって感じた
そこにも書いてたけど、階段が半端なくやばいらしいと聞き、しっかりスニーカーも持参した
・・・・それにしても、全体を通してスニーカーがとっても役に立った旅だった
写真では伝わらないめっちゃ急斜面
・・・538段
それでも頑張るのは中腹まで
・・・後は少し楽になる
年に一度節分あたりに御燈祭が行われるときには、この急な階段を白装束の男性が松明を持って駆け降りるらしい
降りる方が怖いのに
社殿も急な斜面に建っています
岩がゴロゴロと乗っかってる感じだけど、この山自体が大きな岩みたい
ゴトビキ岩
地元のおじさんが若い男の子に案内しようとしていた時に私達も到着して、「みんな聞いて~~~」って一生懸命ガイドしてくれたり、写真撮ってくれたり・・・折角なんで撮ってくれた写真載せといた
この岩、別名というか、両サイドが男性のシンボルで、真ん中が女性のだって
・・・おじさんホントかな
その後も社殿の前で、ここの本当の伝説だよって語ってくれたんだけど、少し声が遠かったのと早口だったので、理解するには難しかったかな
ところどころ興味ある話だったけど、それだけに全部が聞けないことにムズムズしてくるので、すっと聞き流すようにした
要は、今では速玉大社の摂社になっているけど、ここが一番最初の地でここから海の方へ町が出来て行った詳しい話だったような
なのでここが新宮という地名に繋がるという話だったような
帰って少しWikiで調べてみると・・・・
日本書紀には、神武天皇が神倉に登拝されたことが記されていて、悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、初め社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心であったと思われるとあった
熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である
磐座信仰のはじまりがここに
山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。
この岩の根元を支える袈裟岩と言われる岩の周辺には経塚が発見されており、平安時代の経筒が多数発掘され、そのさらに下層からは銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられているとあった
長い年月の間、この地点を祀ろうと、何度も社殿を立てた経過があり、先人や、いくつもの寺院・寺なども建立に尽力つくしたりしたけれど、その都度火災にあったり、荒廃したり、台風被害にあったりして今に至ってるみたいです
やっぱり本来神が宿るとされている自然の上には純真な魂しか存在できないんだろうなと思った
ここも速玉大社の摂社とされ、下より拝するぐらいの方が清く保てるかもしれない
御利益や能力伝授などという参詣者には無縁であってほしい
純真な魂を以ってすると人間の能力なんて言うのは無限なんだから、先ずは神様とご縁を結んだら、自分の心を磨くことに尽力注ぐべしでしょうね
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熊野速玉大社・熊野本宮大社・大斎原
2014-09-20
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お出かけとグルメ
熊野速玉大社
大斎原
神が舞い降りたという大斎原。近年はパワースポットとして多くの人が訪れている
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にあった
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりで、音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清めて、神域に訪れたと言われてたみたい
でも、明治22年(1889年)に大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座したそうです
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています
大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れていて、熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。その背後のこんもりとした森が大斎原です
遠くから見たこのこんもりとした森に神が宿るって言われてるそうだ
この玉、自分の魂が神様だよってメッセージみたい
熊野本宮大社
すっきりした参道です
ここにもメッセージが・・・
3メートル四方に書かれた今年の文字『挑』・・・言ってる間に今年も終わる
「熊野権現垂迹縁起」によると、ここの主祭神である熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明であって、太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、菊理媛神とも関係する説もあるが、やはりその素性は不詳とされる
私が思うに、まさしく主祭神がいつの誰だとかなんかは関係ないかもしれないんだ
少しネットで調べた事を引用して書くと・・・
自然信仰を原点に神社神道へと展開していく熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、「熊野権現信仰」が全国に広まっていった・・・「権現」っていうのは、神が権り(仮)に姿を仏に変え、衆生を救うために現れるという意味で、過去・現在・未来を救う霊場として熊野は人々に受け入れられていったそうです
強者弱者、地位や善悪、信不信を問わず、別け隔てなく救いを垂れる神仏として崇敬され、人々は難行を覚悟で、熊野をめざして行った
「蟻の熊野詣で」のことわざも生まれたほどです
熊野古道は、滅罪と救いを求めて難行を続ける人々がつけた命の道
険しい山路を越えてやっとのことで宝前に辿り着いた人々は、みんなが涙にむせんだともいいます・・・溢れる魂からの涙だったんでしょうね
そして、熊野の神にお仕えするその頃の人達は、たとえ参詣者のわらじが雨や川の水で濡れていてもそのまま温かく拝殿に迎え入れたそうです
美しい感激の涙で心が洗われ、自分本来の姿を取り戻す旅・・・。
熊野は生きる力を、もう一度受け取りに来るところなのかも・・・
命がけの旅は、私達が生まれた時に持っていたはずの純真な心と姿を取り戻す試練の旅でもあったのかも・・・そこへ私なんかは簡単に車で参らせてもらった訳で
時代の流れとともに人間の甘さか、いやいや私だけやね・・・甘いわ~~幸せすぎる
人によって人生はいろいろだけど、難行苦行の果てにあるもの・・・それは、迷わず人生の再出発を踏み出すための勇気と覚悟の加護にほかならい・・・そしてそれが人生続く限り続くのかな
熊野が「甦りの地」といわれる本意は、これなのかな
私としては、難行苦行ばかりではないと思っているので、幸せや甘さを感じ、そこに喜びと感謝を感じればそれも良しなんだと思う
もともと時間やマイカー乗り入れの関係で熊野に来ても古道を歩くスケジュールをとれないなと思っていたけれど、なんかその昔の人達の純真に神様に向かう心とかを感じることができたということは言うまでもないので、とっても収穫があったと言えるでしょう
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ニックネームは「たお」「たお」は道という意味をもつ。いつしか人生の道を意識と波動の視点で取り組み、楽しさと自由の中で学ぶ事を土台に。人と話す事が大好き。大勢の中にいても自分を見失わず、自他共に尊重。
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