種まく人から人々へと・ 命の器(いのちのうつわ)

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『猿猴取月(えんこうしゅげつ)』蓮之出淤泥而不染(蓮は泥より出でて、泥に染まらず)

2015-12-31 11:41:51 | NPO 命・地球

平成二十七年(2015年)、とうとう大晦日となりました。

年内、様々な方々からご指導ご鞭撻を賜りましたこと、ここに心より御礼申し上げます。

深夜には、除夜の鐘が鳴らされ、その数は人間の『百八の煩悩の数』だと、よく言われています。

百八の煩悩とは、人間を悩まし迷わせる煩悩でありますが、とにかく数の多いことを百八としているようです。
しかしながら、数(計算)的にもなぜ『百八』になるのかは、誰しも気になるところです。

そこで、諸説あるようですが、百八の分かりやすい計算としての説明は、まず「眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに悩みが六つあり、かけると三十六になる。また、この三十六を過去・現在・未来で三倍すると百八となる。」

いかがでしょうか、「なんとなくしっくり」しましたか?

いずれにせよ煩悩は、このように数多くあり、他にも数え方には、煩悩には、主に二種あり、一つは三界の見惑八十八使と三界の修惑十使にさらに十纏(じゆうてん)を加えたもの。もう一方は眼・耳・鼻・舌・身・意の六根にそれぞれ六つの煩悩があって三十六になる。過去・未来・現在の三倍で、やはり百八となる。

なんだか、数の説明だけでは、むしろ難しく感じますね。

繰り返しになりますが、おそらく数そのものよりも、人間界に、あまたなる『心の迷い』があり、それを年末にできるだけ清算(御祓みそぎ)しようとしているのですね。

未年が終わり、申年を迎えつつある。できるだけ心静かに、己のあまたなる『煩悩』を僅かながらでも打ち消しながら、明るい展望のある新年を迎えたいものです。

話しはいくぶん変りますが、祖国(日本)には国語(日本語)があり、述べたように、その国語は、様々な海外との折衝(相互交流)からなっている、少し例示すれば、仏教思想や梵語や中国語(漢字)などなど・・・現実には、浮遊しているカタカナ表記などの外来語でも溢れている・・・

祖国(母国)とは、やはり文化的な遠近法的な解釈であり、1度は(出来れば複数回)祖国を離れて遠近両方、また鳥瞰図的に、祖国(母国)を
俯瞰したいものです。

申年の『サル』とは、ある意味で、
人間の『鏡』であり、水面に写る『月影』は人間界の『煩悩』とも思われます。そこで、まさに『申年』を迎えるに辺り、『猿猴取月(えんこうしゅげつ)』という四字熟語を年末の最後の主題として取り上げたいと思います。

その四文字熟語は『猿猴捉月(えんこうそくげつ)』や『猿猴探月(えんこうたんげつ)』さらに猿猴捕月(えんこうほげつ)とも表現される。

仏典の『摩訶僧祇律』(まかそうぎりつ)にある話だそうで、意味としては、『自身の能力などを過信しすぎ、欲をさらに出して身を滅ぼす』という喩え話です。

まさに、自分自身(己)を猿(猿猴)と見なしながら、自戒もしております。

おそらく、多くの方々が、それと知らずに絵画表現としての『猿猴捉月(捕月)図』は目にしているのではと思われるます。その表現の元になる話(逸話)は、以下のようなものである。

猿猴(えんこう=猿たち)が井戸の中の水に映っている月に気づき、その月影を取ろうする。
猿が木の枝につかまり、さらにあまたなる(五百匹もの)猿が手と尾を結んで連がって井戸(水面)へと降りいく。
当然、多くのサルたちの重さに耐えきらずに枝が折れ、ついに水中に落ちて、死んでしまう。

上記の漢文としては、『摩訶僧祇律』の第七に、以下のようにある。

「佛告諸比丘。過去世時。有城名波羅奈。國名伽尸。於空閑處有五百獼猴。遊行林中。到一尼倶律樹。樹下有井。井中有月影現。時獼猴主見是月影。語諸伴言。月今日死落在井中。當共出之。莫令世間長夜闇冥。共作議言。云何能出。時獼猴主言。我知出法。我捉樹枝。汝捉我尾。展轉相連。乃可出之。時諸獼猴即如主語。展轉相捉。小未至水。連獼猴重。樹弱枝折一切獼猴墮井水中。」

この大晦日に、いくら筆舌(ことば)に尽くしても、百八の煩悩はいつまでも打ち消せずに、『煩悩即菩提』の境地は、あの涅槃に『幻想』としてただ留まるだけなのか?

しかしながら、悲観的に過去(過ぎ去った月日)を回想(後悔)するのではなく、与えられた『命』と『生きられる時間』をいかにして有意義に送ることができるか、それは『生死即涅槃』であり、まさに、NPO 「命・地球」や地域活動を初めとして、さらにはNGO 活動の橋渡しを有志の方々と伴に心を砕きながら行動したい。

『この泥あればこそ咲け蓮の華』

而二不二

十二支考 さる年に猿(猴・サル・申)を考える

2015-12-27 12:48:09 | 文学・芸術
毎年、年末が近づくと、南方熊楠の「十二支考」を読み返しながら、来年の干支について考え、年賀状に一筆入れる「言の葉」などを考えるのが常だった。しかし、今年は、体調の関係で年末に通院や検査が続き、それらに関して考える余裕がほとんどなかった。

おそらく、南方熊楠の『十二支考』を読んだことのない方でも、絵本などで、十二支の動物が選らばれる競争の逸話などは、子どもの頃に読み聞きした方々が多いのではと思います。

南方熊楠の十二支考の「猴に関する伝説」でも猿(サル)は「猴(さる)」という漢字が当てられている。

分かりやすく優れた説明の一つとしては、鄭 高咏 (テイ コウエイ)先生の中国のことばと文化における「猿のイメージに関する一考察」という研究ノートが秀逸な内容であり、十二支の動物に関して素晴らしい著書(中国の十二支動物誌)や最近では「ちからになる中国語」 2015年2月発売もあります。「十二支の研究ノート」も複数あり、それらも時折、参考にさせていただいております。実にありがとうございます。

以下は、一部の抜粋です。

「猿のイメージに関する一考察」

要  旨

中国人はサルというと,二つの漢字を思い浮かべる。一つは「猿」,もう一つは「猴」だ。この二者の違いについては既に豊富な知識の蓄積があるにはあるが,猿と猴をことさらに区別するのは一部の識者による著書の中くらいのもので,たいていの場合,どちらも一括りにして語られ,ほとんど使い分けられていない。
もちろん猿と猴では進化の程度に差があり,一般的には尾があるのが猴,ないのが猿とされているものの,それはあくまでも生物学上の区別に過ぎず,十二支文化の「申」は
狭義のサルではなく広義のサルを意味している。

中国語においては猿に関する言葉はほぼすべてが否定的な意味合いを帯び,外見,知力,気性,行動など,多岐にわたる猿の特徴に触れ,それをあざけり,さげすむものが大半を占めている。そして実際の会話の中でも,やはり人の容貌や行為を皮肉り,貶める際に使われるのがほとんどだ。

この点では民話の「猿」のイメージと若干ずれがあるものの,申年生まれの人に下された評価は短所もあれば長所もあって,決して一面的ではなく,「言葉」や「民話」の猿のそれより断然高い。このイメージアップの原因は,性格判断の文でも触れられている「猿と人間の近さ」にある。人間に似ている猿を全面否定すれば,人間自身を全面否定することになりかねず人々としてはそれは何としても避けたい。そのため猿と人間を結び付けて考えざるを得ない時だけは,見方がぐっと理性的になるのだ。要するに,この評価の違いは人々の苦肉の策というべきもので,猿に対する人々の矛盾した心理がここにもにじみ出ている。」

と、要旨にあります。

次に、本題の干支と十二支の関係については、以下にあります。

5 「猿」と十二支

十二支獣の起源については俗説があるばかりでなく,歴史的に見ても,多数とはいえないながら,複数の文人や学者たちがそれぞれの切り口でこの謎に挑んできた。そのうちの申[猿]に関する部分だけを取り上げるなら,本書で既に何度か触れている,十二支は12の動物の習性と活動時間に基づいて決められたとする説は,太陽が西に傾いて涼しいころに当たる申の刻に,猿がきゃっきゃと鳴いてはしゃぐため,猿と申が組み合わされたとしている。別の説によれば,十二支獣選考の条件は身体的欠陥があることで,猿に欠けているのは尻だという。また,12の動物の爪の数とその習性は,陰陽の気及び十二時に対応していると考察し,これこそが十二支獣の順番の根拠だとする説もある。この説いわく,十二支獣の順番は,まず鼠の項で紹介した説と同じ要領で,動物たちを足の爪の数の奇偶によって陽と陰と分け,その上で12の刻,つまり一昼夜のうちに起こる陰の気と陽の気の交替や上昇と下降,その強弱,及び12の動物の習性に応じて,それぞれの刻に各動物を割り当てるという手順で決められた。猿が申に当てられたのは,爪の数でいえば猿は陽,そして易学では申は三陰であり,陰が盛んなことは “黠”(狡猾)に通ずるとされているため,ずる賢い猿が選ばれたのだそうだ。このほかある学者は,十二支の形成には太古の昔に始まった動物崇拝と古代の天文学の影響が直結しているという観点から,猿が干支に組み入れられたのも,古くからあった猿信仰や古代の天文学の影響と関係があり,猿はその身軽さと利口さゆえに,古代人たちからあがめられて十二支獣の一員になった,と見ている。

この研究ノートには、とても有名な「朝三暮四」にも言及されています。

批評としては、朝三暮四は、内容がころころ変わること(主に表面的な変化であり、本質は「改悪」)を意味しますが、現実の生活面では、給与、税金や年金問題などを初めとして、様々な『国民だまし』や『粉飾決算』の喩え話であり、まさに表面だけ(名称変更)の『おサルさんだまし』のようでもあります。

古の時代から、イソップの寓話のように、『まさに人間への教訓』を「動物(他の生き物)に喩え」て分かりすく伝えてくれています。


まずは、鄭 高咏 先生の研究ノートの一部からの『朝三暮四』の部分の引用です。

“朝三暮四”

宋の国にいた狙公(そこう)という老人は,猿をたくさん飼っていた。

老人と猿は以心伝心の仲で,老人は猿たちの気性を十分に知り尽くし,猿たちもまた老人の言葉をよく解したそうだ。
やがて老人の猿は増えに増え,その餌代のために家計が逼迫したので,やむなく家族の食べ物を減らして猿たちの餌に回していた。
ところがそれでもやり繰りがつかなくなり,ついに老人は断腸の思いで猿たちの餌を減らすことにしたが,さりとて猿たちの機嫌を損ねたくはない。そこで老人はまず猿たちに,ドングリを朝に三つ,夜に四つやろう,と持ち掛けた。
すると猿たちが怒り出したので,では朝に四つ,夜に三つではどうか,と言い換えたところ,猿たちは大いに喜んだという。

この故事は『列子・黄帝』のほか,『荘子・斉物論』にも簡単な記述が見える。元々“朝三暮四”は,*言葉巧みに人をだますという意味だったが,後に転じて,*ころころと目まぐるしく変わることをいうようになった。
マイナス評価の語で,多く書き言葉に使う。現代の用法:“這个人朝三暮四,不可靠。”(この人は移り気であてにならない)

以上、研究ノートより


monkey には、英語で動詞の用法もある。
http://ejje.weblio.jp/content/monkeymonkey(weblio英和和英)より

1. 無作為で無計画な仕事や活動をする、または無駄に時間を過ごす(do random, unplanned work or activities or spend time idly)

2. いい加減に扱う、改ざんする、あるいは、偽る、通常こっそりまたは不正に(play around with or alter or falsify, usually secretively or dishonestly)

monkey の語源の説明(英文) http://www.etymonline.com/index.php?term=monkey

参考文献↓

「猿のイメージに関する一考察」
https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://leo.aichi-u.ac.jp/~goken/bulletin/pdfs
/No11/05Zheng.pdf&ved=0ahUKEwjvueaql_vJAhXEGaYKHVr-DqEQFggaMAA&usg=AFQjCNGMbG4c0eSve5DdAKeo-CcPkEsbkQ&sig2=bvkVJEAQUcAOK8IkTNVGBg より


続いて、南方熊楠の「十二支考」に関してですが、要約などは容易には出来ません。

書き出しは、以下のような始まりです。

     (一) 概言

       1

 一条摂政兼良(かねら)公の顔は猿によく似ていた。十三歳で元服する時虚空に怪しき声して「猿のかしらに烏帽子(えぼし)きせけり」と聞えると、公たちまち縁の方へ走り出で「元服は未(ひつじ)の時の傾きて」と附けたそうだ。予が本誌へ書き掛けた羊の話も例の生活問題など騒々しさに打ち紛れて当世流行の怠業中、未の歳も傾いて申(さる)の年が迫るにつき、猴(さる)の話を書けと博文館からも読者からも勧めらるるまま今度は怠業の起らぬよう手短く読切として差し上ぐる。・・・・・

以下略

なお、南方熊楠の十二支考では、子(ねずみ)年の論考は編集部の方針で不掲載、丑(うし)年については執筆されませんでした。しかしながら、何れの干支も、豊穣な内容なので何度読んでも読みきれない感があります。そこにこそ、ある意味で南方熊楠ならではの深さがあり、良い点も多々あるのです。

是非、お時間がありましたら、『朝三暮四』の喩え話などを契機にして『申』年に向って、「猿のイメージに関する一考察」を考えながら、南方熊楠の『十二支考』もいかがでしょうか?

そして申年に、「猿(猴・サル・申)を考えて、比喩的(サル=ヒト)に書かれたものから、さらに『人間(ヒト)』そのものも考える『ヒント』になりましたら幸いです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2539_34823.html
(十二支考 ↑
猴に関する伝説 南方熊楠)

*捕捉のための↓参考文献

朝三暮四はなにを言いたかった?
https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://www.hakuteisha.co.jp/books/8-083-9-naiyo1.pdf&ved=0ahUKEwismrvhr_zJAhUFUKYKHUgfDE0QFgggMAM&usg=AFQjCNGsOdL7aeSS11xgdz2K5hc5D_XaNQ&sig2=CPZRhXYWelPdj_VthapSqA

「日中故事ことわざ雑記」より 

平 安 を 誇 る JACTANCIA DE QUIETUD

2015-12-23 14:55:54 | 文学・芸術
年末になり、2016年に向かいながら多少なりとも思索に耽ると、ふとアルゼンチンのボルヘスの「平安を誇る」という詩を思い出した。

その詩の中で「憤怒」という言葉から生じる衝撃、「人間性とは、同じ貧困から生じる声がぼくらであると感じることだ」の共感、「時間こそがこのぼくを生きている」深遠さ、そこから「あてもなく足を運ぶ旅人のように、ぼくはゆっくりと歩いてゆく」旅へと結実してゆく。

詩のイメージやビジョンが旅先で出会った人物たちとの記憶と錯綜しながら、今でも胸のなかによぎるから・・・


平 安 を 誇 る 
JACTANCIA DE QUIETUD


流星よりも明るく煌めく光の文字が暗闇を襲う。
 平原にのしかかるのは、天上にある未知の都市。
 ぼくは自分の生と死に満足しながら、野心に燃える
 世間の人びとを眺め、理解しようと努力する。
 彼らの昼は、宙を飛んでいく投げ縄のように貪婪(どんらん)だし、
 彼らの夜は、まさに切りつけようとする憤怒の刃のつかの間の休息だ。
 彼らは人間性についてしきりに語るが、
 人間性とは、同じ貧困から生じる声がぼくらであると感じることだ。
 彼らは祖国についてしきりに語るが、
 祖国とは、ギターの調べ、数枚の肖像、ひと振りの古い剣、
 薄暮の柳の原でまざまざと聞く祈りの声だ。
 時間こそがこのぼくを生きている。
 影よりもひっそりと、ぼくは欲望に駆られる群衆を越えてゆく。
 ぼくはおよそ平凡で、詰まらない人間だ。
 あてもなく足を運ぶ旅人のように、ぼくはゆっくりと歩いてゆく。


Escrituras de luz embisten la sombra, más prodigiosas que meteoros.
 La alta ciudad inconocible arrecia sobre el campo.
 Seguro de mi vida y de mi muerte, miro los ambiciosos y quisiera entenderlos.
 Su día es ávido como el lazo en el aire.
 Su noche es tregua de la ira en el hierro, pronto en acometer.
 Hablan de humanidad.
 Mi humanidad está en sentir que somos voces de una misma penuria.
 Hablan de patria.
 Mi patria es un latido de guitarra, unos retratos y una vieja espada,
 la oración evidente del sauzal en los atardeceres.
 El tiempo está viviéndome.
 Más silencioso que mi sombra, cruzo el tropel de su levantada codicia.
 Ellos son imprescindibles, únicos, merecedores del mañana.
 Mi nombre es alguien y cualquiera.
 Paso con lentitud, como quien viene de tan lejos que no espera llegar

ボルヘス Jorge Luis Borges


アルゼンチンへと足を運んだのは、たしかボルヘスの生誕100年祭の年だった。「平和への新千年紀」というタイトルの英詩を、アルゼンチンのロサリオで開かれた詩祭で知り合った友人のマルセロがスペイン語に訳して送ってくれた。

アルゼンチンからチリに向かう途中、バリローチェ湖畔で知り合った男性は別れ際、Hasta siempre(アスタ・シエンプレ)と繰り返した。
当時は、その言葉は、「単なる別れ際の挨拶」に過ぎないと考えていた。
しかし、帰国後、後々になっても、なぜだかHasta siempre(アスタ・シエンプレ)の言葉かとても気になり、さらに調べてみると、単なる「さようなら」の意味よりも「意味深長な別れの挨拶」であることに気づいた。
つまり、Hasta siempre(アスタ・シエンプレ)は、多分その人にもう会うことはないけれど、「いつでも戻ってまた会いたい」と思っているときに使われる。すべての場面でその意味かは定かではないのだが、Hasta siempre(アスタ・シエンプレ)「また会いに戻ってくるよ(こいよ)」という感じが、今では染々と感じられるのだ。

さらに、その別れの言葉がHasta siempre「永遠に」とチェ・ゲバラを讃える曲にもあり、世界各地のミュージシャンによって歌われているHasta siempre(アスタ・シエンプレ)というタイトルがあることを知り、この曲も、ある意味で関係しているのだと気づいた。

 この曲は、1965年にキューバのトロバドール(吟遊詩人)であるカルロス・プエブラが作詞作曲したものです。
1965年(昭和40年)といえば、今年でちょうど半世紀前(50年前)にゲバラがキューバを去った年なのだ。ゲバラの「*別れの手紙」に着想を得て、プエブラはこの曲を作ったそうです。

http://hastasiempre.blog104.fc2.com/blog-entry-57.html(ゲバラの「*別れの手紙」の参考ブログ)

 そして、チェのフィデル・カストロへの「別れの手紙」には、最後に”“hasta la victoria siempre patria o muerte!”(永遠の勝利の日まで 祖国か死か)という有名な一節がありますが、その言葉からHasta siempreという曲が生まれたそうなのだ。

以下、スペイン語での原詞

Hasta siempre Comandante.

Aprendimos a quererte
desde la histórica altura
donde el sol de tu bravura
le puso un cerco a la muerte.

Aquí se queda la clara,
la entrañable transparencia,
de tu querida presencia
Comandante Che Guevara.

Tu mano gloriosa y fuerte
sobre la historia dispara
cuando todo Santa Clara
se despierta para verte.

Vienes quemando la brisa
con soles de primavera
para plantar la bandera
con la luz de tu sonrisa.

Tu amor revolucionario
te conduce a nueva empresa
donde esperan la firmeza
de tu brazo libertario.

Seguiremos adelante
como junto a ti seguimos
y con Fidel te decimos:
!Hasta siempre, Comandante!

貴方にも Hasta siempre(アスタ・シエンプレ)と別れ際に伝える旅人たちからの言葉(メッセージ)が心に届いたでしょうか?




"Until forever, Commander!"

We learned to love you
from the historical heights
where the sun of your bravery
laid siege to death
Chorus:
Here lies the clear,
the dear transparency
of your beloved presence,
Commander Che Guevara
Your glorious and strong hand
over History it shoots
when all of Santa Clara
awakens to see you
[Chorus]
You come burning the breeze
with springtime suns
to plant the flag
with the light of your smile
[Chorus]
Your revolutionary love
leads you to new undertaking
where they are waiting for the firmness
of your liberating arm
[Chorus]
We will carry on
as we followed you then
and with Fidel we say to you:
"Until forever, Commander!"




余談だが、松岡正剛氏の千夜千冊の2000年末には、エルネスト・チェ・ゲバラの「ゲバラ日記」で締め括られていた。

http://1000ya.isis.ne.jp/0202.html

1999年が本当の世紀末だったのか、はたまた2000年だったのかは気になるところなのだが、かつての「2000年問題」は遥か昔の感がある。

流れゆく情報にではなく、「心ある言葉」にしばし立ち止まりながら、心身ともに「健康」でありたい。
「平安」を誇り、また世界の平和を祈りたい。

マリ・クリスティーヌさんからの Season’s Greetings & Best Wishes for a Happy New Year

2015-12-22 05:21:26 | 市民国際交流協会
クリスマス前に、アジアに住む女性や子どもを支援する、ボランティア団体で女性の権利や人権を守る活動しているAWC(アジアの女性と子どもネットワーク)代表を勤め、異文化理解の素晴らしい語り手である「マリ・クリスティーヌ」さんからメールをいただきましたので、ここに紹介します。

Season’s Greetings & Best Wishes for a Happy New Year

今年も残すところわずかとなりました。 今年も本当に多くの方々にお世話になり、充実した仕事をさせていただくことができました。 心からの御礼と感謝を申し上げます。   一年を振り返り、10月初めにミラノ万博に行ったことは忘れられない思い出です。 今回の万博のテーマは 「地球に食料を、生命にエネルギーを」。 食の安全や生物多様性、農業技術、食育、食と文化など、 人間の暮らしに何より重要な「食」について様々な角度から発信されており、大変興味深い内容でした。 その中でも特にイタリア館と日本館の展示内容は素晴らしく、強く印象に残りました。 日本館のサブテーマは「いただきます、ごちそうさま、もったいない、おすそわけの日本精神が世界を救う」。 これは私が日ごろ日本の文化を海外の方に伝えている内容とピッタリ一致していまして、嬉しくなりました。 自然とともにある日本の暮らし、日本の食文化、うまみ、発酵食品、食の安全などがわかりやすく発信され、 昔からの知恵や技術が存分に感じられ、中身の濃いものでした。 日本館がミラノ万博の金賞を受賞したことは皆様の記憶にも新しいことと思います。 コンサルタントとして私が関わった、ミラノに次ぐ2020年のドバイ万博も成功を祈っています。   私は幼いころから様々な国で暮らしてきました。 人々が互いに理解し合うためには、互いの文化を尊重しておつきあいをすることが何より重要だと考えています。この思いを基本として異文化コミュニケーターとして長い間仕事をしております。 現在、頻発するテロが世界を揺るがし大きな不安が広がっています。 国を出ざるを得ない難民の問題も深刻です。 このような時代だからこそ、お互いを理解し合うことの素晴らしさを 皆様にお伝えする私自身の仕事をこれまで以上に大切にし、力を入れていきたいと感じております。   今年は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの、レガシー(街づくり・持続可能性委員会)とエンブレムの選考に関する仕事も お引き受けしました。オリンピック・パラリンピックの成功に向けて頑張りたいと思います。   末筆になりますが、私は今年1月に、15年務めた国連ハビタット親善大使の仕事を満了することができました。 15年もの長きにわたり、親善大使として世界中の人々の居住に関する課題に取り組んでこられたことは私の誇りでもあります。 皆様からのご支援にも心から感謝申し上げます。 今後は引き続き日本ハビタット協会副会長、AWC(アジアの女性と子どもネットワーク)代表の仕事をライフワークとして続けていきたいと考えております。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 そして2016年が皆様にとって幸せにみちた年でありますようお祈り申し上げます。

  マリ クリスティーヌ

http://ameblo.jp/maris-life-scape/  ←マリ・クリスティーヌ オフィシャルブログ


*マリ・クリスティーヌさんの経歴など以下↓ご紹介

まりくりすてぃーぬ

異文化コミュニケーター, 日本ハビタット協会副会長, AWC(アジアの女性と子どもネットワーク)代表

東京で、アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれる。幼少期から諸外国で生活をする。70年に日本へ単身で帰国し、上智大学を卒業。

また、大学在学中に芸能活動も開始。その他、国際会議、コンサ トなどの司会など、数ヶ国語に精通しているという、堪能な語学力を生かして活躍している。
また一方で、94年に東京工業大学大学院で修士号を取得し、専攻した社会工学をもとに、国際的な都市計画や街づくりに関わるようになる。特に、アジアに住む女性や子どもを支援する、ボランティア団体*AWCの代表も務めている。

*AWC(アジアの女性と子どもネットワーク)を設立し、代表となる。タイ山岳民族の子ども達への学校建設を行い、女性と子どもの人権保護と自立を支援する。

マリ・クリスティーヌさんは、幼い頃から異文化での生活を経験し、現在も様々な国で活躍していることから、グローバルな視野で、ライフスタイル、ボランティア等について語ることのできる異文化理解の素晴らしい語り手です。


P.S.
鎌倉市に拠点を置く「ACS 市民国際交流協会」も留学体験者との交流や様々な国際交流団体との橋渡しにより、世界の友好交流や異文化理解を促進しています。
活動内容

【活動目的】

海外留学やホームスティ、外資系企業等の経験を持つ鎌倉市民が主軸となって、国際交流・協力を目的として活動している団体です。下記の活動を通して、青少年の育成や異文化理解、各種交流を行っています。

一般市民による国際交流=民際外交(草の根交流)というところに教育的意義を認め、友情、文化、世界への発信、発展に私たちの理念と夢があります。

【活動内容】

☆文化・スポーツ・教育・学術交流が中心です。

・民族や信条、宗派を超えた世界人類としての相互の理解と友好、平和への貢献。

・スポーツ(含む武道:弓道・剣道・柔道・空手等)と文化・芸術の国際交流。 

・「海外留学」、「国際交流・協力」、「教育」のセミナー、フォーラム、講和・講演会の開始。進学や海外留学(高校や大学)、日本語学習の相談。 

・海外への渡航交流や国内における人物交流。

・交流の成果、記録の紹介。 

・教育:「神奈川湘南スチューデント」の育成・・・青少年における、「学びの意義」・「仕事の意義」・「実りある人生の生き方」、知識と論理、倫理、実践を有する欧米の教育、地域スポーツの利点を交えた教育(米・独・仏のシステム)の啓発、国際人を目指す。

設立年 1988年

会員数 35人

神奈川県内全域が活動地域
 
ご関心のある方は、具体的な内容で次のアドレスにメールを下さい。

hirokssr@jewel.ocn.ne.jp

よろしくお願いいたします。

NPO かまくらファンド審査会 2015報告

2015-12-21 01:14:47 | NPO 命・地球
2015年度「NPO支援かまくらファンド」支援団体にNPO「命・地球」が選ばれました。

http://npo-kama.sakura.ne.jp/uk/fund.html

2015年11月3日の文化の日に、玉縄交流センターで行われました公開審査会において、応募13団体のうちからNPO「命・地球」を含めた、下記の7団体に助成が決定しました。


憩い宿

鎌倉・ロボット・ものづくり研究会

鎌倉市政を考える市民の会

NPO法人 タウンサポート鎌倉今泉台

NPO「命・地球」

NPO法人 子ども大学かまくら

NPO法人 鎌倉みどりのレンジャー
>
公開審査会の審査員、選考過程などは、鎌倉市市民活動センター広報紙の「鎌倉パートナーズ」第77号(2015年)12月発行(季刊)に報告されています。↓

http://www.npo-kama.sakura.ne.jp/partners/1512naka/index.htm

http://npo-kama.sakura.ne.jp/uk/fund.html

上記のプレゼン内容で、
NPO「命・地球」は、闘病の実体験者2名が、生きのびた命を生かし、『生きる喜び』と『命の大切さ』を思いとして、病気により、進学や就職などが困難な人々に対する社会復帰への支援を活動目的として訴えました。場をいただいたこと、審査会の皆さまありがとうございました。活動頑張っていきます。

(NPO「命・地球」)に、ご関心のある方は、具体的な内容で次のアドレスにメールを下さい。

連絡先
hirokssr@jewel.ocn.ne.jp

今後とも、ご指導ご鞭撻の程よろしく お願いいたします。

NPO「命・地球」より感謝を込めて