人間は光の存在だって言ってて
それが楽しんだり喜んだりしているだけなら良いのにねって思いますね
何故悩んだり憎んだり怒ったり悲しんだりも在るのでしょうとも思う。
光の存在ですよって今の世の中で言うと馬鹿にされちゃいますよね (^^;)
まあ数日前からも言ってるように
世の中の答えは四方八方球体で無限の意識の答えがありますから
意味わからないと思う人はすんなりスルーしてくださいね (^.^)
自分が生きて行く上で楽な回答方法を
出せる方程式を持っていたら良いだけです
楽しいとか喜びだけでも成長は無いです。
だから吸い寄せたりくっ付いて行ったり、
この大気中の場を舞っているんです
低次元の意識の塊があるから分散して燦燦と輝こうと目指す。
その繰り返しで分散できない程重くなっている地球
人間は肉体に依存し過ぎて、
低次元の意識に依存し過ぎて囚われ過ぎて
自分で光の分散しようとしないままです。
そこで、
宇宙からの光が細かく強くなって振り注がれている。
強制的に分散に持ち込むしかないってとこでしょうか (^^;)
ただ輝くだけで良いのに
太陽のように、お月様のように、お星さまのように
意識が重くなり過ぎた人間
目の前の悩みだの思いに心馳せるだけで、
ごちゃごちゃ講釈垂れて
本当はそんな事どうでもいいんだって知っているのに
ややこしくしているのも自分の意識の光の濁り
屈折異常だと。 (^^;)
こうやってブログ書きながらでも光り輝く
ご飯食べながらでも光り輝く
寝ている時にも光り輝く
講釈垂れながら光り輝く
言葉放ちながら光り輝く
講釈垂れているだけではその光も濁る
どんな良い言葉でも光で分散しないと濁って行く
たとえ勝手な講釈でも自分から分離する時には光らせて (^.^)
自分から分散して行く光も高次へ上って行くように
それが地球の為で宇宙の為でもある
同じ意識でも色んな角度からの答えが在るように
自分から放つ光も変換してから放って行く
そうやって光でありながら生きているのでしょう人間って (^.^)
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