種まく人から人々へと・ 命の器(いのちのうつわ)

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日野原重明氏死去(2017年7月18日)

2017-07-19 06:34:38 | 命・地球 NPO
105歳の「日野原重明」医師が亡くなりました。

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
(ヨハネによる福音書、十二章二十四節)


日野原重明医師の人生哲学、そこにある「命の根幹」に非常に感銘を受けます。

・・生きがいとは、自分を徹底的に
大事にすることから始まる。

私たちの身体は土でできており、
身体は早晩、土に還る。

わたしたちは、この土の器の中に、はかりしれない宝を入れることが出来る。

私たちの寿命は、土の身体に何を容れるかを模索することで費やされる。

器は器のためにあるのではなく、
中に何ものかを容れるためにあるからである。・・・

この箇所を読んで、「生きがいについて」や「うつわの歌」また、アウレリウスの「自省録」も訳された「神谷美恵子」さんを思い出しました。



大切なことは、善く生きること、それは「いのちのバトンをつなぐ」こと。種まく人から人々へと


以下の『日野原医師の言葉』に、とても惹かれましたので、多くの方々に、再度紹介させていただきたいと思います。

ぜひ、お読み下さい。

://earth-words.org/archives/3747
「世界の名言」より

日野原重明の名言集1

人間にとって最も大切なのは、
命の長さだと思っている人は多い。

しかし、私が出会った人を振り返ってみて、
その人の命が素晴らしい命だと
思える人においては、

ごく少数の例外はあるにせよ、
命の長さはあまり問題ではない。

人間の夢見る幸福というのは、
往々にして、貧乏するとか、
仕事に失敗するとか
あるいは病気にかかるということによって、
一瞬にして不幸に変わってしまうような、
儚いものである。

病のなかにも心の幸福を得るためには、
どうしたらよいかということを、
考えなくてはならない。

生きがいとは、
自分を徹底的に
大事にすることから始まる。

私たちの身体は土でできており、
身体は早晩、土に還る。

わたしたちは、この土の器の中に、はかりしれない宝を入れることが出来る。

私たちの寿命は、
土の身体に何を容れるかを
模索することで費やされる。

器は器のためにあるのではなく、
中に何ものかを容れるためにあるからである。

鳥は飛び方を
変えることは出来ない。

動物は這い方、走り方を
変えることは出来ない。

しかし、人間は
生き方を変えることが出来る。

何事も、今ある規則のとおりに
やっていたのでは進歩はない。

規則を破るようなことをやらないと、
現状はなかなか変わらない。

規則を破ったとしても、
皆が応援するような破り方をすればよい。

そうすれば、
新しい良い規則がずっと早く出来る。

これまでの教育は、
出来あがったデータを
記憶させる教育であった。

困難な問題にぶつかったときに、
問題解決が出来るような
能力を与えられていない。

本当に学ぶべきなのは、
問題とどう取り組むか、
どういう戦略を立てるべきかということである。

学校を出てからも
自分で出来るような頭の仕組みを作る。

そして、その仕組みに従って生活をし、
行動することが必要なのである。

自分のためにでなく、
人のために生きようとするとき、
その人は、もはや孤独ではない。

なんと言っても、
人が人に与える最高のものは、
心である。

他者のための「思い」と
「行動」に費やした時間、
人とともにどれだけの時間を
分けあったかによって、
真の人間としての証がなされる。

自分の命がなくなるということは、
自分の命を他の人の命の中に
残していくことである。

自分に与えられた命を、
より大きな命の中に
溶け込ませるために生きていくことこそ

私たちが生きる究極の目的であり、
永遠の命につながることだと思う。

二十世紀の日本人は、
自分の中にないものを先進諸国から
とりいれようとして忙しく働きすぎた。

そして、古来の日本人の内にあったよきもの、
奉仕する心、人情、
よき伝統を忘れてしまった。

私たちに与えられた恵みを数えてみれば、
どんな逆境にあったとしても、
受けているものの方が、
与えるものよりも多いことに気付く。

受けた恵みを、どこかで返そうと
考えたいものである。

自分以外のことに
自分の時間を提供するためには、
周りの人間から孤立して、
自分だけの世界に
閉じこもっていてはいけない。

人々とともに生きる世界に自分を置き、
周囲がいま何を必要としているのか、
自分には何ができるのかを絶えず考えながら、
毎日の生活を送る必要がある。

多くの人々は自分の財産や名声や
地位を得るために全力投球している。

それなのに、財産やお金よりも大切な、
自分の命のために
全力投球している人は少ない。

なぜ、その大切な命のために、
時間と財産を提供しないのか、
そうして安全に確保された命を
思いきり有効に使おうとしないのか。

自分の命を
自分で格調高く保つための勉強を、
めいめいがもっとしなければならない。

老人のケアは苦労も多い。
しかし、いつの日にかあなたも、
あなたが老人にしたようなやり方で、
ケアされる日が必ず来るのである。

日野原重明の名言 第2集

人間が人生において経験した喜びと、
悩みや悲しみを、
その生涯の終りに秤にかけると、
どちらが重いだろうか。

多くの人の秤は、
悩みや悲しみのほうに
傾くことが多いのではないか。

人間が本当に自由になる時代が、
人生の最後にくる。

残された日々、
まだ行ったことのないところに
行ってみようという計画もあると思う。

しかし何より大切なのは、
生きることについて、
これまで以上の「深さ」を
求めることではないだろうか。

老いた身の一番の不幸は孤独であり、
積極的に生きる方向と
目標がともに定かでないことである。

この孤独は、老いた人間を
悲しく沈没させてしまう。

未知の世界に自ら飛び込んで、
やったことのないことをやることによって、
使ったことのない脳が働き出す。

最期に自分の生涯を顧みて、
自らが生まれてこうなったことは意味がある
と考えられるように、
今日を生きることである。

外科手術や化学療法の
発達した今日でもなお、

最も大切な治療法の一つは、
キリストの時代のごとく、
「言葉による癒し」なのである。

文化は命を愛するものである。
命を傷つけるものは、
文化でも文明でもない。

心の良い習慣というのは
表情やしぐさにあらわれる。
人の顔つきも習慣なのです。

人は主義や主張より前に、
人間であることを必要とする。

人間の本質的な人間性を踏まえての、
主義、主張でなければならない。

よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、
しみ込むような言葉を持ち、
患者と家族に接したい。

どんな困難に直面しても、
「ここから始まるのだ」と
とらえ直すことができれば、
私たちはかならず前進できます。

自分を相手に置き換える想像力を、
身につけたいものである。

人は最後の瞬間まで、
生きる希望に支えられるべきなのです。


日野原重明の名言 第3集

誰しも幸福を望みますが、
それを実感することにおいては
きわめて鈍感です。

生きていることの意味は
自分で探し勝ちとるものです。
それがつまり生きがいにつながります。

人間の体には3万6000もの遺伝子がある。
その多くが使われないままなんです。
それはあまりにもったいない。

違った環境に身を置けば、
うちに秘めた未開発の良き遺伝子が、
思わぬ花を咲かせるかもしれない。

人生とは
未知の自分に挑戦することだよ。

人のために
自分を捧げる喜びを知っている人を、
プロと言います。

人生には
無駄というものはないもの。

しかし、後にならないと、
その意味がわからないということが
たくさんあるのです。

つらいことでも苦しいことでも、
「体験」したことは、
間違いなくその人の強みになります。

習慣に早くから配慮した者は、
おそらく人生の実りも大きい。

年齢は勝ち負けではありません。
謙虚に、そして存分に味わえばよいのです。

ビジョンは大きいほうがいい。
たとえ自分が実現できなくても、
バトンタッチすればいいのですから。

きりのない欲望が、
あなたをしあわせから遠ざけます。

以上




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