映画
『クワイ河に虹をかけた男』
たった一人の戦後処理。
https://www.ksb.co.jp/kuwaigawa_movie/sp.phpより
アジア太平洋戦争下、旧日本軍が建設した泰緬鉄道──
その死の鉄道」の贖罪と和解に生涯を捧げた永瀬隆・20年の記録
監督:満田 康弘
語り:森田 恵子、音楽:三好 麻友
CG:森 有香、編集:吉永 順平
MA:木村 信博、撮影:山田 寛、永澤 英人
制作:溝内 靖晃、黒田 雄二
配給:きろくびと
制作・著作:KSB瀬戸内海放送
2016年/日本/16:9/119分
イントロダクション
旧日本軍が建設した「死の鉄道」-。
その贖罪と和解に生涯を捧げた男がいた。
時に旧連合国捕虜や旧日本軍関係者の強い反発に遭いながら、彼は妻とともにその歩みを続けた。
元捕虜は彼を「握手できるただ一人の日本人」「レジェンド」と呼んだ。
一方、復員する日本軍12万人全員にタイ政府が「米と砂糖」を支給してくれた恩義に報いようと、学生らに奨学金を贈り続けた。
93年の生涯でタイへの巡礼は実に135回に及んだ。
これはその男の晩年を約20年間にわたって取材し続けた地元放送記者による記録である。
ストーリー
アジア太平洋戦争の最中の1942年7月、旧日本軍はタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に着手した。ビルマ・インド方面への陸上補給路を確保するのが目的である。建設工事にはイギリス・オーストラリア・オランダなどの連合国捕虜6万人余と25万人以上の現地アジア人労務者を動員。20世紀初頭にイギリスが「10年はかかる」として断念した415kmのルートをわずか1年3カ月余りで完成させた。だが、食糧・薬品不足の中の長時間労働に加え、コレラ、赤痢などの伝染病が蔓延。捕虜約1万3千人、労務者推定数万人の犠牲を出した。
永瀬隆は陸軍通訳として、タイ側の鉄道建設の拠点カンチャナブリ憲兵分隊に勤務するが、戦後まもなく連合軍が派遣した墓地捜索隊に同行し、悲劇の全容を目の当たりにする。この経験が永瀬を鉄道建設の犠牲者の慰霊に駆り立てた。一般日本人の海外渡航が自由化された1964年以来、妻の佳子さんと二人三脚で巡礼を開始。タイ訪問は生涯で135回を数えた。1976年にはクワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍関係者の和解の再会事業を成功させ、旧連合国でもその名を知られる存在となった。
もうひとつの活動の柱はタイへの恩返しだ。終戦後、タイ政府は復員する12万人の日本軍将兵全員に飯ごう1杯の米と中蓋1杯の砂糖を支給してくれた。連合軍側に内密に施された恩義に報いるため、1965年から自宅にタイ人留学生を受け入れ、1986年にはクワイ河平和基金を設立。学生に奨学金を贈り続けた。
本作品では1994年2月の永瀬さん82回目のタイ巡礼を皮切りに永瀬さんの活動を追う。永瀬さんが元捕虜や元アジア人労務者、タイの元留学生や奨学生と築いた絆。戦後処理を放置してきた日本政府への怒り。戦中派としての複雑な心情と次世代へのメッセージ。様々な葛藤を抱えながらたどり着いた長い旅路の果てに永瀬さんが見たものとは?
上映劇場
東京都中野区
ポレポレ東中野
http://www.mmjp.or.jp/pole2/
★『クワイ河に虹をかけた男』 上映決定!
公開初日~上映最終日 8/27 ~ ~ ~ 9/16
作品データ 2016/日本/119分/16:9
タイムテーブル
12:30
料金
当日 : 一般 1700円 / 大学専門 1400円 / シニア 1100円
高中 1100円 / 小学生以下 無料
前売 : 1300円(Pコード:466-860) 2016.8.27(土)公開
03-3371-0088
岡山県岡山市
シネマ・クレール岡山
2016.7.9(土)より先行上映
086-231-0019
監督プロフィール
満田 康弘 (みつだ やすひろ)
1961年香川県生まれ。1984年KSB瀬戸内海放送入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。
現在、報道クリエイティブユニット岡山本社所属。
これまでに制作したドキュメンタリー番組
(永瀬さん関連)
1994年 テレメンタリー '94 たったひとりの戦後処理 ~もうひとつの“戦場にかける橋”物語~
1995年 終戦50周年記念特番 死の鉄道を超えて ~元陸軍通訳の50年~
2000年 55年目の恩返し ~メガネがつなぐ日タイ友好のきずな~
同 テレメンタリー2000 ナガセからの伝言 ~戦争のない世紀のために~
2001年 特別番組 僕の知らない戦争があった ~駆け出し俳優と元陸軍通訳の二人旅~
2008年 テレメンタリー2008 最後の巡礼 ~元陸軍通訳の終わらない戦後~
2009年 テレメンタリー2009 45年目のハネムーン ~病室からタイへ…覚悟の巡礼~
2011年 テレメンタリー2011 クワイ河に虹をかけた男 ~最終章・たったひとりの戦後処理~
永瀬さん年表
1918年(大正7年)
岡山県福田村(現岡山市南区福田)で出生
1941年(昭和16年)
青山学院文学部英語科を繰り上げ卒業
陸軍省に通訳として採用 南方へ出征
1943年(昭和17年)
カンチャナブリ憲兵分隊に勤務 泰緬鉄道に関わる
1945年(昭和20年)
連合軍の墓地捜索隊に同行
1946年(昭和21年)
タイから復員
岡山県進駐英印軍・米軍軍政部の通訳となる
1949年(昭和24年)
千葉県立佐原女子高校教諭となる(~53年)
1955年(昭和30年)
倉敷市で英語塾を開設
1962年(昭和37年)
佳子さんと結婚
1964年(昭和39年)
戦後初めてのタイ巡礼 以後毎年巡礼を続ける
1965年(昭和40年)
タイからの留学生受け入れ開始
1976年(昭和51年)
クワイ河鉄橋で連合軍元捕虜と和解の再会
1980年(昭和55年)
元アジア人労務者を探し当てる
1986年(昭和61年)
クワイ河平和寺院建立 クワイ河平和基金設立
1989年(平成元年)
初めてカウラ訪問
1992年(平成4年)
カンチャナブリ県名誉県民 岡山県三木記念賞受賞
1993年(平成5年)
エリック・ロマックス氏と再会
1994年(平成6年)
クワイ河平和基金の第1回看護学生奨学金授与式
1995年(平成7年)
クワイ河鉄橋で元捕虜と2回目の和解の再会
横浜市の英連邦戦死者墓地で追悼礼拝を開始
1997年(平成9年)
カンチャナブリ県の無医村で移動診療開始
2002年(平成14年)
英国政府から特別感謝状授与
2006年(平成18年)
タイに銅像が完成
2009年(平成21年)
タイに135回目最後の巡礼の旅 佳子さん死去
2011年(平成23年)
6月21日 93歳で死去
『クワイ河に虹をかけた男』
たった一人の戦後処理。
https://www.ksb.co.jp/kuwaigawa_movie/sp.phpより
アジア太平洋戦争下、旧日本軍が建設した泰緬鉄道──
その死の鉄道」の贖罪と和解に生涯を捧げた永瀬隆・20年の記録
監督:満田 康弘
語り:森田 恵子、音楽:三好 麻友
CG:森 有香、編集:吉永 順平
MA:木村 信博、撮影:山田 寛、永澤 英人
制作:溝内 靖晃、黒田 雄二
配給:きろくびと
制作・著作:KSB瀬戸内海放送
2016年/日本/16:9/119分
イントロダクション
旧日本軍が建設した「死の鉄道」-。
その贖罪と和解に生涯を捧げた男がいた。
時に旧連合国捕虜や旧日本軍関係者の強い反発に遭いながら、彼は妻とともにその歩みを続けた。
元捕虜は彼を「握手できるただ一人の日本人」「レジェンド」と呼んだ。
一方、復員する日本軍12万人全員にタイ政府が「米と砂糖」を支給してくれた恩義に報いようと、学生らに奨学金を贈り続けた。
93年の生涯でタイへの巡礼は実に135回に及んだ。
これはその男の晩年を約20年間にわたって取材し続けた地元放送記者による記録である。
ストーリー
アジア太平洋戦争の最中の1942年7月、旧日本軍はタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に着手した。ビルマ・インド方面への陸上補給路を確保するのが目的である。建設工事にはイギリス・オーストラリア・オランダなどの連合国捕虜6万人余と25万人以上の現地アジア人労務者を動員。20世紀初頭にイギリスが「10年はかかる」として断念した415kmのルートをわずか1年3カ月余りで完成させた。だが、食糧・薬品不足の中の長時間労働に加え、コレラ、赤痢などの伝染病が蔓延。捕虜約1万3千人、労務者推定数万人の犠牲を出した。
永瀬隆は陸軍通訳として、タイ側の鉄道建設の拠点カンチャナブリ憲兵分隊に勤務するが、戦後まもなく連合軍が派遣した墓地捜索隊に同行し、悲劇の全容を目の当たりにする。この経験が永瀬を鉄道建設の犠牲者の慰霊に駆り立てた。一般日本人の海外渡航が自由化された1964年以来、妻の佳子さんと二人三脚で巡礼を開始。タイ訪問は生涯で135回を数えた。1976年にはクワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍関係者の和解の再会事業を成功させ、旧連合国でもその名を知られる存在となった。
もうひとつの活動の柱はタイへの恩返しだ。終戦後、タイ政府は復員する12万人の日本軍将兵全員に飯ごう1杯の米と中蓋1杯の砂糖を支給してくれた。連合軍側に内密に施された恩義に報いるため、1965年から自宅にタイ人留学生を受け入れ、1986年にはクワイ河平和基金を設立。学生に奨学金を贈り続けた。
本作品では1994年2月の永瀬さん82回目のタイ巡礼を皮切りに永瀬さんの活動を追う。永瀬さんが元捕虜や元アジア人労務者、タイの元留学生や奨学生と築いた絆。戦後処理を放置してきた日本政府への怒り。戦中派としての複雑な心情と次世代へのメッセージ。様々な葛藤を抱えながらたどり着いた長い旅路の果てに永瀬さんが見たものとは?
上映劇場
東京都中野区
ポレポレ東中野
http://www.mmjp.or.jp/pole2/
★『クワイ河に虹をかけた男』 上映決定!
公開初日~上映最終日 8/27 ~ ~ ~ 9/16
作品データ 2016/日本/119分/16:9
タイムテーブル
12:30
料金
当日 : 一般 1700円 / 大学専門 1400円 / シニア 1100円
高中 1100円 / 小学生以下 無料
前売 : 1300円(Pコード:466-860) 2016.8.27(土)公開
03-3371-0088
岡山県岡山市
シネマ・クレール岡山
2016.7.9(土)より先行上映
086-231-0019
監督プロフィール
満田 康弘 (みつだ やすひろ)
1961年香川県生まれ。1984年KSB瀬戸内海放送入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。
現在、報道クリエイティブユニット岡山本社所属。
これまでに制作したドキュメンタリー番組
(永瀬さん関連)
1994年 テレメンタリー '94 たったひとりの戦後処理 ~もうひとつの“戦場にかける橋”物語~
1995年 終戦50周年記念特番 死の鉄道を超えて ~元陸軍通訳の50年~
2000年 55年目の恩返し ~メガネがつなぐ日タイ友好のきずな~
同 テレメンタリー2000 ナガセからの伝言 ~戦争のない世紀のために~
2001年 特別番組 僕の知らない戦争があった ~駆け出し俳優と元陸軍通訳の二人旅~
2008年 テレメンタリー2008 最後の巡礼 ~元陸軍通訳の終わらない戦後~
2009年 テレメンタリー2009 45年目のハネムーン ~病室からタイへ…覚悟の巡礼~
2011年 テレメンタリー2011 クワイ河に虹をかけた男 ~最終章・たったひとりの戦後処理~
永瀬さん年表
1918年(大正7年)
岡山県福田村(現岡山市南区福田)で出生
1941年(昭和16年)
青山学院文学部英語科を繰り上げ卒業
陸軍省に通訳として採用 南方へ出征
1943年(昭和17年)
カンチャナブリ憲兵分隊に勤務 泰緬鉄道に関わる
1945年(昭和20年)
連合軍の墓地捜索隊に同行
1946年(昭和21年)
タイから復員
岡山県進駐英印軍・米軍軍政部の通訳となる
1949年(昭和24年)
千葉県立佐原女子高校教諭となる(~53年)
1955年(昭和30年)
倉敷市で英語塾を開設
1962年(昭和37年)
佳子さんと結婚
1964年(昭和39年)
戦後初めてのタイ巡礼 以後毎年巡礼を続ける
1965年(昭和40年)
タイからの留学生受け入れ開始
1976年(昭和51年)
クワイ河鉄橋で連合軍元捕虜と和解の再会
1980年(昭和55年)
元アジア人労務者を探し当てる
1986年(昭和61年)
クワイ河平和寺院建立 クワイ河平和基金設立
1989年(平成元年)
初めてカウラ訪問
1992年(平成4年)
カンチャナブリ県名誉県民 岡山県三木記念賞受賞
1993年(平成5年)
エリック・ロマックス氏と再会
1994年(平成6年)
クワイ河平和基金の第1回看護学生奨学金授与式
1995年(平成7年)
クワイ河鉄橋で元捕虜と2回目の和解の再会
横浜市の英連邦戦死者墓地で追悼礼拝を開始
1997年(平成9年)
カンチャナブリ県の無医村で移動診療開始
2002年(平成14年)
英国政府から特別感謝状授与
2006年(平成18年)
タイに銅像が完成
2009年(平成21年)
タイに135回目最後の巡礼の旅 佳子さん死去
2011年(平成23年)
6月21日 93歳で死去